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The Magic Order  作者: 晴本吉陽
Chapter 7 時代
93/124

Chapter 7-7 交錯

5月6日 虚山麓の住宅街 19:30


 木村陽子は絶望していた。4人の屈強な男たちに取り押さえられ、しかもナイフが今まさに彼女の胸元に刺さろうとしていた。

 何度も命乞いをし、それでも陽子は今殺されようとしていた。

 そんな時だった。


「おい、何やってんだ」


 5人目の男の声がした。

 陽子にはこの声に聞き覚えがあった。鋭さの中に、陽子が確かに愛した優しさのある声だった。

 陽子は涙で染まった瞳を、5人目の声の方に向ける。

 滲んだ視界であっても、彼女はその5人目を見間違えなかった。


「数馬…!」


「ちっ、なんだテメェ?とっとと失せろ」

 流が数馬を睨みつけながら言う。数馬はそれに対して怯むことなく言い返した。

「そうさせてもらうぜ、その女を助けたらな」

 数馬はそう言うと目の前に立っていた流を横に突き飛ばしてから、姿勢を低くしつつ一気に陽子を刺そうとナイフを構える星の懐まで駆け寄った。

(速い…っ!?)

 星は逆手に持っていたナイフをそのまま数馬に振るう。

 しかし数馬はそれを食らう前に、目にも止まらぬ速さで右手で星の顔面を殴り抜いた。

 星がダウンすると、数馬は倒れている陽子に駆け寄る。しかし、同時に興太も陽子を踏み殺そうと陽子の方へ駆けていた。

 数馬はそれに気がつくと、陽子と興太の間に割って入る。そして走ってきた興太の勢いを逆に利用し、右ストレートを興太の顔面に叩き込んだ。

「数馬、後ろ!!」

 陽子の叫びを聞いて、数馬は振り向く。

 見ると、光樹が数馬の背中にナイフを突き立てようとしていた。

 数馬は光樹の手を受け止め、お互いに押し合いになる。だが、光樹のナイフは徐々に数馬の首元に近づいていた。

(なんだ…このクソ馬鹿力は….!普通の人間とは思えねぇ…!)

 数馬は押され気味だった。

「死ね、醜い悪人め!」

 光樹がそう言って腕の力を強める。

 瞬間、数馬は自分の腕の力を抜いた。

 ナイフが数馬の首へ降りてくる。

 数馬はそれを間一髪でかわし、光樹の背後を取った。

 勢い余った光樹を蹴り倒すと、光樹の握っていたナイフは光樹自身を刺していた。


「おい、大丈夫か!」

 数馬はそう言って陽子に手を伸ばす。陽子はその手を取って立ち上がった。

「よし、逃げよう」

「逃がすかよ…この野郎…!」

 数馬の言葉に、悪態を吐きながら流が立ち塞がる。流の隣には、星も興太も、そしてナイフが体に刺さっていても血の一滴も出ていない光樹が立っていた。

「俺たちは正義のために戦ってる…こんなところで邪魔されてなるものか!」

「男4人で無実の女リンチして『正義のため』とは恐れ入ったぜ。そんな正義なんざクソくらえだ!」

「馬鹿な男だ」

 興太の言葉に数馬が啖呵を切ると、星がそれを鼻で笑い飛ばす。実際、数馬の逃げ道は4人の屈強な男たちに塞がれ、一見して不利なのは間違いなく数馬の方だった。だが数馬は一切怯まなかった。

「はっ、4人程度で俺に勝てると思ってるテメェらの方が大馬鹿だよ!」

「口先だけの挑発だな。虫の最後の抵抗のようで美しさのかけらも無い」

 数馬の狙いを見透かした光樹が冷静に言い放つ。数馬は思わず目を細めた。

 数馬は自分の背中にいる陽子を一瞬見る。数馬はそこで彼の影で震える女が陽子だとはわかっていなかったが、どんな手を使ってでも助けようと心に決めていた。

(さて…助けられるか…?)

