07. 出発前の準備 その2
志岐は自室に戻り、シャワーを軽く浴びて着替えると、食堂に向かおうとして、
ふと思い立って調理場を覗いてみた。
料理長から呼ばれていないので料理の準備ができてはいないと分かっていても、
どういう料理があるのか、少しは出来ているのかが気になったからだった。
入口近くに居た料理人が大きな実を割って中身を鍋に入れているのを見かけた。
「それはどうするものですか?」
料理人は志岐に気がつくと、少し驚いたが丁寧に説明してくれた。
「若様、この実の中身はこのような状態ですが、水分を飛ばすと丸く固まって粘りが出るので、
手軽に食べられる間食として使っています」
実の名前を聞いたが、全く知らない実で意味が浮かぶ事はなかった。
でも鍋に入っているものを見ると、粥のように思えた。
「それ、少しだけ食べさせてもらえませんか?」
料理人は少し驚いたようだったが、木の匙ですくって渡してくれた。
志岐が受け取って食べると、まさしくお米から作る粥そのものだった。
「これって、お粥だ」
粥という言葉が無いのか、料理人は不思議な表情を浮かべた。
「若様はこの状態でお召し上がりになっておられたのですか……」
志岐は料理人に頼んで元の大きな実を割ってもらった。
「この実はかなり割りにくいので専用の道具を使います」
料理人が道具を使って割るところから見せてもらったが、上部を少し切り取ると、
中に粥が入っているような状態だった。
「これを鍋に入れて温め続けて水分を飛ばして使っているのです」
米から炊いて作るわけでなく、粥そのものが木の実の中身になっているところが、
不思議に感じたが、それでも懐かしい味には違いなかった。
料理人がそのまま鍋を火にかけて混ぜ続けていると、粘りが出てきた。
そのまま木杓子でかき混ぜて、一段落つくと、ひねり上げて外に取りだした。
それから幾つかに分けると、小さく丸めて置いた。
「これで出来上がりとなります。どうぞ」
料理人から受け取ると、粘りの出た丸い塊は、餅というよりは団子のようだった。
口に入れると、ほんのり甘い味がして、食べた印象はやはり団子だった。
「美味しい」
志岐と料理人の様子を見ていたのか、料理長が近づいてきた。
「若様、これもお持ちになりますか?」
志岐は頷いた。
「できれば最初のお鍋にかけて温まったぐらいのものも欲しい」
料理長は木の実を手に取りながら、また何かを考えているようだった。
「そうですね、加減が難しいですがやってみましょう。食事が終わりましたら、
幾つか用意できたものがありますので、またこちらへお越し下さい」
志岐は料理人と料理長にお礼を述べて、食堂へと向かった。
いつもの給仕の人が待っているテーブルに座り、さっそく食事を取った。
急いだつもりはないものの、かなり早く食べ終わったらしく、
給仕の人が苦笑いを浮かべているのに気がついた。
「……ごちそうさまでした」
志岐はまた調理場の方へと向かった。
「早かったですね。さてこちらに置いてあります」
そんな志岐に気がついた料理長が調理台奥のテーブルへと連れていってくれ、
「果物と焼き立てのパンです。これはスパイス詰め合わせ」
簡単な食べ方や知らない物の名前などを教えてくれた。
志岐はお礼を言いながらも、手にとって空間収納へとしまっていった。
「先ほどの木の実の鍋も予定に入れておきます。他はまた夕食の後にでも作っておきますので、
お寄り下さい」
志岐はそれから総支配人のゼノを探しに行った。
広間と志岐が呼んでいる部屋に支配人のゼノが居るのを見つけた。
「ああ、若様。こちらへお入り下さい」
ゼノは志岐に実際に礼の仕方から順番に教えてくれた。
貴族の礼の仕方、騎士の礼の方法、一般庶民の方法や、使用人のやり方まで。
順番に身体を使いながらも、細かい角度や、手の指の曲げ伸ばしまで。
「これも覚えておかれるといいでしょう」
一通りのお辞儀の仕方や挨拶の時の姿勢などを教わった後、女性版もやらされた。
「どうして女性のも覚えないといけないのですか?」
さすがに気になったので志岐はゼノの尋ねてみた。
「実際に覚えておくと、相手の素性が分かりますから。本来ですと若様も、こちらでお育ちになったならば、
お小さい時から見る機会もあります。
でもそうでないわけですからね。する、しないではなく知識が大事なのです」
ゼノの世界と志岐のいるこちらの世界と、礼儀作法やマナーは同じという事で、
これは大賢者とも相談してあるとの事だった。
「冒険者をしているとね、街道で襲われた相手の身のこなしや仕草など、
身分独特の物もありますからね、交渉の時にも知識があれば便利です。
またくれぐれも女性の言葉には惑わされないようにして下さいね」
この世界の常識など教わった事は多いけれど、でもまだ知らない事も多い。
