第21話
学校の廊下の幅ほどの通路と違い、『広間』は教室ほどの広さがある。
中央やや手前、入り口側には直径2メートルほどの、車輪のついた捕獲檻が口を開けた状態で置かれていて、檻の中には鎖に繋がれた女の子が、まるでエサのように入れられていた。
「どうやら間に合ったようですわね」
「おい、何だよアレ!?」
額の汗を拭う塔子に、一同の代表としてアイが詰問する。
動揺のあまり"ですます口調"が剥がれたが、あの光景を前にすれば仕方ないことだ。
「しっかし、有賀さんはホントおっかねーわ。ひとしきり現状を把握した後は『この世界には警察どころか大人もいないし、オレたちを咎める人はいないっスよねぇ?』つって、"いつもみたいなこと"を堂々とおっ始めるんだもんよ」
「生き残った女子をSからEまでランクづけして、Aランク以上をヤっちまったり、男子を意味なく木刀で打ち据えたり。それでも反抗的なヤツは……」
檻のすぐ傍から、二人の男子生徒の声がした。
向こうは『広間』手前側の壁に寄りかかっているのだろう。こちらから姿を見ることはできない。
しかし、逆に相手もこちらの存在に気付くことなく、"談笑"を続ける。
「そこだけ違うよな。いつもだったら自殺するまで追い込みをかけるんだが、こっちの世界に来てからは犬人間の"エサ"に利用するんだもんな」
「ははっ、コイツみたいに、な」
男子生徒の一人が、檻をガツンと蹴りつけたようだ。
衝撃で檻が揺れ、中に入れられていた女子生徒が怯えるようにビクッと震える。
アイツ等は何を言ってるんだ?
まさか……いくら何でも冗談……だよな?
「有賀さんもエゲつないこと考えるよな。『合宿所や寮に保存していた食糧と倉庫にあった檻を使って犬人間を捕獲。檻の外側から安全に倒してレベルアップする』っていう生徒会長のアイディアを盗むばかりか、化け物を誘い込むエサに人間を使うんだもんな」
「あの縦ロールの言い分は『犬人間を倒せばレベルが上がってAPが手に入る。APを貯めれば食料品を毎日召喚できる技能を覚えて生きていける。だからみんなで協力してAPを貯めましょう』だぜ、チョーうける」
ついには二人でゲラゲラ笑いだしてしまう。
「そうそう、他の奴らなんざ知ったこっちゃないっつーの。レベルアップして楽に楽しく生きてくのは俺らだけでいいってばよ」
「有賀さんについていけば、おこぼれでBランクの女をヤらせてもらえるしな」
「ホント、有賀さんも俺たちも、人でなしばっかだよな」
「剣道部員でマトモだった奴なんて、とっくに有賀さんに消されてるだろ」
「ククッ、違いねえ」
「ところで、何で中学校の倉庫に猛獣捕獲用の檻が都合よくあったんだ? コレを見つけた生徒会長も驚いてたけどさ」
「お前知らないのかよ。元の世界にいたとき、有賀さんが女生徒を調教するための道具として、あらかじめ用意して隠してあったんだよ」
「うっわー、最悪。世の中何が役に立つかわかんねーな。ぎゃはははは」
連中の会話に耳をそばだてていた楓が、丸太を持ってない方の拳をきつく握りしめる。
「――聞くにたえないわね」
「同感です。会話を聞けば聞くほど、アイツ等と同じ人間であることが恥ずかしくなってきますよ」
速攻であの口を黙らせて、囚われの女生徒を救出しようと走りだした矢先……。
――技能【罠感知】発動――
――通路の5メートル先に罠があります――
え? と思ったときにはもう遅かった。
小さな出っ張りを踏んだ瞬間、アイ、楓、晃、塔子の体を無味無臭の気体が包みこむ。
(な、なんなのよコレ!?)
(か、体が動かないよ!?)
(やられましたわ。これは麻痺ガスのトラップですの。このガスを浴びたら、数分は動けなくなりますわ)
(何でそんな大事なことを黙ってたんですか!)