 じわじわと4人は数馬と陽子を壁へ追い込んでいく。

 数馬は目の前に立ち塞がる男たちを睨みながら陽子の手を握り、奥歯を噛み締める。そして1人で覚悟を決めた。

 

 そんな瞬間だった。


 徐々にパトカーのサイレンの音がこちらに近づいてきているのがわかった。数馬と陽子を囲んでいる4人はその音に思わず顔をそちらに向けた。

 数馬はその一瞬を見逃さなかった。

「ドケェッ!」

 数馬が左足で真っ正面にいた流の顔面を蹴り飛ばす。

 流が倒れ、道ができたところを、数馬は陽子の手を引きながら走り出した。

「逃さんぞ!」

 興太が横を抜けようとする陽子の腕を掴もうとする。それに気づいた数馬は、陽子の手をさらに引き、陽子1人を前に放り出す。

「先に逃げろ!!」

 数馬は陽子1人を逃してその場に立ち止まり、再び敵4人の方へ振り向く。陽子は一瞬姿勢を崩すと、全力で走り出した。

 数馬はニヤリと笑うと、両方の拳を構える。そして背筋を伸ばすと、あらためて啖呵を切った。

「死にたいやつからかかってきな!」



 数馬のおかげで窮地を脱した陽子は、ようやく大通りに逃げてきた。

 陽子のすぐ目の前に、パトカーが止まる。車から急いで降りてきたのは、マリと玲子だった。

「マリ!玲子!!」

 陽子は2人の姿を見て絶叫する。息も絶え絶えにマリにしがみついてくる陽子の姿を見て、マリは冷静に尋ねた。

「陽子、落ち着いて、どうしたの?」

「か、数馬が、数馬が、死んじゃう!」

 陽子が必死に叫ぶ。マリと玲子は目を合わせた。

「通報してきたのは桜だったはず…数馬もいるの?」

「飛鳥も!飛鳥も危ないの!お願い早く!」

 玲子の疑問に、陽子は構わず声を上げる。マリは陽子の肩を持って落ち着かせる。

「わかった。怖かったよね。もう大丈夫。数馬のところまで案内してくれるかな?」

「うん、こっち!」

 マリの言葉に、陽子が走り出す。マリは頷くと、陽子の背中を追う。

「マリ、私は桜を探す」

「お願い!」

 玲子とマリは短くやりとりを交わす。

 玲子はマリと別方向へ歩き出すと、支給品ではない私物の拳銃(M500)を抜き、握りしめた。



 数馬はその間、4人を相手に互角に殴り合っていた。ここまで数馬は一撃たりとも敵の攻撃を食らわず、1人1人の攻撃をいなしていた。

「どうした!殴れるのは女だけか!」

 数馬は再び挑発する。だが、状況としては四方から囲まれている数馬の方が圧倒的に不利だった。

 数馬の背後に倒されていた星が、ナイフを腰に構えて数馬に駆け寄る。

 足音に気づいた数馬は、咄嗟に振り向いて自分にナイフが刺さる前に星の腕を受け止めた。

「おっ、いいパワーじゃん?」

「今だ!殺せ!」

 余裕を見せる数馬に対し、星が叫ぶ。それに応えるように、数馬の背後の光樹がナイフを抜いた。

(これは…)

