9-3.四柱の守護神兵
周囲に最大限の注意を払いつつ、おれが徒歩で向かったのは河川敷。
全身に奇妙な文様をもつ、褐色肌の奇妙な老人――クイークェグの暮らす岸辺。
どうしてそこへ行こうと思ったのか、それはおれにもよくわからない
けれど、どうしてかいまの自分に落ち着きを与えてくれるのは――それが一時的なものに過ぎないにせよ――あの不思議な雰囲気をもった老人しかいないと思った。
クイークェグは、粗末なテントのすぐそばにいた。
手にもっているのは三つ又に分かれたY字形状の、先端に金属の重りがついた綱。
それをおもむろに川へ投擲する。ばしゃり、と音を立てて綱は水面下に沈む。
たちまちクイークェグは滑るように川を泳ぎ、一直線にY字綱の沈んだ地点へと到達する。そこへ着くとひと息で全身を水に沈め、やがて綱を拾って水面に顔を出した。
Y字の綱は狩りの道具だ。見事、一匹の大きな川魚がぐるぐる巻きになって、じたばた暴れている。これを片腕でしっかりと抱えながら、海獣を思わせる優雅さでクイークェグは岸辺へと戻ってきた。
「来たか、祝祭の勝利者」
クイークェグはおれを見るなり、そう言った。
まるでおれがここに来るのを予想していたかのようなものの言い方だ。
「その……道具はなんですか。おれには見慣れないものですが」
「【投げ索】。生きる糧を得る武器。人間、これさえあれば食っていける」
「ずいぶん見事に扱いますね」
「練習すれば、わけもない」
クイークェグは話しながら、淡々と火を起こす準備をしている。
「飯はまだか?」
「家でつくったんですけど、食べずにここへ来ました」
「なら、食っていけ」
「……ありがとうございます」
しばらく沈黙する。
その間にも、クイークェグは手際よく魚を調理し、できあがったものをふたり分に切り分け、大きな葉を皿代わりにして盛りつけた。
箸やフォークはない。手づかみで焼き魚を食す。
味つけのない魚だが、淡泊で甘い白身が美味。焼きたてで香ばしく、身も皮も骨もみな旨い。野生の素朴な味がおれに活力を与えてくれる。
食事が終わってから、クイークェグはある種の植物をとってきてこれを筒状に巻き、口に咥えて煙草の要領で火をつけた。
「お前も、やるか? 薬草だ」
「遠慮しておきます」
「そうか」
それから、またしても沈黙。クイークェグは吐きだす紫色の煙が辺りに漂う。
おもむろに、クイークェグは口を開いた。
「いっぽうに強大な力あり、もういっぽうには拒絶の恐怖がある。それが問題だ」
「……どういう意味です?」
「ヒトはひとりでは生きられないということだ」
クイークェグの話はいたく抽象的だ。ちょっと聞いただけでは理解ができない。
「なぜあなたのところにお邪魔したのか。自分でもよくわかっていないんですが」
「導きだ」
「……導き?」
「神々の血筋に連なる者の、至極当然の行動。クイークェグはお前がここに来るのを予期していた、予言していた、確信していた」
「じゃあ……おれが抱えている問題も……もしかして、知っているんですか?」
「ヒト族の悩みなど、クイークェグからすればみな一緒に見える」
「おれのそれは、かなり特殊なんです」
「みな、一緒だ」
クイークェグは首を横に振った。
「いっぽうには強大な力があり、もういっぽうには拒絶の恐怖がある。おのれのなかには自責の念と不安が。それはそのままヒト族の苦悩の根源。普遍的なもの」
朗々と、歌うように言葉が紡がれる。
「理解のおよばぬ神人超獣の強大な力。そして同じヒト族の仲間との恐ろしい緊張関係。さらにおのれに抱く不信。これが苦悩だ。――お前には自分が英雄か、奴隷か、そのどちらでもないか、その分類、自覚をすることが一番必要だ」
よく、わからない。
「おれは英雄にはなれないけれど、奴隷であることはやめたいと思っています」
的確な返答になっているはわからないが、とりあえずおれはそう答えた。
「ならば、ヒトの仲間のなかへ入っていかなくてはならないのだ」
「ヒトの、仲間ですか」
「そうとも。力に立ち向かうか。恐怖から逃げるか――自責の念に溺れ、暗い冷たい快楽に酔うか。選べ。お前が英雄なのであれば、果敢に敵の力を打ち砕く。その姿、聖山にまします神々のごとく、やがて神話に語られる者となるだろう」
「おれは……そんな存在にはなれません」
英雄のような最強の存在には――おれはなれない。
「お前が奴隷なのであれば、自分の生まれを責めてその暗い慰みに生涯を暮らせ。その姿、打ちひしがれた獣のごとく、やがて歴史から忘れ去される者となるだろう」
「だれから忘れられたっていい。でも、意味もわからず服従するのは、ごめんです」
奴隷のような卑屈な存在には――死んだって、なりたくない。
「お前がそのどちらでもないのであれば、拒絶の恐怖を克服して、ヒトの仲間たちのうちに入っていかなければならないのだ――」
「わかりません」
英雄でもない。奴隷でもない。……ふつうのヒトってことだろうか?
