03. 塔の管理人とは?
大賢者が部屋から出ていくと、ようやくゆっくりと部屋の中を見回した。
目の前の棚に意識がいって気がついていなかったが、この部屋は少し大きめの丸い形をしていた。
部屋の中は石造りだが、特に冷たい感じはしない。
床には値段の高そうな絨毯が敷いてあるし、置いてある家具も立派な物に見えた。
家具とはいっても、棚と机と椅子ぐらいだろうか、書斎のイメージから浮かぶ家具しかこの部屋には無かった。
周りの壁には扉が二つ。
一つは先ほど使った扉で別の屋敷へと繋がっているらしい。
もう一つは扉の幅が少し狭く、扉の細工が繊細な感じがした。
何も置かれていない壁際が気になって近寄ると、そこから階段が下の方へと続いていた。
螺旋階段があり、途中までは見えるものの、どれだけ続くのかは分からない。
それだけ確かめると、書物の出てくる穴のところへと向かった。
何の書物を探すにしても、どういう種類の書物があるのかもわからない。
志岐は、『図書目録のようなもの』が欲しいと強く念じると、またチリンと音がして、
先ほどよりは薄い冊子のようなものが現れた。
その冊子を手にとって先ほどの椅子に座り、中を開いてみた。
日本語でいえば五十音というのか、文字の並びで書名が並んでいるのが分かった。
「単語が分からないのに順番に見て探すというのも……困ったな」
志岐が見ながらそうぼやくと、目の前の表示の並び順が変わった。
あわててじっくりと見ると、用途別に並び変えられているようだった。
目の前の項目は『国に関する書物』や『魔法に関する書物』というように、
先ほどの『あ行』『か行』といったような表示から変わっているのが分かった。
いや、もちろんこちらの文字なので『あ』や『か』ではない。
「ひょっとして必要に応じてこの分類項目というのは変わるのか」
誰もいないから、あえて言葉に出してみた。
志岐は他にどういう分類がいいか考えてから、改めて冊子を見た。
『旅人への手引き書』や、『幼子のための書物』という分類わけになっていた。
知らない世界にやってきて志岐に必要なのはこういった書物だろう。
自分に必要な書物はと念じたら、このような分類わけに変わっていた。
「うまく使いこなせば便利なものになるかもしれない」
志岐がつぶやき終わった時にドアが開いて、大賢者が戻ってきた。
そのまま志岐に近づいて手に持っている冊子に目を留めた。
「ほう、さっそくそれを出したか。さすがに塔が選ぶだけの者だな。それはシキ、お前専用のだから、その表紙に手をあてて自分の名前を念じてみなさい」
志岐は言われた通りに冊子を閉じて表紙に右手をあて、志岐隼人と心の中で言った。
冊子は少し光に包まれたかと思うと、また元のように戻った。
「これでそれはお前以外が開いても、中身は白紙になった。私も同じものを持っている。だからその冊子だけはその辺に置いておいても大丈夫だよ」
大賢者は別の棚のところから、同じような冊子を取り出してきて、志岐の方へと
開いてみせてくれた。
志岐が見ると中身はただの白紙の冊子にすぎなかった。
「少し貸してみてくれ」
大賢者は志岐の冊子を手に取ると、少し離れた場所でページを広げてみせてくれた。
志岐が離れたところで見ると、先ほどまで書いてあった文字は全くなく、
先ほどの大賢者の冊子のように、ただの白紙だった。
「これはシキが持った時だけに反応して中身を表す。なかなか便利なものだよ。
塔の管理者たる資格の第一歩も難なくこなしたようだな」
大賢者は嬉しそうにそう言いながら、志岐に冊子を返してくれた。
「疲れていないようならば、この塔がどういうものかの説明をしたい。いいか?」
志岐はさほど疲れていないので頷いた。
「ここは世界の知識が集められた場所で、塔の形をしているから、塔と呼んでいる」
大賢者からの塔の説明が始まった。
塔は建物だが、それだけではなく意思があるらしい。
どれだけの書物が収められているのかは大賢者ですらも分からないと言われた。
必要な書物は先ほどの穴と呼ばれている場所から現れるだけで、
実際に塔の中にどのように配置されて置かれているのかも分からないそうだ。
塔は外から見るとかなり高い塔らしいが、入口から入る階段から来られる場所は、この部屋だけで、ここにある二つの扉から別の部屋へと移動するらしい。
つまり扉の向こうに塔の中の部屋が空間移動する感じだろうか。
大賢者も今まで使った部屋以外には、どういう部屋があるのかは知らないそうだ。
用途に応じて必要な部屋が現れるといった感じだろうか。
大賢者がこの塔の存在を知ったのは、この付近を散策中に塔に気がついて、大胆にも近くまで入ってきて、目の前に見えた扉を開けたら、塔の中に入れたそうだ。
しかしその同じ時、同行者は誰も塔には入れず、しばらくは大賢者~当時は仲間の一人~が消えたと大変だったらしい。
その時には先代の塔の管理人が居て、管理を受け継ぐ事を了承させられたようだった。
塔の管理とは、塔の中の書物を出来るだけ多く読む事で、別に掃除をする必要もなければ、本の手入れをする事もないらしい。
他には塔の中の書物を貸し出しするのが、対外的に一番重要な仕事みたいだった。
「書物を貸すのはあちらこちらの王宮関係者もしくは研究機関ぐらいだな。
貸し出し期限は塔が決めて、原本ではなく複写本が現れる。
