case1 妬む者 :3
第三話 取り引き
翌日、白崎は柏に連れられ自宅へと帰るため、車に乗った。
「さて、行こうか」
機関は森の中にあったらしく、周囲は木々で覆われていた。
建物の全貌は想像よりも小さく、横長い平屋作りだった。
車に揺られること数時間。標高も高く道のりの大半は下り道だった。
主要道に出て、間もなく見慣れた街が見えてくる。
柏は途中、絶えなく他愛のない話を続けていた。
「あ、もうここで大丈夫です」
商店街の付近。そこで白崎は車を停めてもらう。
「じゃあ、何か困ったことがあったら直ぐにここに電話してね」
そう言って柏は電話番号の書かれたメモを渡す。
簡単に礼を言い、白崎は車をおりる。
柏の車が去るのを見送り、携帯を取り出す。
「休日でよかった」
怪奇な現象から解放され、どっと疲れの波が押し寄せてくる。
「帰って寝よ」
課題のことも忘れ、足早に家へと歩き出す。
商店街を抜け、駅前の繁華街とは逆方向の集合住宅街。
街並みこそ整えられているが、同じような家の並びがどこか気持ちが悪い。
少し歩き自宅へと着く。
玄関には当然のように鍵がかかっていた。
鍵を開け、玄関に入ろうとした時、声をかけられる。
「白崎さん?」
振り返るとそこには委員長がいた。
「え、委員長この近くだったんですね……」
彼女は肯定すると、少し気まずい空気が流れる。
「あの、白崎さん。学校にでも行ってたの?休日だけど……」
白崎は自身の装いを見る。
あの日機関に救出されてから、その帰りは元の制服だった。
「あ、まぁ。ちょっと先生に質問があったんで……」
委員長はその答えにぎこちなく相槌を打つと、簡単な挨拶だけをして去っていった。
普段誰かと帰宅することがないと、家の前に知り合いがいることが気まずかった。
変な疲労感ですぐに自室の布団へと飛び込んだ。
「……あ、課題」
そんなことを思い出したが、眠気に襲われる。
日曜は課題をこなし、翌日の小テストに備え一日を終える。
不思議なことに、一日いつも通り過ごすと週末のことなど殆ど気にならなくなった。
やはり自分には関係の無いことだった。
そんな気がした。
日常が戻る。
通常通りの時間に家を出て、いつも通り教室に入る。
教室はいつもよりなんだか浮き足立っており、白崎はその理由をすぐに理解する。
机がひとつ多い。おそらく転校生だろう。
教室で唯一話す生徒が話しかけてくる。
「透華ちゃん、聞いた?今日転校生が来るんだって!」
少し興奮気味に話す彼女は、いつもテストで上位を競いあう仲だった。
「そうなんだ、どんな人だろうね?」
当たり障りない回答を出すと、その子はどこか不満そうにする。
「もう、興味無いでしょ!でもさ、これ聞いたらもっと驚くよ」
そう言って白崎を教室の外へ連れ出す。
三階建ての下の階、一年生の教室があるエリア。
そのうちのひとつの教室を覗くよう言う。
言われたまま覗くと、自分の教室と同じような空気が流れていた。
「一年生にも転校生だって!この時期にすごいよね。ウチの高校、転校生用の試験すっごい難しいって聞いたんだ。それをパスしてくるのはビックリだよ〜」
彼女は楽しみと言うが、白崎はそうでは無かった。
彼女にとって成績を競う相手が増えることは、月のお小遣いへの危機に直結するからだ。
ヘラヘラと笑うこの女にも何度小遣いを減らされたことか。
彼女の話をため息で流し、一足先に教室へともどる。
その最中、教員の話し声が聞こえた。
「校長!本気ですか!?あんなのを我が校に入れるなんて!」
「仕方ないだろう!試験は満点、学費もべらぼうに請求してやったのに全額その場でだ!きっとどこかの御曹司だろう!……くれぐれも管理は君のクラスだからな。何も問題を起こさせるなよ……」
白崎の背に冷や汗が流れる。
教室へ戻るとホームルームが始まる。
教室の大半が、担任教師からのその言葉を待っていた。
「えー、みんなも気づいていると思うが今日からこのクラスに新しい仲間が入る」