 数馬が覚悟を決めた瞬間、光樹が突っ込んでくる。

 数馬は咄嗟に手を離し、横へ転がる。

 光樹と星は勢い余ってお互いをナイフで刺し合う。だが、2人とも痛がるような素振りも見せず、ナイフを即座に抜いた。

「なんだァ…?」

 数馬は異様な光景に息を飲む。だがそんなことをしている場合ではなかった。

 数馬の背後から興太が数馬の後頭部を殴りつける。

「!!」

 鈍い痛みが数馬を襲い、思わず数馬は片膝をつく。すぐに興太は数馬を羽交締めにした。

「さっきの礼だ!」

 身動きが取れない数馬の顔面に、流が右フックを叩き込む。数馬の口からわずかに血が吹き出た。

「…へっ、女の子みてぇなパンチだな」

 数馬は殴られてもなお軽口を吐く。だがすぐに流が怒りに任せて数馬の顔面をもう一度殴り抜けると、数馬の腹にも渾身の一撃を叩き込む。

「ぅぐぁ…っ…!」

 思わず数馬の表情が歪む。しかし、すぐに数馬は流に対してニヤリと笑った。

「…失礼、赤ちゃんパンチだった」

「いい加減にしろよ、ボケが!」

 流はもう一度数馬を殴る。そのまま星からナイフを受け取ると、握りしめて構えた。

「ほっとけば良かったのによ!本当に馬鹿な野郎だぜ!死ね!」

 流がそう言ってナイフを振り上げる。

 数馬もそのナイフをじっと睨み、覚悟を決めたその瞬間だった。


「警察です!動かないで!」


 辺りにマリの声と、銃を構える音が響く。それによって数馬を襲っていた4人は振り向く。その隙に数馬は羽交締めを振り解き、マリの方へ転がり込んだ。

「ちっ、逃げるぞ」

 マリの顔を見るなり、星は他の仲間たちに指示を出す。言うが早いか、彼らは大きく膝を曲げ、空中へ飛び上がる。マリが呼び止める間もなく、彼らは住宅の屋根の上を走っていくと、夜の闇に姿を消した。

「なんなのあれ…」

 マリは信じられないものを見る様子で言葉を漏らす。その間に陽子は、倒れた数馬の元に駆け寄った。

「数馬、数馬、しっかりして…!」

 陽子の悲痛な声に気づくと、マリも数馬の元に駆け寄る。数馬の顔を上げさせると、数馬の顔はボロボロだった。

「数馬、大丈夫?私がわかる?」

「顔が3つあるやつなんて知り合いにいねぇよぉ…」

 数馬の視界は殴られたせいで歪んでいた。そのため、数馬の目に映るマリの顔は3つぼんやりと映っていた。

「…一応大丈夫そうね。陽子、私、飛鳥を探すから、数馬をよろしく」

 マリはテキパキと指示を出す。陽子が数馬に肩を貸して数馬を立たせたのを見ると、マリは1人走り始めた。

「待ってくれ、他に困ってる奴がいるなら、俺も助けに…」

 陽子に自分の体重の半分を預けながら、数馬はマリの背中に声をかける。そのまま走り出そうとしたが、陽子がそれを止めた。

「だめだよ、その体じゃ…今はひと休みしなきゃ…」

 陽子に説得され、数馬は悔しそうに奥歯を噛み締める。陽子はそんな数馬の表情を見上げると、申し訳なさそうに言葉を発した。

「ごめんなさい…私が巻き込んじゃって…」

 それに対し、数馬は微かに笑った。

「気にするなよ。俺が勝手に首突っ込んだだけだ。それに、知らない人でも困ってたら助けたいだろ?」

 数馬の言葉に陽子は俯く。数馬が陽子自身に気づいていなかったことと、数馬の優しい気持ち、そして過去に自分が数馬に向けた言葉を思い返して、陽子は自分の胸が締め付けられるような思いがしていた。

 瞬間、陽子に体重が強くかかる。見ると、数馬が意識を失い、陽子にそのまま体重を預ける形になっていた。

「数馬!?」

 不安になった陽子は数馬の口元に手を当てる。どうやら息はあるようだった。

「…よかった、急ぐからね」

 陽子は1人そう言うと、足を早めた。




 その頃、マリは不穏な物音のする方へ駆けていた。刃物と金属がぶつかり合うような音と、男と女の声。マリが道を曲がると、そこでは飛鳥が何者かと格闘していた。

「動かないで!警察です!」

 マリが拳銃を構えながら声を張る。すると、飛鳥を襲っていた人影たちは、星たちと同じように大きくジャンプして家屋の屋根に上り、その場から逃げていった。

「はぁっ…はぁっ…」

 飛鳥が息を切らしながら膝をつく。彼女の右手には、傷だらけになった警棒が握られていた。

「飛鳥、大丈夫?」

 マリは飛鳥に駆け寄って声をかける。飛鳥はマリに気づくと、一瞬警棒を向けたが、すぐにしまい込んでため息をついた。

「マリか。来てくれてありがとう。私は大丈夫」

 マリは話を聞きながら飛鳥を立たせる。飛鳥はそのままマリに質問を続けた。

「桜と陽子を見なかった?」

「陽子は助けたよ。桜はまだ」

 マリの返事を聞いて、飛鳥は険しい表情を隠せなかった。

「わかった。桜を探すの、手伝って」

「もちろんだよ」

 飛鳥はマリの返事を聞くと走り出す。マリも飛鳥の少し後ろについていくようにしながら走り出した。



 その頃、桜は身を隠しながら大通りに逃げる機会を窺っていた。

 常人よりも優れた聴力を持つ彼女は、じっと息を殺し、物陰から追跡してくる人間の足音などに耳を澄ませていた。

(聞こえる…足音2つ…ずっとこの辺りをぐるぐるしてる…これじゃあここから離れられない…)

