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恵子の才能

 とある日の“夕方”。恵子は起床すると、備え付けの洗面所で乙女のプライドを死守するための諸々を行った後、何の疑問も抱いていない自然な様子で、壁に掛けられていたホルスターを手にする。


 それを腰に付けるのではなく、ホルスターに納まっていたベレッタF92を抜きながら、テーブルの椅子に座る。


 その後はテーブルにあらかじめ置いてあったドライバーを手にし、手慣れた様子で銃を解体してく。

 他にも置いてあった工具で銃身を掃除したり、その他の部品もざっと調べると、また慣れた手つきであっと言う間にベレッタを元の形に戻してしまう。


 最後に、彼女自身から向かってテーブルの一番向こう側に置いてあった箱を引き寄せると、底の方で無造作に折り重なる銃弾を見て、


「あ、もうあんまり無かったんだった」


 可愛らしい声で呟く。


 これで、いかにも『戦場に生きる女』という殺伐とした雰囲気でも纏っていればともかく、今でも無邪気な清純さが目付きに留まらず外見全体に表れている娘さんなのだから、色々と間違いすぎている。


 恵子は残り三十発はあろうという銃弾を全てホルスターの逆側に備えられているポシェットの中へ無造作に詰め込むと、部屋を出た。


 途中で遭遇したメイドさんに、現在リリステラがどこに居るかを問う。


「現在はサロンにいらっしゃるようです」

「そーですか。ありがとうございます」

「いいえ。どういたしまして」


 という微笑ましいやり取りの後、魔王様御用達のサロンへと向かう。


 無駄にだだっ広く、ただでさえ恵子の自室からは割と遠い場所なので、歩きだとかなりの時間が掛かってしまうが、致し方ない。


 ようやく辿り着いたサロンでは、リリステラは相変わらず優雅な美しさを魅せており、そこにアレクサンドル・ラヴァリエーレまで加わっている。ワイングラスを持つ姿が、裏で何かを企む美顔のヒール役にしか見えない。それも、あっさりと倒される三下ではなく、物語の最後の最後までヒーローを大いに苦しめる超大物の貫禄だ。


 ちなみに、烈震のガルフもそうであるが、彼ら親加入組は魔王様方と同じサロンを主に使用しているようだ。そこにアグリアの姿があった事は一度も無いが、その理由は言わずもがなである。


「おはようございまーす!」

「はい、おはようございます」

「元気があるのはいい事だ。いい兵士になる」


 何やら最後が妙にアレな発言だったが、相変わらず人外連中から妙に気に入られている恵子であった。


「リリステラさん、新しい弾、お願いできますか?」


 リリステラへ向けて銃弾用の箱を差し出しながら言う。


「無論です」


 と、箱の上に手を掲げると、まるで手品のように、その可憐な手から次々と銃弾が生み出され、箱の中を一杯にしていく。


「……思うんですけど、この世界って質量保存の法則って無いんですか?」

「物質は、質量的には常に等量であるという理論の事でしょうか?」

「はい」

「ございますよ」


 嘘だ、と言いそうになってしまう恵子だったが、その前にアレクサンドルが会話に加わってきた。


「私も同様の疑問を抱いた経験はあるが、その手の理論を研究している学者の話を聞いて、確かに質量保存の法則はルスティニアにも適用されると納得したな」

「ラヴァリエーレさんが納得したんですか……」


 母国語も含めれば八ヶ国語も操り、リドウや千鶴に負けず劣らず頭が良さそうなアレクサンドルが納得したと言うなら、信じるしかないのかと思う恵子である。


「考え方としては簡単だ。要約してしまえば――魔力とは術者を媒介にする事で質量を持たせる事もできる特殊なエネルギーである――という事だな。今、レディがおやりになられたような業は、概念的には『無から有を生み出す』のと同等の意味合いを持つため、当然難易度は跳ね上がり、質量を持たせる上で必要な魔力量は桁が違ってくるし、使用した等価値の魔力量が世界から差し引かれ、その時点でプラマイゼロだ」

「なるほど!」


 恵子も思わず納得だったようで、銃弾の補充が終わった箱を両手で抱えながら、感嘆の表情で頷いている。


「現象として変化させるのは、術者と言う名の、無数の使い道がある万能電化製品に電力を通すと考えればいい。大きな現象を起こそうと思えば自然と大きな魔力が必要とされる、質量保存と同じく等価交換の原則だ。熟練によって多少の省エネも叶う」

