ソムニと佳織
ミーニアさんのおかげで魔方陣の動きは鈍くなったけど、僕が入ろうとすると電撃で阻止されてしまった。僕がハーミットを睨むも笑い返されるだけだ。
悔しさが言葉として漏れる。
「一体どうしたら」
”優太、魔方陣の外周にアンタが触れたときにわかったことがあるんだけど”
「なに?」
”さっき電撃を受けたでしょ。あのとき、アタシは何ともなかったの。あれが科学的な電撃ということなら、非物理的な存在のアタシは影響を受けないはずよ”
「確かにそうなるね。でも、僕は中には入れないままだよ」
”別に入らなくてもいいのよ。アタシさえ向こう側に行けたら”
ソムニが何かを提案しようとしているのはわかったけど、何を提案しようとしているのかはさっぱりわからなかった。
不思議そうに受け答えする僕を諭すようにソムニが話を続ける。
”ハーミットがしようとしていることを思い出してちょうだい。アイツは、今の体が力尽きようとしているから佳織の体に乗り換えようとしているのよね”
「そうだね。そこから不老不死になろうとしているみたいだけど」
”でね、アタシって佳織の魂と精霊が合わさったものじゃない。ハーミットとあの体を取り合いしたらどっちが勝つと思う?”
「そりゃぁ、あれ?」
”こういうのってね、結びつきの強い方が勝つのよ。今回の場合だと、産まれたときからずっと佳織の体と一緒だったこの魂ってわけ。いくらあの体が幽体離脱させやすい体だからって、この傾向は何も変わらないわ”
「つまり、ソムニさえ魔方陣の中に行けたら良いってわけ?」
”その通り! だからもう一回魔方陣の外周に触れて。そこからアタシが佳織の体まで行くから”
なるほど名案だと思った。魔法的な防御力が落ちた今だからこそできることだ。
でもそうなると、ソムニはどうなるんだろう。少し前の話では別にソムニが消えるわけじゃないって聞いたけど、本当にそうなんだろうか。
不安に駆られた僕は痛む体を立たせながら尋ねてみる。
「佳織の体に入った後だけど、ソムニが消えてなくなることはないんだよね?」
”精霊も一緒に入るから消えることはないわよ。ただ、性格とかがどうなるかはやってみないとわからないけど”
「結局回答は同じじゃないか」
”そりゃそうよ。今までやったことなんてないんだもん。それに、例えアタシが消えたとしても、佳織の体がハーミットに乗っ取られるよりかはマシでしょ。選択肢なんて最初からないの”
呆れたかのような口調でソムニに返答された。事ここに至っては仕方ないのは理解している。でも、やっぱり言いたくなるんだよ。
大きく息を吐き出した僕は再び魔方陣の外周に近づく。ふとミーニアさんへと顔を向けると、無言で僕に目を向けていた。
一方、そんな僕の様子を見ていたハーミットは咳き込みながら笑う。
「ははは、ゴホッ。まだ諦めがつかんか。何度やっても、ゴホッ、同じじゃぞ」
「それはどうかな?」
「往生際の悪いやつ、め?」
ハーミットの馬鹿にしきった視線を受けながら、僕は天井まで届く淡い光に触れた。その瞬間、指先がしびれる。これで指先だけは魔方陣の中だ。
そして、僕の指先から半透明な裸の妖精が現れる。
「優太、ミーニア、それじゃちょっと行ってくるわねー!」
「うん」
うなずく僕とミーニアさんを見たソムニは振り返った。その視線の先には佳織の体が魔方陣の中央で横たわっている。
更にその奥で膝をついているハーミットが半透明な妖精を目にして口を大きく開けていた。更に全身が震えている。
「なんじゃお前は? 今どこから現れた?」
「ふふん、優太の中からよ! アンタの野望もここまでね!」
「何を抜かすかと思えば! 貴様のような召喚精霊ごとき、今すぐ精霊界に還してやるわい!」
