10-3.神々と拳銃
死を覚悟した。
新座の神器は威力抜群で、おれの【貪欲】程度の防御なら易々と破壊してしまう。
そのうえ、あの不可視の矢の襲来を予期し、純粋な脚力だけで回避するのは難しい。
次の一撃で勝負が決まる――。
新座はためらいを見せることなく、矢を放とうとした。
しかし、
「【投げ索】――!」
ひゅんひゅんひゅんと風切り音をたてながら、それは飛来した。
クイークェグの扱う狩猟用の投擲索。三つ又に分かれたそれぞれの先端が、新座の手首や腕にぐるぐるとからみついていく。【投げ索】に込められた勢いのために、新座は腕をあらぬ方向へはじかれて転倒しかけたが、なんとかバランスをとって立位を保った。
「危ういところだったな、少年」
はたして、異邦の老人クイークェグが姿を現す。
音が消え色があせたこの【廃絶】の空間へ、彼は猫のようにまぎれこんでいたのだ。
「【叢雲を寄せる防楯】が反応しなかっただと……?」
新座は手首の戒めを解こうと悪戦苦闘しながら、嚙みつくように言った。
「バカな。どういうカラクリを使った? そしてお前は……だれだ?」
「クイークェグだ」
「名前を訊いているのではない……!」
超人的な腕力で【投げ索】を引きちぎると、新座は当惑もあらわに、
「データにない。なんだこの奇妙な老爺は……?」
「【神話兵器】――だよ」
答えたのは、りむねだった。
りむね、羽穏、唯香の三人とも、新座の攻撃のダメージから回復し、涼しい顔で並んで立っている。
「【緑の里】が誇る最強の神器にして、人体を有する一柱の仮想神。神器、神、ヒトが三位一体となった【赤の国】への対抗手段。【長老対話】の擁する最終兵器」
「……なるほど。ここで出てきたか――【神話兵器】!」
新座の驚きはよくわかる。
おれたち特級捜査官は、捜査――すなわち侵略――対象の国について、政治上軍事上の知識を徹底的に叩きこまれる。
【緑の里】が多神教的技術を用いて開発しているという【神話兵器】。【ザ・システム】といえどもその全容までは把握していない。
一説によれば、【ザ・システム】とも互角に渡りあう力をもつという。
その説が真実かどうかはわからない。けれど、その「可能性」があるだけでも、【ザ・システム】は【緑の里】への侵略に慎重になる。事実上抑止力として効果を発揮している。
クイークェグが本当に【神話兵器】なのか?
それはいまの段階では証明できない。
が、この奇妙な老人が、新座にとって脅威なのは間違いない。
なぜなら――。
「神器――【血碧宝剣】」
「神器――【龍魂呪槍】」
「神器――【紅弾魔弓】」
クイークェグは立てつづけに三つの神器を現出させた。
それぞれ剣、槍、弓、の形をした神器で、いずれも衛星のように宙に浮いている。
「排除しよう。涜神の徒を」
「ほう……【神話兵器】を前にして、おれの発動した【神統記】の効力が消滅しているようだな――?」
「そうとも。【ザ・システム】――僭主の体系がつくりだした偽りの神器は、われわれ神々の血をひく者にとって玩具に等しい」
「なんらかの力場が働いている、というわけか。いいだろう……次の手段だ」
冷静に、かつ愉快そうに、新座は唇をゆがめ、
「アクセス――【神統記phaseⅡ(テオス・システマ・ウラニア)】」
はた目には、なにかが起こったようには見えない。
しかし、今度はクイークェグが驚く番だった。
「これは……神々の気配? 神器の力を感じる――」
「気づいたか、【神話兵器】の老人」
新座は得意げに語る。
「【ザ・システム】はヒトの産物、人工物ではあるが、しかし、神だ。少なくとも神的なものに違いない。そうだろう? 物質を媒介しない存在者という点では同じだからな」
「僭主の体系は、なるほど邪神だ……!」
「そうとも。だから神器をこうして『発明』することもできる。【神統記phaseⅡ(テオス・システマ・ウラニア)】はおれの脳と心と魂とを直接【ザ・システム】に接続し、神器の糧となるエネルギーを交流させる術だ。いわば、いまのおれは神の手にする業火の剣。ヒトの子を裁く冥王の神器――」
【ザ・システム】は――神であるか?