「叶うんですか?」


 それはまた等価交換的にどうよ、と恵子は思ったらしい。


「無論、全く同じ現象であれば、親和属性でない限り使用される魔力量は全く同じだ。が、例えば水を一瞬で沸騰させる、という現象で必要な魔力量を仮に百とした時、腕の悪い魔道士では百二十や百五十の魔力で術式を構築してしまい、下手をすれば沸騰させるつもりが蒸発させてしまったという羽目になりかねんが、腕の立つ魔道士ならば百に限りなく近い魔力で術式を構築できる――つまり、無駄が無くなり、魔力消費が抑えられる事になる」

「なるほどぉ……」

「結論として、そのような一見複数の用途を持った特殊なエネルギーをこの世界では『魔力』と呼ぶのだと理解するのが一番手っ取り早い」

「それで正解ですね」


 どうですかな? という目で見てくるアレクサンドルに、リリステラは笑顔で肯いた。


「あれ? でもそれだと、いつか世界からは魔力が無くなっちゃいません?」

「いい着眼点だ。が、そうはならない」


 アレクサンドルは立てた指を振りながら恵子の発想を褒める。


「何でですか?」

「魔力とは、『術者の意図した役割が終わった時点』で即座に『世界』へと還る。この場合の世界とはルスティニアを指すのではなく、宇宙全体という意味だ」

「おおぅ、なんか壮大な話になってきましたね」

「まあ、宇宙という単位を用いたのは蛇足だった。それだけの規模の物を、高々一惑星に住まう人間だけに使い切れるものではない、という理由もあるのだが、もっと根本的な理由もある」


 混乱させてしまったなと、アレクサンドルは笑う。


「質量を持った物質を創造すれば、当然その分の魔力が世界から減少するが、その物質が“役割を終えた時点”……分かりやすく言えば壊れた時、その物質自体は土に還るのではなく、魔力の粒子へと姿を戻し、世界へと返還される。その物質が現実の物なのか、それとも魔法製品なのかを判断するための最も手っ取り早い方法は破壊してしまう事だ、と言われる所以だ」

「ほほー」

「まあ、永遠に不滅の物質という、矛盾もいいところの物質を際限なく作り続けられる存在でも居れば話は別かもしれんがな」

「それは流石にわたくしでも不可能ですね」

「でしょうな」

「ははー」


 段々と頭が沸騰してきたのか、反応が適当になってくる恵子に、他に質問はあるかと小さく笑いながら問うアレクサンドルであったが、すると彼女は懲りずに「はーい、先生ー」と能天気に手を挙げた。


「えっと、魔力って、鍛えれば増やせるんですよね? それって勝手に質量が大きくなってるって事じゃ?」

「鍛えれば筋力も増すであろうが」

「え?」

「いくら鍛えようと、超回復によって増加する筋力分の栄養素を外部から摂取しなければ、ただ肉体を虐めただけで終わり、何ら鍛える意味は無い。魔力の場合は経口摂取ではなく、自然界に漂っている魔力を肉体が勝手に採り込んでおるのだよ」

「おお!」

「少し考えれば理解できように、相変わらず、物を考えるのは苦手なようだな」

「うぐっ」


 理解できた喜びに浸るのも束の間。アレクサンドルの浮かべる笑顔は微笑ましげで、決して馬鹿にした雰囲気ではなかったが、そう感じてしまった恵子は小さく呻いた。


「それが恵子さんのいいところ、ですよ」


 リリステラが朗らかに言うも、馬鹿な子ほど可愛い、と言われている気がした恵子は、がっくりと項垂れてしまった。


 ……余談だが、後日、恵子が試しに一条千鶴へ同様の質問をしてみた(しかも、少々意地悪にも、自分はまるで知らないような振りをして)ところ、とっくの昔に同じ結論へ自ら達していたのを知り、この女の頭の中は一体全体どうなっているのかと、かなり真面目に疑ってしまうというエピソードもあったそうな。


