1-1A はじまり、はじまり
ユウタ視点
『私はこの世界が嫌いだ』
父は昔、そう言った。
義務教育という名の勉強地獄。そこから抜けても高校入学からまた地獄。
毎日小テスト、再テスト。定期テストからの追試。
意味が見いだせない勉強漬けの毎日。
高校、大学といった勉強期間が終われば社会人として勤労に駆り出される。
あっという間に過ぎていく土日なんかで疲れなどとれるものか。
そう文句は言うが、父は優しかった。
だが、彼はもうこの世にいない。
自分もこうなる運命なのだろうか。
線香を添えた俺はそう思う。
父のいない世界で埋まらない心の穴を必死に塞ぐ。だが、それが埋まることなどない。
欠けたまま、生きていかねばならない。
父は自ら死を選んだ。
真面目な人間が馬鹿を見て、努力する人間が報われない世界。
適当に力を抜いて、嘘を使い分ける人間が上手くやっていける世界。
そんな世界に父は殺された。
もう、何も失いたくない。
ならば、始めから深いかかわりを求めなければいい。
もっと言えば、繋がりなどなくていい。
父はその方法をひとつ、遺してくれた。
ヴァルケイド。それは世界を変える力だ、と。
この力を使って俺は叶えてみせる。
「他人のいない、俺だけの世界を創るんだ」
『私はこの世界が嫌いだ』
この言葉はずっと頭の片隅から離れようとしない。いつの日か、自分もこの世界を嫌いになっていた。
誰かが助けに来てくれるんじゃないだろうかと思ったが失くすことばかりで、その線は諦めた。
父だけじゃなく、初恋の人も居なくなった。
親も大切な人も失ってなお、ここで生きる。
今はそうするしかない。
失いたくないものなど、もう要らないというのに。
この世界は繋がりを求め、その輪に俺を入れたがる。
もう、放っておいてほしいのに。
このもやもやを打ち明けることもなく、また一日が始まる。
「ご飯できたよ! ほら、早くしないと!」
「……またか」
俺をしつこく起こそうとする女子の声。
ぼやけた視界から映る赤。これは髪の毛か。
何者かなどとうにわかってはいるのだが、念のため声と髪の情報を脳内に問い合わせて記憶を引っ張り出す。
結果は案の定、さらさらの髪にポニーテールが印象的な彼女。名は光原 アカリ。
彼女との関係は簡単に言えば、小学校の頃からの腐れ縁である。あるいは幼馴染みとも言うべきか。
母同士が長い付き合いだったこともあり、彼女とはよく一緒に居た。
ただ、よく考えてみてほしい。
君の周りにもいるだろうか。親同士が仲良くて、子供はそうじゃないって場合が。今俺に置かれている状況はそこから仲がちょっとだけ発展した、いわば赤子に毛が生えたようなもの。そう思ってくれればいい。
話を戻そう。
彼女、アカリはその名前の通り明るい性格で、小さい頃から男女問わず信頼されていた。
まさに、みんなの中心を照らす明かり。彼女の名に相応しい。
それが今やモテる筆頭として男子からは熱い視線を向けられている。
顔立ちは整い、スラッとした体型に程よく膨らんだ胸。そりゃ目がいく生徒も少なくないわけだ。
そんな、美人麗人の部類に入る彼女は毎日のように俺と会話している。
悪いな、同学年の少年たちよ。これは不可抗力なのだ。
まあ落ち着いて聞いてくれ。
彼女とは恋人だの、付き合っているだの、そういう類の関係ではない。
残念と思ったか? 否。
そんな感情、俺の中にも、勿論彼女にも微塵もないだろう。
彼女は我が家に不法侵入しては勝手に朝ご飯を用意する。何やら愚母に頼まれたらしいのだが、自炊はできるし、家事全般は難なくこなせるので必要ない。のだが……。
彼女は聞く耳を持たない。
光原アカリという少女はそういう人だ。
「早くしないと、遅れるよ!」
整えられたポニーテールが微かに揺れる。まだぼやけた視界が彼女を捉えかけ、すぐにやめる。
眠いのだ。俺は。放っておいてくれないだろうか。
「あと五分だけーー」
そう言って俺は寝ようとした。すると、
「馬鹿!」
寝ぼけた頭に衝撃が走る。
いくらなんでも、叩くことは無いんじゃないですかね。
桜が舞う通学路。ベージュのブレザーを着た高校の生徒たちが歩いている。
春の陽気と肌寒さを感じる風がときに心地よく、たまに冷たさを感じる。
俺は耳にイヤホンを付け、生徒たちの後に続く。
これが変わらない日常。
ひとりというのは、清々しいな。
だが。
「置いてかないでよ!! もう!!」
静寂を塗り潰す、彼女の声。
襟元の暗赤色のリボンがなんとも可愛らしい。
男子はネクタイ、女子はネクタイとリボンを選択でき、女子たちはどちらかを選び着こなしている。
似合うなんて、腐っても言わないが。
「先に行く、と言ったが。何か問題でも?」
俺は息を吐き、ぜえぜえと息を切らした彼女を視界に入れ、淡々と告げる。
「いや、待っててよ! ちょっとお手洗いに行くくらい、なんで待てないの?」
待つわけにはいかんだろう。
彼女のお手洗いは長いのだ。待っていては遅刻する。
「……遅れたら俺まで怒られる。とばっちりはごめんだ」
「それはこっちの台詞! あんたがちゃんと起きないからでしょ!」
なんだろうな。この、オカンと息子みたいな会話は。こういうやり取りをしていると面倒が増える気がして、仕方なく俺は彼女に忠告する。
「いいか? ペラペラと俺とお前の内情を話すなよ? 変に誤解されたらたまったもんじゃない」
ただでさえ、注目度が高いアカリだ。己に目が向けられでもしたら、明日からの学校が憂鬱になる。男子からの痛い目線は避けられないだろう。
とにかく、これからの学校が過ごしにくくなる場所になるのは勘弁してもらいたい。
「……だったら、既成事実でもつくっちゃう? そしたらみんな、納得するんじゃない?」
両手を合わせ、満面の笑みでこちらに問いかけるアカリ。
この会話を聞いている生徒もおそらく何人か居るだろう。もうすでに自分と彼女との仲を誤解するものも出てくるだろう。
答えは出た。
取るべき道はひとつ。
俺は何も言わず、彼女を置いて足を速める。
「あっ、ちょ……冗談だって! 待ってよ!!」
「待たない」
もう何も失いたくない。だから遠ざける。
だが、見捨てるのは違う。本当は俺に関わらず、真っ当な人生を歩んでほしいから。
相手はする。だから終わらない。この関係は。
これが日常だと思うと、毎度俺は辛いのだ。
彼女との距離感がわからない。
他人も同じく。だから俺は思う。
(……これだから、他人は嫌いだ)