序章
第二次世界大戦に化け物をたらふく突っ込みたいと考えた結果です。
異形、突然変異、魔法、魔術、聖騎士、魔女、円卓、神殺し、そのほかファンタジー要素強め。ただし神そのものの登場はなし。
歴史上の登場人物あり。ただし、架空の人物も多め。
戦争ものだが政治要素なし。
魔物はいるが登場予定なし。
主人公最強、ただし他勢力にも最強登場予定。
主人公は基本日本勢。ただし、群像劇寄り。
プロットはあるがストックはなし。
上記すべて撤回の可能性あり。
注意事項・タグは随時追加予定。
趣味の塊故に更新予定は未定。章単位でできたら上げます。
突然変異、異形、魔法、魔術師、騎士、聖騎士。
あるいは、魔物、魔獣に、幽霊、怪獣、そして、竜。
おとぎ話に語られるそれらの存在は、”裏”の世界の常識であり、同時に”表”の世界における空想の産物だ。
空想でしかなかったはずだった。
突然変異は、血や技術に依存しない特異な力、超能力とも呼ばれるもの。それが自身の肉体を変質させるほどの物であれば異形と称される。その突然変異によって得た力を体系化し、受け継いでいったものが魔法や魔術と呼ばれるようになった。
騎士とは、少なくとも”裏”においては、そういった特異な力を振るう戦士たちのことであり、聖騎士はそれに宗教などによる徹底的な自己肯定による強化を施した者。
それらが打ち払うのはこれまた異形の怪物たち。おおむね魔獣と称されるそれらは、人の思いを喰らい、この世界に現れる。
しかし。
一つの大きな戦いにより、裏と表の境は失われ、”表”は”裏”を知り、力として認識された。
同時に、”裏”の深淵も。
--
神殺し。
その言葉が指すのは、少なくとも今の日本において、おとぎ話や神話の中の英雄ではない。
ただし、古くは神話に語られる存在として。
例えば、天照と天の岩戸の神話。火山の噴火や日蝕を示すものとの説があるが、事実として、これは人が成したことだ。
いや、人というくくりに入れていいかという点に議論はあるだろうが、少なくとも確かに生きていて、そして死んだ人間が行ったことであるという記録が残っている。
即ち、人の身での太陽炎の招来。
天の炎を地上に呼び寄せ、地を覆っていた禍を薙ぎ払った。
その記録だ。
ただし、この時点では歴史の表舞台に立っていない。
あくまで裏側から、皇の意思のみによって動く、そういう存在だった。
そして、その彼らにとっての最大の転機、それが戦国の終焉、関ケ原の戦いだった。
日本の覇権を争った徳川家康と石田三成であったが、その決定的な違いが皇家への対応であった。
石田三成は離れ、徳川家康は接近した。
結果、皇家は徳川家康の要請を受け、実力として保持する神殺しの三家、そのそれぞれの当代を東軍と西軍の争う場所へと参戦させることを決定した。
京の都、皇家の眼前で、石田三成が徳川家康の家臣に戦いを仕掛け、これを打ち破ってしまったのも理由の一つだろう。
いずれにしろ、皇家をないがしろにする存在よりも、皇家に対しそれなりの敬意を持つ存在の方が都合がよいのは明らかだ。
そういった意思と、長らく続いた、皇家の力を顧みない者たちが跳梁跋扈する戦国の時代を終わらせる良い機会だったという事実、そして、神殺しの存在を知った徳川家康による熱心な工作活動の結果、関ケ原は皇家の力、神殺しの存在を表に示す、
虐殺の場となった。
草薙剣、八尺瓊勾玉、八咫鏡。
日本において古くから伝わる神器でり、それを「神の器」と考えている者も多くいる。同時にそれぞれが祀られた神社に安置されているものが本物であると考えている者も多い。
しかし事実は異なる。
まず、神社に安置されているものは本物ではない。形だけの偽物だ。それでも神格と呼べるだけのものを備える規格外なものであることは事実だが。
本物はどこか。それを持つのは皇家でもない。
その神器を、正しく神器として扱うことのできる者たち。神殺し三家それぞれが保有しているのである。
「神の器」というのも正しくない。
その本来の役目は、兵器である。より正確には、人間兵器たる神殺しの力を、十分以上に引き出すための、組み合わせてこそ意味のある武具。
神話の再現をたやすく行うことが出来る、戦略級と言って差し支えない兵器なのだ。
そして、「神器」という名前。これは神の器という意味ではなく、神が作った器という意味だ。
