第37話
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さんざん泣きはらした葉月が、ようやく顔を上げる。
その目は赤く充血し、涙や鼻水の跡が残っていた。
「あー、みっともねえトコ見せちまったな。いいか、この事は忘れろ」
「分かりました」
もっとも、彼女の涙や鼻水のせいでグショグショになった体操服が乾くまでは難しいだろうが。
「ああいや、忘れろってのは他の連中に言ったんだよ。アイさんだけは……その……覚えていて欲しいんだが」
「? よく分かりませんが、分かりました」
どうやらピンときてないのは自分だけらしい。
残りの同行者たちは、
『賭けるか? と言ってもオッズ的に楓さんが9・子都が1ぐらいだろうが』
『いくら子都も可愛いつってもさあ、ムリゲじゃね? 寝取るったって、相手が相手だから厳しいだろ』
『略奪愛が無理なら、もうアイちゃんがハーレムを作って葉月ちゃんは2号さんになるしか……』
などと談笑している。
そんな彼等、彼女等に対して葉月は、
「だ、黙れバカ! さっさと忘れろつってんだろ!」
と、顔を真っ赤にして怒り始めた。
ホント、泣いたり怒ったりと忙しい奴だよな。
素で可愛いんだから笑い顔が一番似合うと思うんだが。
「あ、アイさん、ここにいたんですね! 大変、大変です!」
「晃? 血相を変えてどうしたんですか? と言うか、何故こんなところに1人でいるんですか?」
晃と塔子の第3班は、アイたちがいる南側とは逆の北側エリアで、絶賛PL中のはずだ。
あるいは途中で切り上げて本拠地に戻ったにしろ、戻る途中にしろ、ここにいるのはおかしい。
「アイさんを探してたんです!」
「私を?」
「ああいえ、それも厳密には正しくなくて……その……何と言うかとにかく大変なんです!」
「どう大変なのかは分かりませんが、こちらを見て話してくれませんか?」
しかし、晃はこっちを向くなり真っ赤になって目を逸らし、顔を上げては『ピンク……』と呟いてまた顔を背ける。
ピンクっていうのは何のことだ? いや、そう遠くない過去において、その色がどこかで話題に出たような……。
*
『今日のアイの下着だけど、昨日は白だったから今日はピンクがいいわよね?』
『誰かに見せるわけでもないし何でもいいですよ。こうやって目をつぶってるうちに先輩に着替えさせてもらうだけですしね』
*
ああ、そうだ。今日の下着の色がピンクなんだった。
だけど、何で晃がそのことを知ってるんだ?
アイは女の体になったことで備わった『男の視線追尾能力』を使い、晃がどこを見ているのか追ったところ、自分の胸元に辿りついた。
白地の体側服が葉月の涙などでビショビショに濡れそぼり、下につけているブラの色と形、さらに肌の質感まで透けて見えている。
「きゃあああああああ!」
昨日と同様、アイという少女の肉体が、条件反射的に女の子のような悲鳴をあげてしまう。
「あうううっ、ご、ごめんなさい。わざとじゃないんです」
「い、いえ。大丈夫です。そう、私は本当は男なんですから、男が男に下着を見られるぐらい、何てことはありません」
「ハイ! アイたん。何てことないなら、服を脱いで下着姿になってください!」
調子に乗ったパーティメンバーの少年が軽口を言う。
アイはその少年ににっこりとほほ笑み、耳元で囁くように言った。
(分かりました。じゃあ今度、二人きりになったときに私の下着姿をお見せしますね)
「ヒャッホウ! いやったあああああああ!」
バカみたいに舞い上がる少年を温かく見守りながら、赤毛の美少女は心の中でこう付け加えた。
――ただし鉄雄の姿に戻ってからな。
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そんな一幕があったものの、気を取り直した晃が『本当にそれどころじゃないんです!』と鬼気迫る表情で事情を説明し始める。
――ほんの十数分前。
有賀に暴行を受けて心神喪失状態にあった少女の一人が、ちょっと目を離した隙に女子寮からいなくなった。
付き添いの少女がそのことに気付いた時点ですでに時遅し。
錯乱した少女は奇声を発しながら、ダンジョン出入り口にいた見張りを突き飛ばして、中へと入っていったらしい。
「だとしたらこうしてはいられません。すぐに彼女を捜索しないと!」
晃も知らせを受け、捜索の手を増やすために単独行動を取っていたのだろう。
そして、その最中に自分に出会った、というあたりか。
――そこに、晃のタブレットから、彼とPTを組んでいる塔子の声が聞こえてきた。
『いなくなった女生徒を見つけましたわ! ダンジョンの東側、例の【巨大空間】の中に入って……ああっ、コボルトが沸いてしまいましたわ……クッ、間に合ってくださいまし……』
「待ってろ塔子! 俺もすぐそっちに向かう!」
それっきり通信が途絶えてしまった。
こっちの声が聞こえたかどうかは分からないが、もはや一刻の猶予もない。
ここからだと少し距離があるが、全速力で向かおう。
しかし、そうなってくると問題になるのがアイのPTメンバーだ。
現状で地図持ちはアイと晃の2人のみ。
