重なるもの
特定の夢を見ることにもう驚くことはなくなっていた。人間は慣れる生き物だから、繰り返し似たような体験をしていると新鮮さも怖さも感じなくなる。
でも、見ている夢に変化があるとそうも言っていられない。
夢の中の女の子の姿に曖昧さがなくなったんだ。腰まで伸びた黒髪、少しおっとりとした顔つき、白い肌、ほっそりとした体つき、いずれもはっきりと見える。
「すごい、ちゃんと見える」
思わず僕はつぶやいた。春のときと同じく原因はわからない。それだけに一抹の不安はある。けど、それ以上に喜びの方が大きい。
「誰かそこにいるの?」
今までとは異なる反応を見せた女の子を見て僕は驚いた。僕の言葉に反応したの?
いやそれ以前に、今まで僕は夢の中では体を動かせた試しがなかった。なのに今は口だけ動かせる!
ただ、女の子は僕の姿が見えていないようだ。対面している僕に気付いていない。
ならばと僕は女の子に話しかけてみる。
「えっと、僕は大心地優太。きみは?」
「私は 。ずっとここに閉じ込められてるの」
「名前のところだけ聞こえなかった。もう一回教えてくれない?」
「 」
「聞こえない。どうしてだろう? それじゃ別の質問。前から助けてって呼びかけていたけど、きみはどこにいるの?」
「私はたぶん保管庫に保管されていると思う。それは 計画の研究施設で、私のような実験に使った被験者を収めておくところなの」
「計画ってなに?」
「私もよくわからないけど、 計画っていうのは――」
女の子が口を開いたのは見えたけど一部の発音は聞き取れなかった。それは偶然聞こえなかったんじゃなくて、たぶん特定のキーワードとかに反応して何かが聞き取れないようにしているんじゃないかと思う。
それでもいくらか女の子のことを知ることができた。
女の子は、何らかの計画の実験体にされたこと、保管庫と呼ばれる場所に保管されていること、そしてまだ生きている可能性があり助け出してほしいことなどだ。
ただし、具体的な手がかりはまったくわからなかった。わかったところでどうにかできるのかもわからないけど、かなりもどかしい思いをする。
「ごめん、ところどころ聞こえないところがある上に、僕は力になれるかどうかもわからないんだ」
「でも、初めて私の話を聞いてくれたわ。ありがとう」
慰めにしかなっていないことを僕は悔しく思うけど、どうやらここまでのようだ。彼女だけでなく周囲の風景もぼんやりとしてきた。同時に上へと引き上げられる感覚が徐々に強くなっていく。この感覚は夢から覚めるものだ。
僕一人ではどうにもできないことだから目覚めたらソムニに相談してみよう。そんなことを思いながら僕の意識は覚醒していった。
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毎朝、僕は起きると自室で準備運動をしてから筋トレをしていた。さすがに春から半年以上かけて続けていると体つきも引き締まってくる。きついけど、それが内心嬉しい。
これはソムニの指導でやってるんだけど、今じゃ筋トレ中に話しかけてくることはほとんどなかった。というのも、メニューさえわかっていたら後は自分でやれるからね。口を挟んでくるのは、一番最初にやり方を見てもらうときと体勢がおかしいときくらいかな。
だからいつもは静かに筋トレをしているんだけど、今朝は少し様子が違った。珍しくソムニが空中を漂いながら話しかけてくる。
「優太、そのまま続けながら聞いてほしいんだけど。アンタ、昨日の夜に女の子と話をしてたでしょ?」
「え?」
「なんか、白い服に黒いワンピースみたいなの着てる黒くて長い髪の女の子」
「なんで、ソムニが、そんな、ことを?」
「昨晩急に見えるようになったのよねぇ。まぁ、見てるだけでなんにもできないんだけど。ともかく、パソウェアの通話機能じゃないしかといって魔法ってわけでもなかったから気になるのよね」
「あ、何回してたのか、忘れた」
「三十八回よ。あと十二回」
動揺するあまり腕立て伏せの回数を忘れてしまった僕は、一時停止していた体を再び動かし始めた。
それにしても、まさかソムニが夢の中のことを聞いてくるとは思わなかったな。どうやって覗いたんだろう。夢の中さえプライバシーがないなんて!
いやちょっと待てよ? 今ソムニは通話機能でも魔法でもない手段で僕が女の子と話をしていたって言ってたな。ということは、あれはもしかして夢じゃない?
何が何だかわからなくなった僕は、次に腹筋を鍛え始めてからソムニに尋ねる。
「ソムニ、今の、話、だと、僕は、誰かと、通信、してた、ことに、なる?」
「そうね。ただ、さっきも言ったけど通話機能でも魔法でもないのよ。しかもどうやら微妙にアタシも経由してるみたいだし。アンタ、アタシに何か細工した?」
「そんな、ことが、できる、なら、頭の、中を、好き、勝手に、見られて、ないよ」
「確かにねぇ。それじゃ、あれは一体なんなのかしら?」
「僕は、その、女の子、の、夢を、よく、見るん、だけど、あれは、夢じゃ、ない?」
「アンタ、あれを夢って思ってたの?」
意外そうな反応をしたソムニに僕は夢の中の女の子について説明をした。筋トレしながらなので地味にきつかったけど、トレーニングが終わる頃には説明も終わる。
冷え込む季節に汗をかくほど体を動かしたから冷気が気持ち良い。僕は着替えを持って一階の風呂へと向かう。台所には既に母さんが立っていた。
風呂場に入るとソムニが頭の中から話しかけてくる。
”うーん、不思議な話ね~。アタシと出会う前からその夢だと思い込んでいたものを見ていたわけなんだ。頭の中にチップを埋め込んでるわけでもないのに、なんでそんな通信機能がアンタにあるのよ?”
「そんなの僕だって知らないよ。でも春以降、少しずつ女の子の姿がはっきりとして話ができるようになったのは、ソムニのおかげっぽいよね」
”アタシ何もしてないわよ。うわイヤね~、勝手に体を使われてるってのは”
「僕いっつもそんな感じだよ」
”一応ちゃんと了解はもらってるじゃない。本題に戻って、善し悪しはともかく、誰かと交信してることには違いないっと”
「そして、その女の子は何かの研究施設の保管庫に保管されている。人間を保管する? そういえば、なんか変な言い回しだね」
”その子、実験の被験者って言ってたでしょ。だから研究施設の関係者にとっては保管だったんでしょうね”
シャワーを浴びながらその言わんとするところを理解した僕は眉をひそめた。あの女の子は何かの実験に付き合わされていたんだろう。でも、それが何かは想像もできない。
風呂場を出た僕は自室に戻る。適度に体がだるいけどこれから軽く勉強だ。その後は学校だから嫌になるけど。
机に向かった僕は半透明の画面を表示させるなど勉強の準備をしながらソムニと話を続ける。
「ソムニ、あの女の子が夢じゃないっていうんなら、どこにいるか探せる?」
「うーん、それがお手上げなのよねぇ。通信なら追いかけられるし、魔法でも大まかに逆探知っぽいことはできるんだけど、あれはねぇ」
てっきりいつものようにあっさりと調査できると思っていたので、僕はソムニが腕を組んで唸っているのを見て意外に思った。できないこともあるんだなぁ。
それにしても、夢だとばかり思っていたあれが実は現実だなんて予想外だ。そしてこうなると、あの女の子が誰なのか気になってくる。ただ、追求できる方法が今はない。
当面は様子見ということで、僕はとりあえず目先の勉強を片付けることにした。