第3話
光の正体は、壁にはめ込まれたタブレットだった。
意識がハッキリしていたならIPadにそっくりだと思ったろうが、今の鉄雄には光る板にしか感じられない。
ヒューヒューとかすれる息を吐きながらその場に座りこみ、血にまみれた指で画面に触れてみる。
【AD2015年6月12日 AM10:33:46】
【葉鐘鉄雄 現在地:狭間の牢獄B1F 所持AP:312】
AP?
何度かその言葉を聞いた気がするが、いつだったかどこだったか思い出せない。
頭に巡る血が決定的に足りず、思考がおぼつかない。
鉄雄は自分が何をしているか理解しないまま、小さな子供がオモチャとして遊ぶようにタブレットの画面を触りまくる。
技能取得アイコン――タップ。
【技能取得アプリケーション起動】
ソート――タップ。
必要AP順(高)――タップ。
(特殊系)戦闘用義体♀ 必要AP300
戦闘系ステータス×150% 生命+1 アイテムボックス拡張+1
(特殊系)戦闘用義体♂ 必要AP200
戦闘系ステータス+100 生命+1 アイテムボックス拡張+1
(回復系)欠損補填 必要AP150
(特殊系)生命+1 必要AP100
(探索系)帰還 必要AP100
(生活生産系)金属加工 必要AP90
・
・
・
液晶画面上にずらりと表示される言葉の羅列。
鉄雄はここでも適当にタップしようとしたが、1つの単語を目にして動きを止めた。
―ー戦闘用義体―ー
戦闘用……義体?
……義体って何だ?
……戦闘用ということは、『コレ』があればあの犬面人と戦えるのか?
……どんな武器だろう? 刀? 飛び道具? 爆弾?
もはや論理的思考などできようもない。
仮に戦う力を手に入れようと、死そのものを回避できないということにすら気づかない。
ただ単に、シニタクナイから戦う力が欲しい。
この戦闘用ナントカがあれば、あの化け物に反撃できる、という思いが鉄雄を支配する。
「ゼェ……戦闘用義体をタッ……あれ? 同じ……ハァ……ような言葉が2つ……続いて……い……ゴホッゴホッ」
激しく吐血してしまったが、まあいい。
最優先すべきは、戦う力だ。
(特殊系)戦闘用義体♀ 必要AP300
戦闘系ステータス×150% 生命+1 アイテムボックス拡張+1
(特殊系)戦闘用義体♂ 必要AP200
戦闘系ステータス+100 生命+1 アイテムボックス拡張+1
どっちも同じような意味を持ってるなら、きっと数字が高い方が強いはずだ。
戦闘用義体♀――タップ。
この技能を本当にインストールしますか?
【AP312→12】
はい/いいえ
はい―ータップ。
【義体管理アプリケーション起動】
戦闘用義体♀を使用しますか?
はい/いいえ
はい―ータップ。
その直後、吸い込まれるような猛烈な眩暈を感じて鉄雄は気を失った。
*
「俺……どうしてたんだっけ?」
座り込んでタブレットに腕を伸ばした状態で意識を取り戻した鉄雄は、前後の繋がりを思い出そうとしてみる。
その行為自体、思考能力が戻っているからきることなのだが、鉄雄はその事実に気づかない。
「無理やりダンジョンに入らされて、二足歩行する犬が飛び出してきて……ああっ!」
そうだ。俺は幸田たちに裏切られて犬面人に半殺しにされ、ほうぼうの体でこの部屋に逃げ込んだはずだ。
だというのに、痛みが全く感じられないのはどういうことか。
それだけではない。抉られたはずの右目はちゃんと見えるし、切断された耳と左腕もちゃんとある。
「いやまて、その左腕が何かおかくないか?」
そこにあったのは、腕毛や指毛の生えた黒ずんでゴツい指先などではなく、異常なほどに白くて細い。
にも関わらず感じるのは、病人のような不健康さではなく、繊細な芸術品のような美しさだ。
「これ、本当に俺の腕か? すごくなめらかできめ細かくて、腕毛どころか毛穴すら無くなってるじゃないか……」
心なしか、声もやたらカン高い気がする。
「にしても、胸元の膨らみとか、視界に入る赤い糸のような束が邪魔だな」
胸と頭がやたら重いのに何か関係あるのだろうか?
鉄雄は頭をボリボリ掻こうと腕を動かしたところで、部屋の隅で何かが動いているのに気づいた。
「誰だ!?」
尋常でない速度で立ち上がり、動きのあった方に向き直る。
さっきの犬面人がとうとう部屋に入ってきたのだろうか?