 桜は慎重を期して敵がこの辺りから去った後にここを離れようと考えていた。しかし、敵は桜の逃げ道のすぐ近くを巡回しているため、逃げようにも逃げられる状況ではない。

 桜は自分の腰の拳銃(PPK)に手を伸ばす。すでに弾が装填されていることを確認すると、最悪強硬手段に出る覚悟を決めた。

 その瞬間だった。

(足音が変わった…?2人とも遠ざかっていってる…)

 桜の耳には、先ほどまで一定のパターンだった足音が変化して聞こえた。桜はこれが最後のチャンスだと思うと、夜の闇に紛れるように、姿勢を低くしながら走り始めた。

(ここから大通りはそんな遠くない…私の足なら2分で逃げられる…!)

 桜はそう思いながら足音と自分の息を押し殺し、入り組んだ道を走る。

 最後の角を曲がり、大通りの街灯の光が見えた。

(ここまで来れば…!)

 最後の一直線を桜は走る。あと数mで脱出できると思ったその矢先、街灯の光は1人の男の影に遮られ、桜は足を止めた。

「怖がるなよ、桜。俺たちは仲間だろう?」

 魅神暁広は桜の前に立ち塞がり、そう笑いかける。爽やかで甘いマスクの笑顔。だが、桜にはその笑顔に秘めた邪悪さがありありと感じられた。

 桜は右手に握った拳銃を構える。暁広の眉間を真っ直ぐ狙った。

「武田さんを殺して、みんなをどこにやったの?あなたの目的はなんなの?」

 桜の質問に、暁広は静かに微笑むだけで答えない。桜は引き金に指をかけ、力を込めた。

 彼女が引き金を引き切ろうとしたその時、桜の右手が後ろから強い力で掴まれ、引かれる。彼女が抵抗する間もなく、桜の右手首に膝蹴りが叩き込まれた。

「!!」

 激痛のあまり、桜も拳銃を落とす。その隙に、あっという間に桜は羽交締めにされ、身動きが取れなくなっていた。

「相変わらずいい動きだね、茜」

「当然じゃない」

 桜を羽交締めにしているのは茜だった。桜は、茜の腕力に勝てず、とても振り解けないことを確信した。

「茜…!なんでトッシーを止めないの!彼は間違ってる!」

「何を言ってるの桜?トッシーは正義だよ。彼こそが本当に平等な世界を作れる。それだけの力を持ってる。それなのに私を選んだくれた。だから私はトッシーに尽くすって決めたんだよ」

 茜はそう言ってより強い力で桜を拘束する。その間に、暁広は右手に歯車を発現させていた。

「桜、君もこれで理解できるよ」

 暁広はそう言って桜に近づいていく。桜は必死に身をよじるが、茜の腕力によって、桜は逃げられなかった。

「何をするの…!?離して…!やめて!」

 桜は蹴りで暁広を引き離そうとするが、全て軽々と払い除けられ、あっという間に暁広は桜の目の前にやってきた。

「嫌…!嫌ぁああっ!!」

 桜が悲鳴を上げるのも虚しく、暁広の歯車は桜の胸に溶け込んでいく。

 初めは悲鳴をあげていた桜も、そのうち意識を失っていた。

「最初からトッシーの言う通りにしてればいいのに」

 茜は自分の腕の中で意識を失っている桜の顔を見て言う。暁広は首を横に振った。

「仕方ないよ。正しい行いは、初めは受け入れられないものさ」

 暁広の言葉に、茜も頷く。

 そんなのも束の間、暁広の背後から拳銃を構える音が響いた。

「灯島市警よ!大人しくしなさい!」

 暁広はその声の方にゆっくり振り向く。

 彼の目の前には、普通の警官が絶対に持たないであろう大型拳銃(M500)を構えた玲子の姿があった。

 玲子も、目の前の光景に、思わず息を飲んだ。

「トッシー…何をしているの…?」

 茜が気絶した桜を抱え、暁広はその隣で玲子を見ている。玲子はそんな光景に、何をするべきかを見失いそうになっていた。

「やぁ玲子。久しぶり」

「トッシー、質問に答えて。一体桜に何をしたの」

 玲子は緊張した様子で拳銃の撃鉄ハンマーを起こす。引き金を引けばいつでも大口径の銃弾で暁広を貫く用意はできていた。だが暁広は笑顔を崩さない。

「仲間になってもらったのさ。玲子、お前も俺たちの仲間にならないか」

 暁広の言葉に、玲子は指に力を入れる。構わず暁広は話を続けた。

「今の世界は、少数の人間が私欲のために多数の人間から全てを巻き上げている。どうしてそんなことが起きていると思う?少数の人間が力を独占しているからだ。玲子、正義感の強いお前なら、わかるだろう?そんなことは間違っているって」

