魔窟内への進入
仕事の当日、僕は自動車で現地へと向かった。谷沿いに走って平地に出て、関東海の北西部沿岸を通り抜け、また山の中へと入る。
指定された場所は山に囲まれた湖の畔だった。それほど大きな湖じゃないけれど、谷間に流れてきた水が溜まったのか随分と細長い。その北東の沿岸に自動車を停める。
「うう、寒いなぁ」
”厚着してるのにまだ足りないの?”
「体の方はともかく、手足の先が冷えるんだ。靴下を二枚履いているけど足りないのかぁ」
自動車から降りた僕は両手をこすった。駐車場として指定された場所には既に何台もの自動車が止まっているけど、往来する人達はあまり寒そうにはしていない。
パソウェアの通話機能を立ち上げると僕はミーニアさんにかけてみた。今回は現地集合なのでどこにいるのかわからい。
コール二回目でミーニアさんが出てくれる。
「おはようございます。大心地です。今どこにいるんですか?」
『本部の前です。荒神も既に来ていますよ』
「わかりました。十分ほどで準備をしますから、その後で合流します」
『承知しました。荒神にも伝えておきます』
話し終えると僕は自動車の後部扉を開けて準備に取りかかった。最初に強化外骨格とボディアーマーを装備して次いでヘルメットを被る。その後に各種武器を取り付けた。
準備できると僕はすぐに本部へと向かう。駐車場から本部へはすぐだった。
本部は大きな迷彩入りテントで設えられていて、人の出入りが多い。その周囲には出発を待っているらしいハンターの集団が何組か屯していた。
その間を縫ってミーニアさんと荒神さんに近づく。
「おはようございます」
「おはよう。もうすぐ集合がかかりますから、ここで待ちましょう」
「今日は冷えるから、日の当たる場所の方がいいもんな。大心地もこっちに立っとけよ」
寒そうにしている荒神さんに親近感を持ちつつ、僕も朝日の見える場所に立った。夏場は突き刺すような暑さになる日差しも今は柔らかく暖かい。
やがて本部責任者が現れると同時に、パソウェアのメッセージ機能で注目するよう求められた。そして、改めて諸注意を伝えられる。この辺りはみんな知っているから質問もなかった。
次いで各自のパソウェアの通話機能を通して藤原さんが音声のみで話しかけてくる。
『皆さん、おはようございます。本社執行役員付秘書の藤原です。今回の事業の補佐役としてご挨拶いたしたく思います』
挨拶から始まって藤原さんの訓示みたいな話が始まった。後から荒神さんに聞いたところ、企業による発掘ではこういった朝礼は珍しくないらしい。
内容を要約すると、魔窟内の魔物をしっかりと駆除してほしいということだった。こうしてまとめると何てことはない内容だな。
その藤原さんの話が終わるといよいよ魔物駆除に取りかかる。魔窟の出入り口は今回二箇所で、その両側からチーム単位で入っていく予定だ。
順番待ちの間、荒神さんが独りごちる。
「奥行きがないとはいえ、出入り口が複数あるのは嫌な感じだな」
「でもそんなに広くないんだったら、しらみ潰しにできるんじゃないですか?」
「二箇所あるってことは、最初からそれだけ戦力が分散することになるからな。あんまり気持ちのいい話じゃないだろ」
「チーム数は足りているんですよね?」
「理論上はな。実際はどうなのか知らん」
半ば投げ槍に荒神さんは僕に答えた。情報を多く持っている責任者ではないんだからその返答は正しいんだけど、少し不安になる言い方だなぁ。
魔窟への突入は一チーム十分間隔だ。分岐点に差しかかったら右から順番に進んでいく。更に、自分達が進む通路の床に青いスプレーで大きな矢印を描くことになっていた。それを見て次のチームは矢印のない通路を進む。これの繰り返しだ。