「そこに存在している以上、論理というのは必ず同時に存在しなければならないわ。ルスティニアに質量保存の法則は適用されないとすれば、それも仕方ないでしょうけれど、氷が水に、水が水蒸気に変ずるのはルスティニアでも変わらない以上、質量保存の法則も適用されると考えるのが自然であり、なら魔法と、そのエネルギー源である魔力もその法則に適う存在であると仮定すれば、それ以外に説明のしようは無かったわ。私としては、ルスティニアくらいの文明レベルで既にその結論に達している学者がリリステラさん以外にも存在する事の方が驚きよ。どこの世の中にも、やはり天才は居るものね」


 自分がそうして理屈立てて考察できるのは、あくまでも先人が培ってきた学問の教えがあってこそであり、それらを無から考察しきった偉人たちこそが真の天才である――千鶴はかなり強い口調でそう言ったが、恵子にしてみれば千鶴も間違くなく天才としか思えなかったものだ。


「ところで、リーチェン殿との稽古は順調かな?」

「えっと……実はあんまり……」


 アレクサンドルの質問に答える恵子の声にはあまり力が入っていない。


 しかし、恵子がリーチェンの教えを受けているとはまたぞろ妙な話だが、こうなるに至った経緯を語るには、アレクサンドルが魔王城にやって来たその日にまで話を遡らなければならない……。










 麻木恵子にとって、アレクサンドルとの再会はある意味ラッキーだった。


 当時、レベル4から中々抜け出せない日々が続いていた恵子は、その苛立ちが注意力不足に繋がったのか、ゾンビたちの攻撃をモロに食らってしまい、複数個所を骨折して身動きができなくなってしまっていた。それだけに留まらず、痛みのあまりに気を失ってしまった。


 そこに現れたのが千鶴に案内されて来たアレクサンドルだった。


 今はどこら辺に恵子が居るのかと探している最中、ゾンビが全く出現しないのに気づき、即座に彼女が『ゲームオーバー』になっていると察した千鶴であったが、『スタートボタン』があるエントランスホールに現れる様子も無いと見た瞬間、“全力”で捜索を始め、しばらくして発見してみれば、床に横たわって気絶しているではないか。しかも明らかに重症と見える状態でだ。


 顔の色を失ってしまった千鶴が声を掛けてみれば、取り敢えず死んでいるわけではなさそうだったが、彼女は考えるよりも早く、アレクサンドルへ治療をお願いしていた。


 幸い、彼は特にこだわる事もなく、恵子を治療してくれた。


 意識を取り戻した恵子は、千鶴だけでなくアレクサンドルまで居る事にまず驚いたが、対する彼自身も微かに驚いた様子を見せていたものだ。


「こんなになる程の訓練をしているとはな。ゾンビとはそれ程までに凶暴に設定されておるのか?」

「いえ、攻撃自体は大した事ないんですけど……」


 彼女の訓練用に特注されたこのゾンビ屋敷であるが、ここで出現するゾンビたちには『レベル』が設定されている。では、レベルが上がると何が違ってくるのかと言えば、比例してゾンビたちの『スピード』が上がっていく事になっている。

 パワー等の純粋な攻撃力に変化は無い。防御力自体は常に皆無に近い彼女のために設えられている、と考えれば自明の理だろう。

 だがしかし、質量も常に変化は無い以上、速度が上がれば、自然と威力も上がってしまうのも、また自明の理だろう。レベル4に至って、恵子自身が全力で走るのと変わらないスピードを持った、彼女よりも質量の大きい物体が、全く速度を緩める事無く、躊躇なく掴みかかってくるのである。その威力は、華奢な恵子にとっては決して洒落にならない。

 しかも、有効射程範囲は『手足』のみ。これを普通は『無茶振り』と言うのである。


 が、大魔王様は仰る――常に安全な訓練など無い。訓練だって運が悪かったら最悪死ぬ。だから、練習だからと言って気を抜くな。やるからには常に真剣にやれ。レベル1から3くらいまでの『ド素人状態』の頃ならばともかく、それ以上を望むのであれば、それなりの覚悟は持ってもらわなければ困る、と。

 しかし恵子とて、それに文句を言うつもりはない。自分が入って行く世界は人の命が懸っているのだ。自分自身の命もそうであるが、他者の命もそうであるのだから。ミスでした、では断じて済まされないのだから。

