晩餐会
アレクサンドル・ラヴァリエーレや烈震のガルフら一行が魔王城に到達して、既に一月余りが経過していた。
その間に、一同は一通り顔合わせは済ませている。
そんな今日この頃、本日はこの城の主であるリリステラの提案により、全員揃っての立食形式の会食が実現していた。
この中には、麻木恵子や一条千鶴ら以外にも、山中果歩や皆川教諭のように救出された日本人たちの姿も存在した。
更に、この数ヶ月の間に新たに発見され、この城へ招かれた数名の日本人たちも……。
その人数はまだまだ僅かに五名であったが、ちゃんと救出が進んでいる事に、特に日本人の保護に使命感を燃やす一条千鶴は大きな喜びを表していた。
新たに保護された五名の内約は、男子三名に女子二名という構成で、うち一名の男子は勇者候補と思われる絶大な闘気の持ち主で、他男子一名と女子一名の組み合わせでこの世界に飛ばされて以降、才能に恵まれなかった二人を快く保護していたという、なかなか見上げた好男児であった。容姿の方に特筆すべきものは失礼ながら無かったが、人格面に重きを置いて人物を判断する千鶴から嫌味の無い笑顔を送られてしまった彼は、盛大にうろたえていたものだ。
もう一組、この世界に飛ばされてしまい、ようやく保護されるまで必死で生き抜いてきたという男女二人組は、その間に見事に恋愛関係になっていたらしく……特に女子の方が、あまりにも華やかなこの城の女性陣を警戒して、ずっと恋人の男子にひっついて、さり気なく周囲を警戒しているのを、大人たちは微笑ましそうに見ていたりするが。
しかし、気功士の男子と一緒に飛ばされた女子の方は、不思議なことに、他二人の男子たちとは恋愛関係が発生しなかったようだった。頼りになる男が側にいて、彼女自身を守ってくれていたというのに何とも不思議な話だったが、人は誰しも十人十色、そういうパターンもあるのだろう。
その女子は、麻木恵子や山中果歩という、比較的接し易い友人と一ヶ所で固まって、まるでハリウッドのアカデミー賞の会場かと思わせる美男美女の面々に、ほうっと熱の籠った溜息を零している。
「凄いなぁ。何でこんなイケメンばっかなの?」
「女も美人ばっかだけどな」
「言わないで、虚しくなるだけだから……」
と、山中果歩とやり取りしている女子は、名を朝霧三波と言った。
「ねぇねぇ、麻木は誰が一番好みなの? もぐもぐ」
「あたし? あたしは芳樹が」
「やーねー、そんなマジな話じゃないわよ。ちなみに私はザイケン様一択♡」
お皿片手に食事をしながらだが、ぽっと頬に朱を灯して、うっとりと頬に空いている方の手を添えて、へなりと首を傾ける三波。
「年上すぎだろ、趣味すげぇな、お前――ん、うめぇ」
「けどぉ、あの人たちって見た目よりもずっと長生きなんでしょ? 実年齢お婆ちゃんでも赤ちゃんと変わらないくらいのさ。んじゃ、もう年上とか関係ないじゃん」
「よく桂木が言ってるけど、見た目の問題だろ、こういうのは」
「でもでも、クリスさんもいいかなぁ……」
「一択じゃなかったの?」
「ぜひ眼鏡を掛けさせてみたいわねっ」
鬼畜眼鏡キタコレっ、と愛奈みたいな喜び方をしている三波。ツッコミは軽くスルーされた二人は、処置なし、という風にかぶりを振っている。
「あたしはやっぱ、ラヴァリエーレさんかな。ありゃヤベぇだろ。あんな綺麗な男、スクリーンの中でも拝んだことねーよ」
「あんたには皆川先生いるでしょーに」
ジトっとした恵子の眼差しを受ける果歩だったが、本人は平然としている。
「現実の恋愛と目の保養は別だろ。相変わらず融通利かねぇヤローだな、お前」
馬鹿にした顔で言われてしまった恵子は、むすっと唇を結んでしまった。
「で、麻木は結局どーなの?」
