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愛に没す人  作者: レナルド・スキナルド
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闇に堕ちた人魚姫

 ジョゼの再びの失踪から数日後。私は同じ情報屋の仕事仲間から呼び出しを喰らっていた。待ち合わせは例の個室茶屋だ。

 ロランという街の情報屋。

 扱っている情報屋は血なまぐさい殺人・障害事件や暗殺などの陰謀。こちらもゴシップと同じく大いに民の興味をそそるものだが、何分精神面の図太さというものが必要になってくる。はっきりと言うと、私には無理な仕事だ。情報として聞くぐらいならまだしも、それを現場にまで行って手に入れようとは思えない。


「レナルド、久しぶりだなあ」

「……ロラン、今日は何の要です? こっちは、逃すことのできない取れ高があるというのに」


「相変わらず辛気くせえ野郎だなあ」

「情報屋は陰気な方がらしくていいでしょう。それに、辛気臭い情報ばかり扱っているあなたに言われたくないです」


 ロラン自身は血なまぐさい情報を取り扱っているくせして、陰気な私とは違い、気さくで明るい人物だ。本人曰く、扱っている情報が情報なだけに、取り繕っていないとやってられないとのこと。


「して、今日はいったい……」

「まあまあ、そう焦らずに。こっちもあんたに負けないくらいとっておきの取れ高を取って来たんだ。まずは俺が書き上げたこの記事を読んでくれよ」


 ロランは商品として扱っている情報を取りまとめた手記を手渡してきた。私は謙遜の意味を込めて自らの手記を雑記と呼んでいるが、彼は犯罪などを取り扱ったもののため、記事と呼んでいる。


 記事の内容は昨晩に起こったとされる凶行。

 殺害されたのは、貴族の男性。年齢は五十代後半。よくある貴族を狙った財産目当ての犯行だという。男性の家族は、妻は十数年前に他界しており、ひとり娘は家出をしたきり行方不明になっていた。犯行の目撃者は、男性が雇っていた召使いの女性、いわゆるメイド。この事件の異様さは、犯人を目撃者と同じく同じ召使いをしている男性が、おいそれと招きこんでしまったことにある。


「……ど、どこに行ってたんですか!ジョゼ様……心配なさっていたんですよ。お父様も」

「心配……してたの……? フフ…フフフ…ウッフフフ……」


 そして、異様だったという。月明かりに照らされて、刃物を右手に持った女が不気味に薄ら笑う様は。

 見ているだけで背筋が凍りつき、メイドはすっかり腰が抜けてしまって、物陰に身を潜めながら、肩を震わせながら見守ることしかできなかったという。ジョゼは召使いの男性に、目をひん剥いてけたけたと笑う。


「ど、どうしたんですか……? なにかよくないものでも食べて……すっかり痩せてしまったじゃないですか……」


「フフフ……フフフフ……あまりにも薄い革を取り繕ってみせるから。う……ウソばっかり……、お……王子の縁談をものにできなかった、あ……あたしのことなんか……微塵も心配なんざしてないくせに……。誰もあたしのことなんて受け入れてくれない。表の革張り一枚の芝居なんて……。

 ……あなたごと消えてなくなればいい……」


 夜の帳に響く、断末魔。


 ジョゼはもはや人ではなくなってしまった。

 一思いに首元の頸動脈をかっさき、血が噴き出る様を詰り、喘ぐ顔を右手の爪を食い込ませて抑え込み、開いた口に刃物をねじ込んで舌を切り刻む。口と首から噴き出たおびただしい量の血を浴びながら、尚も足りないと自らその血を自分の頬に塗り付け、悪魔のように冷たい笑みを浮かべた。ぐったりと動かなくなった男の死体をそのままにし、ところどころが真紅に染まった黒のワンピースから血を垂らしながら、ジョゼは屋敷の奥へと消えた。

 その後ほどなくして、断末魔が何回も響いた。苦しみのあまり、人間を忘れた、獣の叫びのようであったという。


 捜査が入ったのは、夜が明けてから。

 メイドは昨晩の件でトラウマを抱え、発作にうなされるようになり、現在は街医者のもと療養中とのこと。

 ここからは事件を調べた捜査班の供述からの内容だ。

 残念ながら、ジョゼの父親が殺された瞬間の目撃者は、被害者のみということだ。死体が語る様から状況を読み取るしかない。

 だが、その死体もやはり異様だった。刺し傷の数が尋常ではない。刺し傷どころか、現場には壺や食器の破片、甲冑像の亡骸が散乱しており、そこらじゅう血まみれで、死体がジョゼの父親だと分かったのは、この屋敷に住んでいた住人から消去法で割り出した結果。

