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男と女の1人2役で異界のダンジョンに挑んでみた  作者: 味パンダ
第1章 狭間の牢獄
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第6話

―ーグアアアアアアッ!


その咆哮は、鉄雄にとって寝耳に水だった。


「きゃあああああっ!」

「え?」


あれほど釘を刺したのに。

あれだけ心を折ってやったのに。

あれほど本能に刻み込んでやったのに。


致命的な隙を見せたとたん、決して叶わない相手に再び襲い掛かってくる。

いくら犬のような姿形をしているからといえ、野生動物とは決定的に違う。


―ーこのケダモノは、思っていた以上に愚かだ。


「だけど、それ以上にバカなのは俺じゃねえか!」


いくら犬面人の動きが見えていようと、その爪が楓の背中を引っ掻いた後ではどうしようもない。

動揺のあまり、カキン、と金属同士がぶつかり合うような音が聞こえた気がした。


「畜生ッ!」


甘かった。

何が『殺すまではしたくない』だ。

何が『殺されかけたからこそ、命の重さと尊さは何物にもかえられないということを理解している』だ。


自分の手で『命』を奪うのが怖くて、犬面人が危険な生き物だということから目を逸らしていただけじゃないか。


心のどこかで『コイツが再び襲ってきても俺なら余裕で返り討ちにできる。だからあえて殺す必要はない』などと慢心していたのではないか?


その結果がこれだ。


凶刃の餌食になったのが鉄雄自身なら、自業自得というだけだ。

だが、己の慢心で他人を傷つけてしまったとなれば話は別だ。

幸いにして即死は免れたようだが、それでも傷は浅くない。


APで回復手段は買えるかもしれないが、あくまで希望的観測に過ぎない。

ケガを治したところで、彼女が受けた精神的苦痛は消えはしない。


――俺は彼女にどうやって詫びればいい?


楓も俺を陥れた1人だ。

どうせ復讐するつもりだったから手間が省けてよかった。


――なんて考えられるわけないだろ!


この事態を招いたのは、優しさと甘さを吐きちがえた自分自身の『弱さ』だ。


死にたくない。痛いのは嫌だ。他人から必要とされる人間になりたい。

他人に俺の価値を認めてほしい。女の子になって恥ずかしい。

可愛い女の子になれたのは幸いだ。男の体に戻りたい。

復讐してやる。暴力は良くない。相手が可哀想だ。

殺したくない。殺すまでもない。


――ああ、俺はなんてブレまくっているんだろう。


確固たる自分という物がないから。

断固たる信念がないから。


―ーだから俺はこんなにも弱いんだろう。


「強く……なりたい」


肉体的にではなく、本当の意味で。


もう手遅れかもしれない。

だけど、それしか彼女に報いる方法が無いから。


そのために、自分の心に揺るぎない物を置こう。


一番大切なのは『自分が何を望んでいるのか』だが、もう答えは出ている。


―ー死にたくない。


それが俺の一番の望みだ。

利己的と蔑まれても、臆病者とそしりを受けても構わない。

そこだけは決して譲ることができないし、揺らぐこともない。


さて、そのうえでひとつの指針を定めよう。


今回のように敵に情けをかけてしまえば、回り回って人命を脅かす。

それは楓のような他人かもしれないし、自分自身かもしれない。


だから戦闘における絶対的なルールを定める。


―ー必殺。


自分が殺されないために、敵対したヤツは必ず殺す。


「そういう訳だからさ……テメェは死ねよ」


熱でうなされたように荒い呼吸を繰り返す楓を背負ったまま、振り向いて一睨み。

それだけで先ほどの恐怖を思い出した獣人は、戦意を喪失してしまう。


「こうやって怯えて命乞いする様は、ホント演技には見えないよな」


本気なのだろう。

本気で勝てないと思ったから命乞いをし、隙を見せればその事実を本気で忘れて再び襲い掛かる。


「だからこそ救えない」


鉄雄はしがみついたままの楓をそっと床に寝かせた後、白タイツに包まれた脚で犬もどきの喉を踏み抜き、絶命させた。

足裏部分はブーツのように厚手になっているおかげで、『生命を』砕いた感触はさほど感じない。


「生き物を殺すのって、こんなに簡単だったんだ」


あれほど忌避していたことが嘘のようなあっけなさだ。

まるでハエや蚊をつぶしたときのように、なんの感慨も沸かない。


「もっと動揺して取り乱すと思ったんだがな」


ブレまくりの自分だが、それでも敵は殺す、という決意が確たるものだったのか。

あるいは、自分が人として決定的な何かが壊れているのか。


【レベルアップ 1→2 ボーナスAP1】


頭の中に突然、そんな言葉が流れてきた。

実感はないが強くなったらしい。


このレベルアップについても気になるが、いまは楓のことが先だ。


「先輩、大丈夫ですか?」

「……なんとかね」


よかった。脂汗を流しているものの、命に別状はない。


「コレのおかげで命拾いをしたわ」


楓はそう言って、セーラー服と背中の間から鉄パイプを取り出した。

これを仕込んでいたから致命傷を免れたのか。


「さすがにこんな場所に空手で来るほどバカじゃないわ。学校の資材置き場から持って来たの」


空手で足を踏み入れたバカとしては、どうにもバツが悪い。

たしかに校庭の資材置き場には、鉄骨や丸太など武器になりそうな物が転がっていた。


死の香りが発せられるダンジョンに入るのだ。

ちょっと考えれば分かるようなこと(武器持参)を怠ったのは、自分でもどうかと思う。


「時間が無くてほとんど用意できなかったけど、必要最小限の物だけは用意してきたの」


楓が顎で指し示した先には、救急箱と丸太が置かれていた。

先ほど泣いていた鉄雄に近づく際、邪魔だからとあそこに置いておいたのだろう。


それにしても救急箱は分かるが、何故丸太?