 剣や槍なら不殺も難しくはないと思い込んでいたように、そうやって生きているリドウを見てきた恵子にとっては、それは『当然のこと』だった。


「いい覚悟だ」


 アレクサンドルが何を以って『いい覚悟』と論じたのかと言えば、恵子の考え方が気に入ったのもあったが、それよりも、彼女がこれで懲りて諦めてしまったわけではないのが一目瞭然だったからだった。


「戦闘中に集中力を切らせればどうなるか、これでお前は身を以って知れた――命を落とさずに。これは非常に贅沢な事だぞ? 魔法ひと手間で全回復、といかん地球では、兵士の訓練でもこうはいかん。ルスティニアですら、そんな回復魔法の使い手は実際にはほんの一握りであり、一般人に同じ境遇はそうそう望めんのだ」

「……リドウとおんなじ事ゆーんですね」

「戦闘者としては当然の論理だからな」


 ははっと愛想笑いを浮かべながら立ち上がる恵子であったが、未だに厳しい顔で、半ば睨むように自分を見つめている千鶴へ顔を向ける。


「そんな顔しないでよ。あんただったら、あたしがどう答えるのかくらい、聞かなくても分かるでしょ?」

「……ええ、そうね」


 千鶴は静かにそう応えるだけだった。


 その後、千鶴は次の日の鍛錬に向けて休むからと言って辞して行き、ゾンビ屋敷には恵子とアレクサンドルが残った。


 改めてスタート位置から開始された。


 アレクサンドルはそこで更なる驚きを感じざるを得なかった。


「射撃技術そのものに関しては、どうやら特段教える事は無さそうだな」


 独力で、元プロのアレクサンドルから見ても、申し分ないレベルの射撃技術を身に付けている恵子に、彼は割と本気の感嘆の声を発した。


「そーですか?」

「うむ。あとは如何にして素早くターゲットをポイントし、狙い通りに撃ち抜くか、その練磨だけだな」

「よし!」


 自分自身で考え抜いた事が間違っていなかった事に喜び、気合を入れ直す恵子。


 しかし、このやり取りのすぐ後の出来事だった。


 恵子は三体のゾンビたちから同時に襲撃を受けてしまう。


 二体までは何とか倒したのだが、最後の一体は接近され過ぎていたせいもあり、飛びつかれそうになってしまった。


 しかしその瞬間、ズバッと銀閃が閃いたと恵子が思うと、そのゾンビは胴体を真っ二つに切り裂かれ、魔力の粒子と化して地面に還っていった。


 恵子は、刀を抜き放った状態で横に立つアレクサンドルを呆然と見上げる。


「ふむ、耐久力は遺跡七十階クラスの魔物と同程度か。確かに、対戦車ロケットでも持ってこん限り、傷一つ付けるのも苦労するな」

「あの……ありがとーございました」


 ぺこりと頭を下げる恵子を横目に、アレクサンドルは刀を鞘に納めると、側にあった階段の二段目に腰を下ろして、少し話をしようと持ち掛けた。


 恵子は何となく黙ってしまいながらそれに従い、階段に座る彼の前に直立する。


「まず、お前の最大の欠点を述べよう」


 恵子とて、自分が完璧なガンウーマンだなんて思っていなかったので、そこは素直に聴きに徹する。


「お前は目の前の物事に集中すると、途端に周囲が見えなくなりすぎる」

「そお……ですかね?」

「人間誰しも、背後に至るまで百パーセント周囲を認識できるものではないが、お前の場合はそれが極端すぎる。本来それは、分野によってはとてもいい事だ。実際、お前がこの短期間にそこまでの射撃技術を身に付けられた理由の大部分は、その真っ直ぐな集中力があったが故であろう。だが、常に一対一のスポーツではなく、集団戦闘をも前提としているお前の場合、その真っ直ぐすぎる集中力は時として仇となる」


