Chapter 5-3 束の間の日常 茜の場合
「今日の訓練はここまで!解散!」
子供たちを指導する幸長が声を張る。子供たちは整列し、挨拶すると、各々友人たちと集まりながら訓練場から離れていった。
原田茜も例外ではなかった。
「いやぁお疲れ」
「お疲れ」
茜は心音と玲子のいるところにやってくると、軽いノリで2人に挨拶する。心音は多少なり疲労している様子だったが、玲子は平常そうな様子だった。
「何、疲れてないわよ。まだまだやれって言われたらやれるだけの体力は残ってる」
「まーた強がり言って」
玲子の言葉に茜が少し呆れたように言う。玲子はそれを静かに鼻で笑い飛ばした。
心音はそんな2人の様子を見てまとめてからかえるいい方法を見つけたと思うと、すぐに口走った。
「そういえばトッシーが褒めてたよ」
茜と玲子、両方とも一瞬ピクンとして背筋を正した。しかしすぐに2人とも平静を装うと、冷静に心音に質問して会話を続ける。
「どっちを?」
茜と玲子の声が思わず揃った。一瞬お互いに目を見合わせるとすぐにそれを誤魔化すようにして心音に視線をぶつける。心音は思わずニヤニヤしながら宙を眺めた。
「どーっちだったかなぁー」
「ハッキリしなさいよほら」
「あ、明美だ。2人ともじゃあね」
「ちょっとぉ!」
心音は2人の声を置き去りにして足早にその場から立ち去っていった。
取り残された茜と玲子はお互いに目を合わせた。
「トッシーのことが好きなの?」
お互いの声がまた揃った。茜も玲子も錯乱して混沌とした会話を始めた。
「いやっ、違う!」
「なんも言ってないじゃん!何が違うの?」
「あーいやこれはえーとそのー」
茜に詰められた玲子は混乱して周囲を見回す。すぐにマリを見つけた。
「マリー!マリー!」
玲子は何事もなかったような笑顔を貼り付けてマリの名を呼びながら茜から逃げるようにしてその場を立ち去った。
茜は1人になると、色々と考え事をしながら訓練場を出て自室へ歩いていた。
(やっぱ玲子もトッシーが好きなんだ…)
前々から薄々勘づいてはいた。美咲などがからかっているのも耳に入ってくることはあった。つまりそれは暁広の耳にも入っている可能性が高いということであり、下手をすれば玲子に先を越される可能性もある。
(どうしよう…)
暁広は茜にとって特別な存在だった。落ち込んだ時でも決して自分を見放さずに、励ましてくれる。精神的に何度も救ってくれた人だった。いくつかの事件を経て、いつしか茜にとって暁広は愛情の対象になっていた。
(どうしようもないよ…)
茜はガックリと肩を落としながら歩く。
(今のままでもトッシーとは仲良くできる…けど…私は…)
シャワーで汗を流し、少し火照った体のままで茜は食堂に夕食を食べにきた。
いつも通り食堂の少し左側のテーブルの席に座る。そして自分の席を示すようにタオルを置いておくと自分の夕食を取るためにバイキングの列に並ぶ。茜の前に並んでいた広志たちは楽しそうに談笑していた。
「あ、茜」
ぼーっとしていた茜の横から聞こえた優しい声。茜が振り向くと、暁広がいつも通りの表情でそこにいた。
「あ、ヤッホー、トッシー」
「ヤッホー。後ろ空いてる?」
「空いてるよ。どうぞどうぞ」
「飯取ったらまた茜の隣で食っていい?」
「OK」
当たり障りのない、いつも通りの会話をしながら暁広は茜の後ろに並ぶ。料理を取るためのお盆を手に持つと、暁広は静かに列の前方が動くのを待った。
茜と暁広の間に沈黙が流れる。実際には一瞬だったが、茜からすると永遠のような気がしてならなかった。
(気まずい…!)