三波は構わず追及するが、
「あたしは……」
その瞬間、脳裏をよぎったのは紅が特徴の鋭い目つきの男で……
恵子はぶんぶんと頭を横に振って、その考えを頭の中から追い出す。
いきなりの意味不明な恵子の行動に若干気圧される三波が居たが、果歩の方はとっくに“気づいていた”ので、にやっと意地悪そうに微かな笑みを浮かべながら、とある男の話題を出す……決して恵子に直接振るのではなく、彼女が異論を挟めないよう、あくまでも間接的に。
「朝霧にも一度、若様を見せてやりたかったな」
「あのお姫様の義理の息子さんで、麻木たちと一緒だったって人?」
「おう。これまたスゲかったぜ。女に『騙されてあげたい』って進んで思わせるような、スンゲェ女殺し臭がぷんぷんなイケメンでな、イヤらしい感じさせないで、自然に女の心理防衛スペースの内側にするっと入り込んでくんのよ。あたしらの三つ上だけど、渋いし、貫禄あるしだし、まさしくザイケンさんの弟、しかも強化版って感じだから、朝霧なら間違いなく一発でハマる――な? 麻木、お前もそう思うべ?」
「え? ……」
潔癖な恵子は、そんな女タラシを認めるような発言が迂闊にできず、答えに迷ってしまったが、否定はできずに、
「……まあ……旅の間もモテてたわね」
結局、無難な返答をするに留まった。
「へー。一回でいーから拝んでみたかったなぁ。また戻ってきてくれないかな?」
「いずれ戻ってくんじゃね?」
「でもリドウは……千鶴がガチで狙ってるわよ」
「げっ、一条が? ……流石に勝負する気にはなれないなぁ……」
と、リリステラ、ザイケン、アレクサンドル、この三人と固まって談笑している千鶴を虚ろに見る三波。
以前から人間離れして綺麗な女だと、悔しいが思わざるを得ない女だったが――なるほど、恋をしているのか、最後に見た時よりも更に美しさに磨きが掛かっていた。この女と同じ土俵で争う気にはなれない三波は、諦念のため息を吐いている。
三波はそれから視線を戻す途中で、ルスティニアに来て以来、ずっと一緒だった二名の男子たちが、料理を運ぶサリスと一緒に並んでいる姿を見つける。彼らが自らサリスの手伝いを申し出たらしい。
サリスは笑顔を絶やさないが、二人の視線は、彼女が身動きするたびに揺れる豊満な部分へと一心に注がれている。なんちゃってメイド服ではなく、地球でならヴィクトリアン様式が一番近いと思われるデザインのメイド服なので、露出度は極めて低いのだが、それでもサリスの見事なスタイルを隠しきれるものではなく、この魔王城に来てからの彼らは、誰にでも優しく綺麗でスタイル抜群なお姉さんに夢中だった。
そういう意味ではリリステラも彼らにとっては垂涎の的のようだったが、お姫様然とした方向性の美しさを誇る彼女は流石に格調が高すぎるらしい。
ざっくばらんで露出度が高いサキにも彼らはすぐに夢中になったが、残念ながら彼女も今や魔王城にはおらず、彼女が出て行く時は本気で涙を流していたそうな。
一年半以上もの間、ずっと一緒に頑張ってきた男子たち。そのあまりにも情けなさすぎる姿に、三波は呆れるよりも怒気の方が強く感じられるようだった。
「遊ばれてるのが分かんないのかしら? あいつら」
「余裕であしらってるわね、サリスさん。流石の貫禄って感じ」
「あいつら、メイド長さんの胸元に視線やりすぎ。あんな鼻の下伸ばしてて、バレないと思ってんのかしら? 男ってホント、馬鹿よね」
「責めてやるなよ、男の哀しい性だ」
恵子と三波が代わる代わるに男子たちを非難するのを、果歩は冷静にフォローしていた。
「しかし……あれがあの高坂ねぇ……もう殆ど別人じゃん。確かに面影あるけど、言われなきゃ絶対気づかないわね」
