Chapter 5-15 嵐過ぎて
1月28日 16:00 逃走開始から4時間後
子供たちを乗せたトレーラーと、幸長の運転するワゴン車が武田のビルの隣のガレージに止まった。
ガレージには武田や佐藤、佐ノ介とマリといったメンバーも待機していた。
「やぁ諸君、おかえり。ご苦労だった」
トレーラーやワゴン車から子供たちや運転していた大人が降り立つと、武田が珍しく感情的に労いの言葉をかけた。
子供たちはお互いに帰ってこられた仲間たちと笑い合う。その間に、幸長、翁長、望月の3人は、武田と佐藤の前に整列した。
「ただいま戻りました、武田さん」
「諸君、本当にお疲れ様。中に入って休んでくれ」
武田の労いの言葉を受け、大人たちは一礼してから中へ入っていく。
「佐藤、髪切ったのか?」
幸長が歩きながら佐藤に尋ねる。佐藤は小さく溜め息を吐いた。
「ホントに、ニブいやつ」
一方の子供たちは、それぞれ喜びあっている様子だった。
「玲子ぉ〜無事で良かったよ〜」
玲子の姿を見ると、桜、蒼といった女子たちが近づいてくる。玲子は2人を小さくなだめながら、笑って答えた。
「当たり前じゃない、私が死ぬわけないじゃん?」
「さっすが玲子、かっこいい!」
蒼が玲子をおだてる。玲子もまんざらでもなさそうに笑った。
数馬は、竜雄とその背中を見ていた。
「ったく、結構怪しかったくせになぁ?」
「数馬、そう言うのは無粋ってやつだよ」
数馬が笑って言うと、竜雄も笑って言う。数馬は笑いながらふと辺りを見る。集団の輪から離れたところで、佐ノ介が小さく笑っている。その隣には、マリの姿もあった。
「…そうだな、上手くいって何よりだ」
「本当にな」
数馬が言うと、それに同意するように泰平が歩いてくる。数馬と竜雄はそちらの方を向いた。
「お、泰さん。無事で良かったぜ」
「俺は今日も死に損ねちまったよ」
「是非明日以降も死に損ねてくれ、竜雄」
竜雄の言葉に、泰平はニンマリした様子で返す。そのまま泰平は右手を上げる。ハイタッチだと思った数馬は右手でその手を打とうとした。
「うぇーい」
「ひょい」
泰平は自分で効果音を付けると、右手を下ろして数馬の手を避けた。そのまま泰平はニヤリと笑っていた。
「おぉい!」
数馬が抗議の声を上げる。竜雄はそんな様子を見て思わず笑顔になっていた。
「にしても、今回はトッシーにだいぶ助けられたな」
泰平が急にしみじみとしたトーンで声を発する。数馬は暁広の方を見る。
確かに多くの子供たちが暁広の周りに集まり、男子は暁広を笑顔で軽く小突き、女子はそこから少し離れて暁広に何か言っている様子だった。
「さてGSSTの諸君!集合!」
武田が声を張る。子供たちはその声に応えるように武田の前に走り出す。そして各班ごとの4列に並ぶ。
「…うむ。素早い整列、本当に素晴らしい。今日はみんな本当にご苦労だった。各自手当てが必要な者は手当てを受け、後はゆっくりと休んでくれ。さぁ、中に入りたまえ」
武田は子供たちにも労いの言葉をかける。子供たちはそのままビルの中に入っていった。
1階 17:00
「いやあ、ホント、家に温泉あったらって考えたことあるけど、ホントに極楽だね!」
温泉に浸かりながらそう声を発したのは茜だった。
ここは女子専用の温泉だった。手当てを終えた女子全員が、今ここでお湯に浸り、のびのびとリラックスしていた。
「にしても、なんで温泉まであるんだろうね、ここ」
「元々ホテルだったって言ってたから、その設備なんじゃないかしら」
玲子の疑問に、心音が答える。玲子も納得した様子で声を上げた。
「温泉の効能で、傷の治りが早くなるって言ってたけど、本当なの?」
「血行改善で代謝が上がるのよ、実際は」
「あ、それ聞いたことあるかも!」
良子の疑問に、理沙が答えると、蒼も食いついてくる。
「こんな時まで真面目な話してるね、理沙たち」
「いや、あれ、ある意味趣味トークじゃない?」
理沙たち3人の話題を聞きながら、めいと桃が話す。2人には理沙たち3人のトークの内容はよくわからなかった。
桃の向かいにいた美咲は、隣に座っている桜を見ていた。
「な〜に〜美咲〜?恥ずかしいから、あんまり見ないで〜」
