Chapter 4.5-1 束の間の日常 数馬の場合
1月7日
朝日が射し込む六畳の自室、重村数馬は机に拳銃を置いた。
彼は何をするわけでもなく、じっとその銃を見つめていた。
そのうち彼は両手を合わせると、目を閉じる。まぶたの裏によぎるのは、殺されていった人々、そして数馬が殺してきた人々の顔だった。
「死者を悼んで善人面か?」
数馬の少し後ろから、ヤタガラスがそう言ったのが聞こえた。
数馬は目を閉じたまま首を横に振った。すぐにヤタガラスとは反対側から、若い女の、大上先生の声が聞こえた。
「人殺しが悪いことだとわかっていたなら最初からやらなければよかったのよ」
「でもにーちゃんたち、たたかわないとしんじゃってたよ」
新しく子供の声が聞こえる。数馬が一度助けた年下の子供の声。それをかき消すように大きな声で白堂が言い返す。
「ならばなぜ戦う必要のない今も戦う!?」
付け足すように水茂も悲痛に叫ぶ。
「俺たちは復讐がしたかっただけだ!お前たちと戦う必要なんてなかった!それなのに、それなのになぜ俺を殺した!俺は戦いさえなければお前たちを殺すつもりなんてなかったのに!」
「任務だからな」
数馬は目を閉じたまま静かに返す。彼の背に群がる何十人もの人間は、数馬に鋭い視線を浴びせていた。
「では質問です、重村数馬くん」
伊東校長が群衆たちの前に立って温厚そうな声で尋ねる。
「その、『任務』とやらは本当に受ける必要があったのでしょうか?」
「はい」
「なぜですか」
「そういう契約だからです。生活環境を提供してもらう代わりに、任務を引き受ける。その任務を遂行しなければ死ぬ。だから俺は戦いました」
群衆たちから罵声が飛び交う。
「自分が生き延びるために俺たちを殺したのか!」
「傲慢!人殺し!」
「静粛に!」
ヤタガラスの一喝で罵声が収まる。今度は白堂が数馬に詰め寄り始めた。
「君はひとつ嘘をついたな」
「?」
「武田は『戦え』とはひと言も言っていない!実際に戦っていなかった数名も生活環境を提供されている!『戦わなければ死ぬ』状況に自ら立たずとも、『戦わなくて済む』状況に居ることは可能だった!」
白堂がヒートアップするにつれ、群衆も声を大きくする。白堂はトドメと言わんばかりに声を大きくして数馬を責める。
「にも関わらず、お前は戦いを選んだ!それなのに『戦わなければ死ぬ』?ふざけるな!」
群衆たちは白堂の声に合わせて数馬に罵声を浴びせる。追い打ちに伊東校長も淡々と優しい声で数馬に語りかける。
「君はいつもそうでしたね。やらなくていいことに首を突っ込んでは自分を正当化する。ではなぜ首を突っ込むのでしょうか?」
「争いが好きなのよ!」
大上先生が言い切る。同時に群衆たちは一斉に数馬にブーイングを浴びせる。数馬は眉をひそめながら合わせた両手を離さず、ただ目を閉じていた。
「…違う」
「違わないさ」
数馬の言葉に被せるようにしてヤタガラスが言う。ヤタガラスはゆっくり数馬に歩み寄ると、数馬の耳元で囁くように尋ねる。
「重村数馬、私を殴り飛ばした時どんな表情をしていたか覚えてるか?ん?」
数馬は目を閉じたまま何も言わない。ただ彼の眉間のシワの数だけは増えていた。
ヤタガラスは数馬の耳元から離れ、両手を大きく広げて群衆たちへ叫んだ。
「笑顔だよ!お前は歯を見せて笑っていた!」
群衆たちの声がまた大きくなる。彼らはだんだんと足並みを揃えて数馬を罵倒し始めた。
「人殺し!人殺し!」
数馬は未だ両手を合わせている。ヤタガラスは数馬の耳元でもう一度囁いた。
「認めろ。戦いが好きなんだろう?」
「…ああそうだよ」
数馬は両手を離して目を開く。そして自分の背後に広がる群衆たちに気後れしないように叫ぶようにして声を発した。
「俺は戦いが好きだ!他人を傷つけることが好きだ!命懸けで戦うのが好きだ!それを正当化できりゃなおいいよ!」
「認めたぞ!」
「だがそれは自分の大切な人間以外の話だ!大切な人間たちを失うのは絶対に許せない!だからテメェらをぶっ殺してやった!全部俺に殺されたテメェらが悪りぃんだよ!」
「自己中心的な奴め!」