でも、ふつうって、なんだ?
「自我を希釈せよ。自我の原液にヒトの仲間という水を混ぜ、とことんまで薄めなくてはならない」
仲間を、頼れと言っているのか――? でも、おれにはそんなもの、ない。
「おれには、頼るべき――頼ってもいい、問題に巻きこんでもいい仲間は、ありません」
「それが傲慢だというのに。なぜそれがわからないのか? 【投げ索】はひとりでに魚を獲るとでもいうのか? そこにクイークェグの力は必要でないのか?」
「……あなたのおっしゃることは、わかりません」
「お前は【投げ索】だ。三つ又の武具だ。お前のなかには奴隷の部分と、英雄の部分と、ヒトの部分との三つがある」
「確かにおれは、奴隷かもしれませんが、同時に神器使いでもあり、また、ヒトです」
「また、それ以上に【投げ索】なのだ。お前を投げてくれるのは、だれだ?」
「【ザ・システム】でないことは、確かです」
「お前を投げてくれるのは、だれだ?」
「得体のしれない神々じゃない、とも思います」
「お前を投げてくれるのは、だれだ?」
「おれ自身、ではないでしょうか」
「魚を捕らえるのは【投げ索】自身だ。しかし、彼はおのれを投げない」
「……」
「お前を投げてくれるのは、だれだ?」
「難しいです」
「よくよく探すことだ。傲慢にはなるな」
よくよく探す――。
おれはクイークェグと別れて思案にくれたのち、ひとつの結論にたどりついた。
メールでりむね、羽穏、唯香を校舎の屋上に呼びだす。
昼休みの時間帯、女子たちに会うためだけに高校へ出かけた。
屋上へ至るドアを開ける。すでに三人は揃っていた。
みながどこか緊張した面持ちをしている。りむねだけは今朝のことがあったからか、とりわけ表情が固かった。おれは「おはよう」と声をかけ、
「来てくれてありがとう」
「ようやく、わたしを選んでくれる気になったのですか」
ずい、と唯香が進み出て言った。羽穏も負けじと、
「違うよね。わたしだよね、ね?」
ふたりをおれは手で制して、
「ごめん。そうじゃないんだ。今回は、そういう要件じゃない」
「……」
りむねは押し黙っている。おれがどうして三人を呼びだしたのか、その理由をなんとなく察しているのかもしれない。
「時間がないから手短にいこう――手短に済ませられる自信はないんだけれど」
「うん。騎佳くんの言葉なら、ちゃんと受け止めるよ」
と、りむね。
唯香と羽穏もうなずく。
「重ねて、ありがとう。じゃあ――」
おれは語りはじめた。
すべてを。
これまでの経緯、目的、いまのおれの身分――。
両親が実は【赤の国】へ身売りしていたということ。
おれが【ザ・システム】の尖兵となるための教育、訓練を受けたこと。
それから先日、あえて自発的に記憶を捨て、客観的視点でもって【赤の国】【緑の里】どちらの陣営につくかを判断しようとしたこと。
その結果、おれはぜひとも【緑の里】を守りたいと思うようになったこと。
そのためにはまず「七賢対応」との戦いに勝利しなくてはいけないこと。
三人は時々相づちをうちながら、表情も変えずに聞き入っている。
「お前は【投げ索】だ」
クイークェグはそう言った。そしてそれは間違っていないと思う。
人間には――少なくともこのおれには――おれを投擲してくれる仲間が必要だ。
人間、単独でいったいどうして成功することができるというのだろう。
着るもの、食うもの、住む場所、病気を祓う薬……あらゆる生活の手段は他者に依存する。物理的なものだけじゃない。心の動き、感情のうねりだって、見るもの、聴くもの、嗅ぐもの……そうした外部の環境に反応しないではいられないのだ。
だからおれは【投げ索】なのだ。
よい成功を得るためには、よい事物、人から、よい干渉を受けなくてはいけない。
それはだれかの、あるいはなにかの奴隷になろう、という意味じゃない。
おれを投げてくれる仲間に、身を預けるのだ。
おれはおれを投擲する者――おれに最後の力を、推進力を与えてくれる者として、佐々神りむね、鈴響羽穏、春風唯香を望む。
身勝手? そうだ。あまりにも身勝手だ。
だからといっておれは、このままひとりで無駄死にするわけにはいかない。
それは勇気じゃない。傲慢だ。
身勝手だとののしられることくらい、覚悟の上だ。
