夏休みに向けての底上げ
六月最後の土曜日、昼下がりに僕は第二公共職業安定所のトレーニングセンターにいた。本館の隣にあるこの施設はハンターの能力維持向上のためにある。
ジュニアハンターである僕も利用できるので、一階の受付で手続きを済ませると更衣室で学校指定のジャージに着替えて三階のレンタル道場へと向かった。
このレンタル道場というのは、格闘術や剣術などの訓練をするための場所を貸し出している。二階のトレーニングルームに比べて広く感じるのは、予約者に貸し出される場所が柔道や剣道の一面並に広いからだろう。
予約したのは二面が外壁で一面がエレベーターの壁という奥まった所だ。一人で黙々と練習している姿を見られるのはどうにも恥ずかしいからね。
白線内の中央に立った僕は頭の中でソムニに尋ねる。
”いきなりここより、二階のトレーニングルームで始めた方がいいんじゃないの?”
”ボクシングのスパーリングなんかを想像してるんでしょうけど、ああいうのとは違うからね? 射撃訓練のときにアタシのサポートで標的まで白い線が見えるでしょ。今回はあれを応用して練習するのよ”
”トレーニングマシンはいらないんだ”
”あった方が便利なこともあるけど、訓練内容を変える度にマシンを替えるのは面倒でしょ。しかも必ず使えるとは限らないし”
”人気のマシンもあるもんね”
そのときの流行や廃りもあって二階のトレーニングマシンの利用率には偏りがあった。早い者勝ちなんだから仕方がないとはいえ、そんな理由で訓練を中断させたくないらしい。
趣旨を理解したところで僕は早速訓練を始めた。
”ネットで公開されてる各格闘技流派の動画と人体に関する医学論文、それと優太の体の各種データから最適な動きを示してあげるからね”
”待って最後の僕のデータって何?”
”言葉そのままの意味よ。今は練習に集中する! それで、今からアンタにだけ見える透明なアンタ自身の立体映像を表示するから、それに合わせて動いて”
僕の質問をねじ伏せたソムニはそう言うと、足を開いて腰を下げ、両腕の脇を締めて拳を握った姿の僕を表示した。
不思議に思いつつも僕はその透明な自分の姿に本物の自分の体を重ねる。
”それでいいわよ! 今から連続して表示していくから、それに合わせて体を動かして”
やるべきことがわかった僕は、しばらくソムニが目の前に表示させる透明な自分の姿を追いかけた。
最初は拳を突き出し、足を蹴り出す基本的な動きからだ。けど、動きは次第に複雑になっていく。対応しきれずに動きがずれると何度も同じ動きをさせられた。
また、表示される速度が次第に速くなっていってやっぱり動きがずれてしまう。こっちは体を動かす限界になるとそれ以上は合わせられない。
どのくらい続けていたのかわからなかったけど気付いたら汗だくになっていた。当然息も上がっている。
「はぁはぁはぁ」
”筋トレの効果はあるけど、まだ体力不足ね。朝練の方も本格的に増やしましょうか”
「待って、はぁ、それは、はぁ、きつい」
とりあえず否定の言葉を口にするだけで僕は精一杯だった。頭の中で返答する余裕もない。
切実な僕の要求をさらりと流してソムニが声をかけてくる。
”しばらく休憩しましょうか。当面は格闘術をやって、その後に剣術かしら”
”その順番って意味あるの?”
”今程度の体力じゃ持った木刀がすっぽ抜けて危ないから、まずは体力の向上も兼ねてってのが理由ね。それに、素手で戦えるようになってからの方が戦い方の幅が広がるし”
”そうなんだ”
”アタシが教えるのは道場やスポーツとしての格闘じゃなくて、喧嘩や戦闘としての格闘を教えるから、ぼんやりと頭の中にあるイメージは捨てなさいよ”
”なんか暗殺とかできちゃいそうで怖いな”
”使い方によってはできるわよ。まぁでも、今の優太じゃお話にならないから、そんなこと気にしなくてもいいわ。まずは単純に強くなることだけ考えて”
ある程度息が整うとソムニが僕を立たせて訓練が始まった。呼吸が楽になっただけで疲労感はむしろ強くなったため、最初から透明な立体映像とずれが生じてしまう。
”なにやってんの! そんなことじゃ永遠に訓練が終わらないわよ!”
既に返事をする余裕がない僕は透明な立体映像に必死に食らいついていった。すぐに何も考えられなくなる。
こうして僕は週末土日の昼をずっと格闘術の訓練に費やした。そしてこの週末を機に期末試験までの生活サイクルが変化する。
平日の夕方までは今まで通り筋トレ、朝勉強、学校で、夕方は月水金が格闘術の訓練、火木は射撃の訓練になった。
週末は午前中が試験勉強で午後からは格闘術の訓練になっている。今までは依頼をこなしていたけど、ここで能力の底上げをしておくらしい。
でもこれだとミーニアさんと何もできないことに僕が気付くと、ソムニが首を横に振って説明してくれる。
”期末テストが終わってから本格的に活動するって伝えてあるから平気よ”
”そんなのいつ伝えたの?”
”ミーニアって精霊とある程度話もできるから、精神感応でちょいちょい話をしてるのよ。例の故郷に帰るときの方法の相談も乗ってるし”
訓練の合間の休憩で意外な事実を知って僕は驚いた。そういえば、ズィルバーさんのところで会って以来一度も連絡すらしてなかったけど、問題なかったのはソムニが連絡を取っていたからか。
連絡といえば、期末テストも近いある日、荒神さんにお願いして練習に付き合ってもらったことがある。
「へぇ、日頃の成果を試したいってわけか。いいね。面白そうじゃないか」
快く引き受けてもらえた僕はレンタル道場で荒神さんと対峙した。そして、お互いに構えるとすぐに始まる。もちろん僕は透明な立体映像を見ながらだ。
最初は僕の的確な動きに驚いていた荒神さんだったけど、途中から本気になったらしく動きが明らかに速くなる。透明な立体映像はそれでも問題なく表示されるんだけど、僕がその動きについていけなかった。
やがて防戦一方になって一気に崩れる。
「最初はいい動きをしてると思ってたが、なんか決め打ちして挑んできてるように見えたな。自分の思い通りにならないと途端に脆くなったように見えるぞ?」
今の僕は透明な立体映像を追いかけているだけだから、荒神さんの指摘はまったく正しかった。まだまだ先は長そうだ。
そうやって日々忙しく過ごしていると、あの一番来てほしくないビッグイベントがやって来た。期末テストだ。
でも中間テストのときとは違って今回は六月下旬から入念に準備をしていた。実際に計画を立てたのはソムニだけど、とりあえずそれは置いておこう。
この点数を下げると夏休みに大きな制限がかかるのは目に見えていたから、テスト直前はさすがに勉強時間を増やした。
今までになくテスト勉強をやったので前日まではある程度の自信があったけど、いざ当日となると急に不安になるのはなんだろうね。
どうでも良いことに首をかしげながらも恐怖の四日間は終わった。解放感に満たされる。けど、まだ終わりじゃない。
翌日の放課後、最後の授業が終わってから僕はパソウェアを使って試験結果一覧表を表示させた。これで今後三ヵ月の行動が決まる!
「よし!」
全科目の点数を確認した僕は喜びのあまり全身の力が抜けた。中間テストの時よりも平均で十点程度上がってる。六十~七十点も取れば親から文句を言われることはない。
椅子にもたれかかってぐったりとした僕は笑みを浮かべた。