アイがこの場を離れるとなると、『道に迷わず』かつ『コボルトを倒しながら』拠点に帰るためには、晃が必要不可欠となる。
パーティメンバーを守りつつ拠点に送り届けるだけなら、アイでも晃でもいい。
しかし、『巨大空間』まで迅速に移動し、さらにコボルトの群れを相手にするとしたら、晃よりアイの方が適任だ。
――目配せはほんの一瞬だった。
こちらの意図を汲み取った晃は短く頷き、アイは駆けだした。
*
アイはひたすらにダンジョンを走っていた。
普段はいい匂いを放ち、密かに手触りが気に入ってる長い赤毛も、こういった状況だと、"たなびく"のが鬱陶しいと思う。
かと言って、切ったり束ねたりはできない。
何でも【義体管理アプリケーション】の説明によれば、髪の毛は放熱材的な役割を果たしているとのこと。
義体のパフォーマンス(戦闘スペック)を100%発揮するためには、この状態を保つしかないのだ。
――グルルルルルル。
「邪魔です!」
足を止めることすらもどかしい。
レベル差により、もはや敵ではなくなったコボルトの首をすれ違いざまに1匹、また1匹と刎ねていき、ひたすらに先を急ぐ。
そしていよいよ大広間が近づき、3匹目のコボルトを倒したところで『それ』に気付いた。
【子都葉月 レベルアップ 4→5 ボーナスAP1】 所持AP:1
「なっ!?」
アイが驚いたのも無理はない。
パーティを組むことによる恩恵――先ほど塔子と晃が行った【タブレットを使った通話機能】には、いまのところ距離の制約を感じたことはない。
しかし、敵を倒すことによって得られる経験値の分配が有効な距離は、せいぜい数百メートルだ。
知らせを受けてから駆け抜けた距離を考えれば、アイが倒したコボルトの経験値が届くはずはない。
なら考えられることは……。
アイが走りながらも後ろを振り返ると、そこには予想通りの光景があった。
「葉月!? なぜついて来てるんですか?」
「ゼェ……ハァ……ンなこと言うまでもないだろ……」
たしかに葉月は速いが、アイはそれ以上に速い。
いくら地図を確認したり数多くの分岐点で減速しているといえ、そしてかろうじてといえ、こちらを見失わずに着いて来れるのは見事としか言いようがない。
「オレはアイツ等のために強くなるって誓ったんだ……だから……このまま何もしないでただ待ってるだけなんて……ヒィ……フゥ……できるワケないだろ」
すでに『巨大空間』は目と鼻の先だ。
ここまで来た以上、葉月を連れて行く以外の選択肢は残ってない。
撒くのは不可能。
一発入れて気絶させ、足止めすることはできるだろうが、意識を失った葉月を転がしておけばコボルトの餌食になるかもしれないし、学校まで送り届ける時間はない。
「仕方ありませんね」
何十匹いるか分からないコボルトの相手は荷が重いだろうが、葉月の"速度"は有効な武器になる。
まずは取り囲まれないよう回避を徹底させて自分の身を守ることを優先させ、いよいよヤバいようなら地下2階へ避難。余裕があるようなら、かく乱目的で動き回ってもらおう。
*
黒山の人だかり、という言葉があるが、それをコボルトが織りなしているとなると一種の壮観さを感じる。
土壁で構成された巨大空間はコロシアムのようでもあり、コボルトの巣のようでもある。
……それほどまでに夥しい数の獣が、中に入り込んだ哀れな生贄を捕食するべく蠢いていた。
コボルトは本来、人間の子供ほどの大きさしかない。
故に無数のコボルトに取り囲まれていても、壁を背にした塔子の姿はしっかりと確認できた。
コボルトを手にしたサーベルでけん制するも、数に物を言わせた爪や牙の攻撃を受け、苦悶の表情を浮かべる。
しかし、彼女は決して倒れることなく、壁と背中の間に挟んだ少女を庇い続ける。
「うああああああああ!」
それに着目した葉月は、その少女の名前を叫びながら『巨大空間』へと向かって行く。
「葉月、冷静になってください!」
……しかし。
部屋の中央。
振り回される丸太の隙間を縫って、コボルトがポニーテールの少女の肩に噛みつく光景を見た瞬間、アイの中で何かがぷつりと切れた。
――技能【罠感知】発動――
――通路の5メートル先に罠があります――
かけ直した【罠感知】が警告を発してくる。
うるせえ馬鹿。
恐らく一方通行のトラップに反応しているんだろうが、分かり切ったことを言ってんじゃねえ。
アイは『巨大空間』に飛び込むや否や、こちらに気付いて飛びかかるコボルトを踏み台にし、高く跳躍。
「あああああああああああああッ!」
さらに八艘飛びよろしく、次々とコボルトを踏み台にして室内中央まで迫る。
幻想的に光る土壁のドームをステージに、醜い犬怪物の頭を踏み場にして、暴力的に――しかし可憐に宙を舞う赤毛の妖精。
まるで羽が生えているかのような妖精少女の"舞い"は、暴力性と最低限度の知能しかないコボルトどもを一瞬とはいえ確かに魅了し、数十匹の動きを止めてしまう。
アイは凍りついた時の中を一人自在に動き、楓の背後へ音もなく降り立つと、彼女の肩に噛みついていたコボルトの首を刎ねた。
「アイっ!」
「先輩も来てたんですね……それに……いろんな意味で間にあってよかった」