尚、魔窟内は電波の状況が悪いので本部や他のチームとは通信できない。これは不安要素と言えばそうだけど、大体魔窟に入るときはいつものことだから誰も気にしていない。
僕らの番になった。本部から近い出入り口から入る。通路は縦横五メートルくらいかな。最初は一列縦隊で、先頭から荒神さん、ミーニアさん、僕の順番だ。
出入り口近辺からして壁や床がわずかに光っているのを見ると、やっぱり吹き出す魔力が多いんだなと思う。初めて入った魔窟なんて洞窟そのものだったもんなぁ。
「先行チームが進んだ場所まではさっさと進もうぜ。安全だからな」
荒神さんの言葉に僕とミーニアさんはうなずいた。そして歩くペースを速める。
もう何度も魔窟に入っているのと何組ものチームと一緒に攻略しているということもあって、僕は緊張からほど遠かった。
侵入して三十分になるけど未だ魔物の死体しか見かけていない。もしかしたらあまり分岐していなくて、このまま最奥部へ到着するのではと思えてくる。
最初の分岐に差しかかった。矢印は右側の床に二つ、左側に一つある。
「これって左側に進むんですよね」
「そうだな。二人とも、バンドの色はどうなってる?」
「僕は青色です」
「わずかに変色していますが、わたくしのも青色です。ただ、わたくしの場合は赤色になっても平気ですのでお気になさらず」
「羨ましいことだな。大心地、一応ミーニアの魔法で魔力の影響は小さくなってるが油断するなよ」
「はい」
”ふふん、アタシがいるんだから絶対何も起きないもんねー!”
わざわざソムニが声をかけてきた。事情を話すわけにはいかないから僕は苦笑いするだけだ。
話が終わると荒神さんが腰から取りだしたスプレー缶で床に矢印を描く。これで左側も矢印が二つになった。
また荒神さんを先頭に歩き始める。通路は元が地中の亀裂なので縦横に波打ちながら奥へと続いていた。歩きにくいが、言ってしまえばそれだけだ。
速度優先で進んでいると前方からかすかに銃声が聞こえた。
僕は思わずソムニに尋ねる。
”ソムニ、魔物が前にいるの?”
”もう気配は消えたけどね。たぶん前にいるハンターが仕留めたんじゃないかしら”
のんきな返事が返ってきた。
一方、荒神さんは緊張感を漂わせて僕とミーニアさんに声をかけてくる。
「そろそろ危険が近いらしいな。とりあえず前に進もう」
更に二分ほど進むと、通路の分岐点の手前に魔物の死体があった。上位豚鬼三匹だ。
前方を見ると右の分岐路の床に矢印が描かれていて、ちょうど人影が通路の陰に隠れたところだった。
何の気なしに僕はつぶやく。
「行っちゃいましたね」
「楽勝で倒せたんだろうな。結構なことじゃないか。で、分岐路は二つなんだが、左側には矢印がねぇな。俺達が最初ってわけだ」
「いよいよですね」
「おう、こっからが本番ってわけだ。大心地、これからは俺右隣を進め。ミーニアは後方な」
「うわぁ、久しぶりだなぁ」
「そうなのか?」
「なんだかんだで夏休みの八王子以来、魔窟に入ってなかったんですよ」
「それを言ったら俺も今回が久しぶりなんだけどな。けど、感覚は覚えてるんだろ?」
「はい、そこは大丈夫です」
”アタシもいるしねー! 心配しなくてもいいわよー!”
やたらと明るい調子でソムニが僕の頭の中で主張してきた。だからこそこうやって安心していられるんだけどね。
僕と荒神さんの様子を見ていたミーニアさんが声をかけてくる。
「それでは行きましょうか」
二人揃ってうなずいた僕と荒神さんは前を向いた。ここからは未知の領域だ。
腰から取りだしたスプレー缶で荒神さんが床に青い矢印を描く。
それが終わると僕達三人は再び通路を奥に向かって歩き始めた。