第11話
「いえ、精神的にキツいなら、無理しなくても大丈夫です。先輩の代わりに俺が『殺し』つづけますから。だから……」
……だからそんな風に泣きそうな顔をしないでください。
そんなアイの続きの言葉は、楓の瞳によって遮られた。
頬は青ざめ、歯をカチカチと鳴らし、目尻に涙を溜めているにも関わらず、楓の目は『迷っていない』
「ううん、これはあたしが自分の手を汚さなければ意味が無いことだから」
「どういう意味ですか?」
「あたしは死にたくない、だから生きていくためにはコボルトを殺さなきゃいけない――その気持ちはあんたも同じはずよね」
「はい」
「敵を殺すことにためらいを見せれば自分がやられる――赤い部屋を出てすぐに使った【回復1】で完治したけど、あたしの背中の傷から2人ともその教訓を学んだはずよ」
自分の甘さが原因で楓がケガを負ったからこそ、アイは殺すことに迷いを見せなくなった。
「たしかにあんたに頼れば、あたしはコボルトを殺さなくて済む。だけどそれじゃ駄目なの――あんたに全てを押し付けてたんじゃ、あたしは学校の連中と同じになっちゃうから」
「そんなことはありません! 先輩はアイツ等と違います!」
「そう。だからこそ、あたしはそれを証明しなければいけない。『自分』が生きるために『自分』の手で、コボルトの命を奪うという重さを背負い続けなきゃいけないの」
――だから、次はあたしに止めを刺させて。
楓はそう言って、話は終わりとばかりに先頭を歩き始めた。
本当に、この人は弱くて――強い人だ。
なるほど、確かに死ぬのが怖いから生きるのだろう。
だが、彼女は決して逃げない。
死ぬのが怖いからと、停滞して呼吸するだけの生物になることを良しとしない。
誰かが助けてくれるだろうと、学校でただ待ってるだけの、生きながら死んでいるような生き方を決して選ばない。
怪物といえど他者の命を奪うという『重さ』を知ってなお、生きるために前へ進もうとする。
こうして苦しむことを理解していながら、自分の手を汚してでも生にしがみつく。
自分の命をリスクに晒してでも、人として生きるためにダンジョンへと挑む。
超人的な身体能力を得た自分は戦う義務があるのかも知れない。
だが、普通の女の子でしかない楓は、誇りを手に、尊厳を胸に戦いに挑む。
この小さな少女を守りたいとアイは改めて思う。
……いやまあ、女の子になった自分の体よりは楓の方が若干背が高いのだが、それはさておき。
*
そのまま少し歩いたところで、不意に楓がぴたりと足を止めた。
「敵ですか?」
「ううん……あれ!」
楓が視線で示した先には、少年が横たわっていた。
彼の着ている制服は見覚えがある。
「あれって、比叡中学の制服ですよね?」
「やっぱりダンジョンの中で、他の学校と繋がってたんだわ!」
アイと楓は少年に駆け寄り、声をかけようとして絶句した。
「……酷い」
「まだ温かい……コイツ、さっきまで生きてたのか」
アイたちが見つけた少年は、すでに事切れていた。
腹部を大きくかじり取られたことによるショック死か、あるいは出血多量か。
「死因がどうあれ、すごく無念だったんでしょうね」
コボルトを殺しても心は痛まないが、同じ人間の死を目の当たりにさせられると、色々とやるせなくなる。
苦痛と恐怖に歪んだまま息絶えた少年の表情は、それほどまでにインパクトがあった。
「……うぷっ……ウゲッ……ゴホッ……オエエエエエエエ!」
「先輩! 大丈夫ですか?」
「……ガハッ……ごほっ……だ、大丈夫……」
朝食どころか胃液までも戻した楓が、せき込みながら頷く。
アイは『そんな楓に自分は何をするべきだろう』と考えた末、
「先輩、辛いかもしれませんが……コイツの死をしっかりと目に焼き付けてましょう」
と、『人間の死』と正面から向き合わせた。
「これは人間じゃありません。人間だった肉の塊です」
ワザとであろうと、自分で言ってて怖気が走る。
人の死を淡々と語る自分自身を殴りつけたくなる。
だが、それでも言わなければならない。
「俺も先輩も、死ねばこうなります。だから……」
「ええ。この子の死を利用するようで心苦しいけど、あたしたちは『こうならない』ためにも生き抜かなきゃいけないのよね?」
アイが言いたいことはきちんと楓に伝わったようだ。
「本当ならちゃんと埋葬してやるべきなんだろうけど、悪いな」
魔物が徘徊する迷宮の中ではそれも満足にできないし、何より1つの死体だけを丁寧に扱っている余裕はない。
「そのかわりに、あんたの生徒手帳を貰っていくわ。いつの日か、あたし達が元の世界に戻れたら家族に渡してあげるからね」
こうして、アイと楓は『少年だった物体』に手を合わせるだけでこの場を後にした。
*
そこから先は酷いものだった。
コボルトに遭遇するよりも高い頻度で、中学生たちの死体が転がっているのだから。
頸動脈を噛みちぎられた少女の死体。
体全体を爪で串刺しにされた少年の亡骸。
頭、胴、右腕、左腕、腰、右足、左足の7か所に引きちぎられた屍。
アイたちはその度に足を止め、合唱しては生徒手帳を抜き取る。
はじめは死体を見る度に胃液を無理に吐き出していた楓も、慣れてきたのか普通に振る舞えるようになっている。
その変化をどう受け止めればいいかとアイが首をひねっていたところ、Lの字に曲がった通路の向こう側から『助けて!』という悲鳴が聞こえてきた。
「アイ!」
「行きましょう、先輩」
2人は顔を一瞬だけ見合わせ、要救助者の方へと走り出した。
*
……一体、何でこんなことになってしまんだろう。
早乙女晃は、ごく平凡な中学2年生の少年だ。
サラリーマンの父と専業主婦の母、そして甘えん坊な小学生6年生の妹との4人暮らしをしている。
父親の収入はごく平凡で、どこにでもある中流家庭だ。
家族の唯一の楽しみは、週末に自宅の庭で行うバーベキュー。
家族思いの晃は、中二という微妙な年頃のせいもあって決して口には出さないが、この家族の憩いの時間を何よりの楽しみにしていた。
とくに今日は、妹の誕生日だ。
平日であるものの、父は有給を取って朝からバーベキューの準備に勤しんだり、プレゼントを準備したりしている。
かくいう晃もまた、学校帰りにショッピングモールに寄って妹の誕生日プレゼントを物色する予定だった。
女の子の気持ちなど分からない晃としては、年頃の女の子に何を贈ればいいのか見当がつかないため、クラスメイトの女友達に頼み込んで、妹が喜びそうな物を選んでもらう予定だった。
――ルルルルァァァ!