と、三波。見つめる先は言葉通り愛奈で、彼女の周りにはシャイリー、ガルフ、カタリナ、この三名が寄り集まっていた。魔道士という同系統なため、普段の修業も一緒になるケースが多いガルフとカタリナは、人見知りの気が強い愛奈も既に慣れ親しんでおり、そこにシャイリーが含まれているのは、彼の気持ちを考えれば無理からぬ事であろう。
その他にも、皆川教諭は好々爺なリーチェンや落ち着いた大人のクリスらと、のんびり会話を楽しんでいたりする姿も目にできる。
が、魔神だけでなく魔王連中をことごとく苦手とするアグリアはともかく、桂木明人がこの場に見当たらないのは少し不自然だったが、実は二人とも、現在この魔王城には居なかった。
「なんかさ、あたしらみたいなモブ以外の主要登場人物格はみーんな美形って、ご都合主義にも程があんだろ」
「自分でモブゆわない。あんただって十分個性的よ」
「もしあたしらの物語があったら、間違いなくヒロインか、最低でもサブ的立場の麻木に慰められたくはねーな」
「同感」
果歩の言葉に同意する三波に、恵子は、馬鹿らしい、と閉口してしまう。
「あたしが可愛いのは事実だけどねぇ……」
「自分で平然と言い切れるお前は凄い」
「ある意味尊敬するわ」
「でも、他にもルミナリアさんとかアリス……じゃなくって、ベアトリクスさんとか、千鶴並みに綺麗な人、リリステラさん以外にも何人か会ったし……この人たちが集まったら、あたしくらいじゃ完全に埋もれるわよ」
「どんな人たち?」
「ルミナリアさんは魔王で、ベアトリクスさんはアレスブルグって国の王女様で、色んな意味で千鶴とガチで張り合えるスンゴイ人」
それは女とあっても一度は見てみたい、と果歩と三波は興味本位で言っている。
「お、これ美味いぜ」
会話の途中で口にした肉料理がよほど美味しかったようで、果歩が二人に勧めている。
「あ、ホントだ。これ作ってるのって、またとんでもない美人な、あのメイド長さんなんでしょ?」
「サリスさんも何気に完璧超人だから。てか、あたしの知る限りじゃ、あの人が一番女子力高いと思う。あとやっぱリリステラさん」
「お前、ホントあの姫様のこと好きだよな」
「だって、超綺麗で超善い人じゃん」
「あんなの反則よぅ……女特有のドロドロ感が全然無いし。あれじゃケチのつけようがないじゃない」
「女のあたしらにまでそう思わせるって、マジでパネェよな」
最初から自分と比べようとは思っていない恵子や、もう開き直る事ができている果歩は平然としたものだったが、三波はまだ、いずれにしても時間が掛かりそうな感じで落ち込みようを見せていて、他の二人から「諦めてしまえ」と、慰めなのか判断に困る言葉を掛けられている。
「私もちょっとくらいは自分を磨いてみないと、惨めすぎて泣けてきそう。今度メイド長さんにお料理習ってみよーかな。教えてくれると思う?」
「サリスさん、いい人だから、時間があれば嫌とは言わないんじゃない?」
「あの人も超つえーんだろ?」
「ガルフさんと同じくらいらしーよ」
「……それって具体的にどのくらいなの?」
果歩の質問に、恵子は天井を見上げて少し考えると、
「よく分かんない」
考えた末のその答えに、果歩と三波はがっくりときたようだ。
「何それ?」
「千鶴が言ってたけど、イメージとしては、自由自在に……えと、せんりゃく? 核兵器を連発できて、超音速で飛び回る戦闘機が、最低でも都市を一発で灰にできるだけの攻撃でないとかすり傷一つ付けられない無敵の防御力を持ってると思えばいいわ……とか」
自分には、千鶴のこの言葉の意味自体があんまりイメージが湧かないのよね、凄いって事だけは分かるけど、と恵子。
しかし、取り敢えず漠然と理解できてしまった三波は顔を青ざめさせている。
「嘘でしょ……!?」