つまりは、神の創造物。それを人の身で、神を殺すという手段で奪ったのが現在の神殺し三家の先祖である。
それが神殺し。そして、神器の担い手たる彼らである。
その、まさしく超常の力が、関ケ原とそれに付随する戦場で振るわれた。
草薙剣。場所は関ケ原。
それは武力の象徴。皇家の、ではなく神殺しの持つ前線武力の象徴だ。直接的な攻撃という点において草薙剣に勝るものは、少なくとも日本国内に存在しない。あるとすれば世界のどこかで同じように神が、ほかの神を殺すために鍛えた武具くらいの物であろう。草薙剣はそのほかの神器の使用者を守る盾であり、禍を断つための矛である。
その一振りで前線の1万が消し飛び、手加減を加えた二振り目でさらに1万が戦闘能力を失い、三振り目とその余波によって西軍本陣が崩壊し、総崩れとなった。
八尺瓊勾玉。場所は上田。
象徴するのは天の月。太陽を象徴する八咫鏡と共に、直接的ではない力を分け与える役割を持つ神器。しかしその実態は、勾玉を核とした変幻自在の武装群だ。それを、当代の担い手は弓と、尽きることのない矢と言う形を与え、用いる。
上田の地に籠る上杉・真田を中核とする軍勢を、神器によって生み出した矢と弓によって、ただの一矢で無力化して見せた。
そして、八咫鏡。場所は大阪。
象徴するのは太陽。鏡というのは媒体でしかない。その本質は「うつす」ということ。それは転移する「移す」でもあり、物を詳細に写し取る「写す」でもあり、媒体の感染・移動を意味する「遷す」でもある。そして何より、天の岩戸の神話において、太陽を顕現させたのは八咫鏡であった。
関ケ原の合戦からの数日で、大阪の地には多くの将兵が集結していた。
なまじ、前線や本陣でしかその規格外の力を見ることがかなわなかったために、絶対に勝てないという事実を認められなかったものが多く出たためだ。形としての総大将職であった毛利輝元もその一人である。彼は豊臣秀頼を説得し、大阪の地で家康に対する抵抗を宣言した。
宣言し、その直後に大阪の地に陣を張る多くの将兵と共に、死んだ。
八咫鏡。その本来の、そして最大の役目は天の炎、太陽フレアの招来である。
大阪の地を見下ろす山の上から、その大阪の城を狙う形で呼び出された六千度を超える熱線の帯は、大阪城を跡形もなく消し飛ばし、大阪湾の地形を変え、大量の海水を蒸発させ、消えた。
これが、歴史書に神殺しの名が最初に現れる出来事。ただし、数十年後には眉唾の伝承という格にまで落ちてしまった程度であるが。
--
かくして、日本の登場人物は歴史に現れた。
しかし、それまで表舞台に出ることのなかった彼らを人々は知らず、また、それ以降目立った活動を行わなかった結果、家康の死後わずか数年で、関ケ原とそれに付随する戦いは、天災の結果であるとの説が事実になってしまった。家康の軛から離れた徳川幕府の面々が、事実としてしまった。
結果として、それは正解だったのかもしれない。
隠れていたものは、元通り隠す。その結果、世界は彼らを知らず、そして、彼らも世界を知ることはなかったのだから。
現在においても神殺しの役目は唯一つ。
皇家の意思に従い、皇家に仇なす敵をまつろわす。
歴史の裏に潜った彼らは、再び表に現れる。
時は1940年代。
のちに第二次世界大戦と総称される、大戦の舞台に。
--
「出番かな…」
個室の中、答えるものは誰もいない。
ただ、外から爆音と振動が部屋唯一の明かりを揺らす。
窓から見えるのは軍艦だったものだ。
数分前に何かの一撃を受け、艦橋が吹き飛び、今ゆっくりと沈んでいる。
部屋の外に気配が立つ。知っている気配だ。同時に、今、この場所にいていい人物でもないはずだ。そう思うが、それも奴に与えられた役割であったことを思い出し、椅子から立ち上がり、扉を開く。
「出番だ」
「アンタの役割は俺らに、”何を”、”どうするのか”、その始まりと終わりを伝達するんだ。敵は?数は?」
「敵は、目標は一人。”魔王”ルーデル。奴を殺せ。
我々は奴を止める術を持たない。頼みの綱も先ほど死んだ。
ほかの飛び回っている奴らはどうでもいい。”魔王”を落とせ。」
「若造どもじゃ何人集めても意味がないだろう。最初からそう言えばいいんだ。」
満足できる回答だ。
そう言い、命令を下す役割を持つ”奴”の肩を押しのけ、部屋を出る。向かう場所は飛行甲板。
