1-2A 俺といて、楽しいか?
ユウタ視点
なぜ、友を作らないのか。
それは失うからである。
人間関係というものは難しい。相手の放った言葉が建前か本音か。どちらかを類推して引くべきところは引く。
それがわからないと距離感を間違え、修復不能な心の傷を後世にまで残すこととなる。
そもそも、人間関係の構築など一朝一夕でできるものじゃない。
知り合っただけでは互いを認知できず、何度か会ってようやく顔と名前が一致する。そこからそこそこ定期的に会っていなければ友人認定はされない。
構築には時間がかかるというのに、崩壊は一瞬だ。
放ったひと言が昨日まであったはずのその関係を一瞬にして無に帰すのである。
疎遠になった人間はいつの間にかかつて友人だった人の記憶そのものを消してしまうらしい。
何年ぶりに会ったときに言われた言葉。
『あなたなんか知らない』
という言葉がまさにそれだ。
俺の父は言う。
「いいか? 他人など、どうせわかり合えはしないのだ。ならいっそひとりで居たほうがいいぞ。ひとりは気楽だからな」
そんな父がなぜ結婚できたのかは知らない。俺も不思議で仕方ない。父は一企業のリーマンに対し、母は研究者。接点がない。
聞けば、共通の知人を介して出会ったのがきっかけらしいが、これほど気難しい父と上手くやっていてかつ結婚までこぎつけた母はすごいものだと関心する。
たぶんそれだけ父のことが好きだったのだろう。なぜかは知らない。
今では仕事に明け暮れて、俺から逃げた愚母には当分聞けそうにないことだ。
「嫌ですよ、先輩! こんな、こんな……」
「……ごめん、ね。私が……ドジ、踏んじゃった、せいで……」
燃え盛る炎の中。今でもその記憶が俺の心を締めつける。
血まみれの自分の両手。
女性の額から流れる鮮血。お腹にも赤く染まった深い切り傷が見え、そこからも血が絶え間なく流れている。
「今すぐ手当しますから、だからどうかーー」
「妹をお願い……ね」
「え?」
彼女の首ががくんと力なく横を向く。
「あ、あ……」
そのあとに響く、絶叫。
大粒の涙を流しても、辺りの火が消えることはなかった。
「何で……お姉ちゃんを助けてくれなかったの!!」
「俺は……」
「聞きたくなんか、ない! 言い訳なんて!」
葬儀の日。俺は助けられなかった女性の妹に殴られた。
頬の痛みと彼女の表情から憎しみと悲しみが入り混じったものを感じ取った。
怒鳴り散らして暴れる彼女を止めに入る彼女の母親が視界に入る。
助けようとしたさ。
でも、駄目だった。
たとえこの場でそれを言ったところで、理解などされない。
どうしてもわかり合うことができない人は存在する。
つまり、他人とはわかり合えない存在。
亡き父の言葉は事実だったことを身を以て知った。
父を既に失い、満身創痍だった俺に大切な人まで亡くし、その妹に殴られる。
その日から、俺は他人との関わりを持たぬようにした。
他は我が理解できぬ存在なり。
故に他は要らず、他を求めず。
個として生きる者は何も失わず。
故に我は我が道を行く者なり。
だが、例外がここ。教室にいる。
俺の隣の席に座る彼女、光原アカリ。
彼女とは言ったがあくまで呼称であり付き合ってはいない。友達というのも違う。幼馴染だ。
そう思って俺がいくら塩対応をしても、彼女だけは俺から離れようとしない。
そんな彼女を明確に拒絶することなく過ごしているのは理由がある。
不思議とそれほど嫌な気分でないのもひとつだが、もっと大事な理由がある。
彼女は狙われているからだ。
クラスの男子ではなく、ある連中から。
俺とそばにいる限り、奴らは手を出せない。
故に俺の生活も守られている。
視界が賑やかになってしまうのは考えものだが、これくらいは仕方のないことだ。まだ付き合ってない分ましだ。
決して彼女のことが好きだからなんかじゃない。彼女にはせめて、誰にも邪魔されずまっとうな人生を歩んでほしいからだ。
近寄りがたい俺に、建前であっても接してくれる彼女によき幸せが訪れることを願う。
「ちょっと、ちよっと」