「いや、そんなもんだろ」
三波が声を押し殺して絶叫するが、賑やかなおかげで目立つ事はなかった。
しかし、実にもっともな疑問の声を、果歩はあっさりと否定してみせた。
「あの人ら、比喩じゃなく、あたしらが見えないよーな速度で普通に動き回るんだぜ? 人間のサイズがだぞ? 明らかに音速なんてもんじゃねーだろ。その上、パンチ一つ、魔法一発で学校の校庭くらいはあるデッカイ大穴を作っちまう上に、それを食らってもけろっとしてんだ」
「なんかね、これは千鶴だけじゃなくって愛奈も言ってたけど、あいつらが使う攻撃方法って、武術も魔法も、単純な威力……熱量って言ってたっけな? だけに表すと、かなりとんでもないみたい」
実際に自分たちがその領域に近づきつつある今、愛奈もそれを実感し始めてきたそうだ。
「そのエネルギーに方向性を持たせて、威力をできるだけ一点に集中するように工夫したりするから、自分が攻撃したいと思った相手から避けられて、地面とかに当たっても、見た目は実際の威力ほど大した被害にはならないケースが多いんだって」
「いや、ありゃ十分に大した被害だと思うけどな、あたしは……」
慣れたのか諦めたのか、もはや平然と話す恵子と、まだまだそこまで割り切れない果歩がいる。
そして三波は盛大に顔を引き攣らせているが……
「本物を見たらその程度の反応じゃすまねぇからな、一生見ねぇのをお勧めすんぜ。あたしだって、しばらくはまともに会いたくないと思ってたくらいだ。ぶっちゃけ今でも怖いもんは怖い」
話ながら、これ以上に三波を脅しても仕方ないと、果歩はちょっと不自然なくらいにいきなり話題を切り替える。
「それにしても、何度も思うけど、この世界で本当に強い人たちって、タイプに違いはあっても、例外なく美男美女だよな。ホント、ご都合主義万歳。目の保養になるからあたし的には嬉しいけどさ」
「でもそれって、実はちょっとだけ理由あるらしいよ?」
呆れた顔で言う果歩に、恵子が思い出したように言った。
「どんな?」
「えっと……リリステラさんから聞いたんだけど……」
んー、と小さく唸って悩む様子を見せる恵子。どうやら上手く言葉にできないようで、
「リリステラさーん! ちょっといいですか?」
「げっ」
「あ、麻木!?」
リリステラを呼びに小走りで去って行く恵子を、果歩と三波は慌てて止めようとするが、二人の手は一歩届かず、その勢いでバランスを崩して、手に持つお皿から料理を床に落としてしまう。
あーあ、勿体ない、と二人は床に落ちてしまった料理を拾い上げながら、顔を見合わせる。
「あの面子の中に割って入って、あの姫様に平気で話し掛けられるあいつの度胸には脱帽すんな」
「人見知りしないやつだとは思ってたけど……何だか前よりも能天気に拍車が掛かってる気がするわね」
そんな事を言っている間に、恵子がリリステラを連れて戻ってきた。
もはや神々しさすら感じさせる美貌に、嫉妬する気も湧いてこない二人だったが、しかし気圧されるものは覚えてしまうらしく、少し緊張している様子だ。
「それで、恵子さん。お話とは?」
「この世界で強い人にイケメンとか美人が多いのって、理由があるんでしたよね?」
「ええ、そうですね」
リリステラ曰く――
この世界では意思の強さが直接的に能力者の戦闘力に反映される。特に、強く成りたい、という思いは強烈に作用する。
ただし、それは『純粋な思い』でなければならない。その得た強さによっての『副次効果』を目的とした思いではならないのだ。
これが難しいところで、例えば、誰かを守りたいから強く成りたい――これはオーケーだ。しかし、守った人間から賞賛されたい、あるいは守った人間の好意が欲しい――ではアウトなのだ。
