女神さまの箱庭
その日、とある国家群で神として崇め奉られてしまっている某女性は、友人の某女狐さんと仲良くお茶を楽しんでいた。
……まあ、リリステラとサキなわけだが。
ちなみに時間は深夜真っ只中。
某鬼さんことザイケンが悪意を込めて女狐と呼ぶサキは、実際にかなり、異性関係どころか同性関係にさえだらしないらしいので、むしろお似合いな時間帯かもしれないが、淑女とかお嬢様とかお姫様とか、あるいは女王様もありかもしれないが、とにかくそういう、女性として褒め言葉的な形容しか似合わないと言っても過言ではないリリステラにはキッパリと似合わないように思える。
が、皆さん思い出してほしい……麻木恵子と一条千鶴と高坂愛奈、そしてシャイリーを連れてリドウがこの魔王城に帰還した時の出来事を。あの時、ここは日が明けて間もない時間だったに、魔王様たちは既に宴会中だったのを。
大陸が違うのだから時差がある? 船で三週間程度の距離で、半日以上もの時差が生じるだろうか? 仮に数時間の時差があっても、真昼間だったのは変わるまい。そもそも、ルスティニアにも時差は確かに存在するが、ユクリナス大陸とアイルゼン大陸は地球で言うところの緯度は違っても経度は殆ど同じだったりするので、時差も殆どないのだ。
結論を言おう。
こいつらは魔王なのである――これが全ての答えだ。
魔王は物理的に殺される以外での滅びは無い。毒も効かなければ呪殺も効かないし、病死もありえない。病気をしないということは、体調を崩すこともない。つまり――睡眠不足で死ぬ事もないし、本来は食事の必要すらないのである。食事や酒など、あったら嬉しいけど、無くても別に困らないという、いわゆる嗜好品以上の意味は無いのだ、魔王たちにとっては。
眠る必要のない彼ら彼女らはいつしか眠る事を忘れる。一応、魔王の生態としては、眠る事はできるらしいし、実際に魔王に『成りたて』ならば人間の頃の名残で夜は自然と寝られるのだが、段々と『人間離れ』していく内に、いつしか『眠り方』そのものすら忘れ去ってしまうのだ。
彼ら彼女らにとって、昼とは『明るい時間帯』であり、夜とは『暗い時間帯』であり、それ以上の意味は無い。
その『感性』はこの魔王城の造りにも表れている。太陽の恩恵など生活で必要としないため、城の中には窓の類が殆ど存在しない。
リリステラに関して、いくら聖母とか女神とかいう評があろうとも、彼女は魔王の中の魔王だ。その『人間離れ指数』も、他の魔王など比較にならない程に突き抜けている。
彼女は自分がしたいと思った事を、したいと思った時にする……まさに文字通りに、言葉通りに。
傲慢ではなくても、自分勝手ではある。それがどの魔王にも例外なく該当するメンタリティ。
よって、友人からお茶に誘われたら、時間など関係ないのだ。
「とは言え、お前様の眷属は眠らなければならんからのう。自分たちで用意しなくてはならんのだが……」
サキが何やら地の文に呼応したような発言をするが、深く気にしてはいけない。
彼女は、目の前でお茶の用意をしているリリステラを胡乱な目で見ている。
「ぱぱっと魔法で創造してしまえばよかろうに。何がそうも楽しいのじゃ?」
にこにこな笑顔で、鼻歌で美しい旋律を奏でながら、ティーカップにお湯を注いでいるリリステラが、サキには不思議でたまらない。正確無比かつほぼ無制限に物質の創造が可能なリリステラであれば、最高の品質で最高の状態のお茶を、過程を省いて用意する事ができるはずなのに、何でそんな無駄をするのだろうか、と。
「それでは風情がありません」
まるで愛息子のような事を言うリリステラである。むしろ、彼女がこうして生きる姿を見て育ったからこそ、彼もそうなったのかもしれないが。
「何事も技術が物を申す芸事の世界に頂など存在しません。魔法や武芸と同じように、どれだけ高みに上ろうとも、極めたと言える事は決してありえない。だからこそ、その頂を追い求めるのが楽しく、また飽く事がないのではありませんか?」
