第43話
赤い扉の部屋を出た鉄雄は、タブレットを片手にダンジョンの地下2階を進んでいた。
その足取りは、疲労が蓄積されているわりには軽い。
そのうちの理由の一つが、動きやすい服装だ。
黒のシャツに黒のジャケット、そして下半身も黒のジーンズという全身黒ずくめ。
これまでの探索でボロボロになったうえ、乾いた血でバリバリになった学生服とは雲泥の差だ。
「まさか赤い扉の部屋に宝箱が隠されていて、中に"防具"が入っていたなんてな」
そう、防具だ。
この黒装束は普通の服と同じくらいの厚さ、軽さでありながら、驚くほど頑丈にできている。
試しに服の上から自分の体を思い切り殴りつけても、衝撃のほとんどを吸収してくれる。
と、鉄雄が新しい服について悦に浸りながら歩いていたところ、頭の中に言葉が流れ込んできた。
――技能【罠感知2】発動――
――通路の10メートル先に隠し扉があります――
「こんな通路にも何か隠されてるのか?」
――技能【罠感知2】により、隠し扉の存在を感知しました――
――技能【罠解除】を使いますか?――
はい/いいえ
鉄雄は脳内で『はい』を選択。
すると、短髪黒ずくめの少年から銀色の光が放たれ、光球となって通路の壁に直撃。
銀の光が消えた跡には、壁の内側に隠されていた宝箱が姿をあらわした。
「おおおお、やった。箱の中身は……日本刀か!」
鞘には"彗星"と掘られている。それがこの刀の銘なのだろう。
「これがあれば、コボルトに襲われても返り討ちにするのが楽になるな」
もっともいまの鉄雄にとって、しばらく使う機会はないだろうが。
とにもかくにも、"彗星"を鞘ごと腰に提げる。
さらに鉄雄はタブレット画面を注視しながら、青い光を放つ通路を延々と歩く。
T字路を右に曲がり、つぎの分岐も右。
さらに現れた三叉路を直進。
まるで進むべき道があらかじめ分かっているかのように、その足取りには淀みがない。
「ようやくか」
通路の数十メートル先の壁では、放つ光が青から見慣れた黄色へと変わっている。
ようやく女人禁制ゾーンを抜けようとしているのだ。
鉄雄がさらに前進し、青い通路の終焉を迎えたところで、再び脳内にメッセージが流れる。
――技能【罠感知2】発動――
――技能【罠感知2】により、一方通行の存在を感知しました――
――この罠は技能【罠解除】でも無効化できません――
「あー、やっぱり"こっちも"駄目だったか」
……先ほど、赤い部屋で【帰還】を買えなかった鉄雄が真っ先に目をつけたのは【罠解除】だった。
前々から欲しい技能だと思っていたし、もしかしたら一方通行の罠も解除できるかもしれない、という期待があったからだ。
――もっともその期待は、先ほど赤い部屋を出た直後に来た道を引き換えし、アイから鉄雄にされた一方通行の壁まで戻ったとき、既に打ち砕かれていたわけだが。
――技能【罠感知2】により、パーティ離脱トラップの存在を感知しました――
――技能【罠解除】を使いますか?――
はい/いいえ
「"いいえ"だ。ソロ状態でパーティ離脱の罠つってもな」
それにしても、どういう罠が仕掛けられているのか事前に分かる【罠感知2】は本当に便利だ。
――先ほど【罠解除】を買った際のこと。
『【罠解除】は【罠感知】を持ってなければ発動できない』と警告文が流れたため、仕方なしに【罠感知】を買った。
アイですでに持っている技能を、鉄雄でも再び買うということはバカらしかったが、背に腹は代えられない。
