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愛奈が逝く、化け物への道

 高坂愛奈が初めて彼らと顔を合わせたのは、彼らがこの城を訪れた翌日の出来事だった。


 また美男美女の面々に驚いたものだったが、中でもアレクサンドル・ラヴァリエーレや烈震のガルフには度肝を抜かれたようだった。

 人間離れして端正な顔立ちのアレクサンドルと、魔道士とはとても思えない筋骨隆々な偉丈夫のガルフ。愛奈も話には聞いていたが、実物を見ればやはり驚きを感じずにはいられなかった。


 その日から、愛奈自身を含め、彼女たちの修業に、新たな来客者たちも加わるようになった。


 愛奈の場合、同系統のガルフやカタリナが一緒になるケースが多かった。今の愛奈よりも遥かに勝るハイエンド二人との修業は、彼女にとってはとてもタメになった。

 本気のガルフを正面から相手にするには、カタリナでは少々力不足な感が否めないため、何とこれまでは沈黙を保っていた侍女長サリスまでもが、時間が空くと加わるようになった。


 ガルフとサリスのガチンコバトルは、愛奈にとって、とても有意義な時間だった。あまりにも芸術的に洗練された魔法の撃ち合いは、まるで魔法の教科書のようにすら思えたものだ。

 ――それは、彼らの魔法が参考になる程のレベルまで愛奈は達している、という意味でもあった。


 また、ガルフやカタリナは積極的に愛奈へ魔法の教えを授けてくれた。特にガルフは楽しそうに愛奈を導いていた。


 闘士に必要不可欠な資質、それは『決して折れぬ強き心』だ。どんなに痛めつけられても、最後の最後まで諦めない強靭な意思……愛奈は、自身の可憐な見た目や普段の弱々しい態度を裏切って、それを持っていた。いざという時は頑張れちゃう子だったのだ。


 逃げるのはいいのだ。敵わないと思ったら、何としてもその場を生き抜いて、改めて己を鍛え直すのが正しい闘士の姿である。“逃げが許される状況”なのに無駄な玉砕をするなど、「自分では一生こいつには勝てない」と自ら宣言するに等しい愚行でしかない。

 だが、後ろに己が守ると誓った者が控えている時など、どうしても逃げてはならない場面もある。その時に、相手が強いからと言って、自分が苦しいからと言って、諦めてしまう者に闘士たる資格は無い。


 高坂愛奈に殺しはできないだろう。だが、決して諦めずに己の意思を貫くという強い心はある。

 その強靭な意志は凄まじい集中力に繋がり、成長率に多大な影響を及ぼす。まるで真綿が水を吸うかのように、みるみる成長していく愛奈を、ガルフはとても好んでいた。彼は弟子を取った経験はなかったが、これが優れた弟子を持つ喜びかと、古くからのライバルに共感を覚えたりもした。


 ガルフ自身の本音を言えば、魔神リリステラの教えを授かりたかったのだが、彼女から「貴兄の場合、一度教え子をお持ちになってみなさい」と言われて渋々引き受けた師匠役だったが、彼も今ではその意味が理解できていた。


 烈震のガルフは正真正銘の天才だった。生まれついての膨大な魔力だけでなく、魔法を行使する感覚に対する理解力がずば抜けていたのだ。

 が、彼は『どうして他人はできないのか理解できない』という、典型的な感覚型の天才でもあった。

 他者へ教えを授けるためには、その理論を自ら正確に理解し、言葉にして説明できなくてはならない。「こう、ぐっといって、どかんって感じだ!」では全く意味が無い。


 が、最終的には論理が全てを支配する武術とは違い、魔法とはどうしても感覚的な部分によるところが大きい。

 魔法の伝授の一番近い道は、かつてリュリュが愛奈に対して感知結界を教えたように、他人が使っている物を教え子側が感じ取って再現する事なのだ。

 しかし、言葉で説明できる部分が無いわけではない。


 感覚派だったガルフは、愛奈との交流を深める内に、次第にそれができるようになってきた。愛奈自身の素直な性格が災いしたと言うべきか、彼女は『先輩』の言葉なら何でもかんでも頭から信じ込んでしまうために、下手に適当な事は教えられないなと彼が危ぶんだ末に、何とか頭を捻った成果でもあった。


