第30話
*
有賀と決着をつけて数分後。
「はうっ」
アイの体を唐突に悪寒が駆け巡った。
風邪をひいたのかと思ったが、そういうものとも違う。
心の奥底に封じて忘れたままにしておきたい記憶が、凍えるような恐怖と共に蘇ってくるかのような感覚。
恐怖はまさしく過去からやってくる、というのは誰のセリフだったか。
と、そのとき。
ドドドドと大勢の足音が合宿所に響いたと思った直後。
「アイさん、楓さん、大丈夫ですか……はうあっ!」
先頭をきって大広間に入ってきた晃が、こちらの姿を見るなり鼻血を流し、その場にしゃがみ込んでしまった。
それだけではない。
晃の後ろには無数の生徒たちが姿を覗かせていたが、そのうちの半数――それも男だけがアイを見るなり晃と同じく、しゃがみ込んだり前のめりになったりする。
現在の性別はさておき、彼等と同じ男として、そのポーズには心当たりがありすぎる。
あれは人前で股間が元気になってしまった際、それを隠すための動作に他ならない。
――けど、何が晃たちのアレを奮い勃たせちまったんだ?
有賀に暴行を加えられた女の子たちは、アイの手によって汚れを拭きとられ、楓の手によって毛布をかけられている。
だから、それが原因じゃないだろう。
「アイさん、楓さんもご無事でし……た……の……?」
晃のすぐ後ろにいた塔子が、こちらにねぎらいの言葉をかけようとして、複雑な視線を向けてくる。
「つかぬことをお聞きいたしますが、ずっとその格好で戦っておりましたの?」
――そういえば先輩を人質に取られ、ストリップを強要されたから下着姿のままだったな。
どうりで寒いはずだ、など呑気なことを考え、顔を首から下に向けてみる。
本人視点であるにも関わらず、視界の大部分が自分の胸で覆われているのは、相変わらず違和感でしかない。
肌色が大部分を占め、その周囲を隠すように白い布があてがわれている。
その下は巨大なおっぱいが邪魔して見えないが、腰には純白のショーツ、足にはストッキングと一体型になったブーツを履いているはずだ。
「あ……」
脳内と現実の"ズレ"にようやく気付いた。
感覚的には、あくまでも男として人前でトランクス姿を晒しているような認識。
『ちょっと格好悪いけどどうしようもないし、まあいいか』程度だった。
しかし現実には、アイという赤毛の女の子として、あられもない姿を晒している。
一人残らず"轟沈"した男子中学生たちがその身をもって、客観的な事実を告げてくる。
これまでもアイは、女の子に対する視線を幾度か浴びせられてきたが、今回はその数が桁違いだ。
「きゃああああっ!」
『現実と事実』を正しく認識してしまったアイの"体"は、"心"が何かを考えるより早く女の子のような悲鳴をあげ、その場にしゃがみ込んでしまった。
「あ……れ?」
その瞬間、世界が大きく揺れ、意識が遠のいてくる。
「……イ……アイ、しっ……りし……て……」
遠くからだれかの叫び声が聞こえる。
ああ、この感覚には覚えがある。
いまよりもずっと幼かった子供の頃――ぼっちになる前。
近所の子と遊んでたとき、よくこういう状態に陥って倒れてしまった。
そのときは、精神的な疲労だと医者に判断されたんだっけ。
学校単位で異界に招かれ、コボルトに殺されかけ、女の子になってしまい、楓と出会い、コボルトを殺し、高校の連中に見捨てられ、ダンジョンを探索し、晃や塔子と出会い、有賀を倒した。
10時間あまりでこれほどの出来事が立て続けに起こったせいで心が参ってしまったのだろう、と自己分析しながら、アイはふらりと意識を手放した。
*
「うん……あ……れ?」
「あ、目を覚ましたわね。気分はどう?」
目を覚ましたのは、中途半端に生活感のある八畳ほどの室内だった。
その二段ベッドに寝かされていたアイは、こちらを覗きこんでくる楓に質問する。
「俺……倒れたんでしたっけ……ここはどこですか?」
「素が出てるけど、二人っきりだしいっか。ここは比叡中学校の女子寮の一室よ」
楓はアイが突然倒れたこと、しかし普通に眠るような様子だったので、単に疲れが出ただけと判断し、休ませていたことを説明する。
「晃や塔子を始めとした中学生たちはみんな驚いてたわよ。妖精みたいに可愛い顔の女の子が、ガーガーいびきをかいて腹をボリボリ掻くもんだから」
「うぅ……」
その光景を想像すると、"何故か"恥ずかしさが込み上げてくる。
寝ているときまで女の子のフリなどできるわけないじゃないか。
「先輩にも迷惑をかけてしまったみたいですいません」
「いいわよ。色々と役得だったし」
役得?
「ダンジョンを探索していたときの汚れが酷かったから、この部屋備え付けのシャワールームで、あたし達の体を綺麗に洗ったのよ」
道理で体が妙にさっぱりしていて、自分と楓から石鹸の匂いが漂ってくると思った。
役得というのは、楓がその際にこちらのおっぱいをひたすら揉みまくったということだろう。
――アイの裸を見られたことについては、相手が楓ならば全然問題ない。
……さっきみたいに男子中学生たちに見られでもしたら、顔から火が出るところだが。
ちなみに楓は、体操服にブルマといういでたちだ。
金剛高校にブルマなどないうえに、胸のゼッケンには子都と他人の名字が大きく書かれているため、着替えを誰かに借りたのだろう。
……しかし、女の子の体でシャワーを浴びたんだよな……先輩と2人きりで。
残念そうなアイの表情を察した楓が、面白いオモチャを見つけた子供のような表情で聞いてくる。
「裸を見たかった?」
「……ええと……はい」
自分自身と楓から漂う"女の子の匂い"にあてられたアイは、催眠術にかかったかのように素直に返事をした。
「まあ、女の子って言っても自分の裸でもあるんだから、これからいくらでも見る機会があるでしょ。着替えとかもそうだけど、少しずつ慣らしていかないとね」
え?
「いや、俺が残念がってるのは、先輩の裸を見れなかったことで……あ!」
「え? あ……あうぅ……」
お互い思い違いをしていることに今更ながら気付いた。
二人同時に赤面し、顔を背ける。
「……そんなにあたしの裸を……その……見たかった……の?」
楓がこちらに視線を向けては背け、それを数回繰り返した後、ゆっくりと顔を近づけてくる。
至近距離で見つめ合う美少女二人。
互いの意思とは関係無しに……いや、雰囲気に流されていることもあるが、少なくともアイにとっては自分の意思で唇を近づけていく。
10センチ。5センチ。3センチ。
ピンク色の粘膜同士が今まさに接触しようとおもった矢先……。
「失礼いたしますわ。夕餉の支度ができたのですが、アイさんは目を覚ましましたか? あら? あらあら? ふむふむ、これはこれは」
瞬時に飛び退るアイと楓の絶妙な距離感。
そして部屋に漂う百合色の空気を察知した塔子は、口からよだれを、鼻から血をドバドバと流し始めた。




