6-2.「電」「超」「天」「無」
《――いざや、神域へ――》
まばたきひとつすると、おれはもう現実世界を脱していた。
全方位が真っ白の空間。
天も地も、東西南北どちらの方向も純白に染められ、それは地平線のかなたまで続いている――あるいはそれは目の錯覚で、もしかしたらここは非常に狭い空間なのかもしれない。正確な空間把握ができない。なにせ距離を示してくれるような物質がなにひとつ視認できないからだ。
いきなり、中空に黄金の玉座が出現する。
それは一、二、三、と数を増していき、おれを取りかこむように円形に配列されていく。
夢を見ている――わけじゃない。
意識はしっかりしている。
思考ははっきりと働き、感覚はあくまで鋭敏。
これは間違いなく現実に起こっていることだ。
ロウソクに火が灯るように、黄金の玉座に白い光の玉が出現する。それはおれを囲む玉座すべてに現れ、強い輝きを放つものもあれば、弱々しく点滅するものもあった。
《貴公に偈を――【神託】を――下す。栄えある競技の、勇ましき勝者なれば》
たちまち、玉座に浮かぶ光の玉から光線の集中砲火が発せられ、おれの脳髄を撃った。
――かくしておれは【神託】を「注ぎこまれた」。
雲を歩むような非現実感を味わいながら、おれはいつの間にか帰宅していた。
すぐに、おれは部屋のあちこちをひっくり返しはじめる。
いてもたってもいられない衝動に襲われて。
「わかってきた。だんだん、わかってきた。わかってきた。よく、わかってきた」
――しだいに記憶がよみがえってくる。
走馬燈のように、これまで経験してきたあらゆる映像が胸中に浮かんではくっきりと定着していく。【神託】の効果が現れつつある。
――確実に記憶がよみがえってくる。
「わかった――わかった。ああ、わかった――くそっ!」
強い焦りが生じてくる。嫌な汗が額に浮かぶ。
【神託】は神々より下される無謬の伝言――つまり間違いのない真実のおつげだ。
――真実そのものが頭の中に流れこんでくる。
おれはまず机に飾ってあったマスコットキャラクターの置物を破壊した。
これは前に唯香が仕込んだ監視カメラだ。
いまのおれの行動を、唯香に見られるわけにはいかない。
引きだしの奥から旧式の携帯電話を取りだす。前に部屋を捜索したときにはこれが見つからなかった。拳銃以上に慎重に隠しておいたからだ。
携帯電話――それは最新のテクノロジーで改造を施された、特殊な通信機器なんだが――を起動して、おれは身を焦がすようないらだちと戦い続ける。
(まずなによりも、ともかく、絶対、【ザ・システム】の動向を伺う必要がある――)
第一におれがやらなくてはいけないことは、それだ。
【ザ・システム】の動きを警戒する必要がある。
――失われた知識が濁流のように流れこんでくる。
【ザ・システム】とはなにか?
【赤の国】を支配する王者。
【赤の国】の大統領であり総理大臣であり、国王であり皇帝であり教皇であり、統治者であり羊たちを統べる牧の長である。
つまり、最強の支配者だ。
【ザ・システム】はヒトではない。それどころか生物ですらない。
コンピューターでもない。物質とはまた違う存在。
情報の「蓄積」と合理的な「判断」を行う体系。
説明するのは難しい。おれもすべてを理解しているわけじゃない。
比喩を用いるなら、そうだな、【ザ・システム】は情報と判断の「神」だ。
【赤の国】は【緑の里】――りむねたちの暮らすこの里の隣国であり、巨大な領土と強大な経済力、政治力を誇る人類史上最大の大国だ。
脅かされることのない平穏な秩序と未来永劫無限の平和を標榜し、ヒトの進化と発展と幸福のために機能するいまだかつて歴史上現れなかった理想郷的統治体系国家。あらゆる武器を放棄し、流血の人類史に決着をつけた社会の完成形。
ずいぶんと難しい言葉を並べたけれども、つまるところ――。
ヒトには絶対に実現できない、最高の政治。
ヒトには絶対に実現できない、究極の平和。
ヒトには絶対に実現できない、無限の幸福。
それが【赤の国】。
表向きは、そうだ。そういうことになっている。
携帯電話がようやく起動し、いくつものメッセ―ジ履歴がポップアップする。
最新分からさかのぼり、【ザ・システム】からの「命令」に目を通していく。
戦慄、恐怖、不安。そうしたものは棚上げにして、ただ淡々と。
最新のメッセージは次のようなものだった。
「早急に連絡せよ。
早急に連絡せよ。
早急に連絡せよ。
【ザ・システム】はあなたの裏切り行為におおきな関心を寄せています――」
それは【赤の国】特級捜査官特務部隊隊員、鷺宮騎佳への最後通牒だった。
完全に思い出した。
