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1-3.偽りの故郷

 放課後。

 ひとりでゆっくりと考える時間をもちたいと思ったので、おれは即刻教室を飛びだし、どこか静かな場所を見つけようと思って外に出た。

 ラッキーなことに、すぐ近所に人の気配のない神社を発見することができた。

 社殿の、せり出した屋根の下に座り、一息ついてから思考を回転させる。

 記憶をなくした記念すべき(?)初日が終わろうとしているわけだけれども。

 ――状況はそんなに変わらない。

 おれは記憶を失ったまま。なにも思い出せない。

 そしてますます強まっていく、この土地に対する違和感。

 この辺りはどこか変わっている。

 この神社もそうだが、妙に、神々にかかわる事物が多い。

 ここに長く暮らしているなら、そんなことにも慣れてしまいそうなものだけれど、おれは確かに疎外感を覚えている。

 おれはこの土地の人間ではないのかもしれない。


「……ん?」


 ふと、パタパタとなにかが風にはためく物音が気になった。

 なにげなく地べたに置かれている、帽子ほどの大きさの丸い石に、怪しいお札が貼りつけられている。それが風によって剥がれかけ、はためいているのだ。

 気になる。音がうるさいし。


「おれは神とか幽霊とか、信じないタイプだからな……」


 おれはお札を剥がして、捨てた。

 ふたたび腰を下ろし、思考にふけっていたのだけれども――。

 しばらくしてあることに気づいた。


「――」


 辺りから物音が消えている。

 もの静かな場所を選んだとはいえ、野生のセミたちは、そこここでやかましく歌っていたはずだ。しかし、いまセミの声はいっさい止んでいる。変だ。明らかに異常。

 耳がおかしくなったのかと思って手を叩いてみたら、ちゃんとその音は聞こえた。

 おかしくなったのは耳じゃなかった。

 さらに、信じられないようなことが起こった。

 大地から黒い塊が湧いてきて、それらがムカデやミミズなどの形に変化したのだ。

 黒い蟲たちはその場でひとしきりのたうち回ってから、


「――!」


 おれに気づいた様子。たちまち、こちらに襲いかかってきた。

 なんだこれ。祟り? お札を捨てたから? 神の祟りなのか?

 この科学万能の現代にそんなこと、あるわけない。バカにしちゃいけない。記憶がないおれでも、幽霊や悪霊が実在しないことくらい、知ってる。

 でも、目の前に迫る脅威は、まぎれもない現実だった。

 食われる。

 わけもわからず、混乱したままおれは目を閉じた。

 そのとき。


「神器――【血碧戦陣(バール・クシフォス】!」


 ――聞こえてきたのは、少女の叫び声。

 目をひらく。

 信じられない光景が展開された。


 りむねが、いた。

 どこから、どうやってか――りむねがここへ現れて、とてもその体格からは想像できないようなすばしこさを発揮し、縦横無尽に境内を駆け回った。

 りむねは変な呪文みたいなものを唱えながら、碧く淡く発光する剣やら斧やら――物騒な武器をいくつも、なにもない空間から取り出して、巧みに扱っている。

 夢……?

 いや、現実だ。

 三十秒ののち。

 ついに、おれに襲いかかってきた蟲たちは、りむねによって撃退された。

 映画?