 死体からはとても判別できない。原形すら残さないただの肉塊に成り果てていたという。


「どうだ、なかなか面白い情報だろう?」

「……う……どこがですか……、こんな……うう……うぇっほ……えっほ……」


 恥ずかしながら、凶行のあまりにもの残虐さに、吐き気をもよおしてしまった。

 ロランはその様子に、情けないと言わんばかりにため息をつく。でも仕方がない。私は彼とは違って、こんな情報には慣れていない。


「おいおいおい、こんな取れ高めったにないと喜んでる俺の前でその反応はないだろ?」

「お、おかしいですよ……あなた、なんで何ともないんですか……」


「……これで稼いでいるからだ。まあ、からかいはこの辺で本題に入ろうか……」


 そこでロランは声の調子を切り替えた。胸糞悪いジョゼの凶行の話は、すべてこれからの話の前振りでしかないのだという。ロランは懐から一枚の紙切れを出してきた。

 そこには、血で押された親指の指紋が。所謂血判というものだ。悪魔との契約や、売春婦の手管、革命への誓い、その他もろもろの重たい契りに用いられるものだ。あまり、いい意味の誓いには用いられない。


「こ、これは……?」

「差し詰め、犯行予告と言っていいだろ」


「よ、予告……? まだジョゼは、つかまって……」

「じきにつかまるだろうがよ。しかし間に合うかどうかわからねえ。お前もあの女が次にすることくらいわかるだろう?」

 

 そこで、私の脳裏に、彼女から聞いた最後の言葉が響く。


『あなたさえも、あたしを否定するというのなら……あたしはすべての現実を否定してみせます……、どんな手を使ってでも……』


 ジョゼのその言葉が意味するもの。それは、彼女を苦しめてきたすべての現実の否定。自分に歪んだ愛を注いだ父親。自分から王子を奪ったメアリー、自分に振り向いてくれなかった王子。


「……俺は別に王子が暗殺されようが、それこそ二度とない取れ高になる。だが、あんたはそういうわけには行かない。親友として、伝えておこうと思ってな……」

「……ジョゼが……王子を……」


「直接殺めることはあの女にも出来ねえよ。あんたの手記を読めば伝わってくる。歪んじゃいるが、あの女の愛は本物……。哀れな話だ……。この世で結ばれないものは、あの世でも同じだろうというのに……、まるで、水面を見失い、永遠に深く深くへと、そこが水面だと信じ込んで潜り続ける哀れな人魚だ」


「人魚は自らの手で愛する人を殺せない。この血判は殺し屋との契約を表す。あとは……泡沫になって消えゆく準備をひとりでゆっくりしていることだろうさ」


 そして、それを全て、この世から消し去ったあとに全ての罪を抱いて身投げするつもりだと。なによりも、すべての現実を享受することしかできなかった自分自身を否定するために。ことのすべてを理解し、私は代金だけを置いて個室茶屋を飛び出した。


 待ちに待った取れ高が彼女によって台無しになろうとしていた。

 王子シャルルはこの日、メアリーとともに闘技場に来ていた。デートに血なまぐさい闘技場での模擬戦闘を鑑賞しようというのかというとそうではない。

 この日に催されるのはマスゲーム。所謂団体行動というものだ。オーケストラの奏でる演奏に乗せて剣闘士はこの日、殺し合うためではなく、躍動感を演出するために剣や槍を振り回す。剣を突き交わすのも、所謂殺陣というもので、鎧を打ちあったりはするものの、決して互いの身は傷つけず、血は流さない。

 このマスゲームに限って言えば、闘技場はロマンスの舞台としても充分成立する。お忍びとはいえ、シャルル王子が初めて恋人を連れ添うこの瞬間。だが、そんなおめでたいことを言っている場合ではない。円形の闘技場のどこかに、王子およびメアリーの命を狙う、ジョゼと契約を交わした殺し屋がいるはずだ。

 王子はこの日お忍びで闘技場に来ている。よって、豪華な装飾の施された特等席は空っぽのままだ。このマスゲームは王国の設立記念を称して行われるもの。この大事な大事な日に王子はお忍びで一般客に紛れているというのだから、世話役の大臣は目くじらを立てて、早く王子を探して来いと頻りに王国兵に向かって怒鳴り散らしている。