”若造ども”。そうは言ったが自分もまだ若造だ。ただ、それは年齢的には、というものであるが。少なくとも、日本において自分たちを超える個人戦力は存在しない。これは推測ではなくれっきとした事実だ。皇家は皇家以外が神殺しに匹敵する武を持つことを許さず、その結果として、一般民衆の魔術や魔法、また、それ以外の異形に対する認識は、おとぎ話や噂話の中にしか存在しない。例外と言えば、各地に存在し、霊障を払う役割を持つ神殺しの分家や、それこそ忍者の末裔や在野の術師くらいのものだ。最近はそういったところから軍が引き抜きを行い、戦力化を目指していると聞いていたし、事実としてどんな面々が軍に所属しているかも知っている。
空を飛ぶ術を扱うことが出来る人物がこの艦に乗っていたことも知っている。それでも、そこまで行っても、現代の機械兵器とやりあったら普通の歩兵よりは善戦出来る、という程度でしかない。ましてや空を飛ぶ”魔王”の相手など、務まるわけもないことは初めからわかっていた。いや、”魔王”ルーデルが出張ってきているというのは先ほどの会話で初めて知った。だとしても、こちらの航空隊は攻撃に出て、距離を飛べる機械製の航空隊は撃退され、艦隊上空の制空権が奪われた状態で、機銃一門をかろうじて放てる程度の、多少小回りが利く程度の歩兵が数人飛んでいようが、大勢に影響を与えられるわけもないことは初めからわかっていた。
飛ぶのは前提。生きて帰って三流、落とせて二流、そして五機落として一流だ。機械に頼る人間も、機械に頼らない人間も同じ。海軍が切り札の一つとして保持していた、そして先ほど失われた男は先の大戦で一流と呼ばれるにたるだけの戦果を挙げている。だが単純に数が違う。そして、その切り札が経験してきた敵とは練度が違う。なんといってもドイツ帝国軍。先の大戦において空で不敗を誇った軍団の一翼だ。性能も見ると、数で上回ってやっと戦力が均衡するという評価だ。勝てるわけがない。
第一次世界大戦はドイツ帝国とロシア帝国が東欧諸国に攻撃を仕掛けたことから始まった。半ばドイツとロシアの両帝国に従属していたいくつかの国がその支配に反抗し、その鎮圧に両帝国が派兵したのがその発端。反抗した国々はドイツの裏側に存在するイギリス、フランス、イタリアと密約を交わし、加えて対ロシア帝国としてトルコを取り込み、大戦争を仕掛けたのだ。
しかし、その密約は、実際には密約ではなかったというのが真実だった。ロシアが正面から東欧諸国とオスマントルコを相手取り、ドイツはその戦線を完全に無視しフランスへと電撃的な攻撃を仕掛ける。その大返しの原動力となったのが”魔王”ハンス・ウルリッヒ・ルーデルであり、ドイツの誇るもう一人の英雄、”空の王”エーリヒ・ハルトマンだ。他にも”突然変異”を含む人を超えた戦力を保有していた両帝国ではあったが、その二人の挙げた戦果は常軌を逸していた。ルーデルの過ぎ去った戦場、その地上には機械兵器の残骸しか残らず、ハルトマンは飛んだ空のすべてを支配し、ただの一度も敵に制空権を与えることはなかった。
最終的にアメリカの参戦と、そのなりふり構わぬ物量により、両名ほどの英雄に恵まれなかったロシア帝国が劣勢となり、最終的に講和が結ばれることになった。東欧諸国は独立を保つことはできたものの、その領土を大幅に減らし、経済的にも資源的にも両帝国への依存を強めざるを得ない結果となった。そして、アメリカが”特記戦力”と呼ぶことを決めた人外の存在を、各国は表に晒し、その力を抑止力として、数年間の平和が出来た。
その”魔王”だ。自分はルーデルの戦いを知らない。正確には知識として知ってはいるが、実際に見たことはない。
”魔王”、その名に恥じぬ戦歴を持つ、ドイツが誇る英雄だ。単独で一個飛行隊に相当すると称され、実際にそれだけの戦果を数年前までの大戦で挙げた”突然変異”。先進国と呼ばれる国の中でも長い歴史を持つ国が、その歴史の裏側にひた隠しにしてきた超常の戦力を表に出し、その力を誇示することを求められた元凶。そして、先の大戦でドイツが「勝てる」と確信し、仕掛けた一因。実力は折り紙付きだ。英国の円卓も敗退せずに堪えることが出来たという程度、フランスの魔女組織に壊滅的被害を与え、イタリアの聖騎士を撃破している。その英雄がはるばるインド洋にまで進出してきた。