「そォだよォッ!俺は自己中よ!俺は大切な人間たちを傷つけるものがなくなった世界で、そいつらと平和に暮らす!俺はその日まで戦い続ける!」
「そんなことができるか?」
ヤタガラスが冷静に尋ねる。数馬はヤタガラスを睨み返して言い返す。
「やってやらあ!」
「平和な世界に人殺しの居場所はないぞ」
ヤタガラスの言葉に数馬は黙り込む。彼の背中に冷や汗が流れるのがわかった。
「平和になったって人殺しの本性は変わらない」
「むしろ平和の邪魔なんじゃない?」
水茂と大上先生が淡々と言う。
「戦いと平和は相反するものだ」
「両方を愛することなんてできないだろう?」
白堂と伊東校長も静かに言った。
数馬は何も言い返せなかった。平和な世界に、戦いを好み、それしかできない自分に居場所はない。むしろ平和な世界で真っ先に排除されるのは自分だろう。
「結局お前は平和に生きられないんだよ」
ヤタガラスが数馬の耳元で囁く。
数馬は周囲を見渡す。誰もいない。
全身から汗が吹き出ていた。呼吸はひどく荒れ、過去に負った傷の数々からズキズキと痛みが走るのを感じた。
数馬の自室のドアが叩かれる。数馬が怯えるように驚いて拳を握ると、ドアが開いてジャージ姿の玲子が現れた。
「あら、いたの」
「そりゃいるよ」
玲子の軽口に数馬も返す。玲子はドアを大きく開いて改めて話しかける。
「あんた、まさか稽古の約束忘れてないでしょうね?」
「は、は、は、そのまさか」
数馬の言葉に玲子は呆れたようにため息を吐いた。
「私にビビってんの?」
「まぁ俺が怪我させちゃうんじゃないかなって」
「言ってくれるわね、上等じゃない」
「悪かったよ、準備しとくから先行っててくれないか?」
「逃げるんじゃないよ?」
「あたぼーよ」
数馬の軽口を聞き流すと、玲子は乱雑に扉を閉めた。
数馬はため息を吐きながら床に腰を下ろす。
呼吸がまだ荒れている。汗も引かない。自分の体全てが震えている。
「…ビビってねぇよ…誰にも…」
数馬は自分に言い聞かせるように静かに叫ぶ。震える脚に力を込めて立ち上がると、机の上に置いておいた自分の拳銃を手に取った。
「おい、聞け」
数馬は銃と群衆に語りかける。数馬は怯まなかった。
「俺はこれからも戦い続ける。そして何人だって殺す」
数馬が言い切る。だが群衆は静まり返っていた。
「その先に俺の居場所が無くてもいい。俺にはこれが合ってる。俺にはきっとこれしかないんだ」
「ほう?それで償いのつもりか?殺された人間が満足すると思うか?」
「しないだろうな。またこうやって俺のことを責めるに決まってる」
ヤタガラスの問いかけに、数馬は自嘲的になりながら返す。しかし数馬は改めて前を見た。血に汚れた群衆の顔。数馬はそこから目を逸らさなかった。
「敵を殺し尽くし、そっちに行く日まで」
数馬は周囲を見渡した。
「殺した人間の顔を、誰ひとりだって忘れはしない」
群衆ひとりひとりの顔がハッキリとしてくる。数馬はしっかりと彼らの顔を目に焼き付けた。
「だから、俺が地獄に落ちる時まで、安らかに眠っていてくれ」
数馬が言うと、群衆たちは次々と数馬に背を向けて立ち去っていく。
ヤタガラスは最後まで残ると、数馬の顔を見て口角を上げた。
「また会おう。重村数馬」
ヤタガラスはそう言って黒いコートをたなびかせると、数馬に背を向けてどこかへ立ち去って行った。
誰もいなくなった部屋で、数馬はひとり拳銃を握りしめた。
「何人殺すんだろうな、俺たち」
数馬の問いかけに銃は答えない。だが数馬には何かを語りかけているように感じられた。
「そうだな…進むしかない…」
数馬は静かに言うと、銃を置く。
黒いスライドの自動拳銃、ベレッタM92F。机に置いてあった銀の回転式拳銃、S&W M686。朝日に照らされながらその拳銃たちは数馬を優しく見守っていた。
「これからも頼む」
数馬は自分の愛銃たちに声をかける。
銃は何も言わず、ただ朝日を照らし返していた。
最後までご高覧いただきましてありがとうございます
今回は数馬なりの悩みを描かせていただきました。お楽しみいただけたでしょうか
なお、このチャプターのみ1話1話が短いので毎日投稿とさせていただきます。