 そのおかげで、ガルフの腕前は急激に洗練されつつあった。現役に復帰してからここ数ヶ月で錆落としは済んでいたが、今なら全盛期の自分にも勝ると、彼は強がりではなく本気で思う。


 こうして愛奈を可愛がるようになったガルフであったが、その教え方自体は非常に厳しいものだった。










 地面から生える六頭の竜が、四方八方から愛奈を襲う。実は首の一つ一つが高度に圧縮されており、その硬度はダイヤモンドにすら勝る。無防備に食らえば、彼女の華奢な肉体など、ぷちっと挽き肉と化すのは疑いようが無かった。


 しかし、愛奈は冷静だった。


 焦らず、六頭竜の動きを見定めて、要所要所で空間を転移し、確実に攻撃を躱していく。


 転移で上空に現れると空中に体を固定し、首が迫ってくれば即座にキャストスイッチで再び空間を渡る。


 現れた先は地上。今の彼女の実力では、空を飛びながら大地の竜を撃滅する魔法を構成するのは不可能なので、攻撃するならどうしても地上に降り立つ必要があった。


 六頭竜全ての頭が上空まで首を伸ばしていたせいで、彼らは地上に現れた愛奈を即座に攻撃する事が敵わず、その隙に愛奈は魔法を構築する。


 土系は実のところ、雷系を得意とする愛奈にとっては極めて相性の悪い属性だ。雷撃が持つ破壊力自体はそう大したものではなく、追加の感電効果こそが真価を持つ雷属性にとって、無生物は苦手なのだ。

 となると、純粋な『魔法攻撃力』勝負になるが、それならば貫通能力の高い魔力砲の出番だ。


「んっ……」


 むむっと全身に力を込めて魔力を溜め込む。精神力の賜物である魔法に肉体の働きは本来全く関係ないのだが、所々に素人風味を残す愛奈は、大魔法を使おうとする時、どうしてもこうなってしまうらしい。


「やぁーっ!」


 可愛らしい掛け声と共に、自分に向けて急降下してくる竜の首に向けて、手のひらを突き出す。


 きゅぴんっ、と手のひらが輝いた瞬間、白色の光線が竜の頭を貫いた。


 竜の頭が消滅したのを目視した愛奈は、己の成果に浸ることなく、間髪入れずに空間を渡る。


 愛奈が潰した竜はまだ一頭だけだ。あと五つも残っている。今の彼女の力では、一度の攻撃で一頭を倒すのが精一杯だった。


 しかも、この六頭竜を操るガルフからは「同じ戦術を二度は食らわねぇからな」と言われてしまっている。魔王城に来てから、ほぼ毎日のように実戦訓練をしていても、ガルフやリドウのような歴戦の強者に比べれば、まだまだ実戦経験には乏しい愛奈のために、「よほどまずい戦術じゃなきゃ食らってやるから、とにかく考えろ。力ずくでぶっ潰すなら、それはそれでよし」と言われてもいた。


 その新たな戦術はまだ考えついていなかったが、時間稼ぎのために、頭を一つ失い五頭となった竜から、愛奈は必死で逃げ回る。


 が……そうしている内に、愛奈は段々と己の頭がスッキリと透き通るような感覚に襲われていた。


 すると同時に、何だか魔法行使がいつもよりもスムーズに行える気がしたし、敵の動きも幾分ゆっくりになったように感じた。


(……どーしちゃったんでしょう、私?)


 愛奈は不思議に思いながらも、それ以上に不思議な事に、心の奥底から自信が湧いてくる気すらした。










「ゾーンではないかしら」


 訓練が終わった後、ちょうどタイミングが合ったようで、ばったりと遭遇した千鶴に、自分が感じた物を愛奈が相談したところ、千鶴は迷う様子もなく答えをくれた。


 が、愛奈は今一よく分からないようで、疑問の浮かんだ顔が解けない。


「ゾーンって、スポーツマンガなんかでよく使われるやつですか?」

「ええ」


 サロンの一室、主に“来客者”だけが気軽に使用できるよう、リリステラが気を遣って割り振ってくれた部屋で、千鶴は華麗な仕草でティーカップをテーブルに置きながら肯いた。


「でもあれって、短い時間しか使えない上に、使ったら物凄く疲れて、何もできないくらいになるんじゃないですか? 今、いつもの修業後よりも、むしろ調子がいいくらいなんですけど……今日は怪我らしい怪我しないで済んだからかもしれませんけど」


