Chapter 5-13 銀狼
銀色の毛を持つ狼は、敵の匂いをたどって歩いてきた。だが、事態は彼の想像を越えていた。
ドラッグストアの中に入ると、彼の部下の1匹が倒れていた。いくら頬を舐めてやっても、その茶色の毛の犬は動かない。
狼はその場を後にする。ドラッグストアのレジカウンターを軽々飛び越えると、その先にあった開いたままの扉から外に出る。
外には、また彼の部下が1匹倒れていた。整っていた白い毛並みは赤く染まり、目はうつろなまま、そこで息絶えていた。
狼はわずかに目を閉じ、目を見開く。敵はハッキリとわかった。
彼は獣。飢えた狼。散っていった仲間たちの仇を討つため、持てる力の全てを使って走り始めた。
佐ノ介とマリは歩いた末に公園の近くまで来ていた。
「後は駐車場まで行くだけだ」
「頑張ろうね、佐ノくん!」
2人は目を合わせてうなずく。いくつもの死闘を潜り抜けてきた彼らは早いところ逃げたかったのである。
公園の敷地内に入ると、市民センターの横を抜け、広場と遊具置き場を抜けた先が駐車場である。
佐ノ介とマリは周囲を警戒しながら市民センターの横を通り抜けた。
目の前に砂利でできた灰色の広場が現れる。
同時に、佐ノ介の優秀な視力はその広場にいる存在に気がついた。
「マリ…」
佐ノ介はそれに気づくと、マリを守るように前に出る。その仕草で、マリも敵の気配に気がついた。
「佐ノくん…まさか…」
マリが固唾を飲んで身構える。佐ノ介もうなずいた。
「…最後の敵、だろうね」
佐ノ介は静かに呟く。
それに答えるように、佐ノ介たちの敵、広場の中央に陣取る銀の狼は天に向けて吠えた。
咆哮を終えた狼は、鋭い視線で佐ノ介とマリをジッと睨む。そして鋭い牙を見せながら左の前脚で何度も地面を払っていた。
「どうしよう佐ノくん…」
「やるしかないね」
佐ノ介は怪我を負った右腕を庇うようにしながら左手一本で拳銃を構えた。
「合図したら市民センターへ!今だ!」
佐ノ介は拳銃の引き金を引く。銃弾は寸分違わず狼の眉間を捉えたはずが、狼はわずかに体を伏せながら前に走ることで1発たりとも当たることなく銃撃を避けていく。
マリはその間に背中を向けて市民センターの入り口へ全力で走る。
狼は佐ノ介の銃撃を全て避けながら、マリを追っていく。
マリが市民センターの入り口に差し掛かる。年季の入った自動ドアは、簡単には開かなかった。
「お願い、早く開いて早く、早く!」
ゆっくりと自動ドアが開いていく。自動ドアが全開になると、マリは転がり込むように市民センターの中に入る。中は無人だった。
姿勢が崩れたマリの背後から、狼の唸り声が聞こえてくる。マリが背中を見ると、狼が飛びかかってきていた。
「いやぁっ!」
マリはすぐに横に飛び退いてそれを避ける。
「マリ!」
佐ノ介が合流すると、すぐに狼に銃撃を浴びせる。しかしやはり狼は全ての銃撃を避けると、並び立った佐ノ介とマリの様子を窺うようにして睨み始めた。
「無事か、マリ?」
「うん…!」
佐ノ介はマリを守るように前に立ちながら狼と間合いを取り合う。狼はやはり牙を剥き出しにして2人を睨んでいた。
「佐ノくん…こいつ、私を狙ってる」
「…そうだね」
「私が引きつけるから、その間に佐ノくんは駐車場まで逃げて!」
マリの言葉に佐ノ介は言葉を失う。マリは続ける。
「このままじゃ佐ノくんもやられちゃうよ。あの犬、さっきまでのよりずっと強いから」
「でも」
「こんなところで佐ノくんに死んでほしくない、だから、私を囮にして逃げて、お願いだから…!」
マリがわずかに目に涙を浮かべながら叫ぶように佐ノ介に言う。
佐ノ介は思わず下を見る。そうして銃を握りしめ、わずかに声を発した。
「…わかった」
佐ノ介はマリの覚悟を汲み取った。
「これから銃を乱射するから、その間に2階の図書室まで走って」
「うん」
「今だ!」
佐ノ介は叫びながら銃を乱射する。同時にマリは走り出した。
狼の方も走り出そうとするが、佐ノ介の銃撃が絶妙でスタートを切れない様子だった。
狼が何度も走るのを躊躇う間に、佐ノ介もマリの後を追うように階段へ走り始めた。
狼も追ってくる。それに対して佐ノ介も銃撃を浴びせながら逃げる。
「着いたよ!」
マリの声が聞こえてくる。佐ノ介はそれを聞くと、2階の廊下を見る。突き当たりの図書室には、マリが入口近くに立っていた。
「佐ノくん、犬が入ったら扉閉めてね」
マリが走ってくる佐ノ介に言う。佐ノ介は短く返事をすると、扉の陰に隠れていつでも扉を閉められるようにした。
狼が廊下に現れる。
彼の視界に、マリの姿が映った。
「さぁ…かかってきなさい!」
マリは叫ぶ。
それに応えるように狼は走り出した。
マリは狼の動きをじっと見据える。
今までの佐ノ介との思い出を振り返りながら、マリは覚悟を決めた。
(佐ノくんのためなら…!)