 暁広は玲子に語りかけながらゆっくりと歩み寄る。玲子もそれに合わせてゆっくりと後ずさった。

「近づかないで…!それ以上近づいたら…!」

「撃つ?」

 暁広は悲しげな表情で玲子の拳銃の銃口を握りしめ、自分の心臓に突きつける。暁広は、玲子の怯えた表情をはっきりと見ていた。

「玲子…お前ならわかってくれるだろう…?俺のことをずっと愛してくれたお前なら…」

 暁広の言葉に玲子は全ての力が抜ける。暁広はそのまま玲子を抱きしめると、彼女の耳元に囁いた。

「本当はお前が好きだったんだ。俺はお前が欲しい」

 暁広の妖しい囁きに、玲子は涙目になりながら拳銃を落としそうになる。

 暁広は追い打ちと言わんばかりに、優しく玲子の唇を奪った。

 玲子は拳銃を落とす。

 暁広が唇を離すと、玲子は涙目になりながら暁広を見上げていた。

「トッシー…」

 玲子がか細い声で暁広の名前を呼ぶ。暁広は玲子に微笑むと、手を離した。

「じゃあな」

 遠くから聞こえてくる足音から逃げるように、暁広と茜はその場を去る。玲子はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


 桜がうめき声をあげながらゆっくりと起き上がる。その声で玲子はようやく我に返った。

「桜!大丈夫?」

 落としてしまった拳銃を拾い上げてから桜に近づく。桜は頭を抑えながらゆっくりと起き上がった。

「…いたた…」

「無事そうね。よかった」

 玲子が安堵のため息をつくと、遠くからマリの声が聞こえてくる。玲子は桜を立たせて大通りに出ると、走ってきたマリと飛鳥に手を振る。4人は合流すると、状況を確認し始めた。

「玲子、桜、無事だったんだね」

「敵は、どうなった?」

 マリと飛鳥が尋ねると、桜が答えた。

「上手く撒けたみたい」

 飛鳥はその言葉に疑問を持たず、頷いた。

「だったら早く逃げよう。いつ向こうが体制を立て直してくるかわからないし」

 マリがその場を仕切る。その場の全員は、マリの言葉に従ってマリと玲子の乗ってきたパトカーへ走り出した。


 