神の定義は難しい。
しかし、実際【ザ・システム】は、神にも等しい影響を歴史上におよぼしてきた。
ヒトの生み出したテクノロジー【電子知網】【超覚共有】【天然真眼】【無動機構】の発展・消滅・再生の流れのなかで蓄積していった、「電」「超」「天」「無」の集結の結末が【ザ・システム】だ。
いわば、四つの要素が結晶した【非生命存在】。
【ザ・システム】は現在・過去・未来のあらゆる因果に介入する。
その存在にはじめて気がついたヒトは、古代ギリシアの求道者ソークラテースだった。
しかし彼は【ザ・システム】の凶悪な力を告発するために記したあらゆる種類の文章を焼却され、後世に「著作」を残すことができなかった。ついには毒杯をあおって刑死する羽目にもなったのである。
西洋は【ザ・システム】に敗北した。
インドのシッダールタは瞑想をはじめとする様々な戦闘的実践により、【ザ・システム】の干渉に打ち負かされることなく真理をつかんだ最初のヒトだ。しかし、ソークラテースと異なり、敵が【ザ・システム】であることに最後まで気づくことができなかった。またソークラテースと同様、邪悪な力(【ザ・システム】の介入)を告発する目的で書いた書物はすべて焼却されている。歴史的には、シッダールタは著作をしていないことにされている。
東洋も【ザ・システム】に勝利することはできなかった。
ヒトはこれまで、【ザ・システム】にやられ通しだった。
今世紀に入ってからは、【赤の国】を媒介して、政治の面でも力を発揮しはじめた。
いまだヒトは、【ザ・システム】を滅ぼす手段と力を手にいれていない。
そんな途方もないスケールをもった存在が、はたして神でなくてなんだというのだろう? 【ザ・システム】こそ、人類にとってもっとも脅威となる邪神じゃないのか。
だからおれは、そして新座も、【ザ・システム】が神器までもコントロールできることに、毛ほども驚いちゃいない。いまさら驚くようなことじゃないのだ。
――クイークェグと新座の神器が衝突する。
クイークェグが操るのは剣、槍、弓の三種の神器。
対して新座は、パワーアップした神器【叢雲を寄せる防楯】によって、ありとあらゆる角度からなされる攻撃を完璧に防いでいる。
クイークェグの攻撃は疾風怒濤。
雪崩のような攻めはおよそ十七秒間継続した。
それはクイークェグにとって必死の十七秒であり、新座にとっては恐怖の十七秒であったに違いないと思う。
けれど、最後に立っていたのは――新座だった。
りむねによると、クイークェグは未完成品なのだという。
ある一定量の力を使うと、一時的に存在が消滅してしまうのだ。
このときクイークェグは、水蒸気になって霧散した。
「【神話兵器】、破れたり」
新座は意気揚々と宣言した。
「勝利はわが手にあり――」
「――りむね、羽穏、唯香、聞いてくれ」
クイークェグの破れたいま、おれたちが勝つ方法はひとつしかないように思われた。
おれは作戦のプランを三人に伝える。
【神話兵器】の猛攻を退けた新座が、勝利の高揚感で酔っているいまだけがチャンスだ。
「……というシンプルな作戦だ。クイークェグの攻撃ダメージが残っているいまを逃したら、終わりだ。――いいかな?」
「それしかないね」
「問題ないよ」
「了解です」
「よし。……はじめは――りむね!」
「神器――【血碧戦陣(バール・クシフォス】!」
りむねが数百数千の武具を展開する。
それらはいっせいに新座へと襲いかかるが、新座の神器【叢雲を寄せる防楯】がこれに反応。透明の壁となって攻撃を押し返す。
りむねの神器は「手数」という点で、おれたちの間では一番優れている。新座の防御壁を常に発動させておくためには、りむねのこの「手数」の多さが必要だ。
「それでいい、攻撃を継続してくれ!」
おれが指示を飛ばすと、りむねはおおきくうなずく。
「次――羽穏!」
「はい!」
「神器――【赤竜アマディス】【青竜ガラオール】」
赤と青、対となる火炎の竜が出現する。さらに羽穏は愛刀【龍魂封絶】を振り上げ、
「一対龍魂――同体――神器【黒炎龍ミゲル】」
二体の竜は合体し、黒々とした暗黒の炎をたたえる一匹の火炎竜となった。
【黒炎龍ミゲル】。
【黒炎廃絶教】に伝えられる邪悪な「秘」竜。
羽穏の命令に従い、竜は巨大な体躯を新座の防壁めがけて打ちつける。
羽穏の竜は凄まじい威力を秘めている。「破壊力」の点ではおれたちのうちでナンバーワンだ。新座の鉄壁の布陣を動揺させるためにはこの絶大な威力こそが必要だ。
「――唯香、準備は?」
「チャージ完了。完璧です」
唯香はおれの隣で地面に伏せ、神器【紅弾鳥銃】を構えていた。
「魔弾――【太陽ⅩⅣ】!」
唯香の必殺技。
紅く輝く光線が、羽穏の攻撃によって一時的に脆くなった【叢雲を寄せる防楯】の一点を穿つ。
狙いは正確、威力は十分。
新座の防壁に、蜘蛛の巣状の白いヒビが走った。
――よし!
