Chapter5.5-A-3 虹原光樹
圭輝と分かれた浩助は自分の席に着いていた。
さっそく浩助は周囲を見回す。浩助の近くで今来ているのは左隣の席に男子が1人だけだった。
その男子は机に何か描いていた。シャーペンを一本だけ手に持ち、木製の机に延々と何かを描いていく。
(何やってんだろ)
浩助はそう思って立ち上がり、眼鏡を調整しながら隣の席の彼が描くものを見ようとした。
「見たいのか。俺の絵が」
浩助に背中を向けたまま、彼は言った。浩助は一瞬驚きながら言葉を詰まらせた。
「いや、そちらが見せたくなければ別に」
「見たいのか、見たくないのか」
彼は語気を強めながら尋ねる。浩助は少しため息を吐くと、ゆっくりと言葉を発した。
「見たい」
浩助が言うと、隣の席の彼は机から体を離す。浩助は机に描かれた物を見た。
シャーペンの黒色で机全体に何かが描かれている。だが、浩助にはそれが具体的な何かには見えなかった。
「これがなんだかわかるか」
隣の席の男は浩助に尋ねる。浩助は首を傾げた。
「いや、わからない」
隣の席の男はニンマリと笑った。
「それでいい」
浩助は未だにどこか腑に落ちない様子でその男に尋ねた。
「これは一体なんだ?」
「インスピレーションだ」
「インスピレーション?」
「そうだ。この机にある傷、ひとつひとつが俺の創造欲を掻き立てた。ここに描いたのは、俺の描きたいという心自身だ」
隣の席の男は熱く語る。浩助は空返事をしていた。
「言ってること、わかるか」
「うん…いや、わからない」
「それでいい」
浩助が素直に答えると、隣の席の男はやはり笑ってうなずいた。
「俺は虹原光樹。お前の名前は」
「馬矢浩助」
「そうか。俺はお前が気に入ったぞ、浩助」
光樹が言うと、浩助はやはり腑に落ちない様子でうなずいた。
「は、はぁ。それはどうして」
「わからないものを素直にわからないと言えるからだ。世間の連中は、俺の絵を上から目線でああでもないこうでもないと抜かす。俺の美学を何もわからないくせにな」
「美学、か…」
浩助は内心面倒臭くなりながら相槌を打つ。
「お前に美学はあるか?」
光樹が尋ねる。すぐに浩助は答えた。
「ないけど」
「俺にはある。『足し算』だ」
「『足し算』?」
「ひとつのものに、色んなものが足されていき、新しいものが出来上がる。そこに再び新しいものが足されることで、さまざまなものが混ざり合い、新しいものができていく。芸術も同じだ」
「うん」
「芸術は本来常識の外にあるべきなんだ。あらゆるものを足し合わせ、常識を越えていく…それが俺の美学だ」
「うんうん」
「理解は求めていない。芸術と理解は伴わないものだからな」
光樹が一方的に喋るのを、浩助は黙ってうなずきながら聞き止める。光樹は嬉しそうに笑った。
「お前はよく聞いてくれるな。だが決して理解したフリはしない。お前のその姿、俺の求めているものだ」
「そりゃあどうも」
「それじゃあ次は俺の色のこだわりをだな…」
浩助はこれ以上長話をされるとたまらないと思い、時計を見る。そしてすぐに機転を利かせた。
「あーそろそろ時間だ、先生来るから静かにしてよう、な」
「だが」
「ほら、前向いて、姿勢正して」
浩助が一方的に話を終わらせる。光樹も浩助の思惑に気づくと、少し微笑みながら前を向くのだった。
最後までご高覧いただきましてありがとうございます
今回は暁広の新しい友人、その3人目を描かせていただきました
今後もこのシリーズをよろしくお願いします