 とは言え、もう治療してしまったが、打ち身や打撲は全身にこさえていた。愛奈も最早、骨折くらいしなければ怪我とすら思いはしない、アッチの世界の住人に成り果てているようだ。


「…………マンガに毒されすぎよ、あなた」


 やや長めの沈黙の後、千鶴は冷めた目でそう言うが、愛奈は意味が分からずにきょとんと目を丸くする。


「ゾーンっていうのは超集中状態の事よ。確かに長く続くものではないけれど、別にスポーツの専売特許でもないし、勉強や仕事でだって発揮されるわ。集中力が増せば、無駄が減り最高率のパフォーマンスを発揮できるのに、なぜ余計に疲れなければならないのよ」

「な、なるほど……」

「ゾーンの名を借りて特別な技のように扱っているマンガなら、反動としてペナルティを用意しなくてはパワーバランスが保てないのでしょうけれど、人間が普段自然とセーブしていると言われる脳内リミッターが外れてしまうような現象ではなく、あくまでも本人が従来から可能なはずのパフォーマンスが自然と発揮される状態の事でしかないわ。あまり一般的でない言葉を知る機会がマンガやアニメの中だったせで、全く別の意味みたいに思い違いしているのよ。誰が最初に流行らせたのかなんて知りませんけれど、マンガの中で特別な技みたいに用いられている語句を、何でもかんでもそのまま信用するものではなくってよ」

「うぅ、気をつけますぅ……」


 愛奈は恥ずかしそうに頬を赤らめて微かにうつむく。


「ま、言葉なんて時代と共に、意味も本来の物から変質していくものですけれどね、『貴様』みたいに」

「ああ、それは私も知っていますね」

「だからと言って、辞書ですら現代の民間で主に浸透している意味が但し書きで載っている用法ならともかく、民間で主に流行っている誤用法に迎合しなければならないとは思わないけれどね。でなければ、役不足のような単語を辞書に載っている意味で覚えている私たちも、本来とは逆の意味で用いる義務があるという話になりかねなませんし」

「何でですか?」

「数年前の世論調査で、本来とは逆の意味で捉えている成人が過半数を超えたらしいわ」

「それは……何だか自分でも不思議ですけど、ちょっと切ない気がしますね……」

「そうね。少し分かるわ」


 くすりと笑う千鶴。


 愛奈はその姿を見て、本当に日本に居た頃よりも表情が豊かになったなと思う。

 あの頃は面と向かい合って話した事も無かったが、視界に入ると思わず目が勝手に追ってしまう華やかな人なので、記憶には色濃かった。その時の千鶴は、常に無感情の無表情で、その人間離れした美貌や、一流ショーモデルもかくやという完成された所作のせいもあり、本当に人間なのかと疑ってしまった事すらあったが……今の千鶴の方がとても魅力的だと愛奈は思う。


 とか思っている間に、千鶴は表情を失くし、いつものクールビューティーに戻ってしまう。


「でも……ゾーン、ね」

「何か?」

「リドウたちはおそらく、常人のゾーンの状態にまで意図的に持って行って、かつ長時間維持する方法を取得している……そういう訓練をしていると推測されるのよね」

「そんな事できるんですか?」


 愛奈は軽く目を見張る。愛奈的ゾーンとは、超人クラスの才能を持つキャラクターが、超絶の努力を重ねた末に身に付ける物、というイメージだったので、そんな事が現実に可能なのかと思ったようだ。

 が、必ずしも違いはしないが、しかし決定的に違うとは先ほど教えられたばかりだし、そもそもリドウたちは紛れもない超人かと、すぐに納得する。


「殺傷嫌いのリドウだって、元来から殺し合いを前提にして常に訓練しているわ。命をチップにした殺し合いほど極限の集中力を求められる場も、そうは無いでしょうし」

「確かに……」


 愛奈は、うーん、と唸りながら同意する。


「でなければ、音速にすら数倍する速度で常に動いていながら、足を躓かせる事すら無いというのは……」


 考えにくいと、独り言のように小さく呟く。


「“彼らの世界”へ近づきつつある今だからこそ判るのだけれど、高速戦闘にはとてつもない集中力が要求されるのよ。元々が人間はそんな速度で動く生き物ではないのですから、当然と言えば当然なのでしょうけれど……」

