02. 塔には屋敷がついていた
志岐はとにかく出てきた書物を読み始めた。
文字は分からないけれど、その意味を知るためには文字に視線をあてる必要がある。
ページをくるほどになんとなくこの単語がこの意味に置き換わるのではないかという予想はついてきた。
どちらかといえば、アルファベットに近いが、文法的なものは日本語的な部分もあった。
しばらくすると年配の男性がまた志岐の目の前に立った。
「待たせたな。少しだけここの説明をしよう」
志岐は手に持っていた書物を閉じた。
「それをまだ読むようならばそこの机の上に置きなさい。もう読みたくないならば、取り出した穴の中へ置けばいい」
志岐は言われた机の上に書物を置いた。
年配の男性は志岐を連れて一つの扉の前へと立った。
「私は世間からは大賢者と呼ばれておる。それはこの塔に選ばれた人物だからだそうだ。
今から生活に必要な別の屋敷を案内するから、ついてきなさい」
大賢者は扉の横に下がってきていた紐をつかんで引っ張った。
どこかで鐘のような音が響いたかと思うと一つの足音が聞こえ、扉の向こうから声がした。
「大賢者さま、お呼びでございますか?」
大賢者と呼ばれた老人は扉に触れると、扉が消えるように無くなった。
消えた扉の向こうには、別の室内なのか壁があり、その前に一人の男が立っているのが見えた。
「この者はシキと言う。私と同様に塔に呼ばれた。今後よろしく頼むよ」
大賢者がそう言うと、目の前に居た男性は志岐に視線を移した。
「シキさま、お世話をさせて頂きます。よろしくお願いします」
そうは言ったものの、男はその場所から一歩も動こうとはしなかった。
「この者はこちら、塔の中へは足を踏み込めない。だから我々が向こう、屋敷の方へ行く。
少し安全対策をするから、シキはそこでまだ動かないように」
大賢者は扉のあった場所から屋敷側へとでると、志岐に向かって何やら図案を描くように手を動かした。
「これで大丈夫だろう、こちらへ来なさい」
志岐はおそるおそる足を踏み出すと、一瞬だけ光に包まれたような気がした。
「心配は要らない。塔とシキとを念のため繋いでおいただけだ」
大賢者はよくわからない事を言った。
「繋ぐ、ですか?」
大賢者は頷くと、志岐についてくるようにと言った。
「お食事を用意しますので、いつもの部屋でお待ち下さい」
先ほど現れた男性はそう言って頭を下げて、こちらの建物のどこかへと移動していた。
志岐と大賢者は、装飾された壁の広がる廊下を二人で歩いていた。
この歩いている場所の周りの様子から想像すると、かなり格式のある建物に感じた。
「……どう言えばわかりやすいかな。この屋敷の場所も塔とは違う場所にある、
いや、別の世界……平行世界の方がいいか、そこにあると言えば解るか?」
志岐は首をかしげた。
「平行世界ですか?」
大賢者の説明によると、この塔の周りの土地はほんの僅かの確率で、同じように見えるが別の国や世界と接する事があったようだった。
この塔と接している屋敷がある国は、その昔は塔の国と全く同じ国だったが、発展形態が違う国らしい。
戦争があった時に勝った国が違ったとか、そういう違いだろうか。
言語も人種も環境もほぼ同じだが、屋敷のある世界には知識の塔というものはないという事だった。
向こうの屋敷の人からすれば、塔の位置には深い森が続いているとの事、
不可思議な森と言われていて、誰も立ち入らない地域になっているとの話だった。
歴史的分岐が幾つかあったとして、そこで世界の発展が変わる、そのいずれか違う世界や国と接点を持つという事だろう。
ただそれでも同じ星の中の似通った世界の場所限定で、まるっきり別の星の場所と接点を持ったという事はこれまでの歴史上にはなかったという話だった。
「この塔の機能はすばらしいのだが、それでも不自由な事がないわけではない。
だからこの屋敷が接した時に契約を持って繋ぎとめた。先ほどの者はこの屋敷に勤めているから塔側には入ってこられないのだよ」
志岐は頭の中で今聞いた事柄を整理した。
「つまりあの人は違う世界の人って事ですか?」
大賢者はゆっくりと頷いた。
「そうだな。だが違う世界とはいっても、塔の世界と似通っている。ほとんど違いはない。屋敷は私の持ち物で心配はいらないし、信用できる者しか雇っていない」
