4-3.国家が、世界が、宇宙が、あなたの敵であろうとも
無事に(?)夕食の材料を買いこんで、おれは自宅に戻った。
一時はどうなることかと思ったけれど、唯香が助けに来てくれたから、なんとか戦いに敗北せずに済んだのだった。
ちなみにあの対戦相手のふたりは、【銀丘】が崩壊して現実世界に戻るや否や目を覚まし、「いい戦いだったよ」「頑張れ」とかなんとか言いながら、握手を求めてきた。
おかげで、おれたちはにこやかに別れることができた。
あくまで競技祭。スポーツマンシップを忘れちゃいけないということなのだろう。神器を使った(ほぼ)殺し合いが、はたしてスポーツなのかどうかは疑問だけれど。
実際、脚に負った傷は浅くない。出血は止まったが、痛みは続いている。
ちなみに、おれを窮地から救ってくれた唯香はというと――。
いま、キッチンでカレーをつくってくれている。
どういうわけか、そういう話の流れになったのだった。
「そういうわけですから、きょうは勝利を祝してふたりきりの夜を過ごしましょう」
「どういうわけなのかはわからないけど、助けてくれたことには素直にお礼を言おう」
「きょうは寝かせませんからね」
「初めての戦いで疲れたからね。いっぱい食べてたっぷり眠りたいね」
「じゃあわたしは自宅に戻り、監視カメラで騎佳さんの寝顔を観察するとしましょう」
「おれの家に来てくれ。そしてカメラや盗聴器の在処を全部吐くんだ。いいね?」
キッチンからはトントントン、とリズミカルな包丁の音が聞こえてくる。
その音はやがて鍋で具材を煮るグツグツという音にとって代わり、おいしそうな匂いが部屋全体に充満しはじめた。
「あとは、仕上がるのを待つだけです」
唯香がリビングに戻ってくる。
前にも一度見たエプロン姿なのけれども、唯香の童顔、華奢な身体と相まって、なんだかお母さんの家事の手伝いをする女子小学生みたいだ。なんというか、微笑ましい。
「なにか、失礼なことを考えていませんか?」
「……そんなことないよ」
「なら、いいです」
唯香はソファーに――おれの隣に――腰を沈めた。
ふわりと、甘い香りがただよってくる。
「暑いんだから、わざわざ密着しなくても」
「いいえ。わたしはここがいいです」
唯香はおれよりも頭ひとつ分ちいさい。隣に座られても、なんだか妹とか姪っ子とかと一緒にいるみたいな感覚だ。もっとも、おれは自分の親族のこと、思い出せないけど。
「騎佳さん、あの」
唯香は唐突に、シリアスな表情でおれを見上げた。
「わたし、騎佳さんが何者であろうとも、絶対に嫌いになったりしませんから」
「どういう意味?」
「たとえ国家が、世界が、宇宙が、騎佳さんの敵であろうとも、わたしだけはいつだってあなたの味方でいます。それを覚えておいてください」
なにを言いたいんだろうか。唯香はなにか、大事なことを言おうとしている。そしていまの台詞は、おそらくその前置きだ。
疑問は、次のひと言でたちまち氷解した。
「拳銃、もってますよね?」
「監視カメラで、見たのか」
「はい。騎佳さんの部屋には十六の監視カメラがついていますから。見逃しません」
監視カメラはともかく。
羽穏に記憶喪失がバレたときと同じだ。おれはなぜか、唯香に拳銃所持がバレても、焦燥感や恐怖、頭痛、めまいといったものを覚えることはなかった。
おれの内なる心は、唯香に対する警戒心をまったく抱いていないらしい。
「そのことは、秘密にしてもらえると助かる」
「ふたりだけの秘密、というわけですか?」
「うん、まあ、言ってみれば、そういうことになるけど」
「ふたりだけの秘密……」
唯香の頬がたちまち赤く染まった。いや、それ、どうなんだ。こんな物騒な秘密ってほかにないぞ。
「こほん。ところで、ですね。これは報告なんですが」
唯香が話題を切り替える。
「わたし、すでにあの邪魔な女子ふたりに攻撃をしかけてきました」
「だれと、だれのこと?」
……だいたい予想はつくけど。
「佐々神りむねと、鈴響羽穏です」
やっぱり。
「それは停戦協定の無視、じゃないか」
「ええ。それが、どうかしましたか?」
「どうって……約束を破るのは、良くないよ。友達の間なら、なおさら」
「わたしは彼女たちを、友達だと思ったことはありませんが」
唯香の手がおれの手に触れる。
「騎佳さんと、わたし。ふたりだけが良ければ、それでいいじゃないですか」
「そういうわけには……」
「それでいいじゃ、ないですか」
かなり強い力で、手を握られた。
「自覚がないのですか? いまの状況をつくりだしているのは、騎佳さん自身ですよ」
いまの状況。
