お礼は何が良いか?
次の週末になった。僕は今、大蔵家の東京本邸という大きなお屋敷の控室というところにいる。僕の自室の何倍もある部屋だ。椅子やテーブルはもちろん、周りの調度品も高級そうとしかわからないくらいすごい物に思える。正直落ち着かない。
隣に座っているミーニアさんは堂々としたものだ。供されたお茶とお菓子を上品に食べている。こんな見たこともないお茶とお菓子をよく平気で口にできるなぁ。
そんな僕に対してソムニが呆れている。
”落ち着きがないわねぇ。取って食われるわけじゃないんだから、ミーニアみたいにもっと堂々としてたらいいじゃない”
”そうは言われても、こんなにすごいお屋敷なんて初めてだし”
”なーに言ってんのよ。こんな屋敷よりずっと珍しいところに行ったことあるんだから、大したことなんてないじゃない”
”そんなところに行ったっけ?”
”八王子魔窟の一番奥よ。あそこなんて滅多に行ける所じゃないでしょーに”
一瞬その通りだと納得しかけた僕だったけど、軽く首を振って思い直した。確かに珍しいけどあれはまた別枠のやつだ。
ソムニの存在を知らなければ挙動不審な人物にしか見えない僕に、湯飲みから口を離したミーニアさんが声をかけてくる。
「お礼をしたいということでしたが、一体どのようなものなのでしょうね」
「うーん、どんなものって言われてもなぁ。お金持ちの言うお礼なんて想像つかないし」
別にありがとうの一言でも僕は良かった。実際には困るんだけど、かかった経費や損失さえ補填してくれたら特に言うことはない。そもそも正式な依頼として受けたわけじゃないんだし。
そんな風に色々と考えていると、ノックする音がしてから扉が開いた。入ってきたのはセミロングのきれいな黒髪の美人さんで、僕達に一礼する。
「お初にお目にかかります。藤原怜香と申します。用意ができましたので応接間にご案内いたします」
声だけ聞いたことのある藤原さんに促されて僕とミーニアさんは立ち上がった。控室から出てすぐに右側に折れると詰所を通り過ぎて中庭に出る。屋敷内の詰所や中庭なんて僕には別世界のものだ。
中庭を反時計回りに巡ってその奥へと向かうと廊下が広くなった場所へと移り、左手の奥から延びている廊下を進んで右手側の部屋の前で立ち止まった。どうして家の中なのにこんなに歩くんだ。
藤原さんが扉をノックすると中から扉が開く。開けたのはメイド姿の人だ。すごい、メイドって本当にいるんだなぁ。
僕が衝撃を受けていると藤原さんが中へと促してくるので半ば呆然と入った。屋敷の風情は純和風なのにこの応接間だけは完全に洋式だ。突然場違いな所に迷い込んでしまったかのような違和感がある。
けれどそれもすぐになくなった。赤黒い重厚な厚身のあるローテーブルの奥に座る二人の人物が目に入ったからだ。
一人は先日見た大蔵兼実くんで、空色のポロシャツにクリーム色のスラックスという姿だ。相変わらず女の子みたいにきれいな風貌だな。
もう一人は淡い紺色の着物を着た和風美人だ。腰まで届くつややかな黒髪と切れ長の目が印象に残る。確かに大蔵くんと似てるなぁ。
椅子の前で立ち止まると、立ち上がった目の前の二人が軽く一礼する。
「初めまして。うちは隣にいる兼実の姉、大蔵遙奈と申します。今回は弟を助けてもろて、ほんまにありがとうございます」
「改めて、助けてくれてありがとう」
「さぁ、席に座ってください」
ゆったりとした口調で大蔵さん、ややこしいからこれからは兼実くんと遙奈さんにしよう、で、遙奈さんに椅子を勧められた。僕とミーニアさんは素直に座る。
部屋の隅で控えていたメイドさんが紅茶を用意してくれた。
紅茶に手を出そうかどうか僕が迷っていると、遙奈さんが話しかけてくる。
