お姫様抱っこ
電車の先頭か最後尾に乗っていると気付くことなんだけど、運転手も車掌も途中の駅で交代することがある。たぶんシフトでどの駅まで担当って決まってるんだろうな。
僕と大蔵くんが乗っている電車も同じだ。つい先程車掌が交代した。車掌室は壁で区切られているけど、窓が付いているからその様子がよく見える。
話がこれだけなら単に鉄道会社の業務形態の一部なだけなんだけど、問題はここからだ。この車掌、急行以上だと車内を巡回する。車内の安全のためだ。
普段ならこんなこと気にもしないんだけど、今回ばかりはそうもいかなかった。誰が敵なのかわからない以上、藤原さんの関係者以外と今は接触したくない。
なのにそういうときに限って、車掌室から出てきたばかりの車掌が僕に近づいてくる。
「すいません、ちょっとよろしいですか?」
始発駅から乗っていた年配の車掌は無視してくれたのに、交代した若い車掌は僕に話しかけてきた。
本当は良くないけど、そんなことはおくびにも出さずに返答する。
「はい、何でしょう?」
「見たところ、強化外骨格をつけていらっしゃるようですが、ハンターの方ですか?」
「ジュニアハンターです」
「え? ジュニアハンターですか。 今何かされているんでしょうか?」
「実は依頼を受けた帰りなんですけど、自動車が故障しちゃったんです。替わりの車を手配するのにも時間がかかるっていうことだったんで、装備をつけたまま電車に乗ってるんですよ」
「なるほど、そうなると隣の方は?」
「この人は今回の依頼人です。今日中に帰宅しないといけないらしいので、一緒に帰るところなんですよ。あー、だから今は護衛しているみたいになるのかな」
あらかじめ決めていた回答を僕は若い車掌に告げた。横で大蔵くんが腰を曲げて一礼する。女装しているのがばれると面倒だから、できるだけしゃべらないという方針だ。
話を聞いた若い車掌は納得してくれたようで少し苦笑いする。承知しましたと言うと一例して車内の奥へと進んでいった。すぐに次の車両へと移って見えなくなる。
その後ろ姿を見送った僕達は肩の力を抜いた。大きなため息をついてから大蔵くんを見る。
「ふう、何とかごまかせたね」
「意外と何とかなるもんなんやな。あんな簡単に信じてくれるなんて思わへんかったわ」
「僕達を最初から疑っていなかったからだと思うよ。気にはなったけど、もっともらしい理由があったから納得してくれたんだ」
「あとは何もなかったらええんやけどなぁ」
最後に大蔵くんが漏らした言葉には僕もうなずいた。魔物と対峙するのは全然違うこの緊張感は精神的にかなりきつい。
ところが、穏やかな時間はそんなに長くは続かなかった。次の停車駅から電車が出発したときにソムニから警告される。
”さっきの駅で乗り込んできた男の一人が、じっとこっちを見てるわね。あ、じっとしててよ。アンタが気付いたって気付かれると面倒だから”
”なんでばれたんだろう? 今まで誰も追ってこなかったのに”
”まだ襲撃犯の一味だと確定したわけじゃないわよ。ただその可能性があるってだけ”
”その人はこっちに近づいてくるの?”
”まだ動きはないわね。車両の反対側の端でじっとしてる。あの様子だと仲間が来るまでアンタ達を見張るんでしょうね”
”次の駅で降りた方がいいかな?”
”そうしましょう。一緒に下りてこっちの後をつけてくるようなら確定ね”
一気に緊張した僕は急に不安になった。その様子に気付いた大蔵くんが怪訝そうな顔を向けてくる。
「大心地くん、どうしたん?」
「こっちをじっと見ている人がいるんだ。周りは見ないでね。次の駅で一旦降りよう」
話を聞いた大蔵くんは緊張した面持ちでうなずいた。それから下を向いてじっとする。
電車が速度を落とし始めた。しばらくして次の停車駅が見えてきてゆっくりとホームに停まり、扉が空気の抜けるような音ともに開く。
そこで僕は藤原さんに何も連絡していないことに気付いた。焦りながらソムニに話しかける。
”ソムニ、まずい。藤原さんに連絡するの忘れてた!”
