2-1.神々の領域
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翌朝、りむねがまたおれのところへ来て、朝食をつくってくれた。付き合っているわけでもないのに、こちらが申し訳なくなってくるくらい献身的だ。
ふたりで朝食を摂っていると、どんな話の展開だったのかは覚えていないけれども、りむねはいきなり不機嫌になった。
「知ってるよ。きのう、羽穏ちゃんと【臨界】に行ってたよね? なにしてたの?」
昼休みの出来事は、バッチリりむねにバレていたらしい。
「あれは、【臨界】じゃなくて【廃絶】っていうらしいよ」
「そんなことはどうでもいいの! 羽穏ちゃんとなにしてたの!」
「……ちょっと雑談をしてた」
りむねの迫力に気圧されて、おれは答えをにごす。
「どうして?」
「どうしてって。おれと羽穏は恋人同士らしいから。ふたりきりで雑談くらいするよ」
「恋人? ……ねえ、騎佳くんなに言ってるの?」
どうやら地雷を踏んだらしい。
「また羽穏ちゃんに変なこと吹きこまれたんでしょう」
「いや……うん……よくわからない、おれも正直」
「空気に流されやすすぎ! 恋人だっていうのなら、その証拠を見せてよ」
「証拠……」
「どこで告白したの? されたの? いつから? どんな風に?」
もちろん、答えられない。
「はあ……」
りむねはため息をひとつついた。
どうも、本気であきれているようだ。
「あのさあ……あの嘘つきのことは信用しちゃダメだって、何回言ったらわかるの?」
「ごめん」
「怒るよ?」
もうとっくに怒っているみたいだけど。
「騎佳くんが流されやすいのは知っているけど……無防備すぎるよ、ばか」
最後はしんみりとした口調になって、りむねはそう言った。
休み時間。
春風唯香がおれの席にやってきて、
「昨日、鈴響羽穏と【銀丘】へ行っていましたね?」
またその話か……。
――【銀丘】?
「【銀丘】ってのは、あの音のない空間のこと?」
「ええ」
こくり、とちいさくうなずく唯香。
「わたしたち【銀騎紅弾教】の神々の導きを受ける者は、かの空間のことを【銀丘】と呼んでいます。ほかの人はいろいろな呼び名をもっているようですが」
「へ、へえ……」
【銀騎紅弾教】。また知らない単語だ。
りむねの言っていた【血碧限界教】や【英霊十二教】の仲間だろうか。たぶんそうなんだろう。理解はできないが、なんとなく単語が意味するものの推測はできる。
「あの女のことは」
と、ちいさな、しかし、よく響くシャープな声で唯香は語った。
「信じないでください。嘘しかつかない女です。もしアドバイスが要るなら、わたしの言葉だけを信じるようにしてください」
その視線は射るようにまっすぐ。おれのことを見つめている。
そう言われても。
おれはだいぶ、いろいろなことに懐疑的になってきた。
りむねも、羽穏も、唯香も、悪い人間じゃなさそうだけれど、その言葉を鵜呑みにすると、なんだか厄介な過ちが生じることになりそうだ。
「それだけです。では」
唯香は自分の席に戻っていった。
唯香が去ったあと。
「なあ、一輝。ちょっと話がある」
おれはおれの(鷺宮騎佳の)唯一の男友達であるらしい、阿羅風一輝に話しかけた。
女子たちの話が突拍子もないので、今度は男子を試してみようという趣向だ。
「なにかお困りですか?」
美形の一輝は、白い歯を輝かせながら、ニッと笑う。
「転校してきた者同士、助け合いましょう。困ったら遠慮なく頼ってください」
話を聞くかぎり、おれは【青の国】なる土地からの転校生らしい。そして、一輝も同じく転校生……なのか? もしそうなら、いろいろと都合がいいんだけど。
ズバリ、ストレートでそれを訊くわけにはいかないので、とりあえず話を続ける。
「あの……聞き覚えなかったらそれでいいんだけど。【銀騎紅弾教】って単語に心当たりはないか?」
「? 変なことを訊きますね。まだお疲れモードは継続中ですか?」
「ん、ああ。そういうことにしておいてくれると、助かるよ」
なにがおかしいのか、一輝は腹を抱えて笑った。
「じゃあお答えします。僕に神器の力を与えている神々こそ、まさしくその【銀騎紅弾教】が教える神々ではないですか。鷺宮くんは、それをとっくに知っていたはずですが」
「そ、そうか……ちょっとド忘れしてたから、確認したかったんだ。ありがとう」
「ド忘れっていうか、それ、記憶喪失のレベルですよね?」
核心を突かれる。
そこで、またあの鋭い頭痛がおれを襲ってきた。
(記憶を失っているという事実は、あくまで隠し通さなければいけない)
そんな使命感が、脳の中で痛みとともにスパークする。
「いや、なんだ、忘れてくれ」
「疲れてますね。ちゃんと休んでください。寝られてますか、最近?」
「実は徹夜でゲームしてるから、寝てないんだ。そのせいでさ、頭がぼーっとしてる」
「ほどほどにしてくださいよ」
苦笑する一輝。
なんとかごまかすことができた。
それにしても――。
ダメ、だった。
唯一の男友達、一輝も【緑の里】の奇妙な風習にどっぷり浸かった人間だった。
ちゃんとその、神々とやらがなんなのか、理解している様子だ。
転校生らしいから、もしかしたらこの違和感、とまどいに共感してもらえるかと思ったけど、そういうわけにはいかなかった。ちょっとガッカリ。