13. 泊まるところも大事です
志岐は職員にそれからお薦めの宿があるか尋ねてみた。
「そうですね、食堂付きの宿がお薦めでしょうか」
目印と何軒目にあるかの説明を受けて、志岐はギルドから外に出た。
ギルド内は静かなもので、志岐の様子を気にする者もいないようだったし、
受付の職員も決して志岐の名前を口には出さなかった。
無関心というよりは、そういうシステムのような感じだった。
明日から2日間は滞在しないといけないので、志岐はお薦めの宿へと向かった。
宿屋の看板の絵は解りやすくベッドの絵だったが、それだけでは全部同じになる。
薦められた宿には、ベッドの絵だけでなく、鹿のような絵があった。
ここの建物はほとんどがレンガのような石造りで、扉は外側に引いて入る。
中から出る場合は押してでるようになっていると聞いていた。
志岐は一つため息をついてから扉を引いて宿屋に入った。
幾ら塔の中で2年間を過ごしたといっても、こういう時には緊張する。
宿屋の主人らしき人は志岐に気が付いたようですぐに声をかけてきた。
「泊まるのかい?」
「はい、3泊お願いします」
志岐は主人のところに近寄ってそう言った。
「朝食付きで一泊100クレス。食事なしならば80クレス。どうするかね?」
「朝食付きでお願いします」
志岐はそう言って肩にかけていたカバンに手を突っ込んで、空間収納から代金を取り出して、宿屋の主人に渡した。
大賢者やゼノに聞いていた宿屋の値段に比べるとかなり安いと思った。
ギルドの紹介だからだろうか。
宿屋の主人は硬貨を確かめると、1枚の薄い板を渡した。
「これを部屋の扉の横の箱に押し当てると中へと入れる。魔道具の一種だから、
大切にしておいてくれ。出かける前に戻してくれてもいいが、な」
志岐は板を受け取ると、部屋ナンバーが書いてあった。
主人は隣の扉を手で示してからそこが食堂だと教えてくれた。
「朝食はここで。他の食事も代金を払えば食べられるからよろしく。
そっちの扉の向こうが客室になっている。扉をあけて入っていってくれ」
志岐は頷いて、扉をあけて中へと入ると、数字と矢印が書いてあった。
表示の通りに行けば部屋に行けるらしい。
不親切にも思ったが、ここは日本とは違う世界。
どんな人が他に泊まっているのかは分からないから、どこの部屋なのか、
他人には分からない方がいいのだろう。
壁にかけられている数字や絵を見ながら、志岐は自分の部屋へとたどり着いた。
壁ぎわにある箱に木の板を押し当てると、カチリと音がして扉が開いた。
部屋は一間で、さほど広くもないが狭くもない。
ベッドが一つとテーブルと椅子が一組。洗面所らしき扉があった。
志岐はベッドに腰掛けると、カバンを肩から外して横に置いた。
それからギルドカードを取り出して、じっくりと内容を確かめてみた。
シキという名前とランクのF、それに特技は魔法になっていた。
それ以外は魔物討伐数や、依頼達成数、依頼内容などの項目があり、
数字が入りそうなところはどれも0で、依頼内容は空白になっていた。
ここは先ほど聞いた説明によると、依頼を受ければ内容が表示されるらしい。
裏をひっくり返してみても、特に何かが書いてあるわけでもない。
志岐は再びギルドカードを空間収納の中へと入れると、
今度は中からサンドウィッチと果実水の瓶を取り出した。
時間が経過しないようになっているから、サンドウィッチも出来立てだし、
果実水も冷えたままだった。
最も調理場で果実水は冷蔵庫のような魔道具で冷やされていたからだった。
志岐はサンドウィッチと果実水で昼食を取った。
魔道具だと言われたここの部屋の鍵になっているような木の板も、
ひっくり返すと模様のような図案が描かれていた。
それもどういうものなのか気になったのだが、他にする事がある。
とりあえずは必要だと急いで入れた空間収納の中身を確かめることにした。
屋敷に居た時には手あたり次第中身を入れておいたのだが、冷静になって考えると、何となくとんでもない物も交じっていたような気がしていた。
もともと大賢者が用意した武具にしても、かなりの高級品だし、若干劣ると言われたゼノが用意してくれたものも、高級品には違いない。
みんながかなり張り切って用意してくれたものだが、一般的にはどの程度の物を
他の冒険者たちが使っているのか、確かめてみなくてはいけないと考えた。
様子を調べに町中に出かけるにしても、まず小さな袋の予備が無いか探し始めた。
革袋に入っているお金は論外で、でも小袋に入れられているお金もかなりの量だ。
銅貨系ばかりだけでなく、小金貨も金貨も少しは混じっていた。
それをいちいち取り出して開いていたのでは、いくらなんでも危険すぎる。
空間収納に硬貨をそのまま入れてもいいのだが、できれば小分けしたい。
志岐はリストの表示を見ながら、適当な入れ物が無いか探していた。
ようやく見つけた一つの袋を取り出して、当座の資金用の小袋も出した。
この国の貨幣単位はクレス。紙幣はないらしく全部硬貨。
小銅貨、中銅貨、大銅貨、白銅貨、小金貨、金貨、白金貨となっている。
順に1クレス、10クレス、100クレス、1000クレス、一万クレス、
10万クレス、100万クレスというようだった。
ゼノの話によると、普段の生活で使う硬貨はほぼ銅貨ばかりで、
金貨は重要な取引の場合しか使わないらしい。
他にも青銅貨50クレスと赤銅貨500クレスがあるみたいだが、
計算に戸惑う人がいるらしく、あまり使われないようだった。
志岐の感覚からすれば、細かいお金ばかりでなく便利だなと思うのだけれど、
こちらの世界の人からすれば、そうでもないのだろう。
志岐は小袋の中から必要と思われる金額の銅貨ばかりを取り出して、
新しい小袋に仕舞った。
それから空間収納のリストを一応隅々まで見てから、生活魔法の書物を取り出して読み始めた。とにかく必要なのは、身体を清潔にする魔法だった。
ずっと塔の中では風呂に入るかシャワーを浴びていたし、志岐にとっては長時間歩いてきたので、せめて清潔にする魔法を使いたい。
ようやく『洗浄魔法』という項目を見つけだした。
初めてみるこちらの魔法だけに呪文を言う必要があった。
さほど難しい文章ではないが、呪文だけは間違えないように何度も読み返した。
書物を空間収納に片づけると、洗浄魔法を使った。
呪文を唱えるのはかなり恥ずかしいが最初だけはどういう魔法なのか知るためにも仕方がない。
「アンダインに願う、これらのものを洗い清め、整えよ!」
志岐は靴や着ていた服の汚れが消えたと同時に身体の方もさっぱりとシャワーを
浴びた後のような感じになったのに気が付いた。
呪文にしても誰に願っているのか、そのあたりはよくわからないけれど、
とりあえずどういう状態になるのかは理解したと思った。
志岐は置いてあったカバンを再び肩から背負うと、部屋から外に出た。
夕食まで時間があるので、少しでも町中の様子を見ようと思ったからだった。
受付にいた宿屋の主人に木の札を預けると、外出する事を告げて外に出た。