魔方陣の壁
今まで黙っていたミーニアさんが僕の隣に立って口を開いた。これにはハーミットも眉を歪めて目を向ける。
「無理に無理を重ねても必ずどこかで破綻します。だからこそ、今まで望むような形で不老不死を得た者がいなかったのでしょう?」
「女、いや、ミーニアだったか? そなたが何を知っておるのだ?」
それまで歪ながらも余裕の表情を浮かべていたハーミットの顔が真顔になった。何が魔法使いの大切な領域に触れたのか僕にはわからない。
ミーニアさんは話し続ける。
「単純に不老不死になりたいというのであれば、幽霊が一番手っ取り早いでしょう。この世に未練を残したり何らかの形で縛られた状態で霊体になるのです」
「確かに。しかし、その方法には大きな問題がある。常にこの世から消えてしまう可能性に怯えねばならんし、何より物理的な干渉ができん。考察するだけならともかく、実験ができんのは困る」
「でしたら、人の魂と精霊を融合させるという純化計画も似たようなものでしょう。常にこの世から消えようとしますし、物理的な干渉もできないではないですか」
「だからこそ、こちらの世界の科学に頼ったんじゃ。科学では雷の力、電気を使って道具を動かしておるじゃろう。あの力を使えば物理的な干渉ができるんじゃ」
「コンピューターという道具ですね。しかし、魂と精霊を融合させるときに記憶が抜け落ちる問題やこの世に留まる方法はどうなのですか?」
「それは今後の研究課題じゃな。いや待て、そなた妙に詳しいの。どこでそのことを知った?」
「純化計画は大厄災によって中断されたので、機密保持が不完全になっていましたから。それに、長命者としてあなたのような人間はたくさんみてきました」
「エルフ!」
それまでとは打って変わって、ハーミットは目を見開いてミーニアさんを睨みつけた。
怒りをぶつけられたミーニアさんは涼しい顔のまま話す。
「最初にも言いましたが、短命の定めにある人間が長命を望んでも、その結果は歪なものにしかなりません。必ず何かが欠落し、うまくいかないものです」
「黙れ! ただ単に長々と生きているだけの貴様らに、探求を続けるワシらの何がわかる! ワシは、自分のこの目で結果を見届けたいのじゃ!」
「今話をしているのは不老不死になるという技術論でしょう。そこへ感情論を持ち出されても、確かにわたくしはあなたの気持ちなどわかりません」
「これじゃから貴様らエルフは!」
肩を怒らせてハーミットは激高した。余程エルフに恨みがあるらしい。いや、話からすると羨ましいんだろうな。
けど、どんなに言い争っても根本的な問題は何も解決していない。魔方陣の中には入れないし、佳織は助けられないままなんだ。
どうしたものかと考えていると、突然ハーミットが口元を押さえた。そして猛烈に咳き込む。
「ゴホッ、ゴホッゴホッゲホッ!」
驚いてその様子を見守っている僕とミーニアさんの前で、口元を押さえたハーミットの手の間から赤黒い液体が漏れて魔方陣に滴った。少しして、それが血であることに僕達は気付く。
苦しそうに咳を繰り返していたハーミットが片膝を着いた。やがて咳が治まると両肩で荒い息を繰り返す。
「はぁはぁ。いかん、もう時間がないわい」
「あなた、もう体が」
「そうじゃよ、エルフ。この体はもう限界じゃ。今すぐにでもよそに移らねば死んでしまう。くくく、しかしぎりぎり間に合いそうじゃ。ほれ、もう少しで準備が整う」
ハーミットが落ち着くのに比例して魔方陣の輝きが増してきた。それがどういう仕組みなのかは僕にはわからないけど、佳織の体が乗っ取られてしまうことだけは理解できる。
でも、魔方陣の中に僕は入れない。止めたくても止められないんだ。悔しくて歯ぎしりする。