身勝手の報いを受けることも、覚悟している。
ぶざまに拒絶される恐怖だって、受け入れてやる。
おれは傲慢さを捨てる。
英雄にはなれないから。奴隷にはなりたくないから。
いくらでも頭を下げよう。いくらでも「助けてくれ」と頼もう。
おれは優秀な兵隊だ。一流の戦闘者だ。
それでも、しかし。
よく研がれた刃であっても、やはり、よい剣士が必要なんだ。
おれがすべてを話し終えたとき、三人はふっと肩の力を抜いて、微笑んだ。
「で、なにをすればいいのかな、りむねは?」
「……ちょっと待った。いまの話で、りむねには十分なのか?」
もっと、こう、激しい糾弾があるものと考えていたのに。
羽穏も、
「わたしにできることがあったらなんでも言ってね。いますぐ言ってね。ちょうど【龍魂封絶】を教室にもってきているから、いつでも動き出せるよ」
どうして、そう、まっすぐな視線をおれに向けるのか。
さらに唯香。
「もっと早く言ってくださればよかったのに。あなたの望みは、わたしの望みです」
「みんな……もっと考えたほうがいいんじゃないのか? おれは【緑の里】の裏切り者なんだ。特にりむねなんか【長老対話】のメンバーじゃないか」
「関係ないよ」
りむねはばっさり言い切った。
「だって。【赤の国】に引っ越したのは騎佳くんの責任じゃないでしょ? まあ、たとえ騎佳くんの責任だったとしても、りむねは絶対に味方になってあげるけど」
「わたしも」
「わたしもです」
「……どうして。そんなにおれを」
ほとんど盲目的な信頼。
そのあまりの無垢に、おれはなすすべもなく崩れ落ちた。膝が折れてしまった。
おれは知った。
ヒトは攻撃のみで屈服させられるのじゃない。あまりに強い、狂気的な、常軌を逸した信頼を向けられると、これに抗うことはできないのだ。
「説明……いる? いらないよね。だってりむね、騎佳くんのこと好きだもん」
「わたしは死ぬほど好き。文字どおり、死ぬほどだよ」
「世界と騎佳さんを天秤にかけたら、わたしはきっと騎佳さんのほうをとります」
本当に、この女子たちは……。
「もしかしたら死ぬかもしれないんだ。これはそういう、切羽詰まった頼みなんだ」
「いいよ……だって」
「ねえ?」
「はい」
三人は顔を合わせて、笑った。
「騎佳くんが敵に捕まっちゃったら、この間のお返事、聞けなくなっちゃう」
「だから、守るよ」
「命を賭しても。あなたがこの地上から失われたら、いったいどうやって生きていけばいいんですか」
「それじゃあ……おれの、おれの気持ちの整理がつかない、と言ったら?」
実に惰弱、弱気で情けない言葉が唇の端から漏れてしまった――。
りむねたちはひざまずくおれの頭に、それぞれ手を置いた。
そして、
「【血碧限界教】の清き巫女、【血碧の贄】佐々神りむねは、あなたの裏切りのいっさいを赦します。神々の比類なき助力がありますように」
りむねの唇がおれの額に触れた。
「【黒炎廃絶教】の猛き剣客、【廃絶聖剣】鈴響羽穏は、あなたの裏切りのいっさいを赦します。神々の尽きることなき助力がありますように」
羽穏の唇がおれの額に触れた。
「【銀騎紅弾教】の貴き近衛、【白銀騎士】春風唯香は、あなたの裏切りのいっさいを赦します。神々の未来永劫の助力がありますように」
唯香の唇がおれの額に触れた。
おれは額に残る柔らかく温かい感触に震えながら、うなる。
「【英霊十二教】の背教者、【ザ・システム】麾下特級捜査官特務部隊隊員の鷺宮騎佳は宣誓する。母なる大地【緑の里】を守護し、だれひとりとして死なせはしない。神々の助力がみなに与えられますように――」
神々の名に基づく誓約により、ここに四人の同盟が結成された。
ごくちいさな同盟だ。しかしその目的は巨大。
地上における最大の国家【赤の国】に対抗し、最小の故郷【緑の里】を防衛する。
同盟を構成する人数は確かに少ない。
対する敵は狡猾、無尽、残虐。
勝ち目があるかと問われれば、おれは回答を控える。
ただやるべきことを淡々とこなすだけだ。
もはや言葉は無用、行動のみがものを言う。
おれの四肢に備わった実力と、仲間たちの発揮する神々の力が、全力を尽くして目的のために邁進する。それだけのことだ。
それでも、あえてひとつ言うとしたら――。
おれたちに、負けるつもりはない。