扉が閉まった。
だがマリのもとに狼の姿はない。
「え…?」
マリはすぐに事態に気づいた。扉にしがみつくようにして扉の向こうにいる佐ノ介の名前を呼んだ。
「佐ノくん!?何してるの!?話が違うよ!」
扉の向こうにいる佐ノ介は狼と睨み合いながら笑った。
「悪い、手が滑った」
「何茶化してるの!佐ノくん!お願いだから逃げて!あなたに死んでほしくない!」
「俺は死なない」
佐ノ介は静かに答える。そのまま佐ノ介は狼に銃を向けた。
「マリ。愛してる。明日もマリといたい。だから俺はいま、命を賭ける」
「佐ノくん…」
「死なないために戦うのさ。わかるか、犬ッコロ?」
佐ノ介はそう言って狼に向けて引き金を引く。狼は銃撃を避けると、憎悪にも似た表情を佐ノ介に向けていた。
「さぁ、ケリ付けようぜ、犬ッコロ」
佐ノ介は左手一本で銃を構える。
狼も佐ノ介の言葉に応えるように大きく吠えた。
佐ノ介は拳銃の引き金を引く。やはり狼はそれをかわしてすぐさま佐ノ介の首元に躍りかかる。
佐ノ介はすぐに姿勢を低くしながら狼と自分の位置を入れ替えた。
狼の牙が佐ノ介の顔を掠める。佐ノ介の頬から血が滴った。
「こんなところじゃやってられねぇよな?ついてこい犬ッコロ!」
佐ノ介は好き勝手言うと狼に背中を向けて階段へ走り出す。狼も吠えながら佐ノ介の背中を追った。
不意を突いて走り出した分、佐ノ介の方が屋上に辿り着くのは早かった。
佐ノ介は階段を上り切り、屋上への扉を無理矢理蹴り開ける。
ほとんど同時に、佐ノ介の背後から佐ノ介の首元に狼は襲い掛かってきた。
「!」
佐ノ介は瞬時に殺気を感じ取り、振り向いて狼の噛みつきを防ぐため狼の口元を抑えるが、勢いに負けて屋上に押し倒された。
「くっそ、やめろっ!」
狼は容赦なく佐ノ介の喉元を食いちぎろうと何度も噛みつこうとするが、そのたびに佐ノ介は間一髪で首を動かしてそれを避ける。
佐ノ介はその時、自分の腰辺りに拳銃が転がっているのに気づいた。だがそれを手に取れば片手で狼の口を抑える必要が出てくる。
(一瞬だ…!)
