第34話
*
「はああああっ!」
――グル……ル……ル。
比叡中学校全体を巻き込んだ不審者騒動から4時間後。
アイは4人の女子中学生とパーティを組み、ダンジョンの地下一階でコボルト狩りを行っていた。
【暁水静 レベルアップ 4→5 ボーナスAP1】 所持AP:4
【響本涼音 レベルアップ 4→5 ボーナスAP1】 所持AP:4
【雷電朱里 レベルアップ 4→5 ボーナスAP1】 所持AP:4
【雷電朱音 レベルアップ 4→5 ボーナスAP1】 所持AP:4
「ようやくレベル5まで来ましたね。コボルトを後5匹倒してレベル6になれば、【食料品召喚】か【生活必需品召喚】を覚えることができますよ」
「アイちゃんにだけ戦わせて、私たちは見てるだけってのは申し訳ないわ」
「静の言うとおりね。何かわたし達にできる事はない?」
「そうだ、もうじきお昼になるし、みんなで代わる代わるアイちゃんを膝に乗せて、お弁当を食べさせるのはどう?」
「いいわねそれ。静と涼音。朱音と私がペアになって、アイちゃんを抱っこする係、『あーん』ってする係を分担しましょ」
「……あの。それは全然私の為になってないんですが。と言うか今朝も言ったとおり、私は高校生の"男子"で、皆さんより年上なんですよ」
アイは『ちゃん』付けを非難するように四人の少女をジト目で睨むが、この中で一番背が低く一番幼く見えるものだから説得力がない。
「いいからいいから、ほら、こっちの通路なら全体を見渡せるから、食事中にコボルトが襲ってきてもすぐ対応できるわよ」
「さ、アイちゃん。私の膝の上に座って座って」
「ちょっと、朱里お姉ちゃん。その前にタブレットからお弁当とお茶を取り出さないと」
「人の話を聞いてください! 私は男だって言いましたよね!? だから……その……あまり私と肉体的接触をすることは……モガッ、んぐっ!」
しかし少女たちはアイの言葉に耳を貸さず、背後から強引に抱き抱えて座り込む。
さらに赤毛少女が口を開けた瞬間を狙って卵焼きを放り込んだ。
もっきゅもっきゅもっきゅ……ごっくん。
くっ、この出汁巻卵の滑らかな舌触りはかなりのものだし、甘さが至福の雫となって血液中に溶け込むようだ。
鉄雄と違ってアイの胃袋が小さいことは昨日思い知らされたが、味覚まで甘い物好きに変化しているのか。
「はい、パシャッと。アイちゃんの蕩け顔、いただきました~」
「この写メ、後でクラスメイトの曙川や静漣たちにも見せてあげましょ」
「甘い物を食べてこ~んなにいい顔しておきながら、『俺は男だ』って言っても説得力がないわよね」
ビキビキッ。
「いい加減にしろ、このガキども! 人が大人しくしてればオモチャのような扱いをしやがって……」
アイはコボルトですら震えあがらせるほどの怒気を見せるが、少女たちはキャーキャーはしゃぐだけだ。
フフフ、怖いか? と言わんばかりに目いっぱい凄みを利かせたつもりなのに、この姿では効果がほとんど無いのか。
「ちょっと、男言葉を使っちゃダメじゃない。その姿のときは女の子として振る舞う、って"みんなの前で約束"したわよね」
「うっ……ぐっ……し、しかし……」
「まあまあ、私たちも含め、比叡中学校の皆はアイちゃんとスキンシップを図って仲良くなりたいのよ」
「そうそう、だからいまの扱いが"心の底から本気で嫌"だったら、すぐに改めるからいつでも言ってね」
「……その言い方はずるいと思います」
こちらをからかいながらも挙動の端々には親しみが込められ、アイと仲良くしたいという意図が分かってしまう。
そして分かってしまう以上、本気でやめろとは言えない。
「とまれ、アイはいいとして鉄雄としても皆さんと仲良くしたいのですが。"普通"に高校生の男と中学生の女の子たちとして」
「うん……まあ、そうねぇ……?」
「あはは。"鉄雄先輩"は楓お姉さまのものだから、私たちが仲良くしちゃまずいわよ」
そういう意図で言ったのではないのだが。
あくまで男の先輩と女の子の後輩として、適切かつ正しい距離感を保ちたいだけだ。
……まったく、一体何故こんなことになってしまったのか。
桃色の空気を撒き散らす女子たちに困り果てたアイは、今朝の出来事を思い返していた。
**********
――4時間前。
アイはようやく目を覚ました楓に現状を伝え、2人きりで話し合いを行った。
そして塔子に頼んで校庭に全校生徒を集めて貰い、その場で自分の正体を含めたこれまでの経緯を説明をした。
「――結果として皆さんを騙す形になってしまい、本当に申し訳ありません」
アイが全校生徒に自分の正体をばらすことに踏み切った直接的要因は、現在進行形で続いている不審人物の捜索だ。
と言っても、鉄雄が指名手配されたそのものが契機ではない。
アイが肉体を切り替えない限り、鉄雄が見つかることは絶対にないからだ。