「千鶴さん、もう音の壁越えちゃったんですか?」

「え?」


 無意識で考え事に集中してしまっていた千鶴は、声を掛けられた事で、はっと意識を取り戻す。


「ええ、それはとっくに」

「……そーですか」


 愛奈は少しげんなりとした愛想笑いを浮かべる。


 が、千鶴は心外よという顔で愛奈を見据える。


「感知結界を維持しながらの戦闘も、要求されるメモリーは然して変わらないと思われるのですけれど?」

「それは……まあ……消費魔力の割にはメチャクチャ疲れますけどね、あれ……」

「あなただって、もうとっくに“こちらの世界”に片足突っ込んでいるのよ。あまりご自分を棚に上げないで頂きたいわ」


 愛奈は千鶴の冷たい視線を受けて目を泳がせながらも、自分は千鶴のような、日本人だった頃から常人の規格から外れてしまっている超人系キャラではなく、今でも精神は普通人のつもりなんですよ――と内心で呟いていたが、声に出して抗議できる程の勇気は無かったようだ。


 と、唐突に入り口のドアが開いて、恵子が入室してきた。


 腰にはベレッタF92の納まったホルスターが吊るされており、どうやら彼女も訓練帰りらしく、よほどの弾数を撃ったようで、まだ距離がある千鶴たちの方まで、香水よろしく硝煙の匂いが漂ってくる。恵子も、年頃の女としては極めて間違った方へ進化しつつあるようだ。


 恵子は二人に挨拶もせず、幽鬼のような足取りでふらふらと椅子に座ったかと思うと、テーブルの上にぐでーっと頭を横たえて、


「千鶴ぅ、あたしにもお茶ちょーだい」


 重苦しい声で、甘えた事をほざいた。


 別にそのくらいの手間を拒絶するほど千鶴は狭量ではなく、黙って言われた通りにお茶を淹れて差し出す。


「ありがと」


 と、一言お礼を言った恵子は、一息でお茶を呷った。


「おかわり」

「はいはい」


 千鶴は苦笑を浮かべながら、差し出されるティーカップを受け取る。


「恵子ちゃん、ずいぶんとお疲れね」

「あたしはあんたらみたいな化け物じゃないのよ」


 恵子としてはいつもの軽い憎まれ口でしかないつもりだったのだが……


 傍で聞いていた愛奈はその中に自分も含まれていると感じ、正真正銘の意味で『化け物』の領域に近づきつつある今、あまり冗談には聞こえず、恵子がそんな意味で言ったわけではないのも愛奈は理解していたが、何も言わずに、しかし表情は少し傷ついたような愛想笑いを浮かべた。


「無神経よ、恵子ちゃん」


 新しく淹れたお茶を差し出しながら、千鶴は恵子を軽く睨むようにして言った。


「え?」


 ぐだっていた恵子は、この時初めて愛奈を見て、彼女の顔に浮かぶ感情に気づき、あっと慌てて言い訳する。


「ご、ごめんっ、そういう意味じゃないから!」

「いえ、分かってますから。大丈夫です」

「ブランカ帝国の騎士たちがリドウに見せた反応は、なかなか忘れられるものではないでしょう。無理はしないことよ」


 愛奈の内心を正確に読み取った千鶴が慰めの言葉を掛ける。こういう時には本当に頼りになる女性だ。


「己が抗いようもなく殺されてしまう存在なんて、普通は恐怖の対象にしかなり得ないもの、仕方ないのよ。だからライド卿にしてもベアトリクス殿下にしても、『化け物』と少なからず直接的に関わっていかなくてはならない地位に在る方々は、傲慢で小心な我が身第一の愚物ではいられないのよ。まあ、あの女の場合、本人も化け物でもありますけれどね」


 最後の部分をちょっと冗談めかして言いながら、千鶴は笑う。


「あなたには私たちという仲間が居るし、同類にも事欠かなければ、リリステラさんたちのように、あなた自身がどんなに強くなろうとも、『間違った道』に進んでしまったら、止めて下さる方々がいらっしゃるわ。だから、自分の力に恐怖する必要は無いのよ」

