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8-1.使者

8


 しつこい頭痛に悩まされながら、おれは保健室のベッドで天井を眺めていた。

 授業を受ける気分にならなかったのだ。

 昨日、おれは女子たちに「おれはだれとも付き合えない」と返事をした。

 けれど、それは女子たちに受けいれられなかった。


「期限は一週間……それまでに決断して。ちゃんと心の底から、りむねを好きになって」

「うん、来週、いいお返事期待してるね?」

「待ちます。騎佳さんの本音を聞かせてください」


 一週間後に再度改めて、とのこと。

 また同じ返事をすることになるだろうけど。

 ちなみに、女子たちはおたがいに協定を結んでおり、約束の一週間後が来るまではひとりでおれに接触しないということにしているのだとか。


「っ……!」


 頭痛がこめかみを貫く。だがそれは一瞬で収まった。

 この頭痛は精神的な緊張と疲労からきているものだ。体調不良の原因はだいたいわかる。ボディ・スキャンの手法は特級捜査官必修だからだ。

 さて、問題を整理しよう。

 さし迫っている厄介な課題を片付けなくちゃいけない。

 【緑の里】をいかにして【ザ・システム】の魔の手から守るか――。

 正直、おれの手にあまる仕事だ。おれの単独行動で、一国の存亡を左右するなんて。


「はあ……」


 つい、ため息を漏らしてしまう。ホントは、おれにそんな資格はないのだけれど。

 【緑の里】はなんとしてでも守りたい。

 でもこれでよかったのか? いまのこの状況、正しい道を進んでいるのか?

 代案はなかっただろうか。

 たとえば――【赤の国】の侵略を黙って見守る。侵略されたのち、統治政策に工作をしかけてなるべく住民に被害がおよばないよう尽力する……とか。

 ――ダメだ。【ザ・システム】の支配力を甘く見てはいけない。

 侵略の終わったあとではどうにもならない。末端の戦闘員であるおれなんかに、政治的な術策を弄せる道理はないんだから。


「いまいち、うまくないな……」


 自分の決断に対する自信が、揺らぎかけている。

 メンタルのコンディションがあまり良好じゃない。

 おれは休息のため眠りにつくことにした。それが一番の回復法だからだ。


 昼寝をして気力をとり戻したので、さっそく行動に移ることにする。

 高校を飛びだして自宅に戻り、衣服、所持品を点検して唯香のしかけた盗聴器を取り外す(二個も見つかった)。通信機器の類をもって向かうのは、人の気配のない河川敷。

 まずは情報収集だ。

 記憶を失ったあと、【赤の国】側の対応がどこまで進んだのかを知らなければならない。まず、十中八九具体的な動きがあったと考えていいだろう。【ザ・システム】がなにもせず静観しているとは考えられない。

 おれの自宅マンションはなんらかの手段で監視されているかもしれない。

 だから、河川敷だ。

 ここなら誰もいないし、仮に敵が来たとしても人を巻きこまずに迎撃できる。


「……よし、やるか」


 雑草の上に機械を置き、バッテリーを起動する。

 通信機器の扱いはそれほど得意じゃない。それでもひと通りの技術は身につけている。

 【ザ・システム】におれのネットワーク上での動きを傍受されないよう、慎重にコマンドを入力していく。時間との戦いだ。あまりのんびりしていると、間違いなく敵はおれの不正ログインや不審な探索行動に気づくだろう。

 ――七分間できるかぎりのことをやってみたが、たいした収穫はなかった。


 おれが機材を片づけていると、ひとりの老人が音もなく近づいてきた。

 奇妙な出で立ちの老人だ。

 まず服装は、ほぼ全裸。

 ふんどしみたいな下着を身に着けているが、それ以外はほぼ肌を露出している。

 そしてその肌はエキゾチックな褐色。

 顔の彫りもずいぶんと深い。どこか異郷からやってきたのだろうか。

 全身には様々な言語で文様が刻まれている。イオニア方言のギリシア語、パーリ語、サンスクリット語、ラテン語……なんて書いてあるかは、わからない。おれに語学の教養はあまりない。

 そういえば、おれはこの老人に見覚えがあった。見覚えがあるといっても、会話を交わしたこともなければ近づいたこともない。土手を歩いていると、たまにこの老人を岸辺で見かけることがあった。けれど、特別気に留めたことはない。変なホームレスだとは思っていたけれど……。

 しばし、おれと老人は無言で対峙する。


「使者よ――警戒せよ」


 おもむろに老人は口を開いた。


「戦乱は開始されつつある。【赤の国】の使者よ――あるいは、回心者か――」


 その声は大地から響いてくるかのように、力強かった。

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