 じゃあどうすればいいのだろうか、と恵子が質問すれば、アレクサンドルはちゃんと答えてくれる。


「集中力の高さはそのままに、己の意識を周囲へ拡散させるように、お前自身は意識しろ」


 それが実戦でも通用するようになるためには弛まぬ訓練しかない、とアレクサンドルは言う。


「それと、手数が少なすぎる。おそらく、どんなに上まで行けようと、お前の身体能力では、今より一段か二段上のレベルに辿り着いたら頭打ちになる」


 と言われても、ならばどうやって手数を増やせばいいと言うのか、恵子ではすぐには思いつけなかった。


「マシンガンでも持つのが一番手っ取り早いのだがな」

「それは……」

「分かっている。フルオートなど、少し間違えば殺してしまうからな。お前の思惑くらいは察するに容易い」

「あ、二丁拳銃とかどーですか?」


 これはグッドアイデアと顔を輝かせながら提案する恵子であったが、アレクサンドルの視線は冷めていた。


「我々のようにピンポイントで気配を察せるか、余程高度な空間認識能力を持ち合わせているなら、それも満更不可能ではないが、それでも二体以上のターゲットの手足を正確に撃ち抜くのは不可能だな。それは殺害を前提にしているならの話だ、お前の望みとは百八十度反しよう。大体、お前の筋力では、片腕で反動を完全に制御しながら連射できるものではなかろう」

「そ、そーですね……」


 所詮は馬鹿の考えでしたと、恵子はやや肩を落とす。


 アレクサンドルはしばらくの間、顎に手を合ってて何やら考えている風だったが、


「手数を増やすのではなく、時間を稼ぐ方が正解かもしれんな」

「どーゆーことですか?」

「リドウの使う流化闘法の、特に合気術の部分を取り入れ、接近された敵は投げればいい」


 それこそ自分には不可能だと反論しようとする恵子であったが、アレクサンドルは、まあ黙って聴け、と手で制する。


「極度に接近されぬよう、あらかじめ注意を払い、慎重に足を進める今のお前のやり方は間違っとらん。今後もそうあるべきだ。が、接近されぬように気をつけるあまり、いざ接近されると途端に浮き足立ってしまい、焦りで思考が硬直してしまうのが、今のお前の弱点の一つでもある。それを解消するためにも、近接戦闘技術を身に付ける事には大きな意義がある。幸い、ここにはリドウの師である天武公もいらっしゃるのだ、これ程贅沢な環境は無かろう。結局最後まで接近されなければいい、などと考えているようでは甘すぎるぞ。それは絶対に事故を起こさぬ車を開発しろと言うに等しい無茶だ」

「でも……リドウは簡単にやっちゃうように見えますけど、あれって本当は物凄い達人だからできる事なんじゃないですか?」

「まあ、余程の才能があるならともかく、半年や一年で物になるものではなかろうな。が、絶対確実に殺さず敵を制したいと考えているお前には、おそらく他の選択肢はあるまい」


 アレクサンドルの言葉を受け、どうしようかと悩む恵子。

 近接戦闘の訓練なんて、どう考えても痛い思いをするに決まっている。が、そこに抵抗感は別に無い。どうせ今だって痛い思いは散々している。だが、自分がリドウやシャイリーのようになった姿が、彼女にはどうしても想像できないのだ。


「それに、制圧手段が銃撃だけというのは、お前の感覚では少々乱暴すぎやせんか?」

「それは……」

「接近された時でなくとも、手足へ向けての銃撃が不可能な状況というのは、非殺害を前提としている以上、容易に考えられる。できるだけ対処に多様な幅を持たせておく方が賢いだろう。お前はまだ若い。今この時だけではなく、将来を見据えて考えた方がいいぞ」

