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8-3.クイークェグ

 目を閉じる。

 すると視界が一色の黒に染まる――かと言えば、一概にそうではない。

 まぶたの裏を見つめ意識を集中させると、実にいろいろな模様が展開するものだ。

 白い粒子、赤い波、黒い線、そうしたものが始終うごめいている。

 それらは眼球がつくりだす幻か。

 はたまた闇を恐れるヒトが、無意識に発明した慰みの映像なのか。


 おれは視界を支配する黒い影のゆったりとしたリズムと、なにか赤いものがチラチラ揺れているのを感じながら、まとまらない思念の流れに意識を預けていた。


「ん……」


 どれくらい闇の世界をさまよっていたのだろう。

 次第に、意識がはっきりしてくる。

 思考力も戻ってくる。感覚は働きを回復し、理性にはふたたび落ちつきが宿る。

 はっ、と気づいた瞬間、


「おれは――どうなった?」


 目を開き、勢いよく身を起こした。

 まず聞こえたのは、パチパチと小気味よい破裂音。さらに柔らかな熱が、風に乗っておれの顔を無遠慮に撫でる。

 目の前には焚火があった。流木の破片を積んだ上に、赤々と陽気な炎が踊っている。

 焚火越しに座っているのは、先ほどの奇妙な肌をした老人。

 目を閉じて沈黙し、まるで彫像のように微動だにしない。

 ……おれは一輝に敗北を喫し、捕縛されたはずじゃないのか?

 本当ならいま頃おれは【赤の国】に緊急送還され、厳重な監視のもとで牢にぶちこまれているはずだ。

 しかし、現実はそうなっていない。

 ここはおれと一輝が戦った河川敷だ。周囲には背の高い草が群れ生え、虫やカエルの合唱がリピートしている。川から吹く風は独特の青臭い匂いを運んでくる。

 そうしてキョロキョロ辺りに視線をさまよわせていると、


「食え」


 いつの間にか開眼していた老人が、こちらに焼き魚を差しだしてきた。串に刺さった二十センチほどの川魚。芳ばしい香りを放っている。

 そういや朝からなにも食っていなかった。

 忘れ去っていた空腹感が、痛みすら伴っておれの胃の腑に復活する。


「遠慮、するな。……警戒も、するな。その必要はない」

「いろいろと、訊きたいことがあるんですが」

「食ってからだ」

「……では、いただきます」


 おれは脂のしたたる白身肉に、かぶりついた。


 老人はおれが食事を終えたのを見計らって、言った。


「戦乱のときは近い――否、すでに歯車は動きだしている」


 戦乱。そして歯車。抽象的なもののしゃべりかたをする人だ。

 けれど、だいたい言おうとしていることはわかる。


「それはおれのせいなんです」


 【赤の国】による静かな侵略。

 それをもちこんだのは、ほかでもない。里を去り【赤の国】に忠誠を誓い、兵隊となって帰還したこのおれだ。

 この老人は、それとなくおれの正体を見抜いているらしい。


「『おれのせい』? それは違う」


 老人はゆったりと首を振る。


「いずれこうなる運命さだめであったのだ……栄光ある祝祭の勝利者よ」


 祝祭の勝利者。

 この老人は、おれが【神託】を獲得したということを知っている。


「あらゆる事物は大河の流れ。堰き止めるのは人の手にあまる仕事だ」

「おれが敵にくみする男になったのも、流れ、ですか」

「なるようにしかならないのだ。ぜんぶ」

「……一輝はどうなったんですか。あの、雷撃の神器を使う高校生ですが」

「眠っている。長い眠りについた。まずたいていのことでは、起きまい」


 老人が指をさすのは、草に覆われたビニールのテント。


「あそこに一輝が」

「殺すのは忍びないのだ。なにせあの少年もまた、神々の里の裔。いわば、我が眷属」

「眷属って……あなた神かなにかですか」

「クイークェグは神ではない」


 クイークェグ。それが老人の名であるようだ。


「しかしクイークェグは、矛だ。神々の、三つ又のトライデント

「……よく、わかりません」

「では、そろそろ帰れ。戦士よ」


 おもむろにクイークェグは立ちあがって、テントへ向かう。

 焚火はひとりでに消え、光源といえば夜空に浮かぶ月明かりのみ。

 おれも立ちあがり、川岸に並べて置いてあった機材を回収して帰ろうとする。

 去り際、背後からクイークェグの朗々たる声が聞こえた。


「では――おやすみ。明日は特におのれの命に気をつけるように」


 謎めいた挨拶だった。


 クイークェグ。奇妙な老人だった。

 突っこんだことは訊かなかったが、たぶんあの老人がおれを一輝の魔の手から救ってくれたのだろう。そして逆に一輝を拘束し、なんらかの術で特殊な睡眠状態に陥らせた。

 クイークェグは何者だ? どういう目的で動いているんだ?


 帰り道、おれの胸にひとつの単語が浮かんできた。


 【神話兵器イリオン・ブレイカー】。


 おれが【緑の里】に潜入する直前のブリーフィングで、特に警戒を要するものとして教えられた里の秘密兵器だ。その全貌は謎に包まれている。

 単なる噂に過ぎないという説もある。

 そんな噂のひとつによれば、【神話兵器イリオン・ブレイカー】は【ザ・システム】がアクセスすることのできない高次の神的領域の技術でつくられた武具であり、これがあるからこそ【ザ・システム】は【緑の里】への侵略に慎重にならざるをえないとか。

 どうしておれがそんな、【神話兵器イリオン・ブレイカー】のことを思い出したのかといえば……それは、クイークェグを見ていると、まだまだ【緑の里】にはおれが想像すらできないような秘密が隠されているように思われたからだ。

 【緑の里】を侮っちゃいけない。

 さすがこれまで独立を保ってきただけのことはある。


 おれは自宅に着くと、すぐにベッドに潜りこんだ。疲労の回復が先決だ。これからはおそらく、時間との戦いになる。一輝は「すでにこの里に仲間がいる」と言っていた。

 【ザ・システム】は裏切り者には容赦しないのだ。

 不安と緊張、使命感。そうしたものを抱えこんで、おれは静かに目を閉じた。

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