かなりの声量で喋ったつもりだが、ガスのせいだろう、互いの声が微かに聞こえる程度にしかならない。
(わたくしは何回かこの通路を往復しましたが、このトラップが発動したのは最初の一回だけだったんですの。ですから……)
たしかにそれなら、発動したらそれっきりの使い捨てトラップだと思い込むのも無理はない。
しかし実際は、赤い部屋の吊り天井と同じく、時間の経過でトラップが再びセットされたということか。
(よりにもよってこのタイミングで罠にかかるなんて、運が悪過ぎですよ! こうしている間にも、あの女の子は……)
*
「お、ようやく犬人間が沸いてきたぜ。実体化するまで十数秒ってとこか」
「んじゃ"今回も"エサに喰いついたとこで檻の入り口を下ろして犬人間を閉じ込め、学校まで連行して怪物をサックリ殺しますか」
半透明のコボルトが、『広間』の中央に蜃気楼のように突然姿を現す。
「つうか、いくら車輪がついてるつっても、檻を地上まで引っ張ってくのってマジ面倒だよな」
「檻の隙間から伸びる犬人間の爪にやられないように気を付けなきゃいけないしな」
「有賀さんがこっち(ダンジョン)に来てくれりゃいいのに」
「Aランクの女相手にスパーンスパーンってやってるから、学校を動きたくないんだろ」
剣道部員たちがそんなことを言ってる間にも、半透明のコボルトは厚みを増し、次第に存在感を強めてくる。
それを目の当たりにした檻の中の女生徒は、鎖で束縛されているにも関わらず、檻から逃げだそうとあがき始めた。
「嫌っ! わたし死にたくないっ! お願い……お願いします。何でもするから助けてください!」
二人の男子に懇願する女子生徒の瞳にはアイたちも映っているはずだが、極度に視野が狭くなっているのか、アイたちに気付く様子はない。
「つってもなあ、お前を逃がしたら俺らが有賀さんに何されるか分からないからなー。こっちも危ない橋を渡る以上、助けてほしいならそれなりの誠意を見せてもらわなきゃ、ワリに合わないよな」
「そうだな。せっかく檻に入れられてるんだし、犬のモノマネでもしてもらうかあ」
「ワンッ! ワンワンッ!」
女生徒は即座に四つん這いになり、犬の鳴き声を真似る。
その様子はコミカルであるのだが、表情が必死であるが故に、妙なアンバランスさになっている。
「ギャハハ、ウケる。ホントにやりやがったよ」
「んじゃ、そのまま片足だけを上げてオシッコな。そうすりゃ助けてやるよ」
「ほらほら、早く"おもらし"しなきゃ助からないよ~……ってもう漏らしやがった。早えぇな、オイ」
「お、お願いです。早く助けてください! もう時間が……」
――ヴルルルルルッ!
ほぼ実体化を終えたコボルトは、キョロキョロと周辺を見回した直後、檻の中の少女に狙いを定めた。
不審な部分(檻)があるとしても、一番"弱い"人間を狙うようにできているのだろう。
「ああ、時間切れだな。ざ~んねん」
「まあ、最初っから助けてやる気なんてなかったんだけどね」
「そ……そんな……いやああああああああああああ!」
少女の絶叫が『広間』に木霊し、それを合図とばかりに狙いを定めたコボルトが檻に突進しながら爪を伸ばす。
――その刹那。
「体が動いた!」
「あたしも!」
どれほど力を込めても微動だにしなかった両足が、土の床をしっかりと蹴りつけて体を前に進めてくれる。
自分と楓だけが動けるようになり、晃と塔子はまだ動けないことから察するに、レベルによって麻痺の効果時間が違うのだろう。
「アイっ!」
「了解!」
『広間』の手前にさしかかっていたアイは、併走していた楓と呼吸を合わせる。
檻の手前で楓が丸太を斜めに立て、アイはそれを駆け上がって跳躍。
檻の後ろ側から飛び越すように前面に躍り出、手刀でコボルトを斬首した。
「え?」
その呟きは誰のものだったか。
とにかくアイに首を刎ねられたコボルトの胴体は、おびただしい血を撒き散らしながら、その場に倒れ込んだ。
「助けるのがギリギリになってしまい、申し訳ありません」
いくらトラップのせいといえ、この少女からみれば、死の恐怖をまざまざと味わうことになったのだ。
そのせいで彼女の心に大きなトラウマが残ってしまったら、悔やんでも悔やみきれない。
「大丈夫ですか? もしもし!?」
「…………」
しかし、少女に返事はない。
「気絶しているようですが、無理もありませんね」