にも関わらず、中学生の皆は"アイと楓のために"と見つかるはずのない人間の捜索を行おうとしている。
異界に喚ばれて二日目の朝。
食糧や水道、ガスや電気が底を尽きる前に、学校ぐるみで生きていく算段をつけなければいけない。
コボルトをまともに倒せない中学生たちとパーティを組み、戦闘力に長けた自分や楓がコボルトを倒す。
そして一人でも多くの生徒をレベル6以上にし、飲食料品や生活必需品を『召喚』してストックしていかなければならない。
時間はいくらあっても足りない。
自分たちの欺瞞で中学生たちを無意味な捜索に駆りだし、みんなの貴重な時間を浪費させることに耐えられなかったからだ。
そしてそれと同等、あるいはそれ以上にアイを突き動かした情動が、塔子――それに晃もだが――と親しくなって情が移ってしまったことだ。
昨日は塔子に嫌われることを恐れて自分の正体を明かせなかった。
しかし『彼女たちに嫌われるより、彼女たちを騙し続ける方が辛い』と気付いてしまった。
先ほど塔子は、アイ(じぶん)たちのために、激しい敵意をぶつけてくれた。
不審人物としてその敵意を直接浴びたからこそ、塔子がアイたちをどれだけ想ってくれているかが胸に染みた。
――にも関わらず、一度逃げ出してしまった。
あの場で釈明するチャンスがあったにも関わらず、拒絶が怖くて女子寮から逃げ出してしまった。
そして、アイとして現場に戻ってきたときの、塔子のセリフ。
『アイさん、ご無事でしたか!?』
アイが無事だったことに心底安堵した声色、表情。
それを見せられてなお、秘密を隠して塔子を騙し続けることは無理だと、良心が訴えた。
『ええ。無事と言うか……その……何と言うか……』
どもりながらも、真実を口にしようとする。
しかし、塔子の説明と校内放送が流れてしまったことで、アイは"支払わなければいけないツケの代償"を思い知らされてしまった。
それに、今もなお、
「アイさんのお話が本当なら、お二方が不審人物に狙われているわけではありませんのね? ……本当に……よかったですわ」
第一声でそんなことを言ってくれるような少女を、これ以上欺けるわけがない。
「――それが、告白を決意した理由です。本当に申し訳ありませんでした」
「待って! アイは悪くない。悪いのはあたしなの!」
全校生徒に深ぶかと頭を下げるアイの横で、楓が一歩前に出る。
「昨日、あたしがアイに本物の女の子のフリをしろ、って言ったのがすべての元凶なの! だから……だから悪いのはあたしなの。塔子、晃、それにみんな、本当にごめんなさい」
晃と遭遇したとき、たしかに楓はそう言った。
しかし、"そのとき"は高校の連中に裏切られて見捨てられた後だったから、アイも楓も、"そのとき"は、それが正しい選択だと思っていたのだ。
大体にして、楓には昨晩『これは"俺"が自分で考え、結論を出さなければいけない問題だと思うんです』と言ったばかりだ。
だからどうして彼女を責められよう。
「それは違います! 黙っていたのは私自身の意思です!」
アイは楓を、楓はアイを庇い立てするかのように頭を下げる。
穿った視方をする者なら"あざとい"と思うかもしれないが、アイにとっては……そして、恐らく楓にとっても心の底から『悪いのは自分だから、相方には何の咎もないことを分かって欲しい』と思っていた。
謝罪からどれくらいの時間が経ったか。
「頭を上げてくださいな」
静まり返った六百余名を代表するように、塔子が言う。
「確認ですが、アイさんの心は男ということでいいのですわよね?」
「はい」
中学生たちがざわめくが、それも当然か。
「では恋愛対象は、女の子なのですわよね?」
「……はい」
楓としばし見つめ合った後でそう答える。
昨晩の告白についてだけははぐらかしたのだが、見る者がよっぽど鈍くない限りはこの態度でモロバレだろう。
「女の子と、中身はともかく体は女の子の恋愛……無罪ですわ!」
「そんな軽くていいのかよ!? つうか判断基準からして間違ってるだろ!」
――それ以前に、俺が(ダンジョン内以外は)いつでもどこでも男に戻れるってことを本当に分かってるよな?
ともあれ、塔子ではダメだ。
「晃、晃はどう思いますか!?」
アイはもう一人、塔子と同じくらいに情を移している少年に水を向ける。
「……そ、そんな……信じられないよ」
晃は目を見開き、わなわなと震えているが無理もない。
彼にはさんざん女の子として身体的接触を図ってしまったのだ。
いわば少年の純情を弄んだも同然。
晃としては決して許すことなどできないはずだ。
「アイさんが……アイさんが楓さんと付き合い始めていたなんて!」
そっちかよ!
「うぅ。アイさんの心が男で恋愛対象が女の子だというなら、僕はもう諦めるしか……い、いや。僕もアイさんのように女の子の体になれば、もうワンチャンが……」
あれ? コイツ等ってこんな性格だったっけ?