「そーよ! それに愛奈なんて、リドウに比べればまだ全然可愛いもんじゃない」

「人類最強を引き合いに出されても、かなり困るんですけど……」


 あははと乾いた笑いを浮かべる愛奈だったが、不意にドアの方へ視線を向ける。


 殆ど同時に、ドアが開いて新たな人物が現れた。


「あ、みんな揃ってる」

「はろー」


 どういう経緯で一緒になったのか、シャイリーと朝霧三波だった。彼女も皆川教諭を中心として城のお手伝いに普段は精を出しているので、本日の衣装はメイド服だった。


「あ、シャイリーさんも居たんですか」


 愛奈が何気なく言った台詞。


 しかしシャイリーは、それに軽く驚きを表し、へー、と感嘆の声を零した。


「朝霧さんの気配は判ったんだ?」

「何となくですけど……」

「あたしも分かったの?」

「そーいえば、恵子さんは判りませんでしたねぇ」

「何で?」

「シャイリーさんたち程じゃないですけど、恵子さんって気配が薄いんですよね」

「影が薄いってこと?」


 割と本気で嫌そうに訊ねる恵子だったが、全員が揃って「それはない」と声を重ね合った。


「恵子ちゃんもそれだけ、身動きに無駄が無くなってきているって事だね。気配は、その無駄が多いほど発せられてしまうし、普段から素人よりも無駄の無い動きをしている僕らのような場合、元々が素人よりも薄いんだよ。意図してそれ以上に気配を殺す技術とはまた別の話だけどね。愛奈ちゃんが感じ取れるのは、まだド素人までってこと。意識しだして半年でそれなら、大したもんだと思うよ」


 シャイリーは、まだまだと言われてしまいへこんでいる愛奈に、さり気なくアルカイックスマイルでフォローした。


「一年半もの間、基礎的な体捌きをリドウから教わっていたのが、この半年の実戦的な訓練の繰り返しで本格的に開花したのね。恵子ちゃんも元々、運動神経は悪くない方だったもの。たぶん、生れ付きのスペックは割と高いのではないかしら?」

「創作ダンスとかは割と得意な方だったけど、ルスティニアに来る前と比べたら、別人みたいな自信はあるわね、流石に。つか、あれだけやってんのに前と変わんないとか言われたら泣けるわ……」

「なに? この人外魔境な会話……」


 三波が涙目で救いを求めるように一人一人を見渡すが、生憎とこの場には他に“普通”の日本人が居なかった。


「そーいえば、何で朝霧さんと一緒に?」

「そうそう!」


 愛奈が何となく訊ねたら、当の三波が、是非聞いてくれとばかりに身を乗り出した。


「休憩貰ったから、誰か居たらなーとか思って、廊下を走って」

「廊下は走るものではなくってよ」

「教師みたいなこと言わないでよ、一条……」


 水を差されてぶすっくれながら千鶴に抗議する三波。千鶴の桁外れの美貌が同性としてどうしても受け付けないらしく、ちょっと忌々しげな目だった。リリステラたちならば『特別な人』という事で納得できても、同級生だった千鶴では難しいのだ。

 が、その手の視線を送られるのは日常茶飯事の千鶴は慣れたもので、涼しい顔で無視している。

 いつまでもこんなに暗い気持ちでいたいわけではない三波も、すぐに気を取り直して、今のは無かった事にしたらしい。


 さり気なく愛奈が、以前に、走るどころか高速で飛行した挙句、リドウとぶつかりそうになって、あわや事故というところを危機一髪助けられた出来事を思い出して、冷や汗まじりに明後日の方を向いていた。


「それで、この子とさっき、角でばったりぶつかりそーになってさ――ぶっちゃけ、ぶつかった! って完全に思ったのに、幽霊みたいにすり抜けたの!」


 あれって何だったんだろ、と三波は楽しげに報告する。シャイリーに訊いても、技術的に大分高度な技の一つを応用した結果のようで、基礎知識すら無い三波に説明するのは難しいと言われたのだそうだ。


「シャイリーさんもリドウさんと一緒で、ラッキースケベとは無縁なタイプですもんねぇ」

「僕らのように直接的な戦闘力が突き抜けてしまっている人間を同類以外が被害を少なく殺害しようと思ったら、暗殺しかないからね、基本。ぶつかった相手が暗殺者だったら、アンラッキーデッドで終了でしょ」