「……できると思います? あたしに」

「できぬと思っておったら、いつまで経ってもできやせんよ」

「……やります」


 決然とした顔つきになる恵子に、アレクサンドルは満足そうに一つ頷いた。










 場面は元に戻り、恵子の答えを聞いたアレクサンドルは、思案気に首を傾げて彼女をじっと見つめていた。

 今ではアレクサンドルに悪感情なんて全くない恵子である。男版一条千鶴と言うべき圧倒的な美貌にそうされては、彼女も思わず頬が赤らむのを止められなかった。


「どこで躓くのだ?」

「その……よく分かんないんですけど、おじーちゃんがゆーには、相手の流れを掴めって事なんです。けど、そこがもー既に……」

「なるほど……」


 恵子のぽつりぽつりとした言葉を聞き終えると、アレクサンドルは顎を指先でつまみ、心持ち顔を下げる。


「お前、ダンスは得意だと言っておったな?」

「創作ダンスは……学校の授業でくらいですけど、割と、まあ……」

「よし、ついて来い。レディ・リリステラ、失礼致します」

「はい。恵子さんをよろしくお願いしますね」


 アレクサンドルは軽く一礼しながら、戸惑いを露わにする恵子の手を半ば無理やり引っ張るようにして部屋を出て行った。


 辿り着いた場所は、アレクサンドル自身が魔王城に来た際、最初にリリステラから案内された音楽室だった。


 今頃、千鶴は疲れた体を休めている頃であろうし、そこには誰もいない。


 なぜここに連れて来られたのかさっぱり分からない恵子はいよいよ戸惑ってしまっているが、


「そこで待っておれ」


 と言われて、大人しく言われた通りにする。それ以外にとれる行動が無かった、という意味でもあったが。


 アレクサンドルは音楽室の中を、何かを確認するかのように歩き回っていたが、最終的には木琴の前で足を止めた。


「ドラムスでもあればよかったのだがな」


 ドラム、と言うにも少々憚られる太鼓系なら僅かに見られるが、彼の求めるものではないらしい。


「ドラム、できるんですか?」

「昔、十五、六の頃、傭兵仲間とバンドをやっておった」


 短い間だったがなと言うアレクサンドル。その表情と声音はどこか悲しげな雰囲気が漂うものだったが、その意味にまでは恵子の想像力では及ばず、それよりも彼女は「ん?」と首を捻るべき事柄に気づいたようだ。


「あの……何歳から傭兵やってたんですか?」

「十二の時には戦場におったな」

「はあ!? 本当ですか!?」

「まあ、色々とあってな。話せば長くなるから訊くな」


 何となく有無を言わせないような雰囲気を感じ取った恵子は、それ以上の追及は“できなかった”。


 アレクサンドルは木琴を叩いているが、特に音楽になっているようには聞こえず、ただ適当に叩いているだけのようで、その作業をしたまま、恵子に向けて顔を上げる。


「型の一つくらいは習っておろう?」

「はい」

「そこでやってみせろ」


 と言われて、恵子は周囲を見渡し、できるだけの広さがあるかを確認するが、大丈夫そうだと判断すると、素直に言われた通りに、リーチェンから教えられた武術の型を始める。


「もうよい。一度手を止めろ」


 が、すぐにアレクサンドルから制止の声が掛かり、技の態勢のまま固まってしまう。


「……何か悪かったですか?」

「まあな。思った通りというか……お前は色々と硬すぎる。技を一つ出すたびに流れが止まるのだ」

「流れ……」

「リズム、と言い換えれば理解し易いか?」

「リズム、ですか?」

「ダンスというのは殆どの要素が武術にも通ずるのだ。カポエイラのように、ダンスに見せかけた武術も存在するようにな。体幹等の身体能力もそうだが、攻撃も防御も、全てはタイミングをいかに巧みに合わせられるかが肝なのだ。リーチェン殿は舞踊という言葉自体はご存じでも、それが武術に繋がるという発想はお持ちではなさそうだからな、そういった教え方はおできにならないのだろうが、お前は武術だからと難しく考えすぎだ」

「ダンスだと思え、ってことですか?」

「リズムに合わせて踊るように型をやってみろ。取り敢えず、テンポの緩い曲……そうだな、『モルダウ』くらいは知っておろう?」

「ぼへーみあーうるーおすー?」

「そうだ。弾いてやるから、合せてみろ」


 アレクサンドルが両手にマレットを手にし、木琴の正面に立つ。


「構え。出だしのサビの部分でテンポを掴み、メロの部分から入ってみろ」

「はい! 先生!」


 言われて即座に型の初めの態勢をとる。何だかすっかり恵子からは先生扱いになっているアレクサンドルであるが、彼は特に否定しようともしなかった。










 恵子がいまいち武術の要領を掴めなかった最大の理由は、アレクサンドルが推測したように、武術を難しく考えすぎていたのだ。武術という時点で頭の中が身構えてしまっており、技を一つ出すたびに動きが硬直してしまうという致命的な欠点があったのだ。


 リーチェンはそれを『流れ』と述べるだけで、もっと細かなアドバイスは何もしなかった。

 無論、それには理由がある。

 そもそも恵子は武術的には全く鍛えられていない。若い彼女の将来を見据え、体作りから始めたくて、今は基礎的な体捌きを教えるに留まっていた。彼女が唯一教えてもらった型にしても、特別に技らしい技が含まれた型ではなく、本当に基礎的な体捌きを身に付けさせるだけのものでもあった。