しかし、一緒にプレゼントを選ぶはずだった女友達は、頸動脈を噛みちぎられて死んでしまった。
……いや、彼女だけではない。
気は優しくて力持ちを体現したような親友も怪物の馬鹿力に敵わず、体全体を引きちぎられて死んでしまった。
「僕もこのまま死んじゃうのかな……」
晃は他人事のようにぼそりと呟く。
思えば最初から現実味が無かった。
いつの間にか子供の落書きのような空間に学校が浮いていて、昇降口の真正面には、地下へと続く階段ができあがっていた。
そこから流れ込んでくる『嫌な空気』に当てられ、誰も中に入りたがらなかったものの、生徒の1人が足を滑らせ階段を転げ落ちたことで事態は変わった。
いざ階段を下りてしまえば、『嫌な空気』が感じられなかった。
晃と数人の友人たちは、興味本位で地下の空間に足を踏み入れた。
入ってすぐの赤い扉をくぐった部屋でタブレットを見つけたときは、ゲームみたいだと興奮した。
タブレットを操作してパーティを組み、【ファストアクション 5人パーティ編成 ボーナスAP10】という言葉がメンバー全員の頭に流れ込んだときは、物語の主人公になったような気がした。
APを使って技能を買ったときは、『自分たちは選ばれた存在で、これから迷宮を探索して最終的には世界を救うんだ』と信じて疑わなかった。
すぐに学校に引き返し、竹刀や金属バットなどの武器を手に改めてダンジョンを進みはじめたときは、これからどんな冒険が待っているのだろうと、遥かな未来に思いを馳せた。
だが、その結果はご覧のありさまだ。
迷宮内で犬のような怪物と遭遇したとき、何もできないうちに1人が下腹部を爪でえぐられ、血と内臓をぶちまけた。
この無残な光景と命が潰える悲鳴を前にした晃たちパーティは、何も行動することができなかった。
【回復1】を覚えた者はそれを使って仲間を回復することを忘れ。
【弓1】の戦闘技能を習得し、わざわざ弓道部から弓矢を借りてきた者は、弓を構えることすらできず。
晃もまた友人を助けようとするものの、恐怖と混乱で【火焔1】を使って獣人を攻撃することができず、気付いたときは無様に逃げ出していた。
どこをどう走ったか。
一緒に逃げ出した仲間は1人、また1人と、至るところに現れる犬面人の餌食になっていった。
ついさっきまで普通に会話していた友人が、冷たい骸になり果てていく。
その間に逃げ出すものの『次はお前がこうなる番だ』という死神の声が付き纏ってくる。
そして、とうとうその時が訪れてしまった。
1人きりになった晃を目ざとく見つけた犬面人は、威嚇するように爪を空振りさせ、晃を追い詰める。
――轟――と唸りをあげる死鎌の乱舞に腰を抜かした晃は、その光景を他人事のように捕らえながらも、脳裏では様々な思い出を蘇らせていた。
厳しくも温かい父。
普段は優しいが怒ると家族の誰よりも怖い母。
カルガモの子供のように自分に懐き、その後をくっついてくる妹。
自分の大切な人たちに二度と会えないと思うと、ボロボロと涙が出てくる。
「助けて!」
無駄と知りつつも、叫ばずにはいられない。
友達を見捨てて逃げ出した自分には誰かに助けてもらう資格なんてないんだろう。
だけど……。
それでも……。
「家に帰りたいっ!」
父と母と妹と、もう一度バーベキューを食べたい。
だが、眼前の怪物は、晃のそんな小さくささやかな願いすら奪わんと狂刃を振るう。
しかし、その爪が晃に届く事はなかった。
「そこまでだ!」
突如現れた赤毛の女の子が、怪物の腕を素手で掴んでいる。
「おい、大丈夫か?」
自分を絶対的な窮地から救ってくれた女の子が、首をちらりと動かしてこちらを見る。
その妖精のように可憐な顔立ちを目にした瞬間、晃の胸は激しく高鳴った。
※2015年2月15日 脱字を修正しました。