「フツーのパンピーで殺気が無かったから躱せなかった、とかはないの?」

「素人の気配を?」

「そりゃそーよね」


 聞いた自分が馬鹿だった、と恵子。


「それに暗殺者の中には、殺意を“誤魔化す”んじゃなく、自己催眠とか薬物で、意識を殺意から完全に“外して”、その手の暗殺に及ぶ使い手も珍しくないよ。殺気のある攻撃なんて、簡単に躱せる使い手が珍しくないからね、この世界じゃ。だから、殺気の有無なんて関係なく、僕らは確実に躱すように意識、訓練しなければならない。闘争の世界を志した人間にとっては、まず真っ先に鍛えなきゃならない部分の一つだよ。死んだ後に卑怯だの卑劣だの言う口なんて無いからね」


 キラッと目を光らせるシャイリーだ。


「女の子みたいな可愛い顔してるくせに、えらい物騒な子ね、この子……」


 三波が大いに引いている。彼女にとってシャイリーは『好みのタイプ』ではなかったため、余計なフィルター無しで評価した末の言葉だった。

 もっとも、他の面々にとっては共通認識だったので、誰も同意してくれなかったが。千鶴はともかく、恵子も愛奈も、それこそえらい変わりようだ。


 それを見て、三波は思う。


(こいつらが、もうまともな日本人じゃなくなってるって山中の説、案外的を射てるのかもね……)


 自分でも知らない内に、一同を見る目が空恐ろしい物を見るようになってしまう三波であった。










 ガルフとカタリナは、自分たちの周囲に光の球を浮かべ、壮絶な気合いの籠った顔で唸っている。

 これはマルチキャストの訓練方法の一つだ。


 このマルチキャストの腕前は、フルキャストの威力や魔力キャパシティとはまた別の話で、この二人のようなハイエンドの数百分の一程度しか魔力を持たない人間でも、理論上はクワッドでもクイントでも使えるようになる。もっとも、マルチキャストはキャスト数が一つ上がるごとに消費魔力が桁違いに増加するため、そんな人間では残念ながら訓練する意味すら無いだろうが。


 さて、ガルフの周囲に浮かぶ光球は大が四つに小が一つ。対してカタリナの周囲には三つの大光球と、中くらいの光球が一つだった。


五重魔法クイントキャスト……人間の限界と言われる領域。ガルフ殿は既にその領域に入りかけているのですね……)


 現在のカタリナの腕前は、実のところフルクワッドには届かない。魔王城の住人やアレクサンドルにガルフといった人間を見ていると勘違いしがちだが、それでも十分に凄い。クワッドキャストとは本来、本当に特別な人間にだけしか許されない領域なのだ。


 しかしながらカタリナは、ガルフに及ばない事実がちょっと悔しそうだった。清楚で大人しい外見に反して案外と負けず嫌いならしく、更に気合を増している。


「おはよーございます!」


 そんな時、現れた愛奈の元気がいい挨拶が二人の耳の届いたが、二人は挨拶を返しながらも、平然と続けている。全力で力を行使していても、会話にメモリーを割けるだけの『力』があるのだ。


 それは本当に凄いと愛奈は思う。


 二人を見習って同じ訓練を開始する愛奈だったが、そうしていると、とてもではないが、会話なんてしていられる余裕は無いのだ。


 くぅ、と小さく呻きながら愛奈が浮かべる光球の数は、ガルフたちが浮かべる大光球には少し及ばないサイズの物が二つに、ミドルサイズが一つ。

 これは、まだ愛奈のフルキャストがリミットまで育ちきっておらず、かつ完全なトリプルまではまだ達してない、という事実を表していた。


 それでも本当に凄いと、ガルフとカタリナは視界の端に、むむむっと顔に力が入りすぎな愛奈の姿を映しながら本気で思う。

 ……自分たちとは違って、そうしている姿も一々可愛らしくて迫力に欠けるため、簡単に舐められそうだな、とも同時に思いながら。愛奈も、闘う事に抵抗感は無いらしいのだが、戦闘中すら殺気どころか闘志も全く発さない子なので、威圧感が欠片も無いのだ。


 しかしながら、これで魔法使い歴がようやく二年。しかも、本気で鍛えだしたのはここ半年ときているのだから、世の中の全ての魔道士に謝れ、と二人は思わなくもない。

 以前の愛奈が不真面目だったわけでは断じてないが、「魔法が巧くなるのは楽しいですねー」くらいの意識であったのは揺るがし難い事実であり、「私は絶対に強くなるんです!」という強烈な信念を抱きだしたのは本当にここ最近の話だ。


