破片
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では、続きの話を始める前に少しだけ整理をいたしましょう。登場人物は、シャルル王子とその皇太子妃候補のジョゼのふたり。この物語は、王子の恋物語と言いましたが、シャルル王子はジョゼとの縁談にまるで興味なし。そうすると、シャルルのお相手はまた別の人物となります。そして、心破れたジョゼは何を思い、何をするのか。お話は、顔合わせの食事会が終わった後の夜から始まります。
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――シャルル王子の書斎はもぬけの殻だった。そこに目を血走らせて肩で息をしながら入って来たのが、今朝方食事会の話を持ち込んできた世話役の大臣。かんかんに怒っているという言葉がこれほど似合う姿があるだろうか。肩ががたがたと震えており、禿げ上がった頭には青筋が浮き出ている。彼が怒る理由はもちろん食事会でシャルル王子が麻の服を着て、ジョゼの話にひとつも耳も貸さずに夕飯だけを平らげたということだ。
さらに彼の怒りの炎に薪をくべるのが、シャルル王子が自室にいないということ。いや、正確にいえば、自室の地下につくった地下室にこもっているということだ。シャルル王子の地下室は、完全に趣味のための空間で、数々の詩集や小説、哲学書が山積みになっている。
大臣は暇さえあれば、ここにこもって読書にふける王子を快く思っていない。というのも、ここにある書物の中には、少々よろしくないものもあったからだ。よろしくないというのは、男女の交わりを描いたもの。要するに官能を取り扱った書物のこと。もちろん、低俗なものではなく、一種の文芸品として端正な文章でつづられているのだが、それでも王子という高貴な立場の人物が、そのようなものを嗜むというのが、品を重んじる大臣には許せないのだ。
皇太子妃候補に選ばれるような由緒ある貴族の娘の前で、品のない行動を品のない格好でしたとあらば、いよいよ大臣の怒りの茶釜はぐらぐらと音を立てて煮え立っていた。
「王子っ!!」
地下室への入り口は、床板の一角を外せば現れる。ちょうどそこだけ、床板のつなぎ目が正方形になっているので、その下に空間があることは容易にわかる。もともとは非常時に身を潜めるための空間だったが、いつの間にかシャルル王子の趣向品が山積みにされてしまっていた。
「王子っ! いったいどういうおつもりですかっ!」
「どういうつもりって何がだい?」
「ジョゼの好意を冷たく突っぱねたそうじゃないですか。あの娘の家系は重要な税源だったというのに……」
「税を多く払うことが好意と習った覚えはない。それがまるっきり間違っていることは詩や小説が教えてくれた」
地下室の一角でランタンの灯のもと、シャルル王子は羽ペンを羊皮紙の上で泳がせていた。近頃は詩を‘読む’だけでなく、‘詠む’ということにも凝りだしている模様。もちろん作風は普段から読んでいるものに影響されて、情事を謳ったものが多い。花に露。盃に酒などといかにもという表現が並ぶ。それを目にすれば、羞恥かそれとも憤怒かと大臣の顔は紅く腫れ上がる。
「こんな破廉恥なものを、王家のものが嗜むとは恥を知りなさい!」
「……パトロンに尻尾を振るためだけに縁談を計画するあなたに言われたくない」
「国益を守るためです。税源を失うわけにはいかない。国が傾いては、王家は没落を免れません」
「国が傾いているなら、まずは王家の贅沢を辞めるべきだ。僕の政略結婚などではない」
ランタンの灯にむかって食い入るようにして身をかがめ、大臣との問答には背中越しで受け応え。顔は見えないが、禿げ上がった頭をかきむしる音が聞こえる。創作や著作に慣れ親しんでいるシャルル王子は、考えの筋が通っていて、論理力に長けていた。それだけに大臣は王子に手を焼いているようだが、ふたりの意見を並べれば正当性があるのは明らかに王子の方。今となっては、大臣はただただ言い負かされているのみだ。
事実、この国の財政を脅かしているのは王家および国の役人の無駄遣いによるものなのだから。しかも、灌漑や建物の修復など形あるものに使われるならまだマシな方。多くは福利厚生と称して必要以上にばら撒かれるという、この上なく生産性のない使われ方をしている。
「もうこんな縁談はまっぴらごめんだ。妃ならば、この僕が僕自身で選びたい。それから……、煙草のにおいで集中できないから出て行ってくれないか」
その手厚い手厚いばら撒き金の行き先は、大臣の場合は煙草だった。いわゆるヘビースモーカーで、機嫌が悪いときはただでさえ多い本数が倍増するのだという。王子はその煙草の匂いの強弱で、大臣のその日の機嫌が分かるほどまでになっていた。そして、このときの大臣は間違いなく最悪の機嫌だった。まあ、王子の態度や言動が悩みの種というのもあるが、もっと別のところに原因はあった。
「煙草は、ほどほどにしたらどうだ。また‘負けた’んだろ」
