第17話
「なに恥ずかしがってんのよ」
「なんで恥ずかしがらないと思うんですか! 俺はおと……ムグッ……んがっ」
うっかりやらかしそうになったアイの口を、楓があわてて塞ぐ。
「晃ッ!」
「は、はいっ!」
「さっき召喚した寝袋に頭を突っ込んで目と耳を塞ぎなさい!」
「え、何で……ですか?」
「あんた、女の子の着替えを覗くつもり?」
「い、いえ。そんなことは決して……すぐ目と耳を塞ぎます!」
楓の中ではアイが着替えるのは確定事項らしい。
一応、コボルトと遭遇する可能性がある通路に明を放り出さない程度の優しさは持っているようだ。
できればその優しさを、こちらにも分けて欲しいと本気で思うのだが。
「晃、聞こえる? 聞こえたら返事をして。返事をしたらアイのお尻を触らせてあげるわよ」
「ちょ……先輩!?」
こちらにお尻を向け、寝袋を頭から被った晃からの返事はない。
彼の聴覚が完全に封じられているのを確認した楓は言う。
「ごめんね、アイ……ううん、鉄雄」
「きゅ、急にどうしたんですか?」
「あたしがMPを温存しているせいで重傷を負った男の体を治せず、あんたには女の子のまま不便をかけてるわよね」
ちがう。
そもそも楓がいなければ【欠損補填】で"鉄雄"の傷を治す目途すら立たなかった。
「だけど、あんたも自分で使って分かってるんでしょ? その体のスペックがいかに反則じみてるかを。そして、ダンジョンの攻略には必要不可欠であることを……」
「……はい」
「女の子のフリをしろとか、女の子の下着をつけろとか、無茶ばかり言ってるのはあたしも重々承知のうえよ。でも……」
楓は真顔で一息。
「どうしてもブラをつけさせてやりたいのよ! 可愛い女の子のバスト90アンダー65のGカップにッ! あたしのこの手でッ!!」
「……短い間ですが、今までありがとうございました。先輩のことは一生忘れません」
オッパイスキーの変態淑女としてな。
「あ、ちょ、ちょっと待って! 別れるならせめてそのおっぱいだけでも置いていって!」
「取り外しができるならとっくにそうしてますよ!」
もちろんアイとしては別れるつもりがないので、こんなのはなれ合いみたいなものだ。
「だけどマジメな話、いつまでもレオタードを着てるわけにもいかないでしょ? 見た限り、インナー(レオタード用下着)もあまりしっかりしてないみたいだし」
「この上にセーラー服を着込むのはどうですか?」
最初はあれほどイヤだった女子制服でも、下着を身に着ける羞恥に比べれば何倍もマシに思えてくる不思議。
「駄目に決まってるでしょ! あんた女の子の体をナメてるの!? 女の子が自分を可愛く見せるために内面のケアも外面のケアも、どれだけ苦労してるか分かってんの!?」
「ひ、ひいっ! ごめんなさい!」
初遭遇時のコボルトより楓の方がよっぽど怖くて迫力がある。
「あんたがどうしてもイヤだって言うなら今回は見送るけど、今後も女の子としてやっていくなら、着替えは絶対に避けて通れない道よ」
「そうかもしれませんが……」
アイの根本にあるのは二つ。楓を守りたいという思いと、死にたくないという思いだ。
死にたくないということは生きるということ。
そして生きるために必要なら、何だってやるつもりだ。
危険な魔獣がうろつくダンジョンで、そいつ等と戦うためなら女の子の体になることも厭わない。
そして女性用の下着をつけることも、必要ならば……やりたくないなあ、やっぱり。
「男が女の子の下着を身につけるなんて、恥ずかしいと言うか、変態っぽくてイヤだと言うか……」
「だからあんたが変態でも、あたしは構わないって言ったじゃない。それに……」
楓はアイの肩に手を置き、壁にはめ込まれた鏡の方へと体を振り向かせる。
「心が男でも体は女の子なんだから、それに見合った下着をつけないと、すぐにボディラインが崩れちゃうわよ」