 確かにメンタル面が成長に大きく作用するのは事実だし、究極域に達した時は、その精神力の差が如実に戦闘力に反映されるようになるのがこのルスティニアではあるが、それ以前にどう考えても才能が桁外れにすぎるのだ、愛奈は。

 一条千鶴も才能に溢れ、現時点でも凄まじい力を秘めているが、彼女には元々下地があったようだし、そうでなくても“まだ常識の範囲内”だ。しかし愛奈の場合は訳が違う、まさにリドウと並ぶ非常識――これはガルフ、カタリナ、そしてアレクサンドルにも共通する見解だ。


 そう――高坂愛奈は才能の全てが魔道士として特化されている。他の全てに才能らしい才能が見当たらない(本人の自覚が無い才能がまだ眠っている可能性はある)が、その代わりに魔道士として必要な資質である魔力キャパシティとセンスは神懸っていると言っても過言ではない。


 ……ある意味、特化“され過ぎている”くらいに――


「どうもなぁ……戦闘センスの方が……」

「ぱっとしませんね」


 ガルフの台詞をカタリナが引き継いだ。


 いつものように、二人が生み出した疑似魔法生物を相手にしての訓練。本日はガルフの地竜が一体と、カタリナの水龍が一体、それらが交互に愛奈を襲っていた。別の『特性』を持つ敵を同時に相手にする、という訓練目的だった。


 しかし、愛奈にとってはこれまた強敵だった。


 地属性が雷属性の天敵であるのに対して、水属性は本来最も得意な相性であるはずだ……本来なら。


 が、そんな楽な訓練をカタリナがさせるわけがない。


 この水龍は、科学的には作り出す事が不可能と言われる『理論純水』で構成されていた。

 水が電気を通し易いのは水中に含まれる塩分などのイオン成分のせいであり、純粋な水分子は電気伝導率が極めて低く、ほぼ絶縁体と言っても構わない。この法則はルスティニアでも地球と変わりはない。


 そうとは知らずに、水系なんて楽勝です、と勇んで全力の雷撃を放ったはいいが、全く効果が無かった事に驚いた愛奈は、途端に浮き足立ってしまった。

 慌てて魔力砲を全力で放ったが、不定形物質である水に対して、貫通力は高いが温度自体は然程でもない光系では、水龍の胴体を貫いてはみせたものの、すぐに元の形を取り戻してしまったのだ。


 考えられる対抗手段が尽きてしまった愛奈は、涙目で逃げ回るばかりで、効果的な反撃が全くできていない。

 昨日の地竜六体は最終的に全て倒せたのに、水龍一匹に何をと思われるかもしれないが、地竜六体には己の攻撃が確実に通用したのに対して、水龍には通用する手段が今のところ無い。この違いは、特にメンタル面に対する影響が極めて大きかったのだ。


 これこそが、いわゆる『メモリー不足』と呼ばれる状態である。


 だが、魔王城におけるこの手の訓練は『負けが決まる』まで終わらない。自分の負け、と降参しても絶対に終わってくれない。終わるまでは常に工夫しなくてはならない。


 ――大丈夫、死んだり(殺したり)はしないから! たぶんね(てへぺろ☆)