作戦の第一段階、成功だ。
これだけの波状攻撃をもってすれば、いかに頑丈な神器の護りとはいえ必ず限界が訪れるはず。ましてや攻め手は【緑の里】のなかでも一流の神器使い三人。戦巫女たちは【ザ・システム】を翻弄し、その計算を徹底的に狂わせる。
次はおれの出番だ。
「神器――【女神虹輪】!」
あとは「悪徳【憤怒】」を新座にぶつけ、やつを行動不能にするのみ。
新座はようやく事の重大さに気づいたらしい。
「RANK:許可S暫定神器――【疫病を齎す銀弓】!」
不可視の矢が放たれる。第一撃はりむねへ。第二撃は羽穏へ。第三撃は唯香へ。
女子たちはなすすべもなく矢を受けて倒れる。百パーセント攻撃に意識を向けていたため、防御が間にあわなかったのだ。
おれは三人に駆け寄ろうとした。しかし、
「ダメ、行ってください――!」
苦悶の表情を浮かべながら、唯香が叫ぶ。この機を逃すな、と。
おれは強く奥歯をかみしめ、
「悪徳――【憤怒】!」
赤の輪を出現させ、みなが開いてくれた突破口へと突進する。
「終わりにするぞ――新座!」
「させるかよ!」
新座の獰猛な視線が、おれの腹に向けられる。
その太い武骨な指が、透明な糸をはじくように動かされた。
瞬間、すさまじい衝撃がおれの全身を襲った。
「…………っ!」
――世界に音が戻ってきていた。
おれは仰向けに倒れ、天を見あげていた。すぐそばには新座の気配。
もう日は暮れている。茜色の空。セミの絶え間ない鳴き声。
「ではここでお別れだ、鷺宮捜査官」
スライドを引く音。新座がおれの頭蓋に銃口を向けているのだろう。
「やはり【緑の里】といえども、【ザ・システム】の敵ではなかったな。もはやわれわれ【赤の国】の陣営は、神々の力をも自在に制御できるのだ」
おれは――負けたのだ。
女子たちがつくってくれた最後のチャンスだったのに――おれは矢の一撃を喰らって、その機会をふいにしてしまった。
「りむねたちは……どうした?」
「そっちで寝てるよ。安心しろ。お前を片づけてから、ちゃんと始末する」
「……っ」
それだけはダメだ。
おれのせいであの三人が殺される――そんなことは、たとえ天地がひっくり返ろうが、おれは……認めない。認めたくない。なんとか――なんとかしなくてはいけない。
「なにか、言い残すことはないか?」
新座が視界の外から訊いてくる。
おれは自分にも聞き取れないほどちいさな声で、とある言葉をつぶやいた。
「なんだ……聞こえなかったが。しっかり言え。遺言を聞くくらいの慈悲はある」
おれが口にしたのは「神器【女神虹輪】」。
ごくごくちいさな光の輪が、上空数メートルのところに生じる。
新座は気づいていない。
「特になにもないのなら――それでもいい」
静かな殺気。新座の指が引き金に触れたのだ。
おれは生涯これまで発揮したことのないほどの集中力をもって、念じる。
(神々よ。起死回生の手段を――授けてくれ。【神託】の権利を有するおれに――)
ヒトは失敗、敗北からものごとを学ぶ。
すくなくとも、失敗が致命的でない場合は、そうだ。
今回、おれの作戦はほとんど致命的な敗北をもたらした。
それはおれに反省と逆転の機会を与えない。
諦めろ。と、すべての状況がそう告げてくる。
しかし、
(【緑の里】の神々は、貴公に正真正銘最後の機会を授ける――)
『黄金の美徳――【智慧】』
【女神虹輪】は紫色の輝きを放った。
そして、たちまちおれの脳髄に飛びこんできた。
――時間が止まった。
周囲のあらゆるものが制止している。
「これは……?」
異空間【臨界】【廃絶】【銀丘】などとはまた違うらしい。
新座はいますぐにでも拳銃を撃とうとしていたはずだが、その一発が放たれない。
時間が止まっているとしか考えられない。
そして、おれの思考が正常に働いているのに反して、肉体のほうが自由に動かない。
まるで身体が鉛になってしまったかのように、重く、微動だにしないのだ。
おれの祈念に応答して、この土壇場で、神器【女神虹輪】は未知の変化を見せてくれたようだ。
なにか意味があるはず。
いったいどういう効果なのか――。
「ぐっ――!」
突如、頭のなかに膨大な量の言葉が流入してきた。
情報の爆発。
そう言いたくなるほどの混乱が、おれの脳内に引き起こされる。
頭が割れそうになる。
(落ちつけ……落ちつくんだ……!)