いや、ちがう。
「……女の子?」
彼女が誰なのか、いつからこの部屋にいたのか分からない。
否、そんなことはどうでもいいと思えるほど、鉄雄はこの少女に一瞬で目を奪われた。
年齢は十代半ばぐらい。
中学生と言っても高校生と言っても通じる、幼さを残したあどけない顔つきだ。
見ているだけで吸い込まれそうな、夕日のように鮮やかな赤の瞳。
その瞳と同色。
男と女を結ぶ運命の赤い糸を集めたのではないかと思うようなストレートロングの髪。
鼻梁は高すぎず低すぎず、唇は朝露でしっとり濡らしたかのように瑞々しい。
これまで現実や虚構で見てきたどの少女よりも可愛いのでは? と思える女の子を前に、胸が早鐘のようにドキドキと脈を打つ。
少女も鉄雄の熱を帯びた視線を感じたのだろう。
羞恥のせいなのか頬を赤く染め、こちらをじっと見据えてくる。
美少女と目が合った鉄雄は慌てて視線を逸らすが、そこにあったのは少女の柔らかそうな肢体だった。
身長は目測でおよそ150センチ半ばといったところだが、やたら体の発育が良い。
真っ先に意識してしまうのが、胸の大きさだ。
鉄雄の知識ではカップのサイズは分からないが、90センチを超えているかもしれない。
女性の女性たる象徴に視線がロックオンされるのは、男としては抗いようのない本能みたいなものだ。
いつまでも見ていたいという気持ちがあるが、それに水をさしたのが『自分の胸に感じる視線』だ。
恐らく胸をジロジロ見られていることに気付いた女の子が意趣返しとして、こちらの胸元に視線を送っているのだろう。
途端にバツの悪くなった鉄雄は、さらに視線を彷徨わせるが、その度に抱きしめたら折れてしまいそうな細くくびれた腰だとか、丸く美味そうなお尻だとかが視界に入って落ち着かない。
……ああクソっ。こんなにキョドってちゃ不審者そのものじゃないか。
もっともこの場に他の男がいたのなら、鉄雄の擁護に回ったかもしれない。
何せ、少女の格好が際どすぎるのが全て悪いのだ。
端的に表現するのなら白のレオタード、あるいはハイレグ水着。
上部分はノースリーブかつホルダーネックタイプで、下半身の方はかなり際どい角度でカットが入っている。
さらに足はレオタードもどきと同色のロングタイツで太腿までを覆い隠している。
インナーはきちんと身に着けているのか、乳首や股間こそ透けていない。
だが、体にぴっちりと密着しているせいで、魅惑と言って差し支えのないボディラインをくっきりと浮き上がらせている。
これはハッキリ言ってまずい。こんなのを見せつけられたら股間が大変なことになってしまう。
……あれ?
おかしい。目の前の美少女にムラッと来てるのは間違いないが、股間に血液が集中する気配が感じられない。
つまり、勃起をしそうでしてない。
その代わり下腹部の奥がじゅんと熱くなってきているのだが、これは一体どういうことなのか。
いままで感じたことのない感覚なので、どう表現していいか分からない。
もしかして、自分の体はどこかおかしくなったのだろうか?
……いやまあ、死にかけの状態でおかしいも何もあったものじゃないが。
とにかく事情はさっぱりだが、まずこの少女の話を聞いてみよう。
「な、なあ」
鉄雄は改めて少女を真正面から捕らえ、緊張した面持ちで右手を軽く上げる。
すると、少女もまた左を上げた。
?
鉄雄は妙なひっかかりを覚え、右腕を下ろす―ーと、少女も左腕を下ろす。
左腕を上げる―ー少女が右腕を上げる。
左腕を下げる……フリをして再度上げる―ー少女も寸分たがわず同じ動きをする。
……どうやら俺の動きとあの子の動きは連動しているようだ。
笑ってみる―ー少女も笑顔を見せる。
眉を潜めてみる―ー少女も眉を潜める。
……どうやら俺が思った通りの表情をあの子がするらしい。
何故か膨らんでいる自分の胸を揉んでみる(柔らかくて気持ちいい)――少女が困惑しながら自分の胸を揉む。
恐る恐る股間に触れてみる(もっこりとした膨らみが無いどころか、指がずぶりと入りそうになって慌てて離す)―ー少女が泣きそうな顔で股間を触れて離す。
……認めたくないがどうやら間違いない。
俺の目の前にいるのは女の子ではなく、鏡に映った自分自身だった。
これまでの短い時間で、何度も理不尽な目に遭ってきた。
不条理に次ぐ不条理の連発だった。
だけど。
「女の子になっちまうなんて、ウソだろだろォォォォォ!?」
*
ひとしきり絶叫したところで、何かが解決するわけでもない。
開け放たれた扉の外では、未だ犬面人がウロウロしているし、自分の体が男(鉄雄)に戻ることもない。
「唯一の救いは、この身体がすごく可愛いってことだよな」
どうせ女の子になるのなら、微妙な容姿よりは美少女の方がいいに決まってる。
フツメン男(鉄雄)のときは、さんざイケメン同級生との格差社会っていうのを味わったしな。
「うーん、これが俺か」
鏡を見て、うっとりとしたため息をついてしまう。
なるほど、ナルシストの気持ちが分かるというものだ。
「改めて意識すると、声も女の子のものになってるよな」
男では決して出せない高音を、この体はごく当たり前にだせる。
ふと、カラオケに行って女性歌手の曲を歌いたくなってきた。
一緒に行く友達なんていないから、1人カラオケになるのが悲しいところだが。
―ーそれはさておき。
「自分の体なんだから……その……見てもいい……よな?」
ゴクリ。
年齢イコール彼女いない歴、ついでにぼっちとはいえ、そこは健全な高校男子だ。
やはり女体の神秘には興味がある訳で。
――しかし、そうは問屋が卸さないというのが世の常だ。
鉄雄がレオタードの胸元をずり下ろそうとしたところで、目覚まし時計のようにけたたましい音が室内に鳴り響いた。
ようやくTSシーンに辿りつけました。
読んでくださった方、ブックマークをつけてくださった方、ならびに評価してくださった方、感想をくださった方等、皆様に深く感謝いたします。
拙作を読んでくれる人がいる、ということを励みに、精進いたします。
※2015年2月14日 戦闘用義体♂のAPの表記を修正しました。
AP250→AP200