とりあえず逃げなきゃ
襲撃を退けた後の周囲はひどい有様だった。血だまりの中でぴくりとも動かない人やうめき声を上げている人が路上に点在している。
そんな中、僕は穴だらけになった自動車のそばで助けた子と向き合っていた。
襲われる心配がなくなったことを知ったその子が頭だけでお辞儀をする。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「それは良かった。僕は大心地優太、高校生でジュニアハンターなんだ。きみは?」
「ぼくは大蔵兼実です。高校生です」
「兼実? 男の名前みたいに聞こえるけど」
「はい。ぼくは男ですから」
「え、男? いや、ほんとに男なの!?」
返事は少し聞き取りづらいほど声が小さかった。けど、聞き間違いじゃないじゃないらしく、僕の確認に大蔵くんは小さくうなずく。顔を真っ赤にして身をよじるその姿はどう見ても女の子にしか見えない。
なんか他に聞くべきことが全部吹き飛んだ。頭が全然回らない。
黙ったまま二人で向き合っていると、ミーニアさんが近づいて来る。
「今警察に連絡しました。もうすぐしたら到着するでしょう。兼実は保護してもらう予定です。それと優太、これから事情聴取がありますから、今日中に帰宅するのは無理ですね。自動車も使えなくなりましたし」
「どうしよう。父さんと母さん、怒るかなぁ」
これからの予定を聞いた僕は目をつむって顔を上に向けた。ジュニアハンターの活動に良い顔をしていない二人だから、どう説明しようか悩む。
頭を抱えている僕の隣で、大蔵くんが急に不安そうな表情に変化した。そして、そのままミーニアさんに問いかける。
「あの、ほんまに警察に連絡しはったんですか?」
「しはった? ええ、連絡はしましたよ。このままにしておくわけにはいきませんから」
「それまずいです。ぼくが誘拐されたとき、警察の人もいはったから信用できひんのです」
大蔵くんの説明を聞いた僕とミーニアさんはお互いに顔を向けた。微妙に方言が混じってるから一部わからないけど大体の意味は理解する。
「もしかして、誘拐犯の中に警察官もいるの?」
「さっき来ていた人達の中にいるかはわからへんけど、ぼくを誘拐した人の中にはいたんです。制服してはったし」
「偽者の可能性はありませんか?」
「ちゃんと確かめたわけとちゃうから、絶対って確信があるわけやないです」
僕とミーニアさんに質問された大蔵くんは自信なさげに返答した。これはどうするべきなのか僕には判断がつかない。
「ミーニアさん、どうします? 大蔵くん、このまま警察に引き渡しても大丈夫ですか?」
「わかりません。少なくとも一抹の不安は残りますね」
「大蔵くん、警察に行かないとして、これからどうするの?」
「お屋敷に戻ろうと思うんやけど、パソウェア取り上げられたから連絡できひんのです」
「それなら僕が」
”警察があと三分で到着するわ。逃げるかどうか今判断しないと間に合わないわよ”
会話の途中で割り込んできたソムニの言葉に僕は顔をしかめた。ミーニアさんにも伝わっていたらしく、小さくため息をついている。
「国家権力と無用な対立は避けたいですが、不安がある以上はやむを得ないでしょう。警察の事情聴取にはわたくしが対応します。優太は兼実を屋敷まで送り届けてください」
「僕、大蔵くんの屋敷の住所なんて知らないですよ。それに、この自動車はもう使えそうにありませんし」
「住所なら移動しながら教えてもらえば良いでしょう。自動車については、そうですね、電車などの他の移動手段を見つけてください」
”あと二分、急いで”
急かされた僕は追い詰められた。不安ばかりしかないけど、もう気になることを質問している時間もない。
「わかりました。大蔵くん、それじゃ行こう」
「お願いします」
不安そうな顔を向けてくる大蔵くんに向かって僕はうなずくと小走りで近くの路地に入った。まずは一旦幹線道路から離れて警察をやり過ごさないといけない。
後ろに大蔵くんがついて来ていることを確認しながら僕はソムニに話しかける。
”ぱっと思いつく移動手段って電車とタクシーくらしか思いつかないな。あ、あとレンタカーと”
”警察に仲間がいる時点で手続きをしないと乗れないレンタカーは論外ね。レンタカー会社にも仲間がいないと言えないんだし”
”だったらタクシーも?”
”そうね。可能性は低いけど、運転手が誘拐犯の仲間だったときはどうしようもないし”
”となると電車かぁ”
”駅まで警察に見つからない経路を教えるから、その通りに進んでちょうだい。大丈夫よ、精度の高い衛星写真の画像データに店や駐車場の監視カメラの映像データを使って経路を決めてるから”
合法であるかという点を問わなければソムニの分析に不安は何もなかった。
たまに振り返ると大蔵くんはちゃんとついて来ている。けど、女物のローヒールで走るのはつらそうだ。
”ソムニ、小走りをやめて歩いてもいい?”
”んーまーいいんじゃないかしら。あの子あのままじゃ足を挫きそうだもんね”
「大蔵くん、これからは歩こうか?」
「そうしてもらえると助かるわ」
一旦立ち止まると、大蔵くんは乱れた息を整えるべく何度も呼吸を繰り返した。その仕草はどう見ても女の子っぽく見える。
とりあえず焦る必要はなくなったこともあって、僕は先程から気になっていた疑問が鎌首をもたげてきた。そして、思わず口にする。
「ねぇ、どうして女装してるの?」
「京都から関東に来たからお忍びでいろんな所に行ってみたかったんです。けど、そのままやとあかんから変装することになって」
「それでも女装っていうのは思い切ったというか何と言うか」
「こ、これは姉さんが面白がってぼくに着せたんです。やっぱり変ですよね?」
「なんか気持ち悪いくらい似合ってるよ」
「え?」
「なんか仕草まで女の子っぽくなってるじゃないか」
僕の指摘に大蔵くんは目を見開いた。自分の体を一巡り見てから恥ずかしそうに顔を背ける。それが実に女の子っぽいんだけど、もしかしたら本人は気付いていないのかな。
それと、言葉遣いが違う理由も今の話でわかった。なるほど、大蔵くんの話し方って京都弁なんだ。
けど、まだ一番重要な点がはっきりとしていない。
「女装の件はとりあえずもういいよ。それより、なんで誘拐されたの?」
「犯人からはっきりと聞いてへんからわからへん。でも、もしかしたら身代金目的と違うかな」
「もしかしてお金持ち?」
「うん。大蔵財閥って聞いたことない?」
教えてもらった単語を頭の中で反芻して数秒後、僕は少し声を上げた。知ってるも何も日本有数の財閥じゃないか。僕は思わず大蔵くんの顔を見直した。
そこへソムニが話しかけてくる。
”あー、大蔵兼実ね。西日本最大の大蔵財閥の次期当主じゃない。そりゃ誘拐したいヤツなんていくらでもいるでしょうね”
「確か西日本の財閥だったよね。なんで関東に行ったの?」
「地盤が西日本にあるだけで関連会社は東日本にも海外にもあるよ。そやから、関東に屋敷もあるんです」
説明されて僕も納得した。中小企業でも各地域に店舗を持つことなんて珍しくないんだから、大蔵財閥くらいになると当然だろう。随分と間抜けな質問をしちゃったな。
けど同時に僕は頭を抱えた。もしかしたら思った以上に大変な身分の人を送り届けることになったじゃないか。だからといって途中で放り出すことなんてしないけど。
ともかく早く屋敷に送り届けないといけない。息の乱れが収まった大蔵くんを促して僕達は再び歩き始めた。