守りたい人間を守る際に敵を殺してしまったとする。しかし、殺してしまった事で守った人から怯えられたり、嫌われてしまったとする。そこで「俺はお前を守るためにやったのに!」と逆ギレしたり失望したりするようではアウトで、「無事で良かった。でも嫌われてしまったようだから、もうあなたの前には二度と顔を出さない」と嫌味のない笑顔で心から言い切ってしまえるならセーフだ。
同様に、他人より贅沢な暮らしがしたい、他人よりも異性にモテたい――だから強く成りたい――はアウトなのだ、とリリステラは言う。
「人は劣等感を覚えるからこそ、その劣等感を払拭するために上を目指せる生き物です。その思いは成長に対してとても貪欲に作用します。しかし、このルスティニアにあり、真に上を目指す人間には、劣等感は邪魔以外の何物でもございません」
リリステラが真面目な顔で喋るのを、女三人は神妙な面持ちで聴いている。
要するに、ハングリー精神だけで行きつける場所は人間の領域で限界、という事らしい。
「劣等感に苛まれる者は、どうしてもその劣等感を払拭せずにはいられぬものです」
「つまり、生れ付き女に不自由しないモテモテ野郎で、金にも困った事の無い人間じゃないといけないって事っすか?」
「必ずしも、というわけではございませんが、概ねは左様ですね。それに、そう言った者たちは、目的とする物を得られた時点で一定の満足感を得てしまいます。その『地点』に必要とされる力量など、我々の領域からしてみれば実に微々たるものです。その程度の些末な覚悟で我々に迫る事など決してできはしませんよ」
目の前の女神様はとても美しい笑顔を浮かべているのに、恵子たちは何だか言い知れぬ威圧感を覚える。
「無論、中には、そうして贅沢を目指している途中経過で闘士へと移行する者もおりますが、結論として、劣等感にしろ優越感にしろ、他者と比較していられるような『余裕』は邪魔なのですよ」
「余裕?」
「真に必死であったらば、かような愚かな考えを抱いている暇もなく己を高めようとします。先ほどの論理に付け足すことがあるとすれば、目的が金銭でも構わないのです」
「え?」
「ただし、下を見ることは許されません」
「下を?」
「見る?」
「どれだけの高みに上り詰めようとも、そこはあくまでも頂きへの通過点に過ぎず、ひたすらに上だけを、前だけを見つめて進むことができる者……下に大勢の者がおり、己は数多の上に立つからと確認しては安心ができる――安堵を得る事ができる程度の薄弱な意志ではならぬのです」
と、笑みが少し誇らしげに緩む。
「ですがまあ、所詮は強き意思の持ち主は強く成り易いと申すだけの話です。結局は才能と鍛錬の成果と意思の強さの総合ですので、漠然とした表現になりますが『才能×鍛錬+意思』といった感じでしょう」
『10×10+50=150』と『15×10+0=150』は同じだ、とリリステラは言う。
「ただ、鍛錬には艱難辛苦が伴いますから、意思の弱き者ではそれが自然と減少してしまいますし、また純粋な苦痛にも弱い……」
リリステラが言葉を濁すように黙ってしまった。嫋やかでありながらも常に淀みなくハッキリと喋る彼女には珍しい事だったが、その瞳は恵子をじっと見つめていて、
「どーかしたんですか?」
「恵子さん、そろそろレベル6を解禁致しましょうか」
「え? いいんですか?」
恵子はちょっとした驚きと、嬉しさも同時に窺わせる顔で応じる。レベル5まではクリアすると自動的に解禁されていたのだが、ここからはリリステラの許可が下りないと解禁されない仕様になっていて、恵子はレベル5を既にクリアしているのに、まだ早いからと、この二十日ほどの間、ダメ出しされ続けていたのだ。