暁広とは目を合わせないように暁広と反対側の位置にある料理を眺める。だが背中からなんとなく伝わる暁広の気配を、茜は無視しきれなかった。
「あのさ、茜」
不意に暁広が茜に声をかける。しかも声色が何かいつもと違った。茜は恐る恐るいつものように笑顔を作って振り向いた。
「な、なに?トッシー?」
わずかに声が震える茜だったが暁広は気づいていないようだった。
「明日の午前中って暇だったりするかな?」
意外な話題だった。茜は戸惑いながら考えを巡らせる。明日は午後の訓練以外は何もない。
「あーうん、空いてるよ!」
「そ、そうか。じゃあ、ちょっと一緒に出かけない?」
「い、いいけどぉ?」
予想外の連続だった。茜は高鳴る心臓の音が暁広に聞こえてしまいそうで怖かった。それを誤魔化すように会話をつなぐ。
「どこ行くの?」
「美味しそうなパンケーキ屋さん見つけたからさ、一緒に行こう」
「うん、わかった」
茜は笑って頷く。暁広もどこか安心したような笑顔を浮かべていた。
2人はバイキング形式で並ぶ料理を皿によそうと、それを自分のお盆に載せる。
そんな様子を少し離れたところから美咲が見ていた。
「明美」
美咲はカップスープをひと口飲むと、正面に座る明美の名前を呼んだ。明美は肉を頬張りながら答えた。
「何?」
「明日の午前中、トッシーを尾行してみて」
「なぜ?」
「多分スクープ取れるから」
美咲は短くそれだけ言ってカップスープを飲み干す。明美も口の中で噛み締めていた肉を飲み込むと、気合の入った表情で一言答えた。
「よっしゃ」
明美はそう答えると食べ終わったお盆を片付けるために席を立つ。気合の入った様子の明美を見て、美咲は満足そうにニヤリと笑った。
翌朝 1月27日 9時
朝食を済ませた茜と暁広は1階のロビーで待ち合わせをすると、誰にも見つからないうちに静かにロビーを出た。
今日は冬晴れで、コートを着ていないと寒いくらいだったが、日差しは眩しかった。
「トッシー、今日はどこ行くの?」
「こっから10分で行けるところだよ。駅の少しはずれ」
2人は並んで歩く。
そんな2人を20メートル後方から尾行している影があった。
「なるほど、美咲も鋭い…確かにスクープの匂いがする」
そう言って物陰から隠れて様子を窺っていたのは明美だった。だが彼女1人でもなかった。
「ねぇ明美、なんで私呼ばれたの?」
そう明美の隣で愚痴をこぼしたのは玲子だった。黒いコートの襟を立て不満そうに明美の背中を睨んでいた。
「しかもマリまで巻き込んで…」
「いや、それは玲子でしょ?」
明美が誘った、というより強引に巻き込んだのは玲子だけで、玲子のそばに立っているマリは玲子に誘われてやってきたのだった。
「大丈夫だよ、私は玲子ちゃんに誘ってもらえて嬉しかったから。明美ちゃんも、一緒にスクープ取ろうね」
「なんでこんなノリノリなんだか…」
マリが笑顔を見せると、思わず玲子は呆れて呟いた。
「あ、動いた、行くよ」
明美が短く言って走り出す。マリもそれに置いていかれないように駆け出す。玲子は帰ろうかと思ったが、仕方がないのでついていく。
そんな明美たちの存在には気づかないまま暁広と茜は2人きりだと思って歩き、当たり障りのない話を続けていた。
「うちの班にトッシーがいてくれて本当によかったなぁって思ってるんだ。駿も心音も頼れるけど、やっぱトッシーの指示が一番動きやすくてさ」
「ホント?ありがとう。あ、着いたよ、このお店」
街の通りの角にポツンと存在する1階建ての洋風のパンケーキ屋。店の屋外にも座席が置かれており、おそらく注文すればそこでも食べられるのだろう。
「おしゃれだね」
「でしょ?ちょっと外の席で食べてみたいなって思ってさ」
「いいね〜。いこいこ」
茜もこの店が気に入ったのか積極的になる。早速2人は店の中に入っていった。
午前中のこの時間にはなかなか客はいない。ましてや彼らくらいの子供となるともっといない。店内には老人が何人かぽつりぽつりといるだけだった。
暁広と茜はカウンターの向こうに立つ水色のエプロンの若い女性に声をかけた。
「すみません」
「いらっしゃいませ。メニューはこちらです。ご注文をどうぞ」
店員はにこやかに暁広たちに応対する。暁広が受け取って開いたメニューを茜が覗き込む。店員はニコニコしながらその様子を静かに眺めていた。
「私はこれかな」
「じゃあ俺もこれにする」
2人は注文を決めると、店員にメニューを見せながらこれをくださいと注文する。店員がにこやかに頷いたのを確認してから、
「外の席いいですか?」
暁広は尋ねる。店員はやはりにこやかにどうぞと返したのを見て、暁広と茜は店の外に出てすぐの席に向かい合わせになって座った。