しかも、先端部分に血みたいなものが付着しているのが妙に気になる。


「逃げてきた一年生の話で、得体の知れない化け物がいるのは分かっていたからね。もし吸血鬼なんかがいても対抗できるよう、丸太は外せなかったわ」


―ー吸血鬼を相手にするなら、普通は丸太そのものではなく『杭』を使うのではないだろうか?


鉄雄はそんなことを考えて救急箱に手を伸ばそうとするも、楓に止められる。


「あたしなら大丈夫。包帯や薬はアイツのために極力温存しておきたいの」

「何バカなことを言ってるんですか! こうしている今も先輩の背中から血が流れ続けているんですよ。イヤだと言っても力ずくで包帯を巻きますからね!」


心配してくれる人などいない鉄雄は、楓に心配されているアイツとやらにいらつき、キツ目の口調で言ってしまう。


―ーおかしい。俺ってこんなに嫉妬深かったか?


          *


最初は医療品を使うことを渋っていた楓も、鉄雄の説得に負けて治療を受けることにした。


それはいいのだが。


「あ、あの、先輩。できればもうちょっと、その……胸を隠してもらえませんか?」

「何言ってんの? 女の子同士なんだから気にしないわよ」


鉄雄のことを女の子と思い込んでいる楓は、無防備に上着を脱ぎ、ブラジャーを外し、剥き出しにした胸を隠そうとしない。

自分(義体)の体も含め、女の子の裸に興味のある鉄雄だが、こういうだまし討ちみたいなのはいただけない。


楓の白い肌やあまり膨らんでいない胸から目を逸らしつつ、傷を消毒して包帯できつく縛ってやる。


「はい、終わりました」

「ありがとう」


よほど消毒液が染みたのか、涙目の楓が服を着ながら鉄雄に礼を言う。


「それで、改めてあんたに聞きたいんだけど……」


いよいよ来たか、と鉄雄は身構える。


ここにいる理由はいい具合に勘違いしてくれたといえ、この恰好レオタードとか、犬面人をあっさりと仕留めた戦闘能力とか、楓にしてみれば不審な点だらけのはずだ。


「ウチの学校の制服を着た男を見なかった? 具体的には髪が短くて……えーと……んー、特徴が……他に無いのよね、アイツ……」


しばし考え込む楓。

ややあって、ぽんと手を叩く。


「そうそう。たしか鉄雄っていう名前だったわね」

「え?」


鉄雄はつい間の抜けた声を出してしまった。

自分と彼女の間に接点は無いのだが、何故彼女は名前を出したのだろう。


「あたしはアイツを探しにきたの。正直言って生きている望みは薄いんだけど、やるだけのことはやっておきたいのよね」

「……その鉄雄って人は、先輩にとって何なんですか?」


楓の思惑が分からない。

少なくとも彼女にとって、鉄雄は助ける義理も義務も無い相手のはずだ。


見た目どころか性別も違うから当たり前なのだが、別人と思われているのをいいことに聞いてみる。


「同じ学校に通う後輩ね。ちなみに口を利いた事がなければ、ついさっきまで見たこともなかったわ」

「ッ~。だったら何で、そんな人を探しにこんなところまで来たんですか!」

「自分の尻ぬぐいをするためよ」


そして楓は語りだした。


ダンジョン探索に皆が尻込みしたことにイラつき、自分が入ろうとして止められたこと。

同級生(二年生)たちが、そのドサクサに一年生に探索を押し付けたこと。

しばらくして、一年生たちがケガをして逃げ帰ってきたこと。

その際、1人の男子生徒を置いてきたこと。


「あたしがきっかけで、アイツは犠牲になったようなものなのよ。間に合うのなら助けてやりたいし、もう手遅れでも亡骸を学校に連れて帰ってやりたいと思うのは当然じゃない」

「え? 先輩はキレ芸でワザと一年生たちをダンジョンに入るよう仕向けたんじゃないんですか?」

「なんであたしがそんな、性根の歪んだことしなきゃいけないのよ!」


よくよく考えてみれば、楓は1人でダンジョンをうろついているような性格だ。

他人にイヤなことを押し付けて、自分は安全な場所でのうのうとしているような人間とは思えない。


「じゃあ……本当に先輩は俺を心配して……?」

「心配してんのは、あんたじゃなく鉄雄のことよ」


鉄雄という少年じぶんは、誰にも必要とされず、誰にも心配されないと思っていたのに。

心配してくれる人がいた。しかも、自分の命すら保証できない、こんな危険な場所に探しに来てくれた。


「う……ぐすっ……」


ああ、やっぱりこの体は涙腺が緩い。

怪物の命を奪っても動揺しなかった心が、熱く激しく揺さぶられる。


「うああああん……先輩……」

「ちょ、ちょっと! 急にどうしたのよ!?」

「辛かった……寂しかった……誰も……俺のことなんてどうでもいいと思っていたのに……あああああああああん!」


鉄雄はただひたすらに泣きじゃくった。

そして嗚咽まじりに、これまでの全てを洗いざらい楓にぶちまけていた。


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