「金持ちの道楽じゃな。結局、わらわや天武殿や鬼を含め、我々は皆、お前様を目指しておるという点で、貧乏人と変わらぬからな。多少は人生を楽しむ努力はしても、そこまでの暇は無い」
「あなたの大先輩として言わせて頂くと、“その努力”を忘れてしまうと、いずれ暇に狂ってしまいますよ――比喩ではなく」
「ボケた魔王など見れたものではないのう……黙って放置しておいたら死ぬことがない分、余計にタチが悪い」
アドバイスを受けて、大真面目な顔で「心に留めておこう」と言うサキに、リリステラは相も変わらず美しい笑顔で、用意ができたお茶を勧める。
サキは、うむ、美味い、お見事、と満足そうで、リリステラも笑顔で一言、礼を言った。
しかし、リリステラもティーカップを手に取るが、それを手元に運ぶ途中で不意に動きを止め、じっと紅茶の水面を眺めている。
「本当ならば、地球の技術も、魔法に頼らず部品の一つから手作業で再現してみたかったのですが……」
「あれはそもそも、理論を確認してみたかっただけじゃろ? そこまで拘らずともよかろう」
「魔性の頂点に立つ者としての矜持の問題です。少々、悔しいですね」
そう言って、澄ました顔でティーカップを傾けるリリステラであったが、その言葉が嘘ではなく、心の底から本当に悔しがっている事をサキは見抜いて、笑う。
「お前様でも力及ばぬ人の世界もある。それだからこの世は楽しいのじゃろう?」
「ええ、まったく」
と、笑顔で応えるリリステラであったが、その表情が急に消え去ってしまう。
「どうかしたかの?」
「一瞬ですが、結界が破られました」
「何じゃと……?」
サキは目を見開いた。
「誰ぞ、魔王が遊びに来たのかえ?」
「いえ、人間ですね」
「ほう……?」
サキは物騒に目を光らせる。
魔の森を抜けてやって来るという時点でも、ハイエンドか、もしくはそれ相応の戦力であるのは間違いない。魔の森レベルの魔物であれば、倒すのにハイエンドの力が絶対に必要という事はないが、それは『一対一で、万全の状態なら』の話だ。魔の森の魔物たちは群れる事もあるし、運が悪ければ次々と休みなく襲われる事もある。魔の森を抜けて結界まで到達できた時点で、遺跡九十階の魔物くらいは倒せる戦力が自然と必要とされてしまうのだ。
リリステラは微かに首をそらして、虚空を見つめながら薄っすらと笑む。
「どうやら無理やり破るのではなく、結界を解除する方にしたようですね」
「お前様の術式を解読できるのがそうそうおるかのう」
「さあ。テトスラトスに連なる者ならばやってのけるでしょうが……できたならば、わたくしから褒美の一つも差し上げましょうか」
楽しそうに笑うリリステラ。できるわけがない、と高を括っているのではなく、是非ともやってみせろ、という期待の籠った笑顔だった。
しばらく、二人の間に会話もなく時が過ぎ去ると、リリステラの浮かべていた笑みが更に深まった。
「素晴らしい。よくぞやってのけました」
「ほほぅ、解読しきりおったか」
「ええ。しかも、一人ではありませんね。ハイエンド“以上”の使い手が三名に……常人とは言えぬ等級が一名、更に常人も一名が混じっているようです」
「わらわが出向こうか?」
「いえ」
リリステラは澄ました顔で言って、新たに紅茶を用意し始める。
「リドウが居なくなってしまい、近頃は我が庭園の魔物たちも退屈しているようです。生態系に支障をきたさぬ程度までは、侵入者の目的を計る意味でも、しばらく様子を見ましょう」
魔物だから死んでもいい、というわけではない。闘争の中で命を落とすのは当たり前のことだ。人間とは違い、魔物たちはそんな“当たり前のこと”など、言われずとも理解している。それでも闘いたがるのが魔物たちの習性であり、本能なのだ。
人間の感覚、あるいは感性に例えてみれば、彼ら――少なくともエーテライス在住の魔物たちにとっては、闘争とは遊びでしかないのだ。その結果として敗北側の大半は死んでしまうが、それは彼らにとって“大した事”ではない。