たしかに鏡に映っているのは、体が小さく、妖精のように愛らしく、出るところが出て引っ込むところが引っ込んだミドルティーンの女の子だ。
この体を包み込むために、トランクスとTシャツでは役者不足だろう。
「ボディラインが崩れれば、バランスがさらに取れなくなって戦闘で苦戦することになる。逆に言えば、ちゃんとした下着をつけておっぱいをホールドしてやれば、かなり戦いやすくなるはずよ」
「わかり……ました」
こうも的確に逃げ道を潰されてはどうしようもない。
アイはかぶりを振って白旗をあげた。
*
「先輩、まだですか?」
「ハァ……ハァ……もうちょっと……生おっぱいを目で堪能してから……」
着替える覚悟はしたものの、一から十まで自分自身で、という決意までは至れなかった。
よってアイは目を瞑り、楓に着替えさせてもらう方法を選んだ。
着替えるとは裸を経由すること。
たしかに女の子の裸や着替えには興味がある。
仮に自分一人であったなら、仕方ないよなと着替えている間に"魔が差してしまう"可能性は十二分にある。
しかし、それは蛇がアダムとイヴを騙して食べさせた禁断の果実のようなもの。
男の心のまま、女の子になった自分の体での一線を越えた場合、色々と戻れなくなりそうで怖い。
だからこそ楓の思う壺だとしても、彼女に頼らざるを得ない訳で。
「先輩……何か胸元に、晃から浴びたとき以上にドロドロと濁った欲望の視線を感じるんですけど」
「ハァ……ハァ……欲望じゃなく羨望よ!」
変質者と言われても否定できない荒い息遣いを繰り返す楓だが、意外なことに、手がすべったフリをして触ってくる素振りは見せない。
「頑張れ、耐えるのよあたし。いま手をだしたら間違いなく押し倒してしまいそうだし、今回は着替えだけで満足しないと」
どうやら楓も、禁断の果実とやらと戦っているらしい。
「んっ」
そうしているうちに胸に感じる重力が減り、肌に布を当てられる感触がし、背中側からのパチンという音と共に圧迫感を覚える。
「よし、ブラの方は終わりよ」
「なんか胸がすごくきついんですけど」
目を瞑ったままなので、自分がどういった状態か分からない。
「そりゃあ、これだけ大きいおっぱいを支えているんだもの。むしろ、今まであんたが着ていたレオタードの胸元の拘束が緩すぎたのよ」
「そうだったんですか」
この苦しさがデフォだなんて、女の子は色々大変なんだな。
「次は下だけど……こっちはさっさとやっちゃいますか。はい、レオタードをずり下ろすから片足ずつ上げてね」
「え、うあっ!」
途端、上を脱がされたときのようにスーッとした涼しさを感じる。
レオタードのときは服を着ている感触が無いと思っていたが、実際に裸になった感覚はやはり別物。妙な解放感を覚える。
それに、一番大事で恥ずかしい部分を楓に見られているという羞恥心は、大抵の物でない。
肉体上は同性あっても、心は確実に異性なのだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。"こっち"はおっぱいと違ってあたしと同じなんだから、興味があまり無いわよ……ってゴメン。完全に同じじゃなかったわ」
「え? どういうことですか!? 先輩!」
しかし楓は同情するような哀れむような、そして少しの羨望が籠ったような、何とも表現しづらい声色で、こう呟いただけだった。
「……ハイジニーナ」
アイがハイジニーナとはどういう意味だろう? と考えている間に、足首から脛、太ももを経由し、股間部とお尻が包み込まれる感触を覚えた。
「はい、着替えが終わったから目を開けていいわよ」
「ありがとうございました」
目を開けたアイは、初めて自分の姿を直視したときと同様……否、それ以上の衝撃を受けて硬直してしまう。
それほどまでに、純白のブラジャーとショーツ姿の美少女は破壊力がありすぎた。