アイは少女と檻を繋ぐ鎖を素手で引きちぎろうとしたが、鎖の強度の方が上のようだ。
仕方なしに檻の鉄格子部分を断ち切ろうとしたが、やはり上手くいかない。
「どれほど頑丈な檻なんですか」
結局、少女の首にはめられた『枷』部分を破壊し、檻から助け出す。
その際にアンモニアの臭いがしたが、それを臭いとか汚いとかは思わない。
何故ならそれは、彼女が生きるために戦った証だからだ。
「しかし、怒りというのは限度を超えると、妙に"冷める"ものですね」
檻を迂回してやって来た楓に少女を預け、壁に寄りかかったままの男子生徒二人を睨みつける。
「お前だれよ?」
「何勝手にその女を助けてんだよ」
アイが彼等の非道ぶりに理解がついていかなかったように、彼等も『女の子が一対一でコボルトを圧倒した』という事実を認めることができないのだろう。
馬鹿丸出しの色欲に満ちた目を向けてくる。
――女の子を絶体絶命の状況に叩き落としたうえで希望をちらつかせ、それに縋る姿を嘲笑いながらどん底に蹴落とす。
ダメだ。
コイツ等はコボルトと同じで"救えない"。
生かしておけば他のまっとうな人間の命を食い物にするだろうし、ここで"終わらせる"しかない。
「あなた達剣道部の思考や思想は何ひとつ理解したいと思いませんが、さっき、たった一つだけいいことを言いましたね」
「いきなり現れて何言ってんのお前? 頭おかしいんじゃない?」
「あー、でもメチャクチャいい女だな。ここには俺たちしかいないんだし、ヤっちゃわね?」
「そうだ! 俺さあ、女の首を締めながらヤる、ってのを一回試してみたかったんだよ。窒息しかけの女はアソコの締まりがいいって言うしさ」
少年二人は、無防備にアイに近づいてくる。
向こうからしてみればか弱い少女一人など、力ずくでどうこうできると思っているのだろう。
「『この世界には警察も大人もいないし、咎める人はいない』でしたか。なら、私が"こんなこと"をしても誰にも咎められませんよね?」
「え? ……ぎゃああああああ!」
「へ? ……痛てぇ、痛てぇよォ!」
アイは疾風のような動きで少年たちの懐に入ると、都合四発のローキックで少年たちの両足を砕く。
「"女の敵"でもあるあなた達を殺すことに、ためらいはしません」
コボルトという化け物ではなく人間の命を奪おうというのに、心は痛みを訴えないが当然だ。
コイツ等の所業はある意味、コボルト以上にケダモノなのだから。
「ひ、ひいいいいいいっ!」
「や……やめ……助けて……俺たちが悪かった……だから……命だけは……」
ようやく目の前の少女が見た目と反比例した"化け物"だと理解した少年たちは、怯えて命乞いを始める。
「ああ、そんな縋りつくように懇願しなくていいですよ。何を言われても私に"聞く気"はないですから」
いま、自分はどんな表情をしているのだろう、とふと考えてしまう。
多分だが、これまで見せたことのないほど、凄くいい笑顔をしているのではないだろうか。
「ですが、本音を言えば止めを刺すためといえ、これ以上あなた達の汚い体に触りたくないんですよね」
「じゃ、じゃあ俺たちは助か……」
「……る訳ないでしょう? 足を砕いたから一歩も動けないでしょうし、あなた達の息の根は、この『広間』に沸くコボルトにやってもらおうと思います」
こういうのを因果応報って言うんだったっけ?
ちょっと違う気がするが、まあいいか。
先ほどアイが倒したコボルトの死骸は、沸き出たときと逆に透明になって消えてしまった。
再び出現するまでどのくらいの時間が必要かは知らないが、次に姿を見せたとき、この剣道部員たちに襲いかかることは必至だ。
剣道部員が何やら言っているが、どうでもいい。
こいつ等をこのまま放置して立ち去ろうとしたとき、楓が待ったをかけた。
「アイ!」
「……先輩。まさか可哀想だから助けてやろう、なんて言いませんよね?」
いくら楓の頼みでも、それだけは聞けない。
「ううん。たしかにコイツ等は歩けないだろうけど、ほふく前進で逃げるかもしれないわ。だから……」
楓は抱きかかえていた少女をアイに返すと……。
「ぐああああああ!」
「ひいいいいい!」
ドゴン――ドゴン――ドゴン――ドゴンと四回丸太を振り下ろし、少年たちの両腕を粉砕してしまった。
「――さすがに今回ばかりは、あたしも命を奪うという"怯え"より、あんた達への"怒り"の方が勝ってるのよ」




