1-1.謡え、賢者よ
ヒトの子よ。
邪神にかどわかされぬように、
服従か、反逆か――選べ。
邪神よ。
「電」「超」「天」「無」の四属性から成る体系の魔物よ、
わが大地に憩うヒトの子らを――惑わすな!
1
――目が覚めると、記憶がなくなっていた。
たぶんここは――自分の部屋、なんだと思う。
ぐっしょりと寝汗に濡れたまま、おれはベッドの上で辺りを見わたした。
……視界に入るものに、なにひとつとして見覚えがない。
机も、椅子も、本棚も、壁も、天井も、どれひとつとして馴染みがない。
それどころか、自分の名前すら思いだせない始末だ。
かろうじてわかることといえば……おれがおそらく十代の男で、健康体で、といったくらいなもの。
「なんなんだ、この状況は……」
正直に言って、わけがわからない。
おれは頭をかきながら、ひたすらうろたえていた。
そうして十分ほどが経過した頃だろうか。
おもむろにドアがひらき、おれの見知らぬ少女が部屋に入りこんできた。
「騎佳くん、おはよーっ」
栗色がかった髪の、胸のおおきい、しかし体格は小がらで快活そうな女子だ。
たぶん年齢はおれと同じくらい。見た目から判断して、中学生よりかは年上だろう。でも、大学生よりかは下だ。つまりは高校生、で間違いないと思う。
彼女の服装――白のワイシャツにチェックのスカート――は、どこかの高校の制服だと思われる。
「どうしたの? 寝ぼけてるの?」
不思議そうな顔をして、少女はこちらを覗きこんでくる。おれがぼーっとして、まるで木や石みたいにじっと固まっていたからだ。
このまま黙っているわけにもいかないので、とりあえず、
「いま騎佳って、言ったかな。キミ。それがおれの名前?」
まずもって第一に確認しなくちゃいけないことを、訊いてみる。
「え?」
「だから、騎佳って。それがおれの名前なわけかい?」
少女はしばらく考えこむようなそぶりを見せて、
「わたしが『りむね』であるのが間違いないのと同じように、騎佳くんは騎佳くんだよ」
「騎佳、騎佳ね」
その名前はなんだか、しっくりときた。
心の奥底で、かっちりと歯車がかみ合ったような感覚だ。
「うん。なるほど。おれは騎佳って名前なわけだね」
「? やっぱり寝ぼけてるの?」
「で、キミは『りむね』か」
「う……うん。まさかりむねの名前を忘れたわけじゃないよね?」
不安そうな表情の少女『りむね』。
(じつは忘れちゃったんだよね。記憶がないんだ)
――と、すんなり明かそうかな、と思った。
べつに隠しておく理由はないのだから。そしてちゃんと病院とかそういうしかるべき場所にいって、治療を受けたりするべきだろう。こういう場合。当然おれは、そう考えた。
けれど。
なんの前ぶれもなく、激しい頭痛がおれの後頭部を襲った。
「うわっ……!」
いきなりのことだったから、思わずおおきくのけ反ってしまったほどだった。
「どうしたの!」
「いや大丈夫……なんでもない。なんでもないんだ」
痛みはすぐに通りすぎていった。
でも、おかげで『りむね』に「記憶喪失」だってことを告げるタイミングを、逃した。
おれはどうやら記憶喪失らしい。それは確かだろう。
なんだか妙なのは、記憶喪失であることを『りむね』に告白しようとしたとき、変な声が頭のなかで響いた……気がしたのだ。
(ちょっと待った。記憶喪失だってことは隠しておけよ)
と。
いったいなんだったのだろう。
なにか、焦燥感、使命感にも似た衝動とともに、そんな声が聞こえた「気がした」。
あくまで気がしただけ。ほんとうに幻聴があったわけじゃない。
とにかくそんなわけだから、
「ちょっと悪い夢を見てさ……混乱してた。でももう、治ったよ」
その場はひとまず、ごまかしておく。