「お礼が遅れて申し訳ありません。後始末に少し時間がかかってしもて」
「平日は学校がありますから問題ないです。それで、前から気になっていたんですけど、結局あの襲撃してきた人達って何者なんですか?」
「うちら大蔵財閥のことが面白うないと思てる人のうち、誰かの差し金みたいです」
「こんな誘拐みたいなこともするんですか」
「利益のためなら何でもするって人は、世の中にいくらでもいますしねぇ」
兼実くんと同じ抑揚でお姉さんの遙奈さんは説明してくれた。けど、具体的な話は何一つない。何もわからないか、僕達が知らない方が良いんだろうな。
「あ、大心地くん、、隠れてるときに脱いだ強化外骨格っていうの、結局どうなったん?」
「まだ取りに行けてないんだ」
遙奈さんの言葉で一礼する藤原さんを尻目に、僕は兼実くんの質問で肩を落とした。結局僕は今回の事件で強化外骨格と対魔物用鉈一組を失ったんだ。損失どころの話じゃなく、このままじゃジュニアハンターの活動ができない。
僕の言葉に兼実くんが申し訳なさそうな表情を浮かべた。けど、隣の遙奈さんがうっすらと笑顔を浮かべながら提案してくれる。
「今回のことで失ったものでしたら、こちらで代わりに用意しますよ?」
「でも、強化外骨格なんて高いですし」
「大心地くん、大丈夫やて。お金のことは気にせんでもええって。怜香さん、強化外骨格っていうやつ用意して」
「承知しました」
高い買い物があっさりと決まったことに僕は驚いた。さすがお金持ち、僕とは全然違うなぁ。
感心している僕の隣からミーニアさんが遙奈さんに問いかける。
「そういえば、お礼がしたいということで呼ばれましたけど、何かくださるのですか?」
「それなんですけど、こちらも色々と考えたんですが、これといった物が思いつかなかったんです。ですから、何か望みがありましたら、こちらで叶えて差し上げようかと思うんですけど」
「わたくしは、今のところこれといって望むものはありません。将来的にはどうなるのかわかりませんが」
「え、僕? 急に言われても、何も考えていなかったなぁ。強化外骨格はもうもらえることになってるし。あ、刀、対魔物用の鉈が」
「それはズィルバーのところでもらえばよろしいでしょう」
途中でミーニアさんに口を挟まれた僕は黙った。そうなると本当に要求できることがない。どうしたものか。
そんな僕らをを見て遙奈さんがにっこりと微笑んだ。何が嬉しいのかわからない。
「欲がない人らですね。珍しいわぁ」
単純に兼実くんを助けたことに見合うお礼が検討つかないということもあるんだけどな。
続けて遙奈さんが話しかけてくる。
「承知しました。では、いずれ何か望まれるもんができましたら声をかけてください。ふふ、それにしてもこれで出会ったのも何かの縁です。大心地さん、兼実の友達になってもらえません? この子、引っ込み思案でそういうのが少ないんで」
「姉さん、そんな余計なことを言わなくてもええやんか!」
目を剥いて顔を赤くした兼実くんが遙奈さんに抗議した。さすがにそれをばらされると恥ずかしいだろうね。僕も似たようなものだからよくわかる。
でもそれだけに、友達になったら兼実くんとは悪くない関係になれるんじゃないかと思った。趣味とかは全然違いそうだけど、気は合いそう。
何を言っても無駄だと悟ったらしい兼実くんが口を尖らせて顔を背けた。それを遙奈さんは面白そうに見ていて、ミーニアさんは不思議そうに眺めている。そばに控えている藤原さんはわずかに苦笑いを浮かべていた。誰も手を差し伸べない。
これは放って置くとそのままだと思った僕は、どう助け船を出そうか考えた。