負けたという言葉に敏感に反応し、大臣の禿げ上がった頭に浮かぶ静脈が疼く。負けたというのは賭け事を指してのことだ。王族や国の役員、貴族などといったこの国の裕福層は皆が皆、ある賭けごとに興じていた。闘技会。つまりは剣闘士による見世物試合。これには、王子シャルルもかなり入れ込んでいた。だが、他の皆は賭け事として楽しんでいたが、王子は剣闘士の猛々しい雄姿を称えるという楽しみ方をしていた。決して異端なわけではない。ただ他の皆が握りしめた札束の行方しか気にしていない中では、やはり異端だった。
「負けたんじゃない! 情報屋がしくじったんだ!」
「情報を買ってまで勝とうとするからそうなるんだ。自らの浅ましさからの罰だな」
大臣が言う情報屋は、私の同業者のようなもの。情報屋の中には、私のようにゴシップ関係を稼ぎ口にしている者もいるが、同時に闘技会での八百長の噂をネタにしている者も多い。なにせ、情報がたしかと言えば、いくらでも代金を吊り上げることができるのだから。
大臣は大金をその情報屋に渡し、さらに大金を闘技会の賭け試合につぎ込んだのだが、結果は惨敗だったということで、また大金を煙草に消化した。この金遣いの荒さ、潔いまでの散財には王子もほとほと呆れ果てる。こんな相手に「国が傾いては――」などと言われたら、どの口が言ったのかと問うてやりたくなるほどだ。
王子は賭け事の不埒さを存分にこの大臣から学んでいたため、あまり金を賭けることはしなかった。
もとより、王家に恥をかかせるまいと、王子が賭けた剣闘士には必ず勝つようにと八百長が仕組まれる。それも含めてなんとも不埒だ。王子は試合を楽しむだけ楽しんで勝った金は、貧し痛みに施しとして分け与えていた。もとより、賭け事のために、観戦代として払ったようなものなのだから、どうせなら生きた金の使い方をしようというわけだ。
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ここまで全くもって対照的な王子と大臣。王子とその周りの役人たち。王子シャルルが王族始まって以来の問題児とされる理由はお分かり頂けましたでしょうか。そう、シャルル王子はまさに頭が良すぎて馬鹿というもの。王子は聡明であり、良識ある人物だが、歪んでいるのは、周りの物差しというわけです。
ちなみに、いくら耳の早い情報屋と言えど、私はここに書いていること全てを見たり聞いたりしたわけではありません。情報をつなぎ合わせる際にいくらかの脚色や想像を入れております。読み物として面白くするという目的で他意はありません。決して事実を捻じ曲げようというものではありません。まあ、そんなものは、ゴシップ記事を嗜む皆様なら、ご存知のことでしょうが。おっと話がそれてしまいましたね。それでは、もうひとつの場面から話の続きをいたしましょう。そう。心破れてしまったジョゼのお話です。
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「よくも何の手ごたえもなしに帰って来たなっ! この馬鹿娘がっ!」
王子の住まう城に勝るとも劣らない広い豪邸の敷地目いっぱいに響き渡るほどの怒号が、ジョゼに浴びせられる。その主はジョゼの父親だ。ジョゼの顔には彼が飲んでいたウイスキーがぶちまけられた。
「申し訳ありません。お父様」
「自分が逃した魚の大きさを分かっているのか!」
さらには晩酌のつまみが置いてあったテーブルをなぎ倒し、実の娘を張り倒す始末。突き飛ばされたジョゼは酒の香に包まれながら、自らの不甲斐なさを泣いて詫びた。だが、そんなものが酩酊した父親に聞き入れられるはずもなく、ふたたび怒号が浴びせられる。
「皇太子妃というのは、女ならば誰もが羨むような栄誉だ。その獲物が目の前で泳いでいるにもかかわらず、釣り糸を垂らさずして見送るとは何のつもりだ!」
酒で紅く色づいた彼の太い手が、ジョゼの線の整った顎を掴み上げる。
「王子の子を孕んででも、それを掴んで来いと言ったはずだ」
「……そんなことしたくなかったんですもの……」
「ふざけるなっ!」
実の娘の顔を、自らの酒で紅潮した顔のように真っ赤に晴れがるほどの力で平手を打ち付ける。唇を噛み切って、ジョゼの口元からはだらり一筋の血の河が。
「どうせ、王子と結ばれれば、その子を孕むんだ。処女など捨ててしまえ! 股を開いて喰らいつけ!
くだらん情にほだされて大義を見失いおって、おまえの惚れた腫れたなど、王子の子を孕んでから十分だろうが」
彼は父親でありながら、自分の家系から王子を出させるがための道具としてしか娘のジョゼのことを見ていなかったのだ。心苦しい話ではあるが、貴族の娘の中でジョゼのような扱いをされる者は少なくない。いったい何の目的でこの国に多額の税を払うのか。それは皇太子妃候補として選ばれるべく、王家にすり寄り、王子の次代を家系から出すということで政治介入をしようというものだ。国家の政を牛耳れるとあらば、国に散財するのも、娘に王子を犯せと囃し立てるのも頷けてしまう。だがどれだけ家系が恩恵を授かろうが、その娘が被害者となるということは紛れもない事実。
ジョゼは、父親が去った食卓で、倒れたままのテーブルと散乱する食器の破片に身をうずめるようにして、床に顔をこすりつけながらすすり泣く。食卓を照らす明かりを誘い入れる天窓の向こうで、美しい月に少しだけ雲がかかっていた。