「桜って、髪下ろしてる方が綺麗ね。香織にも負けてないと思うよ」
「え?逆に私、桜に勝ってたの?」
「火種を撒くのはやめなさいよ、美咲」
美咲の隣に座るさえが、呆れたように言う。美咲は少し笑うと、笑顔そのまま言葉を発した。
「じゃあもっと撒いちゃお。明美!今日のスクープ!教えてちょうだい!」
美咲が大きな声で言うと、明美は軽く返事をしてから思い出し始める。
「今日は何をすっぱ抜かれるのかしらね、私の被害妄想の中身とかバレちゃってこいつキンモー!とかやられたらどうしよう」
「あ、はい!黒田!スクープ行きます!」
明美の隣で不安を並べる良子をよそに、明美は右手を高く挙げて声を張った。
「茜がぁ!!」
明美がひとこと言うと、周囲の女子たちの声が上がる。一方の茜は慌てて明美の元まで泳ぎ始めた。
「ちょっと明美!!」
「トッシーにぃ!!」
「トッシーにぃ??」
女子の声のボリュームが上がっていく。茜が明美の元まで泳ぎ着いたが、すでに遅かった。
「告白されてましたー!!」
「きゃー!!」
茜は明美の首を軽く絞めて温泉に沈める。だがすでに明美の情報は全体に広まっていた。
「おめでとうー!!」
「ほら明美死んじゃうから手を離して」
女子の多くから歓声が上がる。近くにいた蒼が茜にそう言って、明美の首から茜の手を外す。茜は抵抗もせず顔を隠した。
「もう…もう…!」
茜が恥ずかしそうに声を漏らし、水を拳で何度も叩く。
もはや精神的に悶死している茜に、美咲が追い打ちをかける。
「茜はなんて返事したのー?」
「聞きたーい!!」
女子の大半が美咲に乗っかって煽っていく。茜は、しどろもどろになりながらどうにか答え始めた。
「それは…その…まだ…お返事、できてなくて…」
「じゃあどう返事するつもりなのー?」
美咲はここぞとばかりに押していく。いつも快活で明るく爽やかな茜の姿はなく、顔を赤くして弱々しく声を発していた。
「う…う…受け…つもり…です…」
「聞こえなーい??」
茜の言葉に対して美咲は煽っていく。茜はヤケになって大きな声で叫んだ。
「受けるつもりです!!」
「うぇーい!!!」
茜の言葉に、女子のほとんどからの歓声が上がり、全員からの拍手が浴場に響いた。
「おめでとうー!」
「前々からトッシーは茜のこと好きだったっぽいからね!ほんとおめでとう!」
「トッシーの隣、似合ってるよー!」
心音、蒼、めいが次々と茜を煽っていく。茜は照れ臭そうに笑いながら顔を隠し、そのままお湯に沈んでいった。
「あ、ターミネーターのモノマネ?」
「そういえばトッシーもターミネーター好きって言ってたような気がする」
良子が茜を茶化すと、明美も追い打ちをかける。茜はお湯から顔を出して言葉を返した。
「うるさいうるさい!なんでもトッシーに繋げんなぁ!」
「そうよアンタら、うるさいよ」
このうるささの原因の美咲が場を収める。そのまま美咲は話し始めた。
「こういうときは、ちゃんとアドバイスしてあげるっていうのが大事なの。わかる?」
「確かに」
「ということで、ウチらの元祖カップル、香織大先輩から関係を長続きさせるためのアドバイス、どうぞ!」
「えぇっ!?」
美咲の無茶ぶりに、思わず香織も動揺する。さえは少し呆れた様子で美咲をたしなめた。
「こら、美咲、調子乗らない。香織も、なければないって言っていいのよ?」
「いや…ある…」
「え?」
香織は視線で宙を泳ぎながら言葉を紡いだ。
「…定期的に…好き、って…言い合うことじゃないかな…」
思わぬピュアな答えに、女子は全員沈黙する。そしてしばらく間を置くと一斉に女子の大半で香織を取り囲んだ。
「香織〜、2人っきりの時はそうやってイチャイチャしてるの〜?」
「本気で言ってるの?そのアドバイス?」
「ちょっと詳しく」
桜、理沙、そして恋愛に一切興味のなさそうな桃すらも香織に迫る。香織は恥ずかしそうにしながらひとつひとつに答え始めた。
そんな女子たちの喧騒をよそに、お湯から上がる水音がふたつ響いた。
「あれ、玲子とマリ、上がるの?」
気がついた美咲はお湯から出た2人に尋ねる。返事に窮した玲子に助け船を出すようにマリが答えた。