 ……型を教えた時点で、あまり才能は無さそうだな、とリーチェンが判断して、これは基礎からみっちりといかねば後で歪みが出かねないと考えたのもあった。


 しかし……


 武術をダンスに置き換えてみると、途端に恵子の才能は輝き出していた。


 相手を観察し、相手のテンポを掴む。それこそが、合気の技に最も必要とされる要素の一つと言っても過言ではない。

 シャイリー程の使い手ともなると、そのテンポをある程度は自在に変化させられてしまうため、本気になった彼に通用するレベルでは無論ない。

 が、アレクサンドルの要求を受け入れ、恵子のレベルに合わせて指導組手にした途端、シャイリーはいともあっさりと投げ飛ばされていた。無論、最後の最後まで投げ飛ばされている事はなく、空中で身を捻って綺麗に着地してしまったが、その表情は感嘆一色であったものだ。


「ほう、このような教え方があったか。やはりおぬし、教育者向きじゃの。リドウよりもその点は遥かに向いておる」

「一応、以前にも弟子を取っていた経験がありますからな」


 少し離れた場所で見物していたリーチェンが、隣に立つアレクサンドルに賞賛の言葉を送った。


「できた……ッ!」

「凄いね。恵子ちゃん、けっこー才能あるんじゃない?」


 開いた両手を歓喜の表情で見つめる恵子に、シャイリーが満面の笑みで言っている。


「うむ……これはあれじゃの、アレを教えてみるかの」


 リーチェンが意味深に言いながら近づいて来るのを、恵子が疑問の表情で迎える。


「あれ、ですか?」

「うむ、その名を『星の業』――わしが教えた数々の型の中でも、リドウが最も得意とする技じゃ」

「お師匠様の型に名前なんていちいちあったんですか?」


 と、すかさずシャイリーが興味津々で訊ねる。


「便宜上はの。教えるのに名が無ければ不便じゃろ。まあ、わしの技は全部ひっくるめて『天武流』とも言うべき技じゃが、おぬしが得意とする、自身の身動きは制空圏内に留め、交叉法を主体とする型は一応『地の業』じゃの。もっとも、おぬしの得意とする技の源流、と言うべきじゃがの。リドウがもう一つ好んでおる、手のひらを柔らかく持ち、遠心力を巧みに用いる事で威力を大きくする型は『風の業』じゃの」

「当然、星の業を用いれば更に強いのでしょうな、あの男は?」


 以前の闘いでリドウは風の業しか使っていなかったように思い出すアレクサンドルが、非常に不機嫌そうな様子で指摘する。


「見た事はないかの? 風の業は刀との併用には向かんから、刀だけでは対処が難しいおぬしのような相手ならば、リドウも割と使っとるはずなんじゃが……」

「……投げに蹴りを合わせて首を刈りに来た、あれですかな?」

「それじゃ。リドウは元来、足が長いのもあって、足技の方が得意での」

「確かに、あの男の蹴りは芸術的でしたな」

「確かに……」


 アレクサンドルと一緒になって、シャイリーも同意している。超級な彼らにとって、それは共通認識だったようだ。


「合気で相手を崩し、足技で決める。それの流れをとことんまで追求した型が『星の業』じゃ。人間は元々、腕よりも足の方が力がある生き物じゃ。この型は女子供でも、極めておればかなりの打撃力を期待できる。それに、元々上半身に自由を持たせておく面が他の型よりも多い分、銃と組み合わせて戦うにも最適な業じゃよ」


 女子供でも、の部分に恵子が嬉しそうな顔をしていたが、


「もっとも、そのためにはまず、どんな状況でも蹴りを繰り出せるよう、体を柔らかくせんとの」

「え?」


 ニヤリと笑うリーチェン。その態度の意味があまり判らずに疑問の声を発する恵子であったが、その真意を理解するのは実地に入ってからであった。


「いたっ、痛い痛いっ、いったーいっ!」

「我慢だよ、恵子ちゃん」

「さけるぅっ、さけちゃうぅーっ!」

「武術家はみんなサケては通れない道だね」

「冗談じゃな――みぎゃぁーっ!」


 何があったかはご想像にお任せするとしよう。

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