人間とは価値観が違うのだ。野蛮と評するのは自由だが、間違っていると決めつけるのは、紛れもない『人の傲慢』でしかない。
その摂理を当たり前のように吐き出すリリステラ。こういう部分に、彼女の精神が単純に慈悲や優しさだけで形作られているわけではないという事実がよく表れているな、とサキは深々と思ったそうだ。
きらりと銀閃が閃いたと同時にキマイラの肉体が四散した。
その暴挙を行った男は、涼しい顔で凶器の刀を鞘に納めている。
「こいつ、何階くらいだったっけか?」
キマイラを殺害した男、アレクサンドル・ラヴァリエーレに声を掛けたのは烈震のガルフ。
「さあ。七十階前後だったはずだが、細かくは覚えてない」
「冗談じゃないわ!」
絶叫したのはアグリアだ。
「今日だけでこいつ以外にも、ブラックドラゴンにサイクロプスにエトセトラエトセトラ! どいつもこいつも、普通なら第一級危険地帯のボスクラスの種族よ! 何なのこの『魔の森』って!?」
「入口付近では五十階レベルでしたが、一昨日あたりからは平均で七十階といったところですか。奥に行くほどハイレベルになっているのは間違いありませんね」
「あんた、何でそんな平然としてられんの!? あんたなんてはぐれたら一時間と生きてらんないわよ!?」
「弱者に仇を為す外道に限っていたとはいえ、散々人の命を理不尽に奪ってきた私に、今更己の死に怯える資格などありません」
「出た! リリス教の独自倫理!」
もうイヤー、何でこんな脳筋ばっかりなの、とその場に崩れ落ちるアグリアである。
「お嫌なら、今からでもお帰りになられてはどうですか?」
柔和な笑顔、かつ穏やかな声で、カタリナだ。
「あんたが送ってくれるわけ?」
縋るようにカタリナを見上げるアグリアだったが、
「いいえ、お一人でどうぞ」
「あんたって実はメチャクチャ性格悪いわよねっ!?」
遺跡七十階レベルなど、アグリアでは二、三体も戦えば力尽きるのは必至だ。それを理解して提案しているのだから、カタリナは案外本当に性悪なのかもしれない。
が、半泣きでわめくアグリアの事情など知ったこっちゃない他の面々は、彼女を置いてさっさと先へ行ってしまう。
置いて行かれてはたまらないと、アグリアは慌てて立ち上がって追い掛ける。
すぐに追いつくが、そこではアレクサンドルが殺気をギンギンに迸らせながら邪笑を浮かべていて、もうイヤー、が第二弾だった。
「くくっ。この調子で順調にレベルが上がっていけば、十日もする頃には九十階レベルとご対面できるな」
「フェンリルは誰かが倒しちまってて肩すかし食らったからな。楽しくなってきたじゃねぇか」
当然と言うか、ガルフも、とっても楽しそうに、犬歯を剥き出しにして笑っていた。
ガルフが言ったように、ユリアス王国に彼らが辿り着いた時には、既に何者かによってフェンリルは倒されていた。二十代後半から三十代前半の見目麗しい蒼髪の女剣士、という証言が目撃者たちの口から語られているが、彼らがその女剣士とフェンリルの戦いを直接目撃したわけではなく、フェンリルの周辺地域を隔離していた警備兵たちが――物凄いスピードでその女性がフェンリルの方へ駆けて行った。自分たちに止められるスピードではなかった――と語っていただけなので、本当に彼女の仕業なのか確認されているわけではないが、状況からしてほぼ百パーセント間違いないだろう。
倒されてしまったのでは仕方ないと、不満らしきものは舌打ちを一つ鳴らしたくらいで、あっさり諦めたアレクサンドルとガルフであったが、今度はその人物に興味が湧いてきた。とは言え、それっきり行方に関する情報もぷっつりと途切れてしまったので、目的のリドウの足跡を辿ることに集中した。
結果、交通都市アクレイアから数日も歩いた地点の村から先で、リドウたちの情報もぷっつりと途切れてしまったのだ。