「ただし、お覚悟は重々に。今までは当たり所が悪くさえなければ大きな怪我は無い強さでしたが、これからは油断すれば最悪命を落としかねませんので。攻撃を受けても決して立ち止まってはなりませんよ?」
「骨折くらいならもー慣れました!」
一点の曇りもない笑顔で言い切る恵子。その姿に、果歩と三波が恐怖心すら感じさせる驚愕を張り付けた顔を引き攣らせながらドン引きしている。
「お、おま……骨折に慣れたって……」
まさしく――え? 何それ怖い――である。
「え? あ、うん。レベル4辺りから、体当たりとかされたら普通に危ないスピードになってきて、あたしも最初は痛くていっぱい泣いちゃってたけど……」
人間って慣れるもんなのねぇ……と遠い目で言っている恵子に、二人は思い切り片足を引いて若干のけ反る。
「苦痛は思考を滞らせ、意思を挫きます。それに耐えるのは強き意思のみですが、現実に痛みに耐え得る意思を培うには慣れあるのみです。能力の有無など関係なく、ひとたび闘争の世界を志したのであれば、かような中途半端は許しません」
「はい! 頑張ります!」
恵子の元気な笑顔での返事に、リリステラもにっこりと笑い、頑張りなさいと応援の言葉を掛けてから、元居た方へと戻って行った。
表面上だけを見ると、非常に微笑ましげなやり取りにも思えるが、実態は凄まじく物騒な二人の会話に、ドン引きが入っている果歩と三波だ。
――骨折って、そんな大して痛くないもんなの?
――いや、あたしは一回肘をやった事あるけど、めっちゃ痛かった。足を折ったわけじゃねぇのに、とてもじゃねぇが、歩くくらいならともかく、走るのは無理だったね。
――それに慣れるって……。
――こいつも、もうどっかイカレちまってるぜ、やっぱ。ぜってー未成年の日本人の発想じゃねーよ。
「なに二人でこそこそしてんの?」
「いや、別に」
「何でもないわ」
互いに顔を近づけ合って囁く二人を疑問に思った恵子だったが、まあいいや、と疑問はすぐに忘れて、新しい料理を取りに行ってしまう。
その後ろ姿に生暖かい眼差しを送りながら、
「母さんや、普通の女の子だと思ってた娘が、いつの間にか人外の仲間入りしちまってたんだ……」
「子供はいつか大人になるものよ、お父さん」
ボケる果歩に乗る三波だった。
「冗談は置いておくとして……癪だから本人の前じゃ言わなかったけど、あいつって前より可愛さに磨きが掛かってるわよね、絶対」
「可愛いってより、美人って感じになってきたよな。二年はやっぱ長げぇわ」
感慨深げに言う果歩。
が、その言葉が発せられた途端、三波は急激に落ち込んだ様子を見せた。
「帰る方法、無いわけじゃないみたいだけどさぁ……帰れたとしても、私たちってどうすんだろ」
「もうあたしら、卒業してる年齢だしな。大学行くなら大検か? メンドくせ。しかも強制浪人だもんな、現時点で既に」
「勉強し直すのが大変よ。何だかんだ、生きるのに必死だったから、勉強なんてかなり忘れちゃってるだろーし」
「案外、戻っても一日くらいしか経ってない、とかあるかもよ」
悲観的な二人に、いつの間にか戻ってきて会話に加わっていた恵子が、できるだけ明るい声でフォローの言葉を掛ける。
「あたしも前に旅の途中で同じこと思ってリドウに聞いたけど、理論上、有り得ないって事はないって。この手の理論に関してはさ、凄い魔法使いだと本当に実現させる事ができちゃうこの世界の方が地球よりも進んでるみたい――って千鶴も言ってたし、リドウがゆーならそーなんだと思うよ。そーである保証も一切ねーがな……とも言ってたけど」
「上げるのか下げるのかどっちかにして」
「どの道、二年も一気に成長した姿で現れたら、気味悪がられるだけだろ。ならまだ素直に二年経っててくれた方がマシだと思うぜ。戻ったらあたしらの容姿まで元通り、ってまでのご都合主義は流石に望めねーだろ」