そんな感じで【罠感知】を買ったところ、新たに【罠感知2】が技能購入リストに追加されたのだ。
アイで買ったときは【罠感知2】の追加表示がなかったから、これも今回のバージョンアップで導入された技能なのだろう。
この様子だと、他にも『技能を買ったら、その上位互換技能が追加されていた』ということがあるかもしれない。
ともあれ罠関係でさんざん振り回された鉄雄は、APを20使って【罠感知2】も購入。
AP198から、【罠解除】【罠感知】【罠感知2】と立て続けに買って合計60APを消費、残APは138。
ちなみに【罠感知2】をセットした瞬間、赤い部屋の壁の中で、防具(黒ずくめの服)が入った宝箱が隠されているのを発見。
その際に、
【ファストアクション 罠解除 ボーナスAP5】
【ファストアクション 宝箱開封 ボーナスAP7】
が発生したことにより、APを150まで戻していた。
「さて、ようやく普通の通路に出られたけど、地下2階からは比叡中学校に帰れないんだよな」
相変わらずタブレットを注視しながら、鉄雄は"既に知っている事実"を前に苦い顔つきをする。
「いったん地下3階の奥深くまで進んで、そこから地下2階、地下1階と上がっていって再度地下2階に潜り、別の階段から地下1階に上がって一方通行の壁を抜けることで、ようやく中学校の出入り口近くの『広間』に出られるんだもんなあ」
言葉にしただけで物凄く面倒くさい。
しかし、鉄雄のタブレットに表示された"完全な地図"を見る限り、それしか道はないか。
「コレ、移動距離が合計で何十キロになるんだ?」
タブレットに表示された時刻は、夜の11時だ。
アイになっている間の鉄雄の肉体は、時間が止まった状態でタブレットに収納されている。
そのおかげで"鉄雄"としては起きて数時間しか経っておらす、肉体的な眠気はまだ襲ってこない。
しかし早朝の不審者騒動からこっち、不眠不休だった精神の方は『眠らせろ』と信号を発してくる。
「魔物がうろつく通路で野宿なんて論外だし、赤い部屋は多少の差があっても十数分で追い出されてしまうしなあ」
普通(黄色い光)の通路に出てから歩くことしばし。
たまたま通りかかった赤い部屋を覗いてみるも、滞在可能タイマーの表示は8分だ。
鉄雄はこの部屋であえてアイにならず、隻腕隻眼、戦闘力に乏しい男の肉体のまま素通りする。
「ダンジョン内で長時間安全に休める部屋ってないもんかな」
――キュイイィィィ。
今、タブレットに通信アイコン(のようなもの)が表示されたと思ったが、気のせいだろうか。
「俺、疲れてんのかな。とにかく集中して"安全なルート"を通り、行けるとこまで行ってみるか」
場所によっては、絶対に敵が徘徊しない空白地帯があるかもしれない。
そのためにも、タブレットに表示された"赤い点"の動きに注視しよう。
「……って、この画面端に表示された"緑の点"は何なんだ?」
*
「おいっ、しっかりしろ、おいっ!?」
興味本位で問題の地点まで辿り着いた鉄雄の前には、人間がうつ伏せに倒れていた。
顔は見えないが、体つきから判断する限り小学生くらいのツインテールの女の子だ。
近くにはやたら大きな斧が無造作に投げ捨てられているが、この少女との関連性が見えてこない。
まあ、それを言ったら、こんな小さな子がダンジョンの地下2階にいるという事実もピンとこないのだが。
……もしやどこかの小学校もまた、この異界に飛ばされたのだろうか?