それを貸せばいいし、期間が過ぎれば複写本は消滅する仕組みになっている」
貸す時だけに相手側に出向いて、返却の時は取りに行く必要もなければ、
相手側にこの塔まで来てもらう必要もないようだった。
「知識を多く持っている人を賢者と呼ぶ、だから私が大賢者と呼ばれておる。
本名は別にあるが、今は特に呼ばれる事はないよ」
大賢者はそう言うと、志岐の前に書類を差し出した。
「これはシキを私の息子として養子縁組する書類だ。そこにサインをしてほしい」
志岐は不安そうな顔のまま大賢者を見つめた。
「これはこの世界だけの事だ。もしも元の世界に戻れた場合は何の関わりもないし、
戻るのを制限するものでもない。ただシキの手で本名を書いて欲しい」
大賢者の言葉に嘘はなさそうだったし、ここで生活するのなら困る話でもない。
「失礼ですが、負債義務などの不利な条件はつきませんよね?」
志岐が恐る恐るそう言うと、大賢者はゆっくりと微笑みを浮かべた。
「まあ、何も知らないとそう思うだろうね。私の財産も身分もすべて君に譲る。
もちろん負債もないし、親族も……いないからね」
少しだけ寂しそうな表情が気になったが、志岐は言われた通りに名前を書いた。
「これでシキはどの国の王様にも王族にも頭を下げなくてもいい身分だよ。
あの続きの屋敷も、この塔は別としても使いきれないほどの財産もいずれはね」
志岐はさりげなく言われた事が気になって問い返した。
「それってどういう意味でしょう?」
大賢者は笑みを浮かべながら口を開いた。
「私個人はあちらこちらの国の王都に屋敷や領地もあるし、収入もかなりある。
書物の貸し出し費用は安くはないからたまる一方だよ。それにどの国にも所属しないから王や王族とも身分的には対等、いや私たちの方が上かな?」
志岐は少し怖くなって確かめた。
「それって何気なく多大な財産があるとか言っていますよね、俺に譲ってもいいのですか? もっと相応しい人がいるのでは?」
大賢者はゆっくりと頷いた。
「私は独身で、両親はもうとっくにこの世にはいないし、親族とも縁が切れている。
塔が選んだ君に、いつか譲る事が決まってホッとしているよ」
志岐はそう言われても簡単に同意する気分には慣れなかった。
「今すぐという事でもないし。もしも、……もしも君が元の世界に帰る事が出来るような事にでもなれば、この縁組は解消されるから心配いらない」
志岐はそれでも大賢者に尋ねてみた。
「元の世界に帰れる可能性はあるのですか?」
大賢者は表情を険しいものに変えた。
「シキの世界からこの世界へ、狙って君を送り込んだという事ならば可能性はある。向こうからここを指定できれば逆も可能だから。でもそうでないのならば、星の数分の1以下ぐらいの可能性しかないだろう」
志岐はそれを聞いてほとんど可能性はないのだろうと思った。
「この世界の少しずつ違った世界ならば、可能性は増えるが、全く違う星からとなると、私が読んだ書物にも歴史的にも該当する事例はなかったと思う」
志岐は少しだけ溜息をついた。
「そうですか、こういう世界がある事すら知らなかったから無理ですね」
大賢者はなおも言葉を続けた。
「しかしこちらの世界にはシキが来てくれて助かっているよ。塔が選んだという事は見込みのある人物だろうからね。私としても喜ばしい事だよ」
大賢者はそのまま先ほどとは別の扉の方へと向かい、何かをつぶやいた。
「さあ、いろいろあって疲れただろう、ここがシキの寝室へと繋がる扉だ」
扉を開けると、別の部屋が広がっていた。
「さあ、こちらへ」
大賢者と一緒に別の部屋に入ると、大賢者は扉のあった方へと振り返った。
先ほど入る時に一旦消えた扉は、またすぐに現れて元の扉の形があった。
「こちらの扉は先ほどの場所へと繋がる。そして反対の扉は屋敷の廊下へと
繋いである。そこの紐を引っ張ると、担当の者がやってくる」
それから部屋の奥の方へと歩いて行くと、もっと小さい扉があった。
「これは洗面所や浴室に繋がる扉だ。後で確認すればいい」
大きなベッドと立派な書き物机と椅子、整理たんすのようなものが見えた。
「それから屋敷の使用人たちはこの部屋の中へは入れない。何か受け取る場合は、シキの方から手を廊下側に出して受け取るように気をつければいい。
今日のところは疲れただろうから、お休み。私はこれで失礼するよ」
大賢者はそう言って部屋の扉を開けた。
「いろいろとありがとうございます。それで明日はどうすればいいのですか?」
大賢者は扉の横の紐を指差した。
「起きたらあれを引っ張ればいい、おやすみ」
「おやすみなさい」
大賢者が部屋から出ていくと、志岐は部屋の中に一人になった。
この部屋には窓のようなものがあり、カーテンがかかっていた。
最初に入った部屋のように丸い部屋だが、予想より広く、おかしな感じはしない。
「あ、着替えは?」
志岐がベッドに近づいていると、何かが上に置いてあった。
とりあげてみると、上から被るような形のストンとした服だった。
手に触れている感じも肌触りがよく、これを着て寝ればいいのだろうと思った。
着ていた服を脱いで、用意された服に着替えてベッドにもぐりこんだ。
目を閉じたらさすがに疲れていたのだろう、一瞬で眠ってしまった。
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