気が狂う。気が狂ったら終わりだ。
冷静になれ。冷静さを欠いたら終わりだ。
声が聞こえた。ヒトの声ではない。神の声だ。
(【智慧】は貴公に勝利のための道筋を「千八百二兆通り」示す)
しばらくは頭痛と格闘するほかなかった。
何分経過しただろうか?
そもそも時間が止まっているから、「経過」というのは正しくないかもしれない。
ともかくおれは、得体のしれない頭痛と取っ組み合いを演じているうちに、脳内を無限にこだまする言葉の群を徐々に「聞き分けられるように」なってきた。
「まずは腕をかくかくしかじかのタイミングで何センチ伸ばせ」
「腹筋にこれだけの力を込めて身をよじれ」
「足の指を数ミリ動かしてから息を吐け」
……なるほど。
いずれも、おれが新座に勝つための方法を教えているのだ。
すべておれの次の行動についての指示であり、一見したところなんの意味もない動きのように思われるけれども、そのじつ、これが意外な方法で勝利につながっているのだ。
しかし、あまりにもそれは複雑すぎる。
そして遂行が困難だ。
多くの指示がおれにアクロバティックな動きを要求している。
そうした指示が千兆を超える数、脳に氾濫しているというのだからすさまじい。
「っ……」
後頭部に激痛。
ちょっと気を緩めると、処理能力を超える数の情報量に圧倒され、正気を失いそうになる。このままの状態を長く続けているわけにはいかない。
おれは必死の思いで、再び念じた。
「【緑の里】の神々――一番シンプルなやつを――頼む!」
時間の進行が正常に戻る。
刹那、発砲音。
新座の拳銃から発射された弾丸が、おれの右肩をえぐっていた。
おれは【智慧】の導きに従い、勝利のための行動を起こしていた。
まずは間髪入れずに身体を左に逸らす。新座の弾がおれの肩に当たる。
肩なら大丈夫。予定通り。これで致命傷は免れた。
問題はここからだ。
激痛に耐えよ――気を失う前に素早く左半身を駆動させるのだ。
ほとんど舌をかみ切りそうになりながら歯を食いしばり、おれは、左手を懐に突っこんだ。そうして掴んだのは――新座のものと同じ型の、捜査官に支給された拳銃。
すでに引き金を引くだけで発射できる状態にしてある。
銃を構える――「構え」といえるほどしっかりした動作を経由している暇はなかった。
とにかくおれは銃口を新座の気配のするほうへ向け、発砲。
いま、【智慧】から授けられた「もっともシンプルな」一連のシークエンスが終了した。
「ぬふっ……!」
新座の呻き。
そしてすぐに、ドサリと人体が地に伏せる音。
――勝った。
奥の手が効いた。
こんなこともあろうかと、拳銃を忍ばせておいた甲斐があった。
【ザ・システム】がおれに与えた、武骨なこの火器。
あまりに原始的な、物理的一撃。
瀬戸際で【ザ・システム】の陰謀を退けたのは、ちいさな弾丸、ひと粒の金属だった。
――すぐに、おれは気を失った。