「アタシと優太の契約を破棄しようってわけ? 無理よー、そんなのないから」
「なんじゃと? では貴様、どうやってこの世界におるんじゃ?」
「さーてね。それより、ちょっとそこの体に用があるからまた後でね!」
「貴様、一体何をする!」
「もちろん、自分の体を返してもらうに決まってるじゃない。分離して以来だからホント久しぶりねー」
「まさかお前、この被験者の魂と融合した精霊なのか!?」
「あたりー! さてここで問題。アタシとアンタ、この体を取り合ったらどちらが勝つでしょう?」
目を見開いて呆然とソムニを眺めるハーミットの顔から表情が抜け落ちた。僕にはどういうことなのかわからないけど、何となく深刻な状態なんだと察する。
佳織の体の真上までやって来たソムニがその身を体へと近づけて行く。
「魔方陣の動作も大詰めね。いやー間に合って良かったわー」
「ま、待て待て待て待て待て待て待て待て、ゴホッゲホッ!」
体に同化しようとするソムニを止めようとハーミットが手を伸ばした。けど、非物理的な存在を掴めるはずもなくすべて空を切り、あげく途中で咳き込んでうずくまる。
魔方陣の外周から手を離していた僕はその様子をじっと見ていた。すると、再び天井まで届く淡い光が強く輝くのを目の当たりにする。
「あとはソムニ次第ですね。あの様子ですと、問題ないかと」
「ミーニアさん」
かけられた声をたどって横に振り向くと、かざしていた両手を下げたミーニアさんがこちらを見ていた。魔方陣の光が強くなったのはミーニアさんが妨害をやめたかららしい。
魔方陣が一際輝くとハーミットの体から半透明な何かが湧き上がってくる。よく見ると裸のハーミットだった。若返った姿とかじゃなくて、肉体と同じ老人のままだ。
その半透明のハーミットが佳織の体に近づいて入り込もうとするがうまくいかない。何度繰り返しても同じだ。
そのうち魔方陣の輝きが失われていく。それに合わせてハーミットの姿も薄くなっていった。
最初は何も聞こえないと思っていたけど、耳を澄ますと何かが聞こえる。
「あああ、ワシの、ワシの体。返せ、返してくれ」
同じ言葉を延々と繰り返しながら、ハーミットの霊体は最後まで佳織の体に入ろうとすることを諦めなかった。
けど、それも魔方陣の起動が完全に止まるまでの間だ。最後の輝きが失われると、ハーミットの霊体も完全に消えた。
魔方陣の中央に残ったのは、佳織の体とハーミットの骸のみ。他には何も見当たらない。
「ミーニアさん、これもう中に入っても大丈夫なんですか?」
「魔方陣は完全に止まりましたし、術者のハーミットも死にましたから大丈夫でしょう」
専門家の許可が下りたので僕は魔方陣へと踏み込んだ。電撃の記憶が新しいから第一歩は緊張したけど、何も起きないことがわかるとそのまま中央へと進む。
魔方陣の真ん中に横たわっている佳織はまるで眠っているようだった。白い貫頭衣のような服が少し赤黒く汚れているけど、これはハーミットの血だろう。
佳織の体をここから動かすべきかどうか僕は迷った。さっきまで苦しめられた魔方陣の中から早く出してやりたいという思いが強い。
「優太、佳織が起きるまで待ちましょう」
けれど、その考えはミーニアさんに却下された。怪我人もやたらと動かすのは良くないって言うし、我慢するべきなんだろう。
床に膝をついて佳織の体を見ると胸がかすかに動いていた。生きていることを確認できて僕は全身の力が抜けていくのを感じる。
後は目覚めるのを待つだけ。意識を取り戻してくれたら目的が果たせる。果たして、今の佳織はどんな状態なんだろうか。
期待と不安がない交ぜになったまま、僕は佳織が目覚めるのを待ち続けた。