第7話
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鉄雄と楓は、ダンジョンの入り口に向かって歩いていた。
コボルトから逃げ惑った鉄雄は帰り道を見失っていたが、楓の方はしっかり記憶していたらしい。
ちなみにコボルトというのは、件の犬面人のことだ。
『あれの名称はコボルトでいいわよね? いかにもそういう感じっぽいし』――という楓の命名による。
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「それにしてもあんたが鉄雄、ねえ」
「やっぱり信じられませんよね? でも本当なんです」
鉄雄は楓から微妙に目線を逸らし、組んだ指をいじりながら言う。
感極まって彼女の胸でわんわん泣きわめいたことが、いまになってすごく恥ずかしく感じる。
かたや楓は、無遠慮に鉄雄のつま先からストレートロングの赤毛の先までを、ジロジロと眺めている。
「だから信じるって言ってるじゃない。タブレットを体から出し入れするところも見たし、こうまで有り得ないことが続いてるんだから、男が女に変わるぐらい許容範囲よ」
楓は鉄雄の身の上話に自分の記憶と矛盾がないことを理解し、すぐに鉄雄の言うことを信じてくれた。
その後すぐ、包帯を巻く際に女の子のフリをして裸を見てしまったことを謝罪したら、『流れ的に不可抗力だったからしかたないわ』と許してくれた。
それどころか『どんな形でも生きててよかった』と安堵の笑みを浮かべて優しく手を取ってくれたときは、この人は天使か? と思ったほどだ。
……しかし。
「有り得ないって言えば、男が巨乳の女の子のなっちゃうくらいだから、貧乳の女の子が巨乳になってもおかしくないわよね? ね? そう思うわよね?」
そう言って、視線を鉄雄の胸元にロックオンする。
どうにも彼女からは、胸に対する並々ならぬこだわりと言うか、コンプレックスをひしひしと感じてしまう。
そんな楓に身の危険を感じた鉄雄は、そういえば、と話題を逸らした。
「先輩、本当についてくるんですか? 犬面……」
「コボルト!」
「……コボルトどころか、もっと危険な化け物だっているかもしれないんですよ」
「当たり前じゃない。もし吸血鬼とかオニとかが出てきたら、あたしに任せて」
と、長さ2メートルほどの丸太を揺すってみせる。
幅は意外と細く、パッと見、楓の細腕でも扱えるように見える。
それでもいざ使うとなると、遠心力やら何やらで振り回されると思うのだが。
「そんな訳で学校で食べ物とか着替えとか、必要な物を持ち出したら本格的に探索するわよ」
「はぁ……分かりました。その代わり、何があっても自己責任でお願いしますよ」
楓には恩義がある。
あえて言わないが、『自分の命が保障できるうち』は、最大限、彼女を守ることにしよう。
――鉄雄と楓は話し合いの末、共にダンジョンを探索することに決めた。
その目的は生きるため。
異界に放り出されて数時間。
いまは異常事態のインパクトが強くて表層化していないが、すぐにインフラの問題に直面するはずだ。
日本から切り離された金剛高校には、ガソリン式の発電機や貯水タンクがあるものの、その資源には限りがある。
食べ物についても同じことだ。
学食や購買のストックだけで、全校生徒の食事を一体何日賄えるだろうか。
「だからこそ危険なダンジョンを探索してでも、ライフラインの目途をつけなきゃいけないっていうのに……アイツ等は何を考えてるんだよ!」
鉄雄が憤ったのも無理はない。
学校へと続く上り階段の先が、丸太やら鉄骨やらで完全に封鎖されていたからだ。
幸田たちからコボルトの脅威を聞いた生徒たちが、コボルトが学校に現れないようにダンジョンの出入り口を塞いでしまったのだろう。
だが、これによって学校に出入りできなくなったのは、コボルトだけではない。
「嘘……よね?」
ずどん、と音を立て、手にした丸太を落とす楓。
―ー学校の連中は目先の安全に囚われて、長期的な視点から目を背けるばかりか、俺たち二人を切り捨てたのか?
いや待て。そう決めつけるのは早計だ。
「ちがう……そんなことはないはず……ねえ、そこに誰かいるんでしょ? あたし達が帰ってきたわよ、おーい、おーい!」
『その声は……八月一日さん?』
バリケードの外から女生徒の声が聞こえてきた。
察するに、楓の友人らしい。
「ああ、よかった。このまま締めだしをくらったかと思ったわ」
『……それは、その……』
「家の鍵みたいに一時的に封鎖しているだけで、すぐ開けてくれるんでしょ? このままだと、あたしたちが出入りできないしさ」
『……ごめんなさい』
「「え?」」
鉄雄と楓、二人の声がハモる。
『八月一日さんが取り残された男の子を助けてくる、って中に入った後、私たちは一年生の子たちから、中がいかに危険かを延々と聞かされたの』
まさかと思ったが、やはりそうか。
「ちょっと、何言ってるの?」
『それで、みんなで話しあって決めたの。このまま助けが来るまで、何があってもこの階段は塞いでおこう、って』
「おい!」
鉄雄は思わず口を挟む。
『貴女は?』
「俺のことなんてどうだっていいだろ! それよりもいまの話は本当かよ?」
『本当よ……だから申し訳ないんだけど、例え八月一日さんたちが外に取り残されていても、バリケードを解除するわけにいかないの』
「じゃあお前たちは、先輩を見殺しにする気なのかよ!?」
俺と先輩を、とは言わない。
『仕方ないじゃない! みんなで話し合って出した結論なんだから!』
少女は逆ギレ風味に叫んだ。
『もしバリケードを解いた隙に犬の化け物が学校に侵入して、だれかがケガをしたり死んだら、誰が責任を取ってくれるの? 私はいやよ!』
「仮にここで籠城するつっても、いつまでそうするつもりだ? 食事はどうするんだ? 電気は? ガスは? 水道は? 今晩寝るための布団だってどうするつもりだよ!」
コイツは……いや、コイツ等は現実が見えてない。
このまま立てこもっていれば、やがて自衛隊がヘリコプターで助けに来てくれると本気で思っているのか?