街の通りの中にあるとはいえ、街の最も栄えた中心部からだいぶ距離があることもあって人は全くいない。2人はぼんやりと店の道路を挟んで向こうに広がる枯れ木の並木を眺めていた。
しばらくの沈黙が流れる。2人は少し気まずくなりながらあちらを眺めたりこちらを眺めたりしていた。
そんな空気を変えようと、暁広は話題を絞り出す努力をする。
「あのさ、茜」
「ん、なに?」
暁広は少し息を吐くと、一瞬考える。そして、事件が起きてから今日までずっと考えていたことを茜に吐露した。
「この間の、新聞社の事件。あの時、俺たちは火野を殺したよね」
「…うん」
「あの時さ、火野は『もっと力があれば』って言ってたの、覚えてる?」
「うん」
「火野だけじゃない。伊東校長も、そう言ってた。『力のないものが悪なんだって』」
「うん」
「悔しいけど、俺はその通りだって思っちゃった。火野だって、家族を守れるだけの力があれば、あんな悪さはしなかったはずだし、ヤタガラスだって、あの時政治家を黙らせれる力を持っていれば、こんなことにはなってなかったと思う」
「うん」
暁広の考えを、茜は静かに聞く。暁広は息を吸うと、そのまま自分の意見をまっすぐ伝えた。
「俺は、こんなことは2度と起きてほしくない。だから、みんなが平等に強くなれば、『力』を持てば、こんなことは起きないと思うんだ」
暁広の瞳は純粋で、真っ直ぐだった。茜は、それをまっすぐ受け止めていた。
「俺は、みんなが正しいと思える世界を作りたい。みんなが正しい行いをする世界を。そのためには全員が『力』を持つ世界を作りたいんだ。俺は、それを茜と一緒に作りたい」
「私と?」
茜の心臓の音が高鳴った。心臓の鼓動が、暁広の次の言葉を急き立てるように鳴り響く。
「茜と」
「なんで私?」
暁広は一瞬下を向く。震えながら大きく息を吸うと、暁広は前を向いて茜の瞳を見据えた。
「俺は茜が好きだから」
時が止まった。
2人とも何も言えなかった。ただ黙って目を逸らし、何をしようかと考えたが、何も思い浮かばなかった。
「あ…あ…」
「…」
茜は気がついたら椅子から飛び上がって走り出していた。ただその場にいるのが恥ずかしくて、全速力で自分でもわからないどこかへ走り出す。
「茜!」
暁広も立ち上がって茜の背中を追う。しかし、茜はとんでもない速さで、出遅れた暁広にはとても追いつけそうにはなかった。
「茜ー!」
暁広は走りながら茜の名を呼ぶ。だが茜は振り返らない。腕を大きく振って、息を切らしながら、それでも全く立ち止まらない。暁広も引き離されそうになりながら、そうならないように走る。
お互いに全力で走っているのは僅かな時間だっただろう。しかし、2人には永遠のようにも感じられた。
茜は歩道の縁石まで来ると、立ち止まって両膝の上に自分の手をついて息を整える。自分でも信じられないような速さを出した茜の体は、想像以上に疲労していた。
追っていた暁広も同じだった。茜が立ち止まったのを見ると、茜から少し離れたところから声をかける。
「茜!」
暁広の声がする。高鳴る心臓の音は走ったからか。茜はそんなことを考えながらゆっくりと振り向いた。
「茜の答えが聞きたい!」
暁広は真っ直ぐ茜を見つめて声を張った。
茜はその時、自分の心臓の音が走っただけでこうなった訳でないことに気付かされた。暁広の真っ直ぐな瞳。茜を掴んで離さないその瞳。
「トッシー…」
茜は目を閉じて両手を自分の胸に当てる。そして聞こえる自分の鼓動、自分の心の声。
「私は」
「茜!後ろ!」
暁広が急に血相を変えて叫んだ。その時にはすでに遅かった。
「え?いやぁっ!!」
茜の悲鳴は、消されるように封じられた。
得体の知れない強引な力が茜を後ろへ引きずりこむ。
「茜!!!」
そう叫んで手を伸ばす暁広の声と姿が茜の耳と目に入る。
だが、それと同時に、暁広はどこからか現れた屈強な大男に叩き伏せられていた。
「トッシー!!!」
叫ぼうとする茜の喉を何かが締め上げる。そのまま茜は何かを顔に被せられ、声も出せないままその場に引きずり倒されていた。
何も見えない視界の中、暁広が殴られている音だけが聞こえる。
腕も足も押さえつけられて身動きも取れない。
茜を閉じ込める車の扉が閉まるような音がした。
そのまま車が動き出す。茜の体に変な方向に引っ張られるような力が走った。
「いや…トッシー…」
茜は被された黒い袋の中、誰にも見せないように涙を流す。だが、それはこの状況の前にはあまりにも無力だった。
最後までご高覧いただきましてありがとうございます
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