 人それぞれに口調は違えど、師匠連中の誰もが笑顔でそうほざくのが、魔王城式訓練法である。


「何つーか、力押ししか能がねぇっつーのかね? 戦術思考能力で戦闘力以上の戦闘能力を発揮する千鶴嬢ちゃんとは正反対を行ってやがるな」

「まだフルキャストで扱える属性数が少ないせいもあるでしょうが、諦めずによく考えれば、今の彼女でも対処が不可能なわけではないのですがね」


 でなければ、カタリナだってこの訓練を課したりはしていない。


 だから、愛奈も文句は言えないし、もう降参ですとも言えない。師匠たちは、決して不可能を可能にしろとは言わないと、彼女はよく知っていたから。


 だが、ただでさえ極限の戦闘状態で、効果的な戦術をピンチになるたびに土壇場で毎度新たに考えつくなんて、そんなご都合主義は無い。

 だから、死なないように、こうして死にはしない訓練で力を蓄えるのだ。


 しかし、愛奈も諦めずに頑張っているつもりだったが、とうとう水龍は彼女を呑み込もうと咢を開いて襲い来る。


「きゃぁあーっ!」


 思わず目を閉じて悲鳴を上げてしまう。


「目を閉じるな、馬鹿者」

「ひきゃぁっ!」


 己の襟首を後ろから引っ掴まれた愛奈は、今度は素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。


「ら、ラヴァリエーレさん!?」


 後ろを見上げれば悪魔のような美貌の主が自分を冷たく見下ろしていて、愛奈は震える声でその名を呼ぶ。悪い人じゃないんだろーなー、と思ってはいるのだが、今までの旅路で出会ってきたクール系の人たちなんて可愛らしく思えるくらいの氷結系な美貌を愛奈はかなり苦手にしており、目の前にするとどうしても萎縮してしまう感が否めなかった。


「Don't feel, think」

「へ……?」

「かの偉大な格闘家が仰るには――Don't think, feel。気功士であり、元来から考えすぎるところのある一条にはこれ以上に的確な言葉も無いが、魔道士のお前の場合は逆だ」

「は、はぁ……」


 アレクサンドルが何を言いたいのかさっぱり理解できずに、愛奈は呆けてしまう。


「Lesson one. なぜ水系は、『そこに無い物』を生み出しているようにも思えるのに、基礎魔法に分類されるか、お前はどう考える?」

「ど、どーってぇっ!?」


 アレクサンドルに引きずられて高速で空中を飛び回り、水龍から逃れながらのレッスンに、愛奈は応じる声まで悲鳴まじりになってしまい、とても何かを深く考えられるものではなかった。


「空気中にも水分は存在する。上空ならば尚更に。それらを用いておる」

「な、なるほ」

「――のではない」

「こんな状況で悪ふざけはやめてくださいよぉー!」


 涙目で抗議する愛奈であったが、アレクサンドルの方は余裕の笑みを浮かべたままだ。


「考えてもみろ。あんな大量の水分が周囲から消失すれば、一瞬で周囲が干上がるぞ」

「そりゃ……」


 そうだなと、言われて納得する愛奈である。


「飲める綺麗な水を得るのは案外と難しいものだが、水自体はどこにでも在ろう? 容易に得られる物質であるから、魔力で構成するのも容易なのだ」

「はぁ……」

「同様に、海水を構成するのも難しくはない。面白いものでな、塩を魔力で直接的に生み出そうとするよりも、海水を生み出す方が容易なのだ。人々が塩を得るためにどれだけ苦労してきたか、という事だな」

「それで、それが一体何なんです?」


 ひとまず水龍から距離を置けたおかげで多少落ち着いた様子の愛奈が、いい加減答えを教えてくれと主張するが、アレクサンドルは意に介さず続けている。


「Lesson two. 基礎魔法である火、土、水、雷、風は、この順番に円を描くように、術者本人の親和属性に近い位置の属性ほど習得率が高くなる。故にお前は、風と水は得意な方であるはずだ――私と同様にな」

「はい、そうですね」

「ならば、海水の構成くらい、今のお前ならば不可能ではなかろう?」

「できる……と思います」


 愛奈もやった事は無かったが、何となくできそうだな、と彼女の感覚は訴えていた。


「ならば答えは出たであろう?」

「へ?」

「混ぜてしまえ、あの水龍に、海水を」


 塩分を取り込ませ、雷が通用するようにしてしまえと言うアレクサンドル。


「そ、その発想は無かったですねッ!」


 感嘆の声を上げながら、愛奈は同時に海水を魔法で生み出していた。


 カタリナがしているように、生き物を模る美しさは無く、ただの水の塊を水龍に向けて撃ち出す。


 そして――


「トールハンマーッ‼」


 愛奈の両手から特大の雷が放たれ、水龍を穿ち、一瞬で蒸発させてしまった。










 遠くから、アレクサンドルに向かってぺこぺこと頭を下げる愛奈を、ガルフとカタリナは微笑して眺める。


「相変わらず、面倒見のいい野郎だな、やっこさん」

「ラヴァリエーレ様は才能を愛される方ですから」

「……前から疑問に思ってんだが、何でおめぇさん、ラヴァリエーレを名で呼ばねぇんだ?」

「それは二人きりの時だけと決めていますので」

「そりゃまた、お熱いこって」


 しれっと言い放つカタリナに、ガルフは膝に頬杖をつきながら、げんなりと明後日の方へ吐き捨てた。

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