「何をしている! まったくこんな大事な時に……」


 だが、そこは抜かりのない王子。わざわざ市場に出かけてくるというカモフラージュの手紙を大臣の机に置いて来ていたのだ。


「市場を総力を以て捜索しろ!」


 ご丁寧に手紙の内容を信じ込み、市場に王子の捜索に向かわせる。しかし、これはある意味で非常にまずいことだ。王子は一般客に紛れているというだけで、事実上丸裸の状態となってしまっているのだから。


 円形闘技場のもっとも外側の席より、さらに後ろに見張り用の塔が4本建っている。そこには見張り兵が、手旗信号で、マスゲームの進行に合図を出すために立っている。ちょうど私の反対側の塔に立つ兵士が旗を上げた。それを合図に、大空に向けて花火が撃ちあがると、オーケストラが猛々しいマーチを演奏し始めた。私は双眼鏡をのぞき込み、まずは紛れ込んでいる王子を探す。この人数では、王子を探し出すのは至難の業。代わりにメアリーを探すことにした。失礼ながら、彼女のつぎはぎやくすみの目立つ服ならば、貴族にまみれていても浮いて見えるはずだ。


 そして、ついに私の双眼鏡は、王子とメアリーが連れ添う姿を捕らえたのだった。しかし、その瞬間、風切り音とともに一本の矢が、メアリーの胸に突き刺さった。倒れこむとともに、人だかりが後ずさり。マーチの演奏も止まり、辺りには緊張が立ち込める。


 人だかりから抜け出して駆け寄り、メアリーに向かって呼びかける王子。だが、これにより王子は自らの居場所をさらした上に、自分だけが狙われやすいような空間を作り出してしまったということに気づかない。

 

 凶手はどうやって王子あるいは、メアリーの場所を見抜いたのだろうか。まさか、私の双眼鏡越しの視線を使ったとでもいうのか。確かに、メアリーの胸元を射抜く前に一瞬見えた矢は、まっすぐに私の視線に沿うような形で飛んでいた。だとすれば犯人はすぐ近くに。もしくは、私とメアリーがいた地点を結んだ直線上。それも私の背後という位置関係が望ましい。


 そう思った瞬間、ちょうど私の背後にそびえ立つ塔に思い当たる。


 私は、人だかりをかき分けて、背後にそびえ立つ塔へと押し入った。細い円柱状の建物の中は石造りの螺旋階段がとぐろを巻いている。無我夢中で走り、最上まで上り詰めたが、私の思惑とは裏腹に、そこには誰もいなかった。


「……見当違いか……?」


 そう呟いた瞬間に、背後に異様な殺気を感じた。相手は一瞬の隙に背後に身を潜めていたのだ。

 それを読み取ったときにはもう遅く、脇に腕を入れて羽交い絞めにさせられた。そのまま、見張り台の塀の向こう側へと押し出して、突き落そうとする。こちらも必死に振りほどこうとするも、姿勢から考えて相手側の方がどうしても有利だ。冷静にもっとも力を出せる方法を考えるしかない。そうしたときに非力な私でも相手を打ち負かすことができるとすれば、それは他でもない、自らの体重を利用した抵抗だ。

 両の脚で、塀のふちを力いっぱい蹴り、体重を臀部に集中させて相手を後ろにのけ反らせて押し倒す。そこからすかさず、相手の衣服を掴んで、背負い込むようにして身体を回転させて、相手を地面に押さえつけ、肘で喉仏を打って呼吸を封じ込める。喘いでいる隙に、右手に持ったいしゆみを引きはがし、塀の向こう側へと投げ、武器を葬り去る。

 しかし、相手は近接用の武器もしっかりと持ち合わせていた。懐からナイフを取り出し、その刃先を武器を奪って一瞬の隙ができた私の背中に突き刺したのだ。あまりにもの激痛に、その場に崩れ去るが、次の一手が痛みを噛みしめる間もなくやってくることは予想できる。すぐさまひらりと身体を翻して、斬撃を避け、脚を相手の脚に絡ませて取り押さえ、這い上がり、よじ登り、その顔面に握り拳を一発食い込ませてやる。


 もう一発、そして、もう一発。


 反撃の隙など与えない。だが、そこは相手も雇われて人を殺す仕事をしている者。そのまま素直に殴られてくれるわけはなく、あっさりと懐に潜り込まれ、再び私の身体は硬い硬い石の塀にぐりぐりと押し付けられ、そこから頭を左手で鷲掴みにされて数度、後頭部を塀に打ち付けられた。