教師に促され入ってきた生徒。
短い髪に凛とした顔立ち。
こんなにも人の顔をよく見た経験は少なかった。
「紅林凪です。宜しく」
黒板にきれいな字で名前を書いた少女は、紛れもなくあの機関の紅林凪だった。
思わず息を飲み、彼女から目を逸らす。
その時、下の階から悲鳴なのか、黄色い声援なのか分からない声が上がる。
白崎は最悪を顧慮したくは無かったが、彼女が現れた以上彼も来ているだろうと思った。
クラスはざわついたままホームルームが終わり、あっという間に昼休みになる。
紅林はクラスメイトに囲われており、質問攻めを受けていた。
意外にも紅林はクラスメイトに友好的で、見たことない笑顔を見せていた。
そんな顔もできるのかと、横目で彼女を見ていると目の前にいる人物が膨れていた。
「ね、透華ちゃん。透華ちゃんもあの子のこと気になるの?」
朝話していた黒咲牡丹はジト目で白崎を睨んでいた。
「や、そんなんじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
異様に詰めてくる黒咲にたじろぐも、辺に怪しまれたくないと思った白崎は、適当な言葉を探す。
「……キレーな子だなって」
そう言うと黒咲は席を立ち上がる。
「そ、そんな……透華ちゃんが浮気するなんて……」
大袈裟に泣き真似をする彼女に白崎はため息をつく。
「……何それ、元々付き合ってなんてないでしょ?」
軽く笑うと、黒咲はまだこのテンションを続けるようで、ハンカチを取り出す。
「うっ……私と透華ちゃんの白黒コンビも今日で解散なんだね……。今日からはあの子と紅白コンビになるんだ……うわーん」
ハンカチで涙を拭う振りをする彼女を無視して弁当を片付ける。
「さて、次のさっきの授業の復習しよっと」
黒咲は悲しそうに片付けをし、一緒に復讐を始めた。
放課後、黒咲は部活のため足早に教室を出ていく。
向ヶ丘高等学校は部活動が奨励されていない為、多くの生徒はそのまま下校するものが多い。
白崎も帰り支度をする。
委員会は週末しかない為、基本的には即帰宅する。
「…………」
紅林に目をやると、数名の生徒から部活の勧誘を受けていた。
それもそうだろう。今日の授業の中に体育があったが、彼女は抜群の運動能力を見せた。
変な詮索は辞めようと、席を立つ。
校門前の昇降口に着くと、朝の嫌な予想は現実になっていた。
「……あ?」
そこにはあの組織で御影と呼ばれていた青年が立っていた。
「……」
何も見なかったことにした。
今日は帰って課題と予習がある。冬休み前の期末試験もひと月後にある。どうせ今日も母はいない。夕飯も自分で作らないといけない。
やることは多い。
颯爽と出ていこうとしたところに声をかけられる。
「よう、元気そうじゃねぇか女」
由緒ある(らしい)制服を見事に着崩し、インナーシャツの代わりにパーカーなんて着ている不良青年が声をかけてくる。
溜息をつき振り返る。
「あの、私ちゃんと白崎透華って名前あるから」
彼の足元、登校初日なのに踵の潰された上履きを見る。
「てかあんた、学年下じゃん。ちゃんと敬語使いなさい」
そう睨むと御影はハッとする。
「……そうだな。柏せんせーにもちゃんと学校生活しろって言われたっけ…………」
彼は分かったように俯く。
「……んなわけねぇだろ。よくそれで乗り切れると思ったな」
ダメだった。
しかし、彼はいつもの悪い顔を真剣な顔に戻す。
「まぁ、この学校に来たのはお前に用があるからじゃねぇ。基本的に干渉もしねぇから気にすんな」
意外な言葉に白崎は驚いた。
「ここに居たの、御影」
そこへ紅林が来る。
彼女は何となく察したようで口を開く。
「この学校にこの間の封域を作った人物がいるのよ。私たちはそのための侵入ってこと」
簡潔に言うと、簡単な挨拶をして御影とともに立ち去っていく。
それを見送り、白崎も帰路につこうとする。
「あ、透華ちゃん」
そこに声をかけたのは体操着姿の黒咲だった。
