秘書と姉
ソムニによると警察が大蔵くんを探すそぶりはないらしい。これなら保護してもらっても良いのではと僕は思ったけど、安全が確約できないから引き続き屋敷に向かうことになった。
どうにか警察官を避けながら駅にやって来た僕と大蔵くんは電車に乗り込んだ。直前に屋敷のある場所を聞いたから間違った電車に乗ることはない。
「ここから四時間くらいかかるのかぁ」
眉をひそめた僕は唸った。長野県から首都圏まで戻るんだから時間がかかるのは仕方ないけど、追われている人を守りながらとなると精神的な重圧が重くのしかかってくる。
”首都八王子を突っ切って一度乗り換えて最寄り駅に到着っと。八王子で乗り換えるって方法もあるけど、これはそのときになって臨機応変に対応すればいいわね”
「地図だと屋敷は山の近くだけど魔物は平気なの?」
「武装はちゃんとしてるし、シェルターや脱出方法もあるから大丈夫やって聞いてます」
僕達は最後尾の車両の端に立っていた。長時間乗るから座る方が楽なんだけど、車内で何があるかわからないから、できるだけ人が近寄る方向が限られている場所を選んだんだ。
でも、あまり目立たないようにというもう一つの理由もあった。ジュニアハンターの存在は珍しくないけど、強化外骨格を装備したまま電車に乗るのは案外目立つんだ。電車に乗ってくる人の多くが一度は僕に目を向けてくる。
「目立たないようにできたら良いんだけどな」
「あの、大心地くん、家族と知り合いに連絡したいんやけど」
「あ、そっか。ごめん忘れてたね」
一番心配しているであろう人に安否を知らせるのは重要なことだ。特に大蔵くんの場合は財閥関係者なんだから、向こうだって何か対応しようとするはず。
初めてのことで全然頭が回ってないことに恥ずかしい思いをしながら、僕は自分のパソウェアであるイヤホン型の左側を大蔵くんに渡した。そしてすぐに通話機能を立ち上げる。
「僕のIDで通話するから相手が出てくれるかわからないけど、後は自分で入力して電話してみて。それと、声は小さめにね。周りに聞こえるから」
「うん、ありがとう」
左耳に僕の白いパソウェアを取り付けた大蔵くんが入力を始めた。本当なら電車内での通話はマナー違反だけど、途中で下りるわけにもいかないから小声で話してもらう。
コール音が聞こえてきた。正面に音声のみという表示が半透明な小画面と共に現れる。通話相手は藤原怜香と表示されていた。家族じゃないんだ。
『はい、藤原です』
「怜香さん、ぼくです。兼実です」
『兼実様!? 今一体どちらにいらっしゃるのですか!』
大蔵くんの声を聞いた相手の藤原さんは、最初の無機質みたいな態度から一転して慌てふためいた様子になった。知らない相手から電話がかかってきたんだから仕方ない。
僕の忠告通り大蔵くんは小声で更に口元を手で隠してしゃべる。
「えっと、今は電車に乗ってて」
「まだ長野県だと思う。もうちょっとで山梨県に入るみたいだけど。あ、僕は大心地と言います。初めまして、逃げてきた大蔵くんを今そちらに送っているところです」
「それは、ありがとうございます。詳しい経緯をお伺いしたいのですが、よろしいですか?」
「電車の中で後にしてほしいです。それより、これからのことを手短に打ち合わせたいんですけど」
電車内で周囲を気にしながら小声で通話をするのはかなり気が引けた。口元を手で隠して話をする姿はかなり怪しいと思う。
”ソムニ、これからの行動をテキストベースでまとめてくれないかな?”
”フルカラーの豪華資料じゃなくていいの?”
”僕が今突貫で作った風に見せかけたいんだ”
”なるほど、いいわよ!”
頭の中でソムニにお願いをすると、すぐに文字のみの予定表が藤原さんに送られた。利用している鉄道名、何分発の電車に乗っているか、乗換駅と到着予定時刻、そして最寄り駅だ。
それを元に僕が話を進める。
「誰に聞かれているかわからないのでテキストメッセージで今後の予定を送りました。もし問題なければそのまま行きますが、そちらの要望はありますか?」
『この駅で降りてください。下りたらまた連絡をお願いします』
送られてきたメッセージには八王子駅とあった。どうやら首都で落ち合うことになるらしい。
僕は大蔵くんに目を向ける。すると、小さくうなずき返してきた。問題ないようなので僕は藤原さんに言葉を返す。
「わかりました。ここで合流しましょう」
『突然このようなお役目をしていただくことになり、まことに申し訳ありません。合流場所までよろしくお願いします』
「はは、あとは電車に乗っているだけでしょうから、何とかなると思いますよ」
気楽に答えてみせた僕だけど、はっきり言って緊張していた。こうでも言わないと挙動不審になりそうなくらい不安だったんだ。
相手の雰囲気が柔らかくなったと思ったら、藤原さんは大蔵くんに話を向ける。
『兼実様、もうしばらく我慢なさってください。こちらからもできるだけ早く合流できるよう手を尽くしますので』
「うん、お願いするね」
『それと、遙奈様がお声を聞きたいとおっしゃっていますので替わりますね』
横で話を聞いていた僕は通話相手のID表示ががもう一人増えたのに気付いた。その相手の声を聞いた瞬間大蔵くんが目を見開いたのを見る。
『兼実! あんた無事やったんやね! よかったぁ!』
「姉さん! うん、何とか逃げ出せて、助けてもらえてん」
『ああもう! あんたがおらへんようになってから、うちは心配で心配でもう!』
「わかったから姉さん、落ち着いて」
感情的になっているお姉さんとは最初話にならなくて、大蔵くんがしばらくなだめていた。それで気を向ける先ができたせいか、大蔵くんの表情から緊張の色が消える。
その様子に僕は安心するも、たまに周囲を見て回って様子を窺う。
”ソムニ、僕達を見張ってる人っていそう?”
”うるさそうにこっちを睨む人はたまにいるわね。一旦打ち切った方がいいわ”
必要に迫られたとはいえ、やはりマナー違反をしていると目立つようだ。とりあえず、最低限の連絡はできたから良としよう。
未だ話をする大蔵くんを見て少し気の毒には思ったけど、僕は姉弟の会話に割っては入ることにした。少し躊躇ってから口を開く。
「大蔵くんのお姉さん、悪いですけど電車の中ですから一旦話を終わりたいと思います」
『え? ああ、ごめんなさい。そうやね。もうすぐまた会えますもんね』
「姉さん、それじゃまた後でな」
『うん。大心地さんでしたね。うちの弟をよろしくお願いします』
「はい。それでは」
『藤原です。大心地様、先程の打ち合わせの通りにお願いします』
「ええわかってます。何かあったらまた連絡しますね」
最後に藤原さんと言葉を交わすと僕は通話を切った。それを合図に大蔵くんが僕のパソウェアの片方を返してきたから、それを左耳に取り付ける。
「後は何事もなく目的地まで行くだけだね」
「そうやね。早く姉さんに会いたいなぁ」
女装のせいで女の子そのものにしか見えない大蔵くんがせつなげにため息をついた。その仕草から、女装していないときも女の子みたいと言われているんじゃないかと思ってしまう。
ぼんやりとそんなことを考えていたけど、僕は軽く首を振って余計なことを頭から追い払った。今はそれよりもどうやって大蔵くんを無事に送り届けるかだ。
電車内にアナウンスが流れる。僕はそれを聞きながら、次の駅で襲撃犯の一味が入ってこないことを祈った。