佐ノ介は一瞬左手に力を入れて狼の口を上に逸らす。
その間に右手を腰の拳銃まで滑らせ、握りしめると、狼の首を狙って銃の引き金を引いた。
至近距離で銃口を密着させて撃った以上、避けることはできないはず。佐ノ介はそう思った。
だがこの狼は違った。
銃声が響くと同時に佐ノ介への攻撃をやめ、すぐに佐ノ介から飛び退いたのである。
倒せなかったのは残念だったが、佐ノ介はすぐに狼から距離を取って転がり、立ち上がる。
狼はその間に、どういうわけかその場に転がっていた鉄パイプを咥えていた。隣にあった建屋の壁にパイプを叩きつけると、先端の尖った断面が姿を現す。長さはおおよそ30cm。振り回されるだけで佐ノ介は近づけなくなるだろう。
「いいね…お互いに文明の利器は使ってこうじゃねぇか」
佐ノ介は怪我をしていない左手で拳銃を持ち替えると、拳銃の弾が無くなっていることに気がついた。すぐに拳銃のマガジンを交換しつつ、狼に軽口を叩き始めた。
「と言っても、俺のはこれで最後だ。お互いこれで終わりだな」
佐ノ介はリロードを終える。狼は身構えた。
佐ノ介はすぐに銃撃を浴びせる。やはり狼はそれらを全てかわし、佐ノ介に飛びかかる。
佐ノ介は先ほどまでと同様に避けようとしたが、鉄パイプを咥えている分があったので完全には避けきることはできず、鉄パイプの先端は佐ノ介の胸筋の辺りを切りつけた。
「くっ…!」
佐ノ介は思わぬ痛みに体勢を崩す。
狼は振り向くと、佐ノ介と睨み合った。
佐ノ介は銃を構える。
狼も身構えると、いつでも佐ノ介に飛びかかれるようにしていた。
(俺が撃った瞬間、こいつは俺の首をあのパイプで吹っ飛ばすんだろう…ここが、この一瞬が勝負だな…!)
佐ノ介は覚悟を決める。狼の方も同じように考えていたようだった。
お互いにジリジリと間合いをはかる。
先に動いたのは佐ノ介だった。
佐ノ介の銃声と足音が響く。
狼は宙を舞った。
狼と佐ノ介は背中を向け合う。
狼は血の付いた鉄パイプを放り投げた。
「くっ…」
佐ノ介が胸を抑えて膝をついた。
狼は振り向きざま、佐ノ介の背中に躍りかかった。
佐ノ介が振り向いた。
銃口も狼を捉えていた。
銃声が響く。
狼は血を上げながら吹き飛んでいた。
「はぁ…はぁ…」
佐ノ介は息を切らしながら狼の方を見る。自分自身の血溜まりに横たわる狼は、起き上がる気配を感じさせなかった。はずだった。
前脚からわずかに狼の脚が動き出す。
脚は地面を踏み締めると、狼は佐ノ介の方を向く。銀色の毛は、ほとんど赤く染まっていた。
佐ノ介は何も言わず、銃も構えない。
狼は天を見た。
咆哮が辺りに響き渡る。
それが止まったかと思うと、灰色だった空からわずかに光が伸びた。
息絶えた狼を照らすように。
「…じゃあな」
佐ノ介は銃をしまう。
最後まで戦おうとした強敵に、両手を合わせると、佐ノ介は身につけていた上着を強敵に被せていた。
「佐ノくん…」
屋上への入口から、マリの声がする。佐ノ介は振り向く。
そのまま2人は、何も言わずに抱き合っていた。
2人は市民センターを抜け、広場を突っ切ると、駐車場まで歩いてきた。
「安藤くん、遠藤さん、こっちよ」
2人を見つけると、銀色のワゴン車の隣に立つ佐藤が両手を振る。2人は少し早歩きになって佐藤と合流した。
「良かった。あなたたちが最後だったの」
「すみません、遅くなっちゃって…」
「いいのよ、さ、早く乗って。帰るわよ」
佐藤が心なしか安心したような声でマリと佐ノ介を車に乗せる。
後部座席に2人を座らせると、佐藤は運転席の扉を開けた。
「出発…」
同時に、佐藤は言葉を失った。
後部座席でも、助手席から佐藤に向けてリボルバー拳銃が向けられているのが見えた。
「妙なことはしないでくれよ?安藤佐ノ介くんと、遠藤マリさん?」
助手席から穏やかそうに語る声がする。佐藤は毒づいた。
「船広…!」
佐藤の言葉に、助手席に座ったその男、船広はニヤリと笑った。
最後までご高覧いただきましてありがとうございます
今回は佐ノ介回でした。お楽しみいただけましたでしょうか
今後もこのシリーズをよろしくお願いします