 一方、暁広たちは山を登って自分達の拠点へ戻ろうとしていた。

「すまない暁広、あの女、取り逃した」

 暁広の隣を歩く星が言う。圭輝も申し訳なさそうに顔を背けながら毒づいた。

「警察が来るとはな…」

「気にするな」

 暁広が穏やかな表情で言う。状況としては失敗にも等しいが、それでも暗くなっていない暁広の姿に興太は疑問を覚えた。

「トッシー、いいのかこれで?」

「優秀な手駒がふたつ増えた。ここで目撃者を殺せなかったことを帳消しにしてお釣りがくる」

 暁広が言い切ると、他の仲間たちは感心したように暁広を見た。同時に、暁広の隣を歩いていた茜が暁広の脇腹を小突いた。

「悪い男だよねー、トッシー。あんなこと言って玲子を騙して」

 そう言う茜の表情は満面の笑みで、玲子のことを心から馬鹿にしているようだった。

「えぇ?最初から玲子が好きだった?私に告白したのはトッシーの方だったのに?玲子のことが好きなんてありえないのにね?ふふふ….ははは!」

 茜は暁広の声真似をしながら大笑いする。暁広も初めは笑いを堪えていたが、我慢しきれず茜の肩を抱いて一緒になって笑い始めた。

「やめろよ茜、あの女、馬鹿なんだよ」

「あー、ひっどーい」

 暁広の言葉に、茜もわざとらしく言う。薄暗い山道に、2人の笑い声だけが響いていた。



 マリの運転するパトカーは、飛鳥の指示で波多野のオフィスへ向かっていた。助手席に気絶した数馬が座らされ、それ以外の4人は後部座席に並んで座っていた。

 後部座席で4人が雑談する中、数馬は頭を抑えながら目を覚ました。

「…っ…ここは…?」

「あ、数馬、目、覚めた?」

 運転しながらマリは数馬に声をかける。数馬は頭を軽く振りながら答えた。

「あぁ…ついに捕まったのか…」

「違うよ。殴り合って気絶してたでしょ?」

「…そうだな。助けてくれてありがとう」

「礼は私じゃなくて陽子にね」

 マリはニンマリと笑いながら数馬に言う。数馬はマリの言葉がよく理解できず、マリの方を見た。

「え?」

「あ、気づいてなかった?数馬が助けたの、陽子だよ?」

「えぇ?」

「後ろにいるよ」

「えぇぇ?」

 数馬はマリの言葉を確かめるべく後部座席を見る。見える視界から順に玲子、桜、飛鳥、そして数馬の真後ろに陽子が小さく座っていた。

「あ、どーも」

「…どーも」

 数馬と陽子は気まずそうに会釈する。

 そんな空気を断ち切るように、マリがブレーキを踏むと、数馬は大きく姿勢を崩した。

「おわぁっ!?」

 数馬は慌てて助手席に座り直す。間も無く車はビルの前に止まった。

「お待たせ、到着でーす」

 マリがそう言うと、玲子が車のドアを開ける。それに従って桜と飛鳥は車を降りた。

「みんな、本当にありがとう。巻き込んでごめんね」

 飛鳥が言うと、マリと玲子は大丈夫と軽く答える。一方の数馬は1人だけ声を大きくした。

「おーい、あいつらなんだったんだ?」

 数馬の質問に飛鳥と桜は申し訳なさそうに顔を背けた。

「ごめん、仕事のことは言えないの。許して〜」

 桜はそう言って頭を下げる。数馬はそれ以上聞くのをやめた。

 桜と飛鳥はそのままビルに入っていく。玲子がパトカーのドアを閉めると、マリは再び車を走らせ始めた。

 広くなった後部座席でも、陽子は小さくなっていた。不安そうな表情で、窓の外を眺めていた。

 マリはミラーでそんな陽子の様子を見ると、明るく声をかけた。

「じゃあ陽子、家まで送ろっか」

 陽子はマリの言葉を聞いても、暗い表情をしていた。

「どうしたの陽子、助かったんだからもっと明るくしなよ?」

「あいつら私の家知ってる…殺される…!」

 陽子は恐怖で消え入りそうな声で叫ぶ。実際に殺されかけた陽子の恐怖は生々しかった。

 そんな陽子の様子を見て、数馬も玲子も重い表情をする。だが、マリは少し微笑むと、明るい空気そのままでハンドルを切り、陽子に話しかけた。

「じゃあさ、陽子。数馬の家でしばらく寝泊まりするのはどう?」

 マリの提案に、思わず数馬も陽子も声を上げる。玲子はそれに対し、冷静に賛成していた。

「確かに。独身者の女性よりも、男性と同居している女性の方が犯罪に巻き込まれる確率は低いから、アリかもね」

「え、でも、数馬の家ってそんな」

 陽子が思わず慌てる。だが、マリは安心して微笑んだ。

「大丈夫だよ。隣に私も住んでるから。数馬が変なことしたらすぐに呼んでくれていいよ」

「そういうことじゃなくて…数馬はいいの?」

 陽子は気まずそうに尋ねる。数馬は目の前の会話の展開の早さに目を回しながら流されるように答えた。

「え、あ、いや…陽子が嫌じゃなければ…」

「じゃ決まりだね」

 マリが一方的に話を決める。数馬と陽子は気まずそうにしながら頷いた。

「いいじゃない。数馬だって怪我の介抱してくれる人が欲しいし、陽子は守ってくれる人が欲しいでしょ?じゃあいいじゃん。何事もやってみてから悩めばいいんだよ」

 マリがそう言って笑いかける。

 車は夜の街を静かに走っていた。

最後までご高覧いただきましてありがとうございます

物語が大きく動いた回でした

今後もこのシリーズをよろしくお願いします

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