「あれ、どうしたの?」
その隣には同じく体操着の女生徒がいた。
「ごめん、この子怪我しちゃったみたいでさ、良かったら保健室まで連れて行ってくれないかな」
どうやら、黒咲はこの後も練習があるらしく、急いでいるようだった。
仕方ないと思いつつ、怪我をした女生徒の肩を持つ。
幸い保健室は遠くなく、すぐにたどり着く。
「失礼します」
横開きの扉を開けると、保険医と白崎の委員会の委員長がいた。
「あら、いらっしゃい、その子怪我してるわね。診てあげるわ」
そう言って保健医は女生徒の処置を始める。
どうやら委員長と保健医は話していたようで、小さなテーブルにはコップが2つ置かれていた。
「白崎さんこの子連れてきてくれたんだ……」
居心地の悪そうに委員長が言う。
「いや、頼まれただけなんで……」
そう事実を述べると、また委員長は気まずそうに顔を伏せる。
「でも優しいじゃない。先生としては助かるわよ」
女生徒の処置をしながら保健医の大宮琥珀は言う。
特に話すことも無くなってしまったので、白崎は保健室を後にする。
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紅林らが転校してきて数日が経った。
今週末は委員会の美化活動がある。
その前日の放課後、白崎は紅林に呼び出された。
ホームルーム後に空き教室のひとつに来て欲しいとの事だった。
何かと思い指定された教室に行くと、そこには既に紅林と御影がいた。
「……お待たせ」
教室はカーテンが締め切られており、遮られた外の光のみが教室を照らしている。
どうやらあまりいい話では無いようで、幾らか空気が重かった。
「この間の標的が見つかった」
腕を組んだ紅林が一言言った。
「そ、そう……。良かったじゃん……じゃあ」
それだけかと思い教室を後にしようとするが、御影に止められる。
「お前を呼んだんだ、関係あるに決まってんだろ」
折角日常に戻れると思っていた白崎の考えはどうやら甘かったようで、紅林が続ける。
「標的の名前は佐々木詩杏、三年生ね。この名前聞き覚えあるでしょ?」
確かにその名前には聞き覚えがあった。
「委員長……?」
そう、佐々木は白崎の所属する美化委員会の委員長だった。
にわかには信じ難いと思い、紅林に問う。
「そんな訳ない……。証拠とかあるの……?」
そう言うと、紅林は一枚の紙を取り出す。
「私が最初にあの商店街で接触したのは彼女だった。名前なんてこの学校に来るまでは分からなかったけどね」
そしてその紙には衝撃的な事実が書かれていた。
「……嘘」
それは今日付けで解読された予言だった。
内容は向ヶ丘商店街の事についてだ。
「……消滅って?」
その言葉にも紅林は表情を変えない。
「その詳細は不明。でも日付と原因である佐々木詩杏の名前が記載されている。情報はこれだけあれば十分」
どうして彼女達が落ち着き払っているのか白崎には理解できなかった。
「なら、今すぐにでも……!」
その言葉の続きを紅林が塞ぐ。
「今すぐに。簡単に出来るよ。まだ彼女がこの学校に残っているのも知っている。でもここで処理しようとしたら被害はどうなると思う?予想できる?」
最もな意見だとは思う。しかしある言葉が引っかかる。
「待って、処理って何?」
あまりにも物騒な言葉だった。
「……言葉通りの意味だよ」
紅林は冷たく言い放った。
「作戦は明日の商店街美化活動終了後。キミには佐々木を一人にすよう協力して欲しい」
出来ない。と簡単には言えなかった。
商店街の人、美化活動を一緒にする委員たち。
それと委員長一人を天秤にかけるなら、どちらが重いかは明白だった。
しかし、それでも譲れないものがあった。
向かいあうと気まずくても、意見が合わなくても。
「協力する代わりに条件がある……」
御影がどこか楽しんでいるかのように笑った。
「委員長の身の安全は保証して」
そう言うと、紅林はため息をついた。
「……善処する」
取引は成立した。