おれのホントの身分は――スパイだ。
特級捜査官特務部隊隊員。【赤の国】が【緑の里】に送りこんだ工作員。
工作員の――おれの目的は、この【緑の里】に潜入し、情報収集と破壊工作を行って【ザ・システム】による「侵略」を手助けすること。
ようするに、【緑の国】を滅ぼすこと――。
侵略? 【赤の国】がそんなことするわけない。
だって、最高の平和国家じゃないか。
【赤の国】には軍隊もなければ警察もない。武力をまったくもっていないんだから――。
真実を知らない【赤の国】の国民は、そう思うに違いない。
おれにははっきりと言える。「騙されているんだ」と。
【赤の国】は平和を唱え、武力を持たない、ということになっている。表向きは。
ホントは違う。
だっておれのような、拳銃を支給されたスパイがいるのだから。
【赤の国】を支配する【ザ・システム】は、平和をもたらす救世主なんかじゃない。
あの恐ろしい支配者を突き動かしているのは、貪欲なまでの生存欲、拡大欲だ。
おれは吐き気をこらえながら、携帯電話を操作しメッセージを削除した。
全身がぴりぴりと痛む。緊張のせいだ。
ついにこのときが来た。記憶をとり戻すときが。
いつかは来るとわかっていた。
でも、これほどの衝撃とは思わなかった。
「っ……」
頭痛がひどい。とても立っていられないので、ベッドに寝っ転がる。
【神託】によって注ぎこまれた知識が、脳をぐるぐると回っている。
真実を受けとったいま、おれにははっきりと【ザ・システム】の成り立ちが、その誕生のいきさつがわかる。わかってしまう。
【電子知網】。
【超覚共有】。
【天然真眼】。
【無動機構】。
ヒトが生みだしてきた革命的テクノロジーのうちの、代表的なもの四つだ。
これら四つの革命的技術が何度も発展・消滅・再生してきた。それがヒトの歴史。
歴史の流れのなかで蓄積してきた「電」「超」「天」「無」の四要素の集積が、やがて巨大な情報のかたまりを誕生させた。そしてその情報の山は、ついに自我を得る。
自我を得た情報の蓄積。あるいは体系。
それが【ザ・システム】。
【ザ・システム】はヒトの何兆倍もの強い自我をもつ。生存欲も巨大だ。
生物が生存するためには、他人を、環境を支配しなきゃいけない。
【ザ・システム】は生物ではないけれども、支配欲は強烈だった。
それがヒトにとっての不幸だ。高度な心理操作と情報改ざんによって国家【赤の国】をたちまちのうちにつくり上げ、世界最大の領土を誇る大国にしてしまった。
いまやヒトの大半は【赤の国】の国民。
【ザ・システム】こそ最高の王様だと信じて疑わない。
でもホントはそうじゃないんだ。
【ザ・システム】と【赤の国】は、侵略した国々をコンクリートと清潔さと、洗脳と秩序の牢獄に叩きこみ、ヒトたちの自由をことごとく奪っていく。
【赤の国】の国民は幸福か?
本人たちは幸福だ、と答えるだろう。けれど、その幸福の正体は恐ろしい。
なにせ一日の大半を個室に閉じこめられて、【ザ・システム】が提供する娯楽を楽しむだけ。余計な情報はカットされ、思考する暇を与えられないのだ。
やがて国民は、ヒトは、娯楽を楽しむだけの家畜になってしまう。
【神託】なんかなくても、おれは前からそれを知っていた。
だって、おれの両親もいま、そんな状態だから。
とても眠りにつける精神状態じゃない。
ベッドに横になったのはいいけれど、目が冴えてしまって仕方がない。
バルコニーに出て、夜風にあたりながら星を見上げる。
――おれの両親。
ふたりとも【緑の里】の出身者だ。
【ザ・システム】に買収されて【赤の国】に移住した。
この買収行為は国家ぐるみで行われている。
その政策を【特別招集】という。
おれには性欲がない。
女子たちに夜這いをかけられたときも、まったく情欲が生まれなかった。
それはおれが【赤の国】の食糧を口にして育ったからだ。
【ザ・システム】は人口の管理のために、国民から性欲を奪っている。
裏を返せば、【赤の国】には子どもが生まれないことになる。
そこで【特別招集】だ。
【緑の里】などの他国の人間を甘い言葉で誘惑して、移住させる。そのとき買収した家族に子どもがいれば、その子どもは【赤の国】の教育機関に送られて、徹底的な洗脳教育を受ける。もし適性があれば、特級捜査官――スパイに仕立てあげることもある。
おれには適性があった。
だからスパイになった。
――阿羅風一輝も同じだ。
小学生の頃、家族ぐるみで【緑の里】から【赤の国】へ移住したのだ。
一輝の正体は【赤の国】下級捜査官。
彼にも適性があった。おれほど洗脳しやすい子どもじゃなかったから、特級捜査官ではなく、その下のクラスの下級捜査官として訓練されている。