「ちょっと、のぼせちゃったから、先上がらせてもらうね。ね、玲子ちゃん」
「ん?あぁ…私も」
「そう。じゃあまた後でね」
美咲は玲子とマリを見送ると、香織をいじるのに戻る。玲子とマリは2人で脱衣所に上がると、それぞれ自分の服を畳んである場所に歩いた。
「…はぁ…」
ひと通り服を着終えると、玲子は思わずため息をこぼした。マリの視線を感じると、玲子はすぐに謝った。
「…ごめん、ため息なんて吐いちゃって」
「ううん、全然大丈夫。気にしなくていいから」
マリの優しさが却って玲子に少しこたえた。玲子は力無く笑うと、歩き始める。マリもその隣をゆっくりと歩き始めた。
廊下には誰もおらず、玲子とマリだけだった。
「ねぇ、マリ」
「…なに、玲子ちゃん」
「…キツいわ…」
玲子の声は震えていた。いつも凛々しく、力強い玲子からは考えられないような、悲しそうな声。
マリは隣にいる玲子の横顔を見上げる。涙をグッと堪えるために、奥歯を食いしばっているのがよくわかった。
「…大切な人を取られたんだもん…それはキツいよ…キツいよ…」
マリもそう言って共感する。
「う…ゔぇええええん!!」
泣き出した。
マリが。
「え!?」
玲子も思わず驚きで振り向き、涙も引っ込んだ。
「辛いよぉ!玲子ちゃん!…わだぢだっで、わだぢだっで、好きな人取られたら…!そう考えたら…!ゔぇええええん!!!」
「なんでアンタが泣くのよ!?泣きたいのは私だよ!」
「びぇぇぇぇぇええん!!」
「あぁもう!泣き止んでよ!」
「ゔぁのぐぅううん!!!」
「何言ってるかわかんないよ…もう」
玲子はマリの様子を見ながら軽く背中を叩いたりさすったりしてマリを落ち着かせる。このまま見つかるのは非常に望ましくないので玲子はマリを連れて誰もいないところで慰め始めた。
「ほら、ティッシュ、ちょっと高いやつ。これで鼻かんで、さっさと泣き止んで」
玲子はその場に都合よく置いてあったティッシュの箱をマリに差し出す。
「あでぃがどゔ…」
マリはまだ涙で詰まった鼻声だった。それでもひと言礼を言ってティッシュを取り、一気に鼻をかんだ。
徐々に元に戻っていくマリを見て、玲子は思わず小さく笑った。
「なんか、マリの泣きっぷり見てたら、色々バカらしくなってきた。涙も引っ込んじゃったよ」
玲子はそう言ってマリに笑いかける。マリも、鼻をかみ終えて顔を上げると、それに応えるように笑った。
「だって、玲子ちゃんの分も泣いておいたもん」
マリの思わぬひと言に、玲子は言葉に詰まる。同時に、自分にはマリがしたような気遣いはできないだろうと思った。
「…ったく、もう」
玲子はマリの首に腕を回し、軽く締め上げる。
「ちょ!?」
「降参だよ!マリには!」
「言動一致してないよぉ!」
玲子の言葉にマリも返す。玲子はそれに笑うと、マリの耳元で囁いた。
「…ありがとう」
「…どういたしまして」
2人は穏やかに笑う。そのまま2人は声を出して笑い始めた。
「そう!私にはトッシーがいなくても、マリがいる!」
「え、あ、あの玲子ちゃん、私、その…ごめんなさい」
「えぇっ!?」
19:00 食堂
子供たちは明るい表情で食堂に集まっていた。
「こんばんは、諸君」
それにつられたのか、子供たちの前で声を張る武田も心なしか明るい様子だった。
「今日はよく頑張ってくれた。好きなように食べてくれ。また、君たちには明日から3連休を与える。腹いっぱい食べて、英気を養ってくれ。私からは以上だ」
武田がそう言って後ろに下がると、代わりに食事班長の小牧が前に出てきた。
「食事班長の小牧です!みなさん無事で何よりです!心ゆくまで、たっぷり食べてください!以上!召し上がれ!」
小牧が太い声で言うと、子供たちは一斉に「いただきます!!」と言葉を返し、各自お盆をとってバイキング形式の料理を取り始めた。
「おい!今日ケーキあるぞ!」
「チーズケーキだぜぇ!こりゃあ後で全員でジャンケンだな!」
遼が声を上げ、広志も便乗して言う。男女問わずチーズケーキを狙う人間たちの声がした。
「わかってねぇな、結局1番美味いのは米なんだよ」