『そんなの分からないわよ! みんなで話し合って決めたんだから、誰かが何とかしてくれるわよ!』
「いい加減にしろ、そもそもみんなって誰だよ!」
『みんなはみんなよ!』
あ、ダメだこれ。
現実が見えてないよりもタチが悪い。
現実を突きつけられてなお、誰かが何とかしてくれるって学校単位で思ってやがる。
とどのつまり、俺と先輩に対する加害者でもなく、異界に飛ばされた被害者でもなく、傍観者の考え方になってるんだ。
鉄雄は、自分が急速に冷めていくのを感じていた。
敵に対しては一切容赦をしないと決めたが、学校の連中はそれ以前の問題だ。
――敵としてみなす価値すらない。
「先輩。こんな連中は放っておいて、俺たちだけでダンジョンを探索しましょう……先輩?」
楓は幽鬼のような足取りで、ダンジョンの奥へとフラフラ進んでいた。
「そうか……私……みんなに見捨てられたんだ……ははっ……あははっ……」
「先輩!」
追いついて肩に手を置く鉄雄。
振り返った楓は、猫のように大きな瞳に、涙をたっぷりと浮かべていた。
「ねえ? あたし何か悪いことをしたのかな?」
同じような仕打ちを受けた鉄雄は、彼女の気持ちが痛いほどに分かってしまう。
彼女がどれだけ苦しんでいるのか、理解できてしまう。
――いや、ちがう。
俺はもともとそういう扱いで耐性があったし、心配してくれる人(楓)という救いがあった。
だけど、彼女の救いはどこにある?
「あたしがみんなの反対を押し切って鉄雄を助けに行ったから?」
「……それは……」
「……ううん、違う……あたしは間違ってない……あたしは絶対に間違ってない!」
安易な逃げ道として俺に責任転嫁をせず、追い詰められられながらも自分の正しさを貫こうとする先輩の救いはどこにある?
――って、そんなのは悩むまでもないだよな。
「先輩は間違ってない。間違ってるのはアイツ等だ!」
「……鉄雄」
「先輩に『救われた』俺がこの身をもって先輩の正しさを証明します! この先にどんな障害が待ち受けていても、最後まで先輩を守ります!」
――ああ、やっぱり俺は弱い人間だ。
自分の命を第一に置こうと決めたばかりなのに、もうブレようとしている。
自分はどうなっても、楓の命を最優先にしたいと思ってきている。
だけど、優しい彼女は自分のために他人が犠牲になる、なんて許しはしないだろう。
だから、自分と彼女、どちらがどちらの犠牲になるでもなく、『仲間』として最後まで生き抜いて行きたい。
「鉄雄……ありがとう」
鉄雄の気持ちを受け取った楓の瞳は、もう涙で濡れていない。
その代わり、前へ進もうという強い意志が見て取れる。
「すごく嬉しい。もしあんたが男だったら、惚れていたかもしれないわね」
「……先輩、もしかして俺のこと、からかってます?」
肉体的には女の子100%の鉄雄は苦笑するしかない。
「さあ、どうかしらね」
楓は軽い足取りで落とした丸太を拾い、顔を上げる。
「ここからが本当の冒険の始まりよ、行きましょう、鉄雄……鉄雄……うーん」
「どうしたんですか? ここはカッコよく締めるとこですよね?」
「今更だけど、その姿で鉄雄なんて違和感が半端ないのよね……そうだ!」
何だろう、すごくイヤな予感がする。
「これからあんたがその姿のときは『アイ』って呼ぶからよろしくね」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。何ですかそれ!」
楓は名前を決めた経緯を得意げに披露する。
鉄雄→鉄→アイアン→アイ
「どう? 可愛い名前でしょ?」
「ええ、たしかに可愛いですね。男の名前ではありませんけど」
「でも、その体にはぴったりの名前よね」
「ぐっ……」
たしかに否定はできない。
鏡の無い場所では自分の姿を確認できないが、それでも喋るたびに『声』で自分のいまの性別を認識させられる。
四肢は細く柔らかそうだし、汗や土埃で汚れているはずの体や髪の毛からは、生粋の女の子である楓と同じような甘い匂いが漂っている。
「それじゃ改めて、これからよろしくね、アイ」
「いや、だから俺はまだ、その名前で呼ぶことを認めた訳じゃなくて……」
「いいからいいから。ほら、まずは正面に見える赤い扉の部屋よ。あそこで色々技能を買うのよね?」
こうして、鉄雄改めアイと楓の二人は、本格的な探索へとその足を踏み出した。
読んで下さった方、評価くださった方などにお礼申し上げます。
ようやく鉄雄(アイ)と楓がダンジョンを探索する経緯を書けました。
次回は中途半端になっていた成長システムについて、本格的に触れたいと思っております。