「くそっ、どうやったら止められるんだ」
「優太、今のわたくしは体に魔法の道具である装飾品を身に付けています。これは本来わたくしが元の世界へ帰還するためのものですが、非常に多くの魔力を制御できるようになっています」
「前に教えてくれたやつですよね。覚えていますけど」
「あの魔方陣は間違いなく魔力を使っていますが、その使用量は帰還時に想定している量よりも遥かに少ないです。ですので、今からわたくしがあの魔方陣の魔力の流れを乱します。これであの魔方陣の動きを緩めることができるでしょう」
「そうしたら中に入れるんですか?」
「わかりません。ただ、入れる可能性は高まるでしょう」
”それしかなさそうね。完全に止められるわけじゃないから、ある程度は痛みを伴うかもしれないけど”
今まで黙っていたソムニも口を挟んできた。
手段がそれしかないというのなら僕に否はない。ミーニアさんに向かってうなずいた。
魔方陣へと更に近づいたミーニアさんは両手を魔方陣に向けて目を閉じる。そして、何かをつぶやき始めた。口元以外は彫像のように動かない。
しばらくして、森の涙に始まって、髪飾り、耳飾り、二の腕輪、腕輪、指輪、足飾りが淡く輝き始めた。
その様子を見ていたハーミットが目を見開く。
「ははは! 魔方陣に直接干渉しようというのか!? 膨大な魔力に弾き飛ばされてしまうぞ!」
魔方陣に自信があるらしいハーミットはミーニアさんを見て笑った。
信じるしかない僕も不安げにその後ろ姿を見守る。
すると、魔方陣を包む天井まで届く淡い光に変化が現れた。その輝きが次第に弱まってきたんだ。
これにはハーミットも愕然とした表情を浮かべる。
「ばかな! こんな簡単に干渉できるとは! 貴様、一体何をした!? いくらエルフといえども、たった一人でこんなことが!」
”優太、行きましょ”
叫ぶハーミットを尻目に僕は魔方陣へと近づいた。ついさっきまでと比べてその輝きは薄い。触れるとどうなるかわからない怖さはあるけど、佳織を助けたい一心で魔方陣の外周へと触れる。
触れた瞬間、指先にしびれが起きた。けど、それだけだ。消し炭になるくらいの威力が痺れる程度にまで抑えられているんなら、後は耐えるだけで良い。
自信を深めた僕は更に前に進んだ。そして胴体が外壁に達したとき、突然強烈な痛い身が襲ってくる。
「がっ!?」
”危ない!”
紫電が発生する魔方陣の外周で立ち止まった僕は強烈な電撃を喰らった。ソムニが体を操作して退いてくれなかったらそのまま死んでいたかもしれない。
何が起きたのかわからないまま尻餅をついた僕をハーミットが笑う。
「愚か者が! 確かにエルフのせいで魔方陣の動きは鈍ったが、この程度で守りが破れると思うな! この魔方陣は魔法と科学を合わせて練り上げたものじゃ。そう易々と突破などできんわ!」
「なん、だって?」
「魔法での攻撃こそできんようになったが、電気というものを使って雷撃はできる。貴様は今それを喰らったんじゃ」
「くそっ」
「ははは! ワシはこの魔方陣の設計者じゃぞ。そこのエルフに干渉されておるとはいえ、自在に操れるのは当然じゃろうて」
顔をゆがめる僕にハーミットが楽しそうに説明してくれた。魔方陣だから魔法だけだと思っていたら、まさか科学も取り入れているなんて。
「くくく、どうやら万策尽きたようじゃな。惜しかったのう。あとはこの中に入るだけじゃったというのに」
挑発だとわかっていても僕はハーミットの顔を睨んだ。そんなことをしても相手は喜ぶだけだとわかっている。けれど、今できることはこれしかない。
やっと会えた佳織が目の前にいるのに何もできない。僕は悔しくて仕方がなかった。