”優太の名義でさっきメッセージを送っておいたわよ。すぐに返信が来るはずだけど、今は目の前のことに集中して。できるっだけさりげなくね”
僕と大蔵くんは最寄りの出入り口から下りる乗客の最後尾に続いて電車を出た。初めて下りる駅だ。
足早にホームを進み、階段を上がって改札口へと向かった。まだ構外へ出る前にソムニから声がかかる。
”あの男、ついて来てるわね。これは確定でいいかも”
”駅から出てどうするの? この町のことは何も知らないよ?”
”とにかくあの男を撒きましょう。後のことはそれから考えた方がいいわ”
考える余裕のない僕はソムニの意見に賛成した。
歩く速さを緩めることなく僕達は改札口を抜けて駅を出る。地方都市らしく背の低いビルが建ち並んでいるけど、祝日だからか人はある程度いた。けど、僕達が紛れられるほどじゃない。
ちらりと後ろを見ると大蔵くんが一生懸命足を動かしている。ただ前も見たけど、あのローヒールで長時間は早歩きできない。
”ソムニ、まだその男って追ってくる?”
”来るわね。それと、あの男のパソウェアを調べて見たら、仲間を呼んだ記録があったわ”
”どこか隠れるところがあればいいんだけど”
”地図を確認したわ。案内するから指示通りに走って”
”走る? そんなことしたら大蔵くんが追いつけないよ”
”ちょっと距離を離したいんだけどなー。あ、そうだ! 抱えたらいいじゃない!”
”抱えるって、抱っことかするの?”
”そう、お姫様抱っこ!”
なんだか嬉しそうに頭の中でソムニが叫ぶのを聞いて、僕は一瞬体の力が抜けそうになった。周りには人が割といる。この中でお姫様抱っこして走るの?
ものすごく恥ずかしい。でも、ソムニが急かしてくる。
”今はまだ一人に追われてるだけだけど、襲撃犯の仲間と合流されたら厄介なんだから我慢する!”
「大蔵くん、これから追っ手を振りきるために走ってしばらく隠れようと思うんだ」
「うん、わかった!」
「でも大蔵くんの足じゃ間に合わないから、ちょっとお姫様抱っこさせてもらうね」
「え? お姫様抱っこ?」
”はい、さっさとやる!”
急に僕が立ち止まると、遅れて大蔵くんも何歩か先で立ち止まって振り向いてきた。そこへ僕は近づいて抱きかかえて持ち上げる。
「え、ええ!?」
”まずはまっすぐ走って!”
驚く大蔵くんを無視して僕は走り始めた。人の往来があるところだから全力では走れないけど、あの半透明な自分の姿を追いかけて人の間をすり抜けていく。
一方、追っ手の男は強化外骨格なしの生身だから全力でも僕には追いつけない。徐々に離れて行く。
”次の道を曲がって二軒目と三件目の建物の間に入って、物陰に隠れる!”
何度か道を曲がったところでソムニの何度目かの指示が来た。何も考えずに僕は言われた通りに動く。
そこは五階建てのビルと営業中のお寿司屋に挟まれた裏路地だった。業務用のビールラックが山と積まれている。
ビールラックの裏に回って僕は大蔵くんを降ろすとすぐに抱き寄せて隠れた。少ししてから追っ手らしき男が慌てた様子で走り去っていく。
”もーいいわよ。アイツ、完全にこっちを見失ったわ”
出るべきタイミングわからなかった僕はソムニの言葉を聞いて肩の力を抜いた。荒かった呼吸はまだ収まっていないけど、ようやく人心地つけそうなことに安心する。
僕と大蔵くんはしばらくそのままでいた。