「そうそう、日本人の心の故郷。やっぱ白いご飯をたらふく食うのが1番幸せなんだよなぁ」
チーズケーキに浮かれる子供達をよそに、真次と竜雄はせっせと自分のお椀に白米を山盛りにしていく。
「食い物なんてなんでもいいだろ」
「人それぞれってやつじゃね」
並んでいるメニューに一喜一憂する子供達を鼻で笑う圭輝を、その隣の浩助がたしなめる。2人は最後のおかずコーナーで思い思いの料理を取ってお盆に載せた。
そのまま2人は列を離れると、空いてる席を探す。見ると、暁広が座っており、その隣が空いていた。
「おい、あそこにしよーぜ」
「いや、あっちにしよう」
圭輝が暁広の隣に行こうとするが、浩助は違う空いてる席を指差す。
「あっそ」
圭輝は浩助の言葉を無視して暁広の隣の席に直行する。浩助は少し頭を抱えると、渋々圭輝についていった。
「よ、トッシー。この席空いてるよな」
「ん?あぁ、もちろん」
圭輝は暁広の返事も待たずに暁広の隣に座る。浩助も圭輝とは逆側の暁広の隣に座った。
浩助は小さくいただきますと言ってから食べ始め、圭輝はそのまま食べ始める。
「今日は2人とも、ご苦労だった」
暁広はゆっくりパンをかじりながら2人に話し始めた。
「お前たち2人には特にキツいことをやらせがちだよな。本当に悪いと思ってる」
「ホント、ウチのリーダー様は人遣いが荒いもんな」
暁広が謝ったと同時に、圭輝が言う。すぐに浩助はフォローを入れた。
「まぁ、それだけ俺たちのことを信頼してくれてるってことなんだろ?」
「そうだな。なんかズルいけど、それが本音だ」
「だったらしょーがねーな」
3人は静かに笑い合う。そんな3人の正面に、心音と茜がやってきた。
「あー、座ってもいい?」
茜がどこか気まずそうに尋ねる。心音はそれをくすくすと笑いながら眺めていた。
「あ、あぁ、もちろん。どうぞ」
暁広が気まずそうに微笑みを作りながら茜に言葉を返す。茜は少しかしこまった様子で食事を机に置いて席に着く。心音も浩助の前に座った。
「今日はみんなありがとうね。みんなのおかげで、私も、美咲たちも無事にここまで帰ってこれた。本当にありがとう」
茜は暁広たちに笑いかける。暁広も静かに笑って言葉を返した。
「俺たちとしても、茜たちが無事で本当によかった」
暁広の笑顔に、茜も少し恥ずかしそうに笑う。圭輝は鼻で笑ってパンを食べていたが、浩助は気まずそうにスープをすすっていた。
茜は浩助と圭輝が見ていない間に、そっと暁広のところに紙ナプキンを滑らせる。
(?)
暁広は何も言わず、音も立てずにそれを受け取る。
(後で部屋に来て!)
白い紙ナプキンの上に、黒い細字で書かれた端正な字。暁広は思わず声を上げそうになったが、それをグッとこらえて茜の方を見る。茜は恥ずかしそうに顔を赤くしながら黙ってスープを飲み干していた。
「乾杯」
子供たちが食事をしている中、武田たち大人は別室で宴会を開いていた。
武田がまず注がれた分の日本酒を一息に飲み干す。少し遅れて他の4人も自分のグラスの酒を一息に飲み干した。
「武田さん」
「いや、大丈夫、自分で注ぐよ」
武田の隣に座る佐藤が武田に酒を注ごうとするが、武田はその手を止めた。武田は穏やかな表情で日本酒の瓶を取ると、自分のグラスに注ぎ始めた。
「今日は本当に、みんなご苦労だった。今日は好きなだけ飲んでくれ」
「ではありがたく」
幸長はそう言って自分のグラスに酒を並々と注ぐ。そんな幸長の隣で、翁長が小さくなって謝っていた。
「にしても、私が不甲斐ないばかりに皆様を巻き込んで本当に申し訳ない限りです」
翁長はそう言って真っ白な頭を抱える。すぐに武田がフォローを入れた。
「船広が相手だったんだ。予想外のことはいくらでもあるさ」
「えぇ…本当に予想外の連続でした…誰1人こちら側に死者が出なかったのが奇跡みたいです」
望月もしみじみと語る。それに対して幸長が言葉を挟んだ。
「奇跡じゃないさ。子供たちが自分で考え、自分で動き、自分で努力した結果さ」
「そうね。逆に私なんかは子供たちに助けられちゃったわ」
佐藤も、短くなった自分の髪を見ながら呟く。しみじみとした様子で幸長は言葉を漏らした。
「…みんな本当に逞しくなった」