 違う。現実だ。

 驚きのせいで、いまだに呼吸が荒い。わけがわからない。そりゃ呼吸も荒くなる。


「一緒に帰ろうと思って追ってきたんだけど……なんだって騎佳くん、悪霊のこんな低級な【臨界】に迷いこんでいるの?」


 ひと通りの戦闘を終えたりむねは、こちらに手を差しのべて、そんなことを言った。

 おれはいままで自分が「記憶を失った」と思っていた。けれどホントはそうじゃなくて。

 じつは世界が「常識」を失ったのじゃないかな。あと、【臨界】ってなんだ。


「……あー。そこの石。お札を剥がしたの? ダメだよ。常識でしょ?」


 りむねはおれを叱る。常識でしょ、と言われても、困る。


「まあ、しょうがないか。騎佳くん、【緑の里】から離れてた期間、長かったもんね。多少のことは、忘れちゃうよね」


 そうなんだよ。

 お札を剥がしたら、黒い蟲が襲ってくるなんて非常識、まったく覚えていないんだ。


「いま出現したのはね、悪霊。ざっくり言うとね……」


 りむねの説明によると。

 黒い蟲――「悪霊」は、不幸の源。

 これらを定期的に潰すことが【緑の里】(この土地のことを【緑の里】というらしかった)に暮らす人々のちょっとした使命なのだという。

 またそのためには、正しい神々の導きをうけ、「力」を獲得しなければならない。

 りむねを導いているのは【血碧限界バール教】の神話に語られる主宰神、その名を【限界神バール】という――。


 ……いきなり話が意味不明になったってことは、おれもよく自覚している。

 ……続けよう。


 ――【血碧限界バール教】の教えでは、りむねをはじめとする信徒は【限界】と呼ばれる「この世の果て」にいくためにいろんな戒律を守って生活しなければならない。戒律を守ると、本来赤い人間の血液は(血液の赤は不浄の色とされる)碧くきれいな色に変化し、けがれが祓われ、神によって【限界】へ招待してもらえるのだ。


「正直、わけがわからない」


 というのが、やっぱり素直な感想だった。


「いまさら、なに言ってるの? だって昔から、りむねたちはこうして暮らしてきたよ」

「…………………………ん、ああ、そうだったな。ちょっとショックで混乱してた」


 りむねは【血碧の贄】と呼ばれる、高位の巫女であるらしい。

 そのクラスになると、自分の血液を碧く変質させ、さっきみたいな剣や斧――血を武器に変えて戦うことができるとか。また、この音のない空間――【臨界】にも自由に出入りできるらしい。

 ――信じたくないけど、この眼で、見ちゃったもんなあ。


「騎佳くんさ、かなり変わっちゃったよね。里を出てからさ」


 なにやらしみじみと、りむねが言った。


「里を出て?」

「でしょう? 【青の国】でしばらく暮らしてたって聞いたよ」


 【青の国】? それがどんな国なのかはわからないけど――なるほど。

 やっぱりおれはこの里じゃなくて、どこか他所で長く暮らしていたんだ。

 だからいろいろなことが、こんなに不思議に奇妙に感じられるんだろう。生まれも育ちもこの【緑の里】だとするならば、こういう変なこととか慣れっこだったろうし。たとえ記憶を失ったとしても、記憶よりもさらに深い脳の領域が、そうした「慣れっこ」な部分を保存していたりするんじゃないかな。おれにはその気配がない。やっぱりよそ者だ。


「まあ……なんだ。人は変わるさ。どこで暮らしていてもね」

「うん。そうかも」

「りむねだって、変わっただろうに。まったく変わらないってこと、ないよ」

「……りむねは、ね」


 りむねは柔らかく、ほほえんだ。


「ずっと、変わらないつもり。騎佳くんの知ってるりむねのまま」


 そこには、蟲を退治する狩猟者ハンターの鋭い眼光の代わりに、深い優しさをたたえた瞳の光があった。


「転校してきたばかりで慣れないだろうけど、少しずつ適応していけばいいよ」

「ああ、ありがとう」


 適応? うーん。難しい。少なくともいまの状況ではね……。

 ……などと考えているうちに、りむねの背後で、再び黒い塊が湧いてくるのを見つけた。

 蟲だ。

 一度殲滅したからといって、それで終わりってわけじゃないらしい。

 危ない。ヤバイ。また襲ってきたら困る――。

 と、本能的に強い恐怖を感じると、なにか、じわりと、身体の芯が熱くなる感じがした。

 そして「その言葉」は、自動的におれの口からこぼれだしていた。


「神器――【女神虹輪イーリス・サークル】!」


 またまた、驚いた。

 おれの眼前に、七色に光る虹色の、フラフープくらいの大きさの輪っかが出現する。


「――」


 まるで自分の身体がのっとられたみたいな感覚。


 それからはもう夢中だった。

 なにかに憑りつかれていたとしか思えないほどに。

 おれの「つくりだした」虹色の輪は、おれの意のままに動き、色を変え、形を変え、なにがなんだかほとんど理解できないうちに、蟲たちを見事やっつけていた。


 りむねが物騒な武器をつくりだして戦うのを見ただけでもショックなのに――。

 今度はおれがそれを「やってのけた」。

 自分が自分じゃなくなるような恐怖。いったいおれは――何者なんだ?