女性の声がして我に返る。
今は授業中。その正体は先生の声で、どうやらその声は俺に向けられているらしい。
「大原くん、先程から何度も呼びかけているのですが、どうかしましたか?」
「あ、いえ。何でも。で、何でしょうか」
「教科書。続きを読んでくれますか」
まずいな。何も聞いていなかった。
隣を向くと彼女が教科書をこちらに向けて指を指している。ここを読め、と。
「あ、はい。であるからしてーー」
後で礼くらいはしておくとしよう。次は昼休憩だし、何か食堂のデザート一品奢ることに決めた。
昼食の時間。弁当を食堂に持ち込み行こうとすると、遅れてアカリも弁当を持って席を立つ。
「どこ行くの」
「食堂だ」
「弁当があるのに?」
食堂に弁当を持ち込んではいけないというルールはない。たまにはいいだろう。
むしろ問題はーー。
「なぜついてくる」
「お昼、一緒に食べたいからだよ! それ以外ないじゃん!」
俺の昼とは不自由時間である。
昼食のときはいつもアカリが隣または正面にいる。女子グループとご飯を食べるのかと思いきや、彼女はいつもこちらから離れようとせず、おかけでクラスの居心地が良いとはいえない。
だからたまにこうして食堂に行ってその嫌な気配を消そうとするのだが……。どこへ行っても目線がある限り何も解決していない気がする。
ただ今日はちゃんと名目がある。
さっきの授業の礼だ。他意はない。
彼女には先ほどのお礼ということで、デザート類――プリンを奢った。
「うん! 美味しい!! ありがとう!」
満面の笑みでその美味しさを表現するアカリ。
彼女はデザートをあっという間に食べ終えると、俺に聞いてきた。
「最近、ぼーっとしてるけど……。どうしたの?」
「別に何も。いつものことだろう」
ぼーっとしているのが通常運転と思われるのもいいとは言えないが、口が裂けても過去のことを思い出して嘆いていたなんて言いたくない。
最近よく過去のどうしようもないことがふと蘇って脳内の思考を支配している。
「そうなんだ。ふーん……」
「何だよ」
「別に何もないよー」
何だその疑うような目は。なら、こちらからも一つ聞いてやる。
「お前さ」
「何?」
「俺といて、楽しいか?」
これは俺が彼女に対する一番の疑問である。女子グループとご飯を食べるわけでもなく、付き合ってもない俺といつもご飯を食べている。
それが義務感なのか、幼馴染としての建前なのか、それとも。
「うん! 楽しいよ」
意外な答えだった。それも曇りのない笑顔と普段と何気ない会話をしている彼女より声が若干高区感じた。
「……そう」
「何? どうしたの?」
「なんで、そう思う?」
彼女が俺のそばにいる理由。その理由が知りたくて。俺はさらに聞いた。
「いちゃいけないの?」
「いやそういうことでは……」
俺は怖かった。
もし好きだから、なんて言ってみろ。泡吹いて倒れるわ。
友達でも恋人でもないが幼馴染だと認識することで苦しさを和らげてきた。これが大切なものだと自覚してしまえば、また失くす。それだけは嫌だ。
「私はね、嬉しいんだ。中学で一緒に学校生活を送れなかった分、高校では……ね」
その言葉を聞いて俺は安心する。
でもさっきの言葉を発した彼女の目線が逸らされたことを見逃す気にはなれなかった。
その目線の先にいたのは男子。
確かA組の……。俺とアカリのいるクラスでも度々話題になる美男子。
その彼が彼女に気づいてこちらに寄ってくる。
「よお、光原。奇遇だな」
「あ、アツシくん。ご無沙汰だね」
気まずい。教室に戻ろうか、どう断ってこの場を離れようか、と思っているとアカリが彼を紹介する。
「ああ、この人は山城アツシくん。中学の同級生でねーー」
それ以降は頭に入らなかった。
なんだ、ちゃんと見つけているじゃないか、自分なりの幸せを。
俺の知らない中学時代の彼女。既に二人が付き合っていてもおかしくはない。
「悪い、邪魔したな」
「えっ、ユウタ?」
俺は席を立つ。
きょとんとした二人を置いて、俺は教室へと歩を進めた。