それはきっと、りむね、羽穏、唯香――三人の女子から明らかに好意を寄せられているのに、どっちつかずの状態をずっと続けていることを指している。
記憶を失った当日から、すでにこの状況は生じていた。ということは、記憶を失う以前のおれが男女関係にそうとうだらしない男であったか、あるいは――意図的にこの状態を放置していたかのどちらかだ。
「騎佳さんは覚えていますか。昔、わたしを救ってくれたときのこと」
唐突に、唯香はそんなことを問うてきた。
「……」
質問の意図はわからない。いずれにせよ、おれには「過去のこと」は答えられない。
「忘れてしまっていても、かまいません。わたしが何度でも思い出させてあげますから」
唯香は語った。唯香とおれの馴れ初めを。
――唯香は幼いころから読書家だったのだという。
唯香は家でも、学校でも、おとなしく読書をしているのが好きな、手のかからない子どもだった。それが良くなかったのだ。活発なほかの子どもたちには、唯香の姿が奇異に映った。
だから、長い間、親しい友達付き合いというものができなかった。
しかしあるとき――同じく読書好きのおれが、図書室で隠れるようにして本を読む唯香に、話しかけた。そこからふたりの付き合いがはじまり――関係を深めていった。
いつしか唯香は、恋心と呼ばれる感情を、おれに抱くようになった。
だが、残酷なことに。
おれは従兄の一輝と同様、【青の国】へ去ってしまった――。
「だから、飛び上がるほどに嬉しかったんです。従兄さんはともかく、騎佳さんが転校してきてくれたことが。もう、絶対に離したくないと思いました。できることなら、二十四時間三百六十五日一緒にいたいとすら思いました」
「それで、監視カメラと盗聴器、か」
「はい」
悪びれもせずに唯香はそう言い、そっと、肩に頭をもたれかけてきた。
「不安なんです。騎佳さんを見張っていないと。突然いなくなっちゃいそうで……」
至近距離で、唯香の熱、唯香の鼓動を感じる。
そのちいさな身体に、どれだけ大きな不安と安堵が詰まっているのだろう。
「おれは……」
とっさに、おれはなにかを言おうとした。励ましの言葉? 安心しろ、って?
でもおれはそれを言えなかった。言うべきでもないと思った。記憶のないいまのおれがなにを言ったところで、それは嘘になるから。おれだって、これから自分の身がどうなるかわからないでいるのだ。
しばらく、唯香をそのまま寄りかからせていた。
そして、ふと、思った。
りむね、羽穏と連絡をとるべきじゃないだろうか?
唯香曰く、すでに停戦協定を破ってふたりに攻撃をしかけたのだという。もしそれが本当だとするなら、ここでこうしておれと唯香が仲睦まじく過ごしているのは、なにか非常にまずいのでは? あらぬ疑いを、「裏切り」の疑いを抱かれても仕方がないのでは?
せめてメッセージの一通だけでも送っておこうと思い立ち、スマホを手に掴んだ瞬間、図ったようなタイミングで着信があった。
相手は……非通知。
「もしもし?」
「……」
「もしもーし」
「…………」
非通知、かつ、無言電話。不気味なことこの上ない。
唯香が顔を上げて、
「電話ですか?」
「うん」
「相手は?」
「わからない。非通知だし、無言だ」
と答えると、ようやく電話の相手が口を開いた。
「ふうん……そういうことするんだ」
おれの聞き間違いじゃなければ、りむねの声だった。
「りむね……か?」
「りむねになにも言わずに、そうやって唯香ちゃんとふたりきりで会ったりするんだ」
「……」
やはり、りむねだ。
その静かな口調のなかに、強い怒気が込められているのを感じる。
「唯香ちゃんといやらしいことするつもりなんでしょう」
とんでもないことを言う。
「しない」
「唯香ちゃんには気をつけて。その子、言葉が通じないから。停戦協定なんか無視して、きょうさっそく攻撃をしかけてきたよ」
「……らしいね」
唯香本人が言っていたのだから、間違いない。
「だから、停戦協定はもう終わり。特に唯香ちゃんに限っては、絶対にわたしが脱落させるから。あーあ。【長老対話】がなければ、すぐにでもそっちに行くんだけれど」
「テラ、なんだって?」
「【緑の里】政府運営上の重大な会議。りむねは【血碧限界教】代表の【血碧の贄】として出席の義務があるの。……とにかく、なにもしないでね? できればすぐに唯香ちゃんから離れるように」
おれが答えようとする前に、唯香の手が伸びてきて電話を切った。
「あ、どうして」
「ふたりきりの時間を、これ以上邪魔されたくはありません」
言うが早いか、唯香は唇をおれの頬に寄せてきた。
甘い香りがした。