 戦いが終わってから、りむねはスポーツドリンクを差しだしてくれた。

 それを無言で受けとり、のどに流しこむ。ふと、世界に音が戻ったことに気づいた。

 【臨界】とやらから、現実世界に帰ってきたのだ。


「うん。騎佳くんも使えて当たり前だよね、神器」


 神器。

 さっきの虹色の輪っかのことだ。

 その「力」を使って、【緑の里】の住民は「悪霊」をやっつけるのだ。

 おれにもその「力」がある。残念なことに。


「騎佳くんのお父さんとお母さん、【英霊十二オリュンポス教】の人だったもんね。やっぱりそっち系統の神器が使えるんだね」


 あー、そういえば。お父さんとお母さん、ね。

 おれの家族って、いったいどこにいるんだろうな。



 ショックな出来事が多すぎる。ちょっと休まなきゃならない。

 ソファに座り、テレビをつける。画面には都会の様子が映しだされた。

 巨大なビル群。行き交う人びとの数は多くないが、その歩調は整然としている。

 緻密な計画に基づいて配置された、車道、歩道、信号機、街路樹、それらのバランス。

 なにをとっても完璧な都会が、そこにはあった。

 番組の内容を追っていくと、どうやらその都会は、【赤の国】の都市であるらしい。

 おれは不思議な懐かしさのようなものを感じた。でもそれはすぐに消えた。


 夜が明けて、翌朝。

 ほかにやることもないので、しぶしぶ高校へいった。

 すると、また妙なことが起こった。今度は一回目ほど驚かなかったけど。

 【臨界】と、りむねが呼んでいた、あの変な空間に飛ばされたのだ。


 それは昼休み、自販機にジュースを買いにいったときだった。

 ――自販機の前で固まるおれ。

 周囲から、物音がいっさい消えている。

 くわえて、物の色彩がおかしい。自販機が毒々しいピンクに変色している。

 昼間なのに快晴の空は茜色だ。太陽なんか焦げたみたいに、黒い。

 辺りを警戒していると、


「なにをきょろきょろしてるのかな? ふふっ」


 校舎の角からひょっこり、鈴響羽穏が現れた。

 あいかわらずの長くてきれいな黒髪。人間の姿を見られて、おれはひと安心だ。


「いやあ、どうしようかと思ったよおれ。こんな変なところに迷いこんじゃってさ」

「『迷いこんだ』んじゃないよ。わたしが『閉じこめた』、の」


 ん?


「閉じこめた?」

「うん」


 さわやかな笑顔で、とんでもないことを言いだす羽穏。


「だって、ほかの人には内緒で、鷺宮くんに伝えたいことがあったから」


 羽穏もりむねと同じように、音のないこの空間を自由自在に出入りできるのか――。


「この【廃絶】のなかにいれば、盗み聞きされないからね」


 【廃絶】?

 羽穏はこの空間を【廃絶】と呼んだ。

 りむねは【臨界】と言ってたけど。おれにはどこがどう違うのかよくわからない。まったく同じものに思える。


「鷺宮くん、単刀直入に言うよ? いつ邪魔な人たちが来るかわからないからね」

「あ、ああ」


 羽穏はその柔らかい笑顔を絶やさないまま、ずばり本題を口にした。


「――記憶喪失だよね、鷺宮くん?」


 大正解――おいおい、どうしてわかったんだい――と答えようと思ったけど。

 例の頭痛が現れたから困るから、


「どうしてそう思う?」


 質問で返してみた。


「羽穏がなにごとにつけても鋭いのは、鷺宮くんも知っているでしょう?」

「う、うん。知ってる。頭いいよな、羽穏は昔から」


 羽穏は笑った。


「記憶がないから覚えてないはずだけど。鷺宮くん、嘘ついてるよね?」

「う、うーん」


 おれはすっかり困惑。カマかけられている、ってわけでもなさそうだ。

 羽穏には、おれが記憶喪失だってことバレているらしい。


「鷺宮くんが認めたくないのなら、それでもいいよ。ただわたしは、心配しないで、って言いたかっただけ。わたしは鷺宮くんが何者なのかよく知っているし、その目的もよく理解してるよ。だから、困ったことがあれば、なんでもわたしを頼ればいいんだよ?」

「頼っていいの?」

「うん。教えてあげるよ? 鷺宮くんが記憶を失う以前、どんな人だったか」

「じゃあ、ひとつ頼むよ」

「鷺宮くんはね、わたしの彼氏さんだったんだよ?」

「それは前にも聞いたけど、りむねが違うって――」

「でね、わたしたちは結婚の約束をしていた仲なの。ホントにそうなの」


 ……まあ、それは話半分に聞いておこう。

 彼氏彼女うんぬんはともかく。

 それからおれたちは【廃絶】を出て、教室へ帰った。

 廊下でおれは背後に視線を感じた。

 振り向くと、春風唯香がおれを尾行していた。

 なにか言いたげな顔をしていたけど、すぐにどこかへいってしまったので用件は聞けず仕舞いだ。

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