幸長が言うと、周囲の人間は全員頷く。
「ここまで彼らが生き延びられたのも君たちのおかげだ。誇ってくれ」
武田が言うと、武田以外の4人は無言でグラスを高く掲げた。
「ところで、どうだ、幸長、リーダーは決められそうか?」
武田は幸長に尋ねる。不思議に思った望月が幸長に尋ねる。
「リーダー?幸長さん、どういうことです?」
「GSST全体の現場指揮官を、子供たちの中から1人選ぼうかという話を前々から武田さんとしてたんだ」
「1人全体を見渡してくれる子供がいてくれると、こちらとしてもありがたいからな。それで決めたのか?」
「今回の事件の報告書を見て決めたいと思います」
幸長が答えると、武田は頷いた。
「急いではいない。みんな休養は取りたいだろう、報告書もゆっくり休んでからでいいからな」
「ありがとうございます。まぁ、おそらく、彼になるんじゃないかと思っているんですがね」
幸長は武田の質問に答える。武田は首を傾げた。
「彼?」
子供たちの夕食は終わり、それぞれが自分の部屋に戻っていった。
月は高く昇り、子供たちの部屋のある2階や3階には白い光が差していた。廊下に出れば、子供たちの寝息も聞こえてくる。普段は夜更かしをしている彼らでも、必死に逃げ回った今日は疲労でよく眠っている。
暁広は扉越しに聞こえてくる女子たちの寝息を聞き流しながら、電気の消えた暗い廊下で茜の部屋を探していた。
「ここか…」
暁広は茜の部屋の前にやってくる。
胸が高鳴る。何を言われるのか。
頭の中ではなんとなくわかっていた。だが期待しすぎないように自分の気を引き締める。
「…ふぅ〜」
暁広はあまり大きな音が鳴らないように扉をノックした。
「…暁広です」
暁広は名乗ると、息を飲んで真っ直ぐ立ち尽くす。
わずかな沈黙の後、扉がわずかに開く。その隙間から、茜の瞳がこちらを覗いているのが見えた。
茜はそのまま暁広を手招きする。周囲を見回して誰もいないことを確認してから、暁広は茜に招かれるようにして部屋に入った。
茜の部屋は若干服が散らかっている以外は基本的に整理されている部屋だった。電気はついていなかったが、窓から差し込む月明かりは部屋を十分に明るく照らしていた。
「椅子とかないから、床に座ってもらう感じでもいい?」
「OK」
茜に言われると、暁広はフローリングの上にあぐらをかく。茜はパジャマの襟を少し直してから暁広の前に正座した。
月明かりの青白い光は、2人の横顔を照らしていた。
茜が大きく息を吸う。そして顔を上げると、ゆっくりと話し始めた。
「…誘拐されたとき、本当に怖かった。もう二度と、みんなに会えないかもって本気で思ったんだ」
茜の言葉を、暁広は黙って聞く。茜は月を見上げながらそのまま言葉を繋いだ。
「…その時ね、一番最初に思い浮かんだのがね、トッシーの顔だったの」
「俺?」
暁広が尋ね返すと、茜はうなずいた。
「…そう。美咲でも、心音でも、明美でも、香織でもなく、トッシーに会えなくなるのが嫌だったの」
暁広は息を飲んだ。
茜は真っ直ぐ暁広を見つめた。
「トッシー、私もあなたが好き」
茜はそう言うと、そのまま堰を切ったように思いを述べ始めた。
「あの事件が起きる前から、ずっと好きだった。でも、あの事件が起きて、トッシーと一緒にいる時間が増えて、もっともっと好きになってた。母さんも父さんも、妹も、大切な人たちはみんな殺されちゃったけど、トッシーだけは私のそばにいてくれて、いつも励ましてくれた。こんな私だけど、これからもずっとあなたの隣にいたい…!」
月明かりはわずかに浮かぶ茜の涙を輝かせた。
「…ごめん、なんかもう、自分でも何言ってるんだか…」
茜はそう言って照れ隠しに笑って顔を背ける。
そんな茜を、暁広は抱き締めた。
「…俺のそばにいてくれ、茜」
暁広の優しい声が茜を包んだ。
「…うん!」
茜も暁広を抱きしめ返す。
2人を照らす満月は、綺麗だった。
最後までご高覧いただきましてありがとうございます
Chapter5の後日談です。
晴れて暁広と茜がカップルになりました。その影では泣いているものも...
今後もこのシリーズをよろしくお願いします