いや、ちがう。
彼女が着ているのは、修道服をアレンジしたような榛名女学院の制服だ。
だとすると、この子はこんなナリで高校生なのだろう。
「大丈夫か、生きてるか? 生きてるよな、おい!」
黒ずくめの少年は、制服の黒と血の赤に染まった少女に触れ、精神を集中させる。
「【回復1】!」
「う……うぅん……」
よかった、意識を取り戻しつつある。
何故この子が行き倒れになっていたか知らないが、手遅れにならずに何よりだ。
鉄雄は片腕で苦労しながら、うつ伏せの少女を仰向けに回転させ、その顔を覗きこむ。
「目を覚まし……うげっ!」
少女の顔を確認した瞬間、全身に鳥肌が立った。
こんな場所、こんな状況でなければ、"コイツ"の意識が覚醒する前に、そそくさと立ち去ってしまいたいほどだ。
「うぅ。酷い目に遭ったなの……助けてくれてありがとうなの……って、あ……ああっ! あああああああ!」
「は、ははは、よう。数年ぶりだな、エリカ」
鉄雄は目を覚ました少女――エリカに対し、引きつった笑みを見せる。
なぜ彼女の名前を知っているのか、答えは簡単。
このどう見ても小学生にしか見えない少女と鉄雄は、幼馴染という間柄だからだ。
「テッちゃんなの! ようやく見つけた。会いたかったの!」
エリカはこちらを確認するなり、仰向けの態勢から脚力だけで飛び上がり、鉄雄の顔面にダイブをかましてくる。
「うわっぷ!」
コアラのようにしがみつき、体全体で再会の喜びを表現するエリカ。
彼女の体から放たれるミルクのような匂いは、見た目同様、あの頃と全く変わってない。
もっとも鉄雄にしてみれば、その見た目が変わっていないというのは深刻な事態に他ならない。
目の前の偽ロリ少女は、記憶にある小学校時代の姿そのままなのだ。
故に昔、彼女が巻き起こした"騒動"の数々を、いやでも思い出してしまう。
「……血と汗の臭いに混じって、テッちゃんから女の匂いがするの」
……そう、こんな具合に瞳孔の開いたエリカが大暴れしたときのことを。
「普通にパーティを組んで一緒に戦う程度では、こんな内側まで匂いが染みつかないの。少なくとも数時間は密着しているはずなの」
こちらにしがみついたまま、すんすんと鼻を鳴らすエリカの言葉は間違ってない。
昨晩は鉄雄に戻った状態でベッドに倒れ込み、楓に覆いかぶさるようにして朝まで寝ていたのだから。
しかし、そんなことを知らないはずなのに"分かる"エリカは、鋭いを通り越して怖い。
もっとこう、純粋に再会を喜ぶとか、現状について情報交換をするとか、こちらの体が欠損していることを聞いてくるとか、彼女にとっては色々あるべきなのに。
よりにもよって、鉄雄から見え隠れする女の子の影の追及を最優先にしているあたり、嫌な予感しかしない。
「どいつがテッちゃんに"マーキング"したメス猫なの?」
「え? あっ! お前、いつの間に俺の携帯をスッたんだよ!?」
エリカが突き出してきた鉄雄の携帯画面には、今朝、仲間うちで撮った写真が表示されていた。
左から順に晃、塔子、葉月、楓、アイ。
――ちなみにこの時点では鉄雄とあまり親しくなかった葉月が写っているのは、すでに彼女と仲良くなっていた楓が連れてきたためだったりする。
「撮影者がテッちゃんだから映ってないのは当然として……」
すいません、それは他の生徒に撮影を頼んだだけで、俺はバッチリ映ってます。
ポニーテール少女と仲良く腕組みしている赤毛の女の子が俺なんです。
「一番左の男の子は除外して……この金髪クロワッサンなの?」
焦点の合わない空洞のようなエリカの双眸が、鉄雄の隻眼をじっと覗きこんでくる。
…………。
そのまま数秒。
『はい』とも『いいえ』も答えなかった鉄雄の何を見抜いたのか、エリカが言った。
「……ちがうみたいなの。じゃあ、この長い黒髪の子なの?」
葉月を指さし、再びこちらの瞳を覗きこんでくるエリカ。
ヤバい。
このまま何も言わなければ"正解"を見抜かれてしまう。
――思えば小学校時代のエリカは俺のことを"お気に入りのオモチャ"として見ているフシがあり、独占欲が異常なほど強かった。
特に女の子が鉄雄に接近するのを良しとせず、学年が上がるほどにその"排除行為"がエスカレート。
最終的には、修学旅行でバスジャック事件を起こすまで発展した。
さすがにそこまで行くとニュースになり、エリカの実家――実はいいところのお嬢様だったりする――でも揉み消すことができず、彼女はどこかへ転校して行った。
とまれ、常軌を逸したエリカの敵対心を、愛する楓に向けるワケにはいかない。
何とかしてターゲットを逸らす必要がある。
しかし、塔子や葉月を生贄として捧げることもやはりできない。
……ならば残るは。
「こいつだ」
鉄雄は写真の中で、一番胸が大きい赤毛の美少女を指さす。
「この女の子が、俺の"彼女"なんだ」