どうやって別世界の建物を購入できたのか不思議なところだけれど、
何とかする方法があったのだろうと志岐は思った。
「私とシキは塔に選ばれたわけだから、どこへ行っても塔へは戻れるはずだが、まだ確かめたわけじゃない。もしもまた全く別の世界に飛ばされて困ってもいけないから、シキは繋いである」
大賢者は何とか志岐に理解しやすいように説明してくれているようだが、
それでも言葉の変換の都合なのか、多少意味は分かりにくかった。
「繋ぐ?」
志岐は先ほどの光がそうなのかと思った。
「私より後に、塔に選ばれた人を見るのは初めてだから、万が一を考えてだ。
元の世界に戻れるのならばいいが、また知らぬ土地では大変だろう」
大賢者はそういいながら、一つの両開きの扉を開けた。
さすがにこの扉は、塔の扉と違って消えたりはしない扉だった。
部屋の中へと入ってみると、大きなテーブルの上に料理が置いてあった。
大賢者は一つの椅子へと向かい、傍にいた人が椅子を引いて座らせていた。
「おまえもそこに座りなさい」
志岐は反対側の椅子に向かうと、もう一人いた人が椅子を引いてくれた。
「遠慮なく作法など気にせずに、好きなように食べていいから」
志岐は手を合わせてから、目の前にある料理を見つめた。
見た目はどこかのレストランで出てくるような料理で特別変わった感じはしない。
ただ見た目から予想する味が、見知っている食べ物と同じかどうかは、分からないと思った。
志岐が困っているのを察したのか、椅子を引いてくれた人が取り分けようかと
言ってくれたので、お任せする事にした。
幾つかある料理の中から少しずつ、目の前のお皿に取り分けてくれた。
「……いただきます」
志岐はフォークを手にとり、とりあえず一つを取って口に入れた。
見た目が野菜に思えるのは野菜らしく、肉も同様の味だった。
さほど変わった味がするわけでもなく西洋料理的なものだと分かった。
「ありがとう、もう大丈夫です」
志岐は取り分けてくれた人にそうお礼を言ってから、食事を始めた。
食事に関しては特に好みにもうるさくない志岐は楽しく食べ続けた。
満腹感を感じて、手に持っていたフォークとナイフを置くと、大賢者が志岐の食べる様子を、
じっと見ていた事に気がついた。
「口にあったようで何より。美味しそうに食べていたな」
志岐の視線に気づくと、大賢者は微笑みながらそう言ってくれた。
「ごちそうさまでした」
志岐は手を合わせて、少し照れくさそうな表情で言った。
大賢者は傍にいた人を手で呼ぶと何かを伝えたようだった。
それから椅子から立ち上がると、志岐にもついてくるようにと言った。
志岐は大賢者のあとに続いて、また別の部屋へと移動した。
そこには屋敷で働いている人のような、ある程度の人数の人が集められていた。
「皆の者に紹介しておこう。ここに居るのは私の大事な息子、または孫のような者じゃ。
名はとりあえずシキと知っておいてくれ。彼の世話も私同様に頼む」
集められていた人は当然のごとく、現代の服装ではなかった。
女性はロングスカートをはいており、男性はホテルマンのような服を着ていた。
一番違うのは髪の色合いだろうか、よくみれば金色や茶色なのだが、
霞がかかったような、光で反射しているような、ガラス越しに見るような色だった。
志岐が集まった人を見ていると、一人の男性が前に進み出てきた。
「承知しました、旦那様。ではシキ様の方は若様とお呼びさせて頂きます」
横に立っている大賢者の方を向いて丁寧に一礼したあと、そう言った。
「シキ、この者ゼノはこの屋敷の総取りまとめをしている。困った時には相談するといい。
私の手が用事で離せない時は特に、な」
大賢者は志岐に向かっていうと、ゼノという男性は志岐に向かっても一礼をした。
「ゼノ、後で詳しい説明をするが、シキはこちらの生活に一切慣れていない。
それを考えて行動するように」
ゼノは一礼して後ろに下がった。
「シキに何かあるようだと、全員解雇で済めばいいが、場合によっては処断する。
くれぐれも気をつけるように」
大賢者はそう言うと、みんなに仕事に戻るように指示した後、志岐を連れて、また塔の部屋の中へと戻った。
「そこの穴から好きな書物を読んでおいてくれ、寝室の手配をしてくる」
志岐は特に困った事もないので、頷いた。