自分の内なる声(?)には、とりあえず逆らわないことにしたのだ。
「なんだー。びっくりしたよっ」
ほっと息をつき、安心した表情の『りむね』。
「朝食つくったから。リビングに来て!」
「ああ、わかった。ありがとう」
うーむ。
目が覚めたら記憶がなくなっている。
そしてなんだか変な声が、心の奥から聞こえてくる感覚がある。
謎だ。不気味だ。
できるだけ冷静さを保って、この状況を見極めることにしよう。
朝食を済ませたおれは、りむねと一緒に登校することになった。
季節は夏。
マンションから一歩外に出るやいなや、強烈に照りつけてくる日光と、やかましいセミの合唱がおれたちを出迎えた。
さて、おれは(つまり騎佳は)、りむねと同じ学校に通う高校生なのだという。
正直なところ、高校なんかで勉強している場合じゃない。
でも、やっぱり心のどこか深い場所が、
(周囲の人間に怪しまれないように、ふつうにしていたほうがいい)
とささやいてくるような気がする。
……そんな気がするだけだ。ホントに幻聴が聞こえるわけじゃない。
でも、その内なる声にだけは、なぜか従わなければいけないと強く思った。
なんでだろう。はっきりした理由はわからない。
「でね、こないだね、かわいいキーホルダーを見つけたの!」
りむねはおれのとなりを歩きながら、とりとめもない話をしている。
彼女のバッグには、いくつものファンシーなキーホルダーが揺れている。
りむねの趣味なんだろう。
おれは話を適当に聞きながしながら、この辺りの風景を観察していた。
わかったことがひとつある。
ここは田舎だ。田舎。ド田舎ってほどじゃないけど。
高いビルやたくさんの信号機などの代わりに、ちいさな家のよせ集まった住宅地と、ぽつぽつと点在する畑や田んぼ、そして竹林。
道路のアスファルトはところどころひび割れ、長年ろくに補修されていないらしかった。高級車やスポーツカーよりも、軽自動車やトラクターがふさわしい、うん、やっぱり、田舎の風景だ。
うーん。
やっぱり自分の部屋と同じく、おれはこの土地に見覚えがないのだった。
「はあ……」
ついため息がもれてしまう。
記憶をとりもどす手がかりは、いまのところ見つからない。
「ん? 騎佳くんなにかいった?」
「なにも言ってないよ。どうぞ続けて」
「そう? でね、それからね」
りむねが話に熱中しているのをこれ幸いと、さらに周りによく目を向けてみる。
しばらくそうしていると、おおきな発見があった。
驚くべき発見だ。
ここはただの田舎じゃないらしい。
ちょっと、いや、だいぶ変な田舎だ。
そうとう、奇妙な土地だ。
どの辺が変なのか?
まず、よく目をこらすと、あっちを向いてもこっちを向いても、珍妙な施設が建っているのが発見できる。それは明らかにここら辺の風土と一致していない。
なんというのか、白色とも桃色ともつかない大理石でつくられた、神殿のような巨大な建物で、それがひとつやふたつではなくいくつも存在する。
さらに、あちこちの電柱や壁に、
『オリンピアの祭典まもなく』
『緑の里最大級、聖なる神々のお祭り』
などといった、得体のしれないチラシが貼りつけられている。
なにかのお祭りがもうじき始まるらしい。
いったい「オリンピア」ってのはなんなのか。それはおれには知りようがない。
――田舎、神殿、お祭り。
それらのいずれもが、違和感を……というより、なんだか疎外感を与えてくる。
おれははたして、ホントにここの住民なのか?
どうも、しっくりこない。
記憶はまだとり戻せないけれど、都会やビルなどをイメージすると、そちらのほうがなんだか自分に馴染み深いような気もする。
すくなくともこの田舎を前にして、「ここがおれのふるさとだ」って気分にはならない。
――そうこうしているうちに、高校に到着した。