今までインド洋は同盟軍の海だった。内海と言ってもいいほどに。そこに、ドイツは艦隊を派遣してきた。スエズがドイツ・イタリア・ロシアの連盟軍に落とされた時点で予期された事態ではあったから、侵入の報告を受けて幾分の時間も立たないうちに自分はここにいる。ドイツ軍は主力を出してきた。ドイツ海軍は、ではない。ルーデルは空軍所属だ。この分だとルーデル以外にもドイツ軍の撃墜王・撃破王が出てきていると考えるべきだろう。まさしく総力戦だ。連盟軍はヨーロッパ大陸をすでに制覇している。我ら同盟のフランスはすでにその全土を失陥し、亡命政府の名のもとに植民地で抵抗を続けるのみ。ロシアと同盟関係にあるドイツが次に狙うとすれば、南方、そして、さらに東方だ。連盟軍の戦略想定は聞いていた。そして実際にこっちまで来てくれた。
おかげで強者と戦える。
だからこそ、笑う。
自分の意思とは関係なく、口が半弧を描く。
すれ違う海兵たちがその表情に、そして漏れ出すその濃密な殺気に、恐れおののいていることにすら、すでに彼は気付いていない。
彼ら神殺しにとって、この大戦はちょうどよい舞台という程度の認識なのだ。
これまでの神殺し三家の歴史の中でも類まれな才能を持つ現当代、または次期当代といった面々が、その力を存分に振るうことのできる時代。
良い時代になったものだ。自分はそう思っているし、ほかの家の自分と同じ立場の者もそう思っているという確信がある。
皇家の意思に従うことに異存はない。むしろ、誇らしくすらある。
しかし、その誇りと、神殺しとしての闘争本能は別物だ。日本という島国に隔離されていたからこそ、世界という大海を知ったとき、彼らは世界に可能性を求めた。即ち、自分と同等か、それ以上の力を持つ強者との戦い。彼らの先祖、開祖が成した神殺し、それに匹敵する興奮を、世界に求めた。
皇家の意向に従って、強者と思う存分戦える。思う存分、神を殺すための武技と、神より奪い取った神器を振るうことが出来る。
興奮していたら、いつの間にか飛行甲板にまでついていたらしい。
右手に剣、神殺し三家の一つ、神立の当代である証、神器たる草薙剣を呼び出し、空を見上げる。
見つけた。
空を舞い、こちらの直援戦力を撃破し続ける魔王。護衛の艦隊を沈める片手間で航空戦力を撃破し続ける姿は、確かに対抗する力のない一兵士から見れば”魔王”と呼び、恐れるしかないだろう。だが、まあ、自分にとっては、”その程度”の力しか出していないように感じる。手を抜いていることはわかるが、自分の攻撃に耐えることが出来るのか、少し疑問を感じてしまう。
牽制の一撃。垂らした右手を振り上げ、牽制と呼ぶには過剰なほどの殺気と威力の乗った斬撃を放つ。斬撃は数千メートルの距離をわずかな時間で飛び超え、魔王の眼前に到達する。しかし、所詮は牽制だ。少なくとも、今の一撃が駆逐艦を縦に両断するほどの威力が乗っていようと、牽制と受け取ってくれないようでは自分の相手をするには物足りない。
その点は安心できた。魔王は眼前に迫った斬撃を正面から無力化して見せた。いささか力が入っているように見えたが、まあ、自分の相手をする分には及第点と言っていいだろう。魔王はやっとこちらに意識を向けた。だからこそ、先ほどの斬撃に乗せた殺気が児戯に思えるほど、獰猛で濃密な殺気が、”魔王”に向けられる。
「よお、世界。ちょっと、相手してくれや。」
日本の神殺し、その最大の盾にして矛、神立の家の当代、神立剣の初陣であった。
彼らはいまだ、世界を知らない。
しかし、世界もまた神殺しを知らなかった。
--
二つの世界大戦を説明する際に、おそらく最もよく使われるフレーズがある。
第一次世界大戦は、機械戦力の出現と、”裏側”の戦力の出現。
ただしそれでも「人間の戦争」
そして、第二次世界大戦は。
「人間の戦争ではない」
ルーデル閣下筆頭に生年月日は気にしないでください。
WW2のキ○ガイどもをさらにキ○ガイにして、それすら超えるキ○ガイどもと、ばかすかやりあうののを書くのが当面の目的です。
とりあえず、歴史の大まかな流れは変わっていません。歴史上の偉人もおおむね同じです。
ただし、ちょくちょく時期が異なっている事柄があります。
第一次世界大戦の経緯からして異なります。
一例として、ドイツ帝国とロシア帝国は仲良しです。
ありがとうございました。