ゼノが必要だと言うのだから、素直に教わっておこうと志岐は思った。
何度かやり直させられながらも、一通りの立ち居振る舞いを教わった。
そうこうしているうちに、部屋の中に大賢者が来ていたようだった。
「そうやってみると、シキはなかなか筋がいいな。動作が美しい。
ただ私の息子としては、やはり最上の物を要求しようかな」
大賢者はそう言いながら、志岐に貴族のマナーだけを繰り返し練習させた。
ようやく解放された時には、肉体的にというよりは精神的にぐったりとした。
「今は大変だと思うだろうけれど、後できっと役に立つ。それにそろそろ準備も出来たようだな」
大賢者はそう言うと、別室へと志岐を連れていった。
どれもこれもこの世界でやっていくためだと思えば、文句も言えない。
連れられて入った部屋には、たくさんの物が集められて置いてあった。
「えっと、こんなにも要らないような気がしますが……」
服が何着か、もちろんそこには下着も置いてある。
それに履きやすそうな靴や、礼装用の靴など。
またテントみたいな感じのものや、何に使うのかわからない工具風のものまで。
「空間収納に入れておけば使い方の表示は出る。容量は無制限だし、屋敷の者たちの気持ちで集められたものも多いからな」
志岐は戸惑いながらも、目についた服を幾つか広げてみた。
「冒険用の服に、魔法使いの服や、村人の服に、貴族風の服ぐらいか、
とりあえずはそれだけ持っておけば当面はしのげるだろう」
大賢者は簡単にそう言っていたが、実際にはその用途別に何枚ずつか置いてあった。
ここにある服だけでもかなりの枚数になっていた。
「えっと、月が巡る頃には戻ってきていいのですよね?」
何カ月も外で過ごせそうな感じがして不安になってそう尋ねた。
「もちろん。まあ使わないに越したことがないが、持つのには困らないからな。
空間収納に入れておけば洗濯も修復も自動でしてくれるから便利だよ」
一人で泊るためのテントに、それの組み立て道具。
他にも火をおこすための魔道具などが置かれていた。
「使い方や組み立て方はどうすればいいのか、わかりません、おじいさま」
大賢者やテントを志岐に手渡した。
「まず空間収納に入れて、そこのリストを見てみなさい」
志岐はテントを受け取ると、言われた通りに空間収納に入れと念じてみた。
テントは手から消えて、空間収納の一つの棚に収められ、前にリストが出てきた。
「組み立て方を聞いてみなさい」
志岐が念じてみると、リストには図解で記されたものが出てきた。
「テントを出してもこれは出ていますか? 見ながらなら何とかなりそうですが」
大賢者は頷いた。
「シキの思うようにリストは表示されるはずだ。他人から見ると違和感があるが、
誰も居ない時ならば大丈夫だろう」
テントを取り出してみると、今度は目の前にある透明の板に描かれた図解は、
消えずにそのまま残っていた。
この透明の板は、他の人からは見えないようになっていた。
そのままじっと図解を見て、志岐は自分に出来るかどうか確かめた。
複雑な図解に思えたが、組み立て順序も書いてあり何とかできそうに思えた。
それだけ確認して、志岐はテントを空間収納にまた片づけた。
「その分だと仕組みを理解したようだな。それと必要な書物があれば、
写本にしてシキは持ち出す事は出来るよ。貴重な書物は無理だけれどね」
持ち出した写本は返済期限が特に指定されないらしい。
また志岐以外がその書物を見ても、何の文字も表示されないようだった。
「塔の機能でね、管理人特権というか、そういうものだから利用すればいい」
志岐はその部屋に置かれた旅支度用の品物をすべて空間収納に入れた。
それから大賢者と一緒に魔法の特訓を受けた。
やはり制御力が問題で、どうしても大がかりになってしまうのを、せめて
使いやすいサイズにまでに小さくする練習を重ねた。
志岐が何度も練習していたところ、横で見ていたのか騎士が声をかけてきた。
「旦那様、もしかすると若様はどこかに全力で魔法を放つ事が出来れば、
また状況が変わるのではないでしょうか? 最初から無理ばかりされているようで、どこかストレスがかかっているのではないでしょうか」
武器の稽古をつけてくれている騎士は、元騎士団の団長をしていただけあって、
若者の指導には慣れているのは志岐もよく知っていた。
「そうだな、そういうのもあるかも知れない。しかしそうなると場所が……」
いつもは大賢者がそれなりの結界を張ったなかで放っているけれど、
それでもたまに危ない状況になったりしていた。
「こちらの世界でよろしければ、荒野のような場所がありますがいかがでしょう?」
大賢者は少し考えているようだった。
「そうだな、地図を見て検討しようか。今日のところは無理だが、明日以降ならば
何とか出向いてやってみる価値はあるかも知れない」
そんなわけで今日の訓練はおしまいになった。