【緑の里】の侵略は二人一組。
一輝がサポート役として先にこの里に転校し、あとからおれがやって来たのだった。
はじめは、なにごともなく侵略の準備が進んでいた。
けれど途中から、なにもかもが台無しになった。
おれのせいで。
おれが記憶喪失になったために。
そしてその記憶喪失というのは――。
おれが、わざと、やったことだ。
あえて記憶を手放したのだ。
そうしなくてはいけない理由があった。
特級捜査官特務部隊隊員のおれの使命は、【緑の里】の侵略を進めること。
訓練プログラムを修了したおれは、さっそく現場へ送りこまれることとなった。
身分は偽造された。【青の国】からの転校生として、生まれ故郷に潜りこんだ。
一輝と合流したおれは、まずはじめにこの里の政治中枢に近い人物と接触し、関係を築くよう指示されていた。
つまり、【長老対話】の列席者である佐々神りむねと友好関係をむすぶように、と。
また一輝の助言により、神器の戦闘に長けた鈴響羽穏と、春風唯香もターゲットにした。
おれが使ったのは人心掌握のテクニック。人心掌握術は特級捜査官必修の技術で、ヒトの心を奪い、こちらに好意をもたせるように誘導していくもの。
でも、その必要はなかったんだ。
りむねはまったく警戒心を抱かずおれに近づき、ちいさい頃からの思い出を語った。
羽穏はりむねと競うようにして、おれと一緒の時間を過ごしたがった。
唯香だってそうだ。
三人と親しく付き合っているうちに、おれに心境の変化が現れた。
無邪気な女子たちを前にして、いったいおれはなにをしているのだろう?
人心掌握術? そんな小手先のテクニック、みじめなだけじゃないか。
みんなが楽しく暮らすこの里を、侵略する――。
それに、どんな意味があるというんだ?
ここには確かに幸福がある。【ザ・システム】の管理は必要ない。
不幸もあるかもしれない。けれど、幸と不幸、ふたつともが存在するからこそ人間らしい生活といえるんじゃないのか。
振り返ってみればその頃にはもう、【ザ・システム】が施した完璧な洗脳にほころびが生じていたのかもしれない。
そんなことってあるのだろうか?
もしかしたら【緑の里】に満ちている神々の力が、なんらかの作用をおよぼしたのかもしれない。確実なことはわからない。
おれはある夜、一大決心をした。
「おれはまだ完全に【赤の国】への忠誠を捨てたわけじゃない」
おれは声に出して確認した。
「それでもおれは、この【緑の里】がなくなってしまうのは、嫌だ」
りむねたちがコンクリートの個室に閉じこもり、暗い快楽にふける様子を想像するだけでも、胸が重くなって不快な気分になる。
だとするならば。
慎重な思考と、理性と、判断で、決めなくてはいけない。
【赤の国】。
【緑の里】。
どちらを選ぶべきなのかを。
おれは洗脳されているから、思考、理性、判断に曇りがある。その自覚はあった。
いちど記憶や知識、受けてきた教育を捨て、クリアな頭を手にいれる必要がある。
その方法をおれは知っていた。
「拷問時の呼吸」というものがある。
これは特級捜査官だけに伝授される特別な呼吸法だ。
めったにないことではあるが、特級捜査官が他国につかまって拷問にかけられるような事態におちいった場合、機密情報の漏洩を防ぐためにこの呼吸法の実践が義務づけられている。
それを実践することで、脳内をめぐる酸素をコントロールして、記憶や知識を「選んで」消すことができるのだ。消したい部分だけを消し、残しておきたい部分は残る。
おれは「拷問時の呼吸」を使ってみることにした。
【赤の国】と【緑の里】についてのあらゆる知識、記憶を消す。
一度だけ、まっさらになる。
白紙になった頭脳をはたらかせて、どちらの味方をするべきかを決定する。
そののち、記憶をとり戻し、次の行動指針を立てようというわけだ。
記憶を戻すための手段にも、心あたりがあった。
間近に迫った【オリンピアの祭典】、その競技祭。
優勝すれば【神託】が手にはいる。
【神託】の力があれば、知識や記憶くらいは簡単にとり戻せる。
はたして優勝できるのか? そもそも参加権を手にいれられるのか?
不安なことばかりだったけれど、おれは実行した。
祈りの言葉を口にしながら。
「神々よ――導いてくれ」
ベッドに身を横たえたおれは、その夜、静かな呼吸とともに記憶を手放していった――。
記憶を取り戻した、いま。
洗脳から長らく離れ、フレッシュな脳で思考ができる、いま。
おれの心は固まっている。
「りむねや羽穏、唯香が暮らすこの【緑の里】を――侵略させるわけにはいかない」




