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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愚者の話

作者: 千鳥







----これは、決して恋ではありません。恋と呼ぶには、余りにも滑稽過ぎるのです。






***





閑散とした森の中に、一つだけ佇む家があった。そこには女の子と、女の子のおばあさんが二人で暮らしている。

女の子は、マリイといって、昼下がりにはお家から出て来て、アーモンド色の目をきらきらさせて、ふわふわな栗色の髪の上に乗ったピンクのリボンを揺らしながらとことこと歩く。かわいい。

僕はそんなマリイがだいすきだ。家を持たない僕が森の中でふらふら歩いて居て、お腹がすいたなあと思うと、テレパシィのように、マリイはパンとミルクを持って現れる。


「キティ、キティ」


ああ、今日もマリイが僕を呼ぶ声がする。僕は駆けて行って、彼女に擦り寄った。


「キティ、くすぐったい」


マリイが目を細めると、金色の睫毛が透けて淡く光る。僕はその眩しさに、目が眩む。


「今日はねぇ、おばあちゃまと黒すぐりのパイを焼くのよ。そしたら、キティにも持ってくるわね」


パンを貪る僕の頭を撫でながら、マリイは言った。前は、スコーンだったと思う。少しいびつだったり、焦げていたりするけど、おいしい。


「じゃあね。また明日、来るから」


挨拶のハグをされると、優しい香りがした。僕はその、甘い幸せにひたる。

しかし一方でこんな時、我が身を呪う。何故僕は、彼女を包み込む腕を持たないのだろう。


……………………。





----そうして幸せな時を過ごしていた。

けれどある日。マリイが泣きながら僕の元にやってきた。


「おばあちゃまを、怒らせちゃったの……」


なんでも、おばあさんの大事にしていた膝かけを悪戯で破いてしまったらしい。

最近のおばあさんは忙しそうで、遊んでくれなかったから、少し気を引きたくてやってしまったのだとか。


「きっと、マリイの事、嫌いになってしまったんだわ」


そう言って、アーモンド色の瞳から大粒の涙をぽろぽろと零す。

こんな時、我が身を呪う。何故僕は、彼女の涙を拭う為の五本指の生えた手を持たないのだろう。そんな事無いよと、元気付ける為の声を持たないのだろう。僕はマリイのぽろぽろと零れる涙を、指の代わりに舌で掬いあげる。


「……おうち、かえりたくない……」


その日、マリイは、最近の僕のねぐらの木の幹にできた空洞で、僕と一緒に寝た。少し狭かったけれど、二人で寄り添って寝たから、寒くはなかった。

しかし何時までもここに居る訳にはいかない。翌日、マリイは俯いて、僕に言った。


「キティ、おうちまでついてきてくれる?」


僕は彼女を見上げる事で肯定した。


少し震える手を、握る事も出来ず隣をとことこと歩く。

暫くすると、ふと、鼻孔を擽るきな臭いにおい。人より鼻の利く僕は嫌な予感がして、マリイより先に、家に走った。


(ああ…………)


声にはやはり、ならなかった。追い付いてきたマリイがへたりと地面に座り込む。

何故ならば、おばあさんと二人で暮らして来た家が、ごうごうと炎を上げていたからだ。彼女の絶望は、安易に感じ取れた。


「おばあちゃま……!」


はっとした。彼女の声はいつの間にか遠かったから。燃え盛る炎の中に向かって駆けてゆくマリイを止める術を持たぬ僕は、喉が張り裂けんばかりに鳴いた。泣いた。


けれどもそれは届かない。



しかしマリイは火の粉を右目に浴び、炎の中に潜り込んで仕舞う前にその場にうずくまった。今しかない、チャンスだとばかりに僕はマリイの腕に噛みつく。早く、早く。逃げよう。

マリイにその思いが通じたのか、彼女は僕を抱き上げ、祈るようにぎゅっと強く抱きしめた。一向に静まらない炎を、マリイは決して振り返る事なく、逃げるように走った。走って走って、へとへとになったところでマリイは座り込んでわんわん泣いた。爛れて潰れてしまった右目からも、ぽろぽろ、ぽろぽろと涙を流した。僕はただただ、それを拭うのみ。


そして願うのだ。



神様。

彼女の涙を掬える掌が欲しいのです、

彼女を抱きしめられる腕が欲しいのです、

彼女の名を呼び慰められる声が欲しいのです----









…………家も家族も無くなってしまったマリイは、僕の寝床である木に一緒に住むことになった。

マリイのおばあさんは家族を持たなかった人で、そのおばあさんが死んだとなると、無論マリイは一人になる。森の中にひとつぽっちあった家が焼けたところで他の誰かの何かが変わるわけでもなく。


