3-1.あるはずのないもの
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翌朝、キッチンの物音で目が覚めた。それとやかましいしゃべり声。
どうやら女子たちが、早く起きだして朝食をつくってくれているらしい。
リビングを抜けて自分の部屋に行き、床で寝たせいで痛む背中をさすりながら窓をあけて室内の空気を入れ替えていると、
「あ、そういえば……」
重大なことに気がついた。
おれはまだ、自分の部屋にいったいなにが置いてあるのか、よく知らない。
引きだしやクローゼット、ベッドの下から天井裏まで。
なにがあるのか一通り調べておくことは、記憶の手がかりを得るためにも、無駄にはならないだろうと思う。たとえば、昔の写真のアルバムなんかはヒントになりそうだ。
そこでさっそく、いろいろな収納スペースをひっくり返しはじめた。
得体のしれないお札とか、お守りとか、オカルト的なものが出てきたら嫌だなあと思ったけど、それもこの【緑の里】に暮らす人間にとってはふつうのことかもしれないから、その可能性は全然ありえる。
ちょっと身構えながら、興味半分、恐怖半分で細かい品々を点検していく。
電源コード。ゲーム機。ノート類。昔の教科書。普段着やシャツ、パンツ……。
特に変わったものは出てこない。
クローゼットを漁っていると、服の積まれた山に埋もれて、木製のタンスがあるのを発見した。
露骨に怪しい。
多少乱暴に服を除けて、その引きだしをあけてみる。
まず、整然と並べられたモーツァルトのディスクのコレクションが出てきた。
おれはモーツァルトが趣味だったのか。知らなかった。
そのうちの一枚を手にとる。『後宮からの逃走』。オペラだ。
もう一枚、もう一枚とディスクを取りだしているうちに、引きだしの底になにかカラフルな厚紙みたいなものが敷いてあるのが目についた。
それは預金通帳だった。
どうして預金通帳がこんなところに。盗難対策? うーん。怪しさは満点だ。
中身を見てみると、かなり興味深いことが判明した。
まずおれは、少なくない額の貯金をもっている。
これだけあれば、高校の三年間は生活するのに困らなくて済むだろう。
それと、定期的な振りこみがある。おれの口座に金を振りこんでいるのは――企業。
どこかの会社が金をくれている。バイトすらしていない、労働とは無縁のおれに。
「……わからんなあ」
謎だ。
でも、なにかの手がかりにはなりそうだ。
たとえば、おれの両親が会社の経営者とか? これは仕送り?
たぶん、その線が一番妥当だろうと思う。
もっとも、暗証番号を忘れているから、貯金は下ろせないんだよな。
スマホのロックみたいに、いざとなれば当てずっぽうで試すしかない。
とりあえず通帳を机に放り、次の引きだしを調べてみることにする。
今度はモーツァルト・コレクションではなくて、大量の文庫本が収納してあった。
そのうちの一冊を手にとる。海外文学だ。漫画とか軽い読み物よりも、こういう本格的なのがおれは好みらしい。
こちらの引きだしには、本の底になにか隠してあるわけじゃなさそうだった。
けれど、おれはそれらの文庫本から、「匂い」を感じとっていた。
「鉄臭い……?」
そう、鉄っぽい、金属の匂いだ。匂いが紙に染みついている。
ただならぬ予感を胸に抱いて、おれは本をどんどん取りだしては積んでいく。
「匂いの元は……これか」
引きだしの最奥部から出現したのは。
拳銃だった。
おれはエプロン姿の羽穏を呼びだして、訊いてみた。
「羽穏、【緑の里】の法律だと、拳銃の所持って合法なの?」
「? 鷺宮くん、どうしてそんなこと訊くの?」
「いや、ほら、悪霊を倒すのにテッポーのひとつくらいはもっててもいいかなって」
「うーん。でも、違法だよ?」
やはり違法、なのか。
おれの背筋に寒気が走る。
羽穏はおれが戦慄しているのにも気づかず、続ける。
「それに、悪霊とかって、神器じゃないと倒せないからね。ああいうのは」
「……そうなんだ」
「うん。物理的な破壊を与えても意味ないの。復活しちゃうから」
「わかった。そうなんだな。ありがとう」
「じゃあ、もうすぐ朝ごはんできるから、もうちょっとだけ待っててねっ」
「了解――」
おれは食卓について、できあがった朝食を眺める。
目玉焼き、卵焼き、スクランブルエッグ……。
「って、ぜんぶ卵?」
「あのね、騎佳くん。だれの卵料理の腕が一番冴えているか、判定してもらいたいの」
りむねが言った。心もち、誇らしげな口調だ。
「もちろん、りむねが一番に決まってるけど。よくお料理つくってあげてるもんね?」
「目玉焼きにはその女の血液が入ってるから食べちゃダメ!」
羽穏が悲痛な叫びをあげる。血液……?
「入ってないよ! 入れようとは思ったけど! 思っただけ!」
――思ったんか!
「鷺宮くんはもちろんわたしの卵焼き『だけ』食べてくれるよね? ね?」
「騎佳さん、わたしのスクランブルエッグしか食べてはいけません。他のはマズイです」
羽穏も唯香もぐいぐいおれに迫ってくる。
自分のつくった料理「以外」のものを口にしたら絶対に容赦しない、なにをするかわからないぞ、という気迫が伝わってくる。どうしたらいいんだ。
「騎佳くん、汗かいてる」
おれが冷や汗をかいていると、りむねがハンカチで汗を拭ってくれた。
そしてそのハンカチに、あろうことか、自分の顔を押しつけて、
「き、騎佳くんの匂い……!」
匂いをかいでいる。なんでそんなことするの――。
「う、羨ましい……」
「ず、ずるいです……」
キミたちのその感想もおかしいよ――。
……このままでは埒が明かないので、おれは神速の箸さばきを発揮、三種の卵料理をひとつの皿で融合させ、一気に口に運んだ。卵の味がしてとてもおいしい。
「「「あーっ!」」」
三人は悲鳴をあげた。
……あえて、拳銃のことは、あまり考えないようにした。