「てか、あたしたちの事って向こうじゃどーなってんだろね」
「今んとこハッキリしてるだけでも、一組から六組までの生徒は軒並みこの世界に来てるのはまず確実だからな。あたしらの学年全八組がこの世界に来てるとすりゃ、一組辺り三十人前後で、ざっと二百四十人か?」
正確な人数なんて知らねぇけど、と果歩。普通の学生はそんなもんだ、一学年の総人数なんて気にする学生はあまりいない。
「先生まで入れればもっと増えるし、他の学年にまで召喚魔法の効果が無かったって保証もないわよね」
「そんな人数が一度に消えたら……」
「大ニュースね、間違いなく」
「なら、私たちが帰ったら、今度は奇跡の生還扱いかな!」
「それよりもあれだろ……」
テレビに出られるかな、と期待して顔を輝かせている三波に、果歩は皮肉っぽく口角を吊り上げながら冷や水を浴びせ掛ける。
「大消失事件の生還者、集団洗脳疑惑? 被害者は勇者をやっていたと証言――で、精神病院行きに百口」
「その時は魔法を使ってみればいいんじゃない? 私たちだって少しくらいは使えるし」
「使えるか分かんないよ。ロスト・スペリングって、自分の意思で魔力を媒介にして現象を操る技術だから、世界の構成が違って、物理法則とかまで違ったとしても、その世界の法則に当て嵌めて魔法を構成する事ができれば問題はない」
「って姫様か若様辺りが言ってたんだな?」
「うぐっ」
得意そうに講釈をたれる恵子が少しうざく感じて、果歩が冷たい声で突っ込んだ。それをまともに受けて呻く恵子も居たが、すぐに気を取り直して話を続ける。
「だ、だから、全部を自分の力でやるロスト・スペリングならまず使えるだろーけど……何だっけ? 世界のコトワリ? に干渉して使うキャスティングは微妙な線だって。それに……」
「それに?」
何か言いにくそうにする恵子だったが、三波が話を促した事で、どこか慎重な様子で小声に言う。
「……できたとしても、それだけはやめた方がいいと思う」
「何で?」
「麻木の言う通りだな。朝霧は案外使えるんだろ? でもな、それでも、生身で拳銃を常に携帯してるようなもんだぜ? 危険人物扱いならまだマシだろ。最悪、実験動物か、冗談抜きで闇の組織か、それともどっかのカルト宗教団体からテロ要員として拉致られるか、どっちかだろ」
果歩の具体的な指摘は至極真っ当だったはずだが、三波は思ってもいなかったらしく、愕然としてしまい、食べかけだった鶏肉っぽい料理が口からぽろっと零れ落ちた。
「もう二年だ。二年、この世界で生きてきた……必死にな。現実逃避してられる余裕なんて無かった……」
保護されるまでの生活を思い出しているのか、果歩の声音はとても重苦しく、聞いている二人には感じられた。
「そのせいで、あたしらも日本で暮らしてた頃と比べると、常識や価値観が大分逸脱し始めてると思ってた方がいい。あたしらは今更ファイア・ボールくらいならびびったりしねぇ――が、普通の日本人には違うんだ」
いっそ、もう戻らない方が、日本……いや、地球のためにも、自分たちのためにも、双方にとって幸せなのかもしれない――と、果歩は遠くを見つめるように言った。
「でも私は……」
三波は少し涙目になって。
「お母さんとお父さんに……また会いたい……」
手に持っていたお皿をテーブルの上に置いて、口元を押えながら体を震わせる三波。その姿に気づいた幾人かが、心配そうに歩み寄ってきて、彼女に慰めの言葉を掛ける。
せっかくのパーティーを白けさせてしまったと、平身低頭する彼女の姿があったが、そんな彼女を、なぜか羨ましそうに見つめる恵子の姿に気づいた者は少なかった。