「"ひとのよ"は残酷だよっておばあちゃまの言葉の意味がすこしわかったきがするわ」


火事の日の夜、眠りに就きながらマリイはぽつりと零した。昨日もこうしてマリイに抱かれて、しあわせな気持ちで眠ったけれど、何故だろう、今日はすこし、せつない。


眠りに就くしゅんかん、もういちど神様に祈ってから、目を綴じた。



にんげんになれますように。にんげんに……








***





「……ィ、キティ?」


目をつむっているのに、朝の光りがやけに眩しい。目をしぱしぱさせながら瞼を持ち上げると、マリイがひどく驚いた顔をして僕を見ていた。


「キティ、あなた、ほんとにキティ?」



何を言っているんだろう。しかしその疑問は、暫くすると解けた。

身体が、巨大化している。それだけで無い、人のかたちをしている。この、僕が。人で無かったであったはずの、僕が。


「キティはキティ(こねこちゃん)じゃなかったのね…」


その通り、僕は男で、人のかたちはマリイよりずっと背が高い。

マリイは僕の頭を抱える。髪の毛をふわふわと擽る陶器の肌が、きもちいい。僕はそれに甘えてごろごろと喉を鳴らす代わりに、マリイを抱きよせた。


「……マリイはまだひとりぼっちじゃ、なかったのね」


そういって、僕の頬に軽くキスを落とす。僕はどうやら声を持たないらしかったので、喜びを口に出せない。

しかし腕を持つので、彼女を抱き上げられる。


ああ、かみさま、ありがとう。

僕はとてもしあわせだ。


朝の光りを浴びながら、僕ははじめて"笑み"というものを刻む。



しかし、魔女が人魚姫に声を求めたように、願いを叶えるには、何らかの代償が必要らしかった。


最初に代償の意味を知ったのは、二人の盗人を殺した時だった。あいつらは、森の中で偶然出会ったマリイを、身寄りが無いからといって売ろうとしたのだ。

殺したのは無意識の衝動だった。転がっていた棒きれで何度も何度も殴った。いわゆる"けんか"は、動物の本能を持つ僕の方が人間より勝れているらしい。

そして二人が事切れたと思ったと同時に、僕の視界は真っ暗になった。塞がれたのでは無く、闇が降りてきたのだ。


「キティ……キティ、マリイが見えないの?」


こくんと、一度だけ頷いた。どうやら"しつめい"というものらしい。けれど大して困りはしなかった。マリイの匂いや声は感じる事が出来たので。


「じゃあ、キティはわたしのボディガードだから、マリイはキティの目になるわ」


そうだね、という返事の代わりに、再度頷いた。



その日、僕は夢を見た。黒い猫の姿の僕が、ふわふわと光る丸い発光体の前に居る。


(……あなたはかみさまですか)


直感だった。しかし光は応えない。ただ、言うのだ。


『ひとを殺してはいけない』


人を一度殺すたび、お前の五感を一つ奪うと、光は言った。


『六度殺したらば、お前は元の姿に戻り死する』


怖いとは思わなかった。マリイのしあわせの邪魔をするなら、人を殺すことも感覚を失うことも厭わない。


(はい、わかりました、かみさま)


それから、この姿を与えて下さってありがとうございます、と伝えて、僕は夢から醒めた。








***




それから幾月か経つ間に、僕は四度人を殺し、感覚を全て失った。見返りなど欲していなかったし、たやすかった。


盗人の次に殺したのは、猟師。マリイを小動物と間違えて銃で撃ちそうになったので。その時には、聴覚を失った。マリイの僕を呼ぶ声が聞こえなくなるのは悲しかったけれど、指先で彼女の小さな唇に触れれば言葉は読み取れたので十分だった。


次に殺したのは旅人だった。飢えに苛まれ、マリイを取って食おうとしたので。その時には、味覚を失った。例えば幸せはあまい味だとか言うひとが居たけれど、僕はそうでは無いと思う。幸せに形が無いように、味も無い。


次に殺したのは、罪人だった。死刑台から逃げ出してきて、マリイを人質にしようとしたので殺した。その時には、嗅覚が奪われた。しかしマリイの肌の柔らかさや髪の毛の感触を感じれるので、何ら問題は無い。


そして最後に殺したのは、何の罪も無い子供。食べるものを、手に入れるためだった。その時、僕の感覚は全て失われた。といっても、それは人間のごく基本的な感覚であるから、僕は僕自身が持っている本能でマリイの存在を感じる事が出来るし、抱きしめた時の匂いも感触も何も、感じることは出来なくなっても、記憶が在る。だから僕はしあわせなんだ。




最期に人を殺したのは、幾月の更に幾月経ってからだった。目も耳も鼻も舌も手も、何も感じることは出来ないけれど、マリイ以外の人が居るのが分かった。マリイがひどく驚いたような風だった。マリイが、何かされている。だから僕はそいつを殺さなければならない。"死"の運命が六度目の人殺しの後に待ち構えていたとしても、僕は----


「だめえぇぇぇっ!!」





あ。





僕の身体が急速に小さくなっていく。同時に全ての感覚が、戻る。

嗅覚。血の臭い。

触覚。生温い体温。

聴覚。マリイの悲鳴。

味覚。鉄の味。

視覚。死んだはずのマリイのおばあさんと、血塗れになって地面に横たわるマリイ。



そうか、そうか。ぼくはすべてをりかいした。


マリイのおばあさんはいきていて、マリイをさがしていたんだ。

そして、マリイをみつけた。かんかくをうしなったぼくはおばあさんをわるいひとだとまちがえてころそうとした。



マリイはそれをかばって、ぼくにころされた。




果たして今の身体で涙が出るのかはわからなかったが、僕は悲しみに暮れた。死に埋もれながら、さいごにマリイの淀んだ瞳を、ぱさぱさの髪を、汚れたリボンを視界に入れながら。


土と血でまみれていたけど、僕のかわいいマリイ。




----『あなたの名前はキティよ』


こういうのを、"ソウマトウ"というんだろうか。怪我をして死にかけていた僕を、拾い上げて温めてくれたマリイ。





マリイ、ぼくはしあわせだったよ。きみはどうだい?


それから、きのぼうでぶってごめんね。


ごめんなさい。











…………マリイ、マリイのおばあさんは、みすぼらしい一匹の黒猫と君とを、一緒に土に埋めてくれるだろうか。











****




----これは恋ではありません。ただの、愚か者の喜劇にすぎないのです。


この滑稽さを、嘲笑ってくれて構いません。



嘲笑っても構わないから、どうか生まれ変わった時は.…………。




fin

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