俺の正体を聞いて気が動転してるだけ……だよな?
「ちょっといいか?」
色々と脱線気味のなか、一人の女生徒が手と声をあげる。
たしか子都といったか。
可愛い外見と裏腹に乱暴な言葉遣い。
そして楓に体操着を貸せるくらい薄い胸が印象的で――『合宿所の大広間』に居て、有賀を殺すような目で睨んでいた子だ。
「さっきからアイさんが男だって前提で話してるけど、証拠を見せてくれよ」
アイはその要求に答え、タブレットを操作。
その瞬間、場からは可愛い女の子が消えて隻腕隻眼の少年が現れる。
「あ、あれ?」
到底現実ではありえない場面を見せたのに、生徒たちの反応は極めて薄い。
一回では現実を受け入れられないのかと思い、鉄雄は再度アイになる。
「「「「「ウオオオオオオオォォォォォ!」」」」」
途端、『おおお!』とか『すげー』、という言葉が混じった大喝采が巻き起こる。
「…………」
【義体管理アプリケーション】を操作して鉄雄に。
――シーン。
……アイに。
「「「「「「「「「「ウォォォォォォォォ!」」」」」」」」」」
何故か悲しくなってきた。
「到底信じがたい光景ですが現実を受け入れるべきですわね。では続きまして、学校生活におけるアイさん時と鉄雄さん時の扱いについて……」
「……な、なあ……ちょっと待てよ塔子。お前らもそれでいいのか? 女の子のフリをして皆を騙してたんだぞ!」
「そ、そうよ。もっとこう、あたし達を袋叩きにするとか、学校から追い出すとかあるんじゃないの!?」
アイとしても楓としても、何かしらの"罰"が無いと落ち着かないと言うか。
「ですが、話を聞く限りでは、不可抗力となし崩し的な流れでこうなったわけですわよね?」
「そもそも、アイさんは女の子の体を悪用した訳じゃねーんだよな」
塔子が言い、子都が続いた。
「そうよね。別に女の子のフリをして着替えを覗いたり、お風呂に入ってきたりした訳じゃないし」
「情状酌量とか言う以前の問題ね」
と、次々に女生徒たちが意見を口にする。
「むしろ逆に、アイちゃんと一緒にお風呂に入ってみるのも面白いかも」
「あ、それいいわね。本当は男なのに完全に女の子扱いされて、恥ずかしったり悶えたりするアイちゃんってすごく萌えそう」
「はい! アイちゃんは女の子として扱うべきだと思います!」
「賛成!」「あたしも!」
雲行きがおかしいどころか、暴風雨になってしまった。
しかもいつの間にか『アイさん』から『アイちゃん』になってるし。
こうなったら自分が何を言っても聞きはしないだろうし、ここはひとつ先輩から彼女たちを窘めてやってください。
「はいはい! あたしが責任を持って、アイの女の子教育係をやるわ!」
裏切られたっ!
「ゴメン……あたし……男のあんたも好きだけど、同じくらい女のあんたともいちゃつきたいの」
くっ、女の子はダメだ。
俺をオモチャにすることしか考えてない。
けど、男子連中なら……。
「ちょっと待てよ。アイさんは本当は男だぞ! だったら男子寮に住まわせ、男として扱うべきだろ!」
「そうだそうだ!」
うんうん、やはり男の気持ちは、同じ男が良く分かるということか。
「俺もそれが一番いいと思う。ダンジョン探索だけは戦闘力に優れたアイの体になって、普段は男として生活するのが一番いいと思うんだが」
「「「え?」」」
「え?」
男子連中の"何言ってんだコイツ"的な『え?』に、"どういうこと"というアイの『え?』が続く。
「いや、だって、なあ」
「ああ。一緒に生活するなら、野郎より美少女の方がいいに決まってるし」
「アイさん……いや、"鉄雄さん"だって、これが他人事ならそう思うっスよね?」
他人事ならな。
だが、当事者としては断固反対だ。
百万歩譲ってアイのままで日々を過ごすとしても、女の子扱いされるのは耐えられそうにない。
……耐えられそうにないと言うのに。
「わかりましたわ。では折衷案として、以下の通りでいかがでしょう」
塔子が縦ロールを揺らし、ドヤ顔で言った。
――アイの姿のときは女の子として扱い、鉄雄の姿のときは男として扱う。
――アイの日と鉄雄の日をあらかじめ決めておき、予定に従って行動する(ただし鉄雄の日でもダンジョン探索はアイになる)。
その他細々とした取決めをした後、オマケみたいな流れでダンジョン探索(パワーレベルリング作戦)の班決めを行う。
コボルトを単独で倒せるアイをリーダーとした第1班、同じく楓の2班。
そして魔法を使えば倒せるものの、レベル的に不安が残る塔子と晃が一緒になった第3班。
こうして彼女等は思い思いの武器を手に準備を行い、ダンジョンへと足を踏み入れた。
**********