 頭がぐわんぐわんと鳴り響き、後頭部から流れ出た熱い血が、首筋を撫でるのが感じられる。


 だが、怯んでなどいられない。こちらも負けじと右手で相手の顔を鷲掴みにし、そこから一思いに鼻をへし折る。断末魔とともに両の鼻から紅い河を流す。こちらの顔から右手が引きはがされたその瞬間に、そいつの右手のナイフを叩き落とし、鳩尾に拳をねじ込ませる。一瞬ひるんだが、自らを鼓舞して、それを抑え込むがごとく、雄たけびを上げて突進してきた。背後には運の悪いことに螺旋階段が、私はそいつと取っ組み合いながら石造りの螺旋階段を転げ落ちた。

 互いが互いに血まみれの痣だらけになりながらも、互いが互いを石の壁にぶつけあう泥臭い乱闘が続く。階段落ちから、がたがたと震えながら、起き上がったところを足払いを受けて倒れこみ、後頭部の延髄の部分を踏みつけられ、意識が飛びそうになるも、軸足に身体を翻して掴みかかり、相手の態勢を崩して、飛びかかり、首に手をかけようとしたが、再び身体を回転させる相手に巻き込まれる形でごろごろと階段を転げ落ちた。その途中で相手に顎を掴まれて、石畳に体重をかけて頭をめり込ませようとがりごりと音が鳴るほどに押し付けられる。


 頭蓋骨がぐしゃりと音を立ててへしゃげるかと思うほどの勢いだ。


 さらに、相手は爪を顔に食い込ませてきた。皮膚に穴が開き、じわりじわりと血が噴き出す。それを制止しようと、引き剥がそうと、絡みつかせた手に私は力を加えて、相手の関節をフラミンゴの脚のごとく逆向きに折り曲げた。喘ぎ、もがき苦しんでいるうちに相手の顔を両手で掴み、頭蓋を石壁に食い込ませる。だが、相手は飛びそうになる意識を奮い立たせて、頭突きをかまして来たのだ。もはや、どちらの意識が満身創痍となった肉体から引き剥がされるか、いや、引き剥がすかといった具合だ。


 息も絶え絶え。肩も膝も肘も。

 全身の筋肉と間接が、疲労と緊張に声を上げて笑っている。


 ゆらゆらと揺れ動き、すべてが二重にも三重にも見えてしまう、イカれた視界の中で、相手の指が眼孔に直接入っていくのが見えた。


「うぁぁあああああああああああああっ!!」


 これには思わず声を上げた。右の瞳を直接人差し指で刺して来たのだ。もはや痛みなのか何なのかわからない。ただただ喉がくだくだにひび割れようかという声を上げることしかできなかった。だが、叫びながらも、この一手を喰らわせたことで生じた相手の油断を、私のまだ生きている左の瞳は逃さなかった。

 一瞬の隙に、相手の服を掴んで、石壁に押さえつける。だが今度は、相手は私の右腕に、獣のごとく噛みついてきた。もはや、ここまでの醜い闘いに、人間性も忘れてしまったらしい。いや、事実私も、もう人間性など守ろうとしていては、命がないということは分かっていた。だから私も最後の力を振り絞り、全体重をかけて、相手の頭を石壁にめり込ませ、その額を左手でがしりと掴んで、首をへし折った。血をだらだらと吐いて崩れゆく、相手を見送った後、私もその場に倒れこんだ。かくして、王子は、ジョゼの雇った凶手の一手を逃れることが出来た。メアリーも急所の左胸を外していたおかげで命に別条はなかった。


 だが、沈み行く人魚だけは誰も止めることが出来ず、その数日後、鉛の重りをつけて海に身投げをした水死体が発見されたという。彼女はその命が途絶え行く瞬間に何を想ったのか。そのすべては、まさしく泡沫となって消えてしまったのだろう。


 ――いかがでございましたか。王子のもとに持ち込まれた縁談に始まり、嫉妬に溺れ、自らの人間性を崩壊させ、最後は海に沈んでいった哀れな女、ジョゼの物語。今回は少しばかり、どろどろとした内容になってしまいましたが、ジョゼがいなくなりました後ももちろん、シャルル王子はメアリーとの中を深めて行くことになります。

 しかし、それはまた別のお話でございます。皆様、私の手記をお手に取ることがございましたら、そのときにまたゆっくりと、お伝えいたしましょう。


 レナルド=スキナルド 著



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