こうなると怪しいのは『魔の森』だと、アレクサンドルたちは即座に勘づいた。
魔の森。それは、冒険者として暮らしているなら、誰でも一度は耳にした経験があるはずの、第一級危険指定地域だ。
まず、奥行きがハッキリしない。そこにどれだけの数の魔物が棲んでいるかも判断がつかない。更に、少なからず遺跡七十階クラスの魔物も確認されているときている。ルスティニア全土でも他に類を見ない超危険地帯なのに疑問の余地はない――とされている。
幸いな事に、彼らは自ら魔の森から表に出てくる事はないので、触らぬ神に祟りなし、が原則となっている。領土拡大に出ようにも、いったいどれだけの戦力が必要とされるのか、見当もつかないのだ。少なくとも、一国の戦力程度では全滅がオチなのは間違いないのだから。
“だからこそ”、アレクサンドルたちは間違いないと睨んだ。月紅のリドウ――あんな冗談みたいな実力者が育った環境が普通なわけがないのだから。
しかし、魔の森に突入してから先、一同は既に四十日を彷徨い歩いていた。麻木恵子がかつて、まだ体力不足だった頃でさえ、踏破するのに三十日は掛からなかった場所なのに、だ。
と言うのも、実はこの場所、富士の樹海もかくやというトワイライトゾーンで、方向感覚がやたらめったらに狂わされてしまうのだ。たまに、誰かが空を飛んで、これから行く先を確認してから歩き出してさえ、何の意味もないという、とんでもない場所だった。
リドウが易々とこの中を歩けたのは、生まれながらにその環境で育ったおかげで、本人も知らない内に、このトワイライトゾーンを歩ける第六感的な感覚が自然と身についていたからだった。
単純な戦闘力ではリドウに匹敵しかねないアレクサンドルでも、流石にそんな感覚は持ち合わせておらず、何度か同じ場所をループさせられていたりした。もっとも、本人は割と楽しんでいるらしかったが。
そうして歩くこと、更に数日。現れる魔物のレベルがとうとう伝説級の一段下、七十五階相当に達した頃だ。
「――――ッ!?」
先頭を歩いていたアレクサンドルが突如足を止め、驚愕した様子で背後を振り返った。
「どうした?」
ガルフが訝しげに問うが、
「…………」
アレクサンドルは黙ったまま数歩戻って、また前に数歩行って振り返り、周囲を注意深く見渡す。
「空間が歪んでいる」
ようやくのアレクサンドルの回答に、ガルフも瞠目して周囲を観察する。
「うおっ。すげーなこりゃ。注意してなきゃ普通に見逃すぞ……」
カタリナやアグリアも、魔道士として興味があるらしく、目を皿のようにして確認している中、ガルフは呆然と呟くように、これを成立させている術者に対しての尊敬すら籠った声で言った。
「お前たち、少し離れていろ」
アレクサンドルが刀を抜き放ちながら闘気を全開にして言う姿に、一同は足早に距離を取る。
と、彼は虚空に向かってずばっと刀を一振り。
その衝撃波によって地面が十メートルほど切り裂かれたが、そこは問題ではない。
「なっ……!?」
誰もが驚愕の声を呑み込んだ。
ほんの一瞬しか見えなかったが、アレクサンドルが切り裂いた空中に、美しい草原が広がっていたのだ。
それも長い事はなく、すぐに元の空間へと復元してしまった。
「……力ずくでこじ開けるのは一苦労だな」
「転移できると思うか?」
「無謀だな。座標がさっぱり認識できねぇ。空間系でこの結界ごと吹っ飛ばすのはありだが、どんな反作用が働いてくれるか予想できたもんじゃねぇし、最終手段だな」
「オヤッサン!」
二人が難しい顔で相談していると、クリスの呼ぶ声が聞こえる。そちらに視線を移してみれば、彼の足下に複雑な文様が刻まれたタペストリーがあった。
一同は一斉にそちらへ歩み寄る。
自然と、この結界絡みであろうと推測が立つが……
「俺には無理だな。おめぇさんはどうだ?」
「私も魔導は専門外だ。が……」
と、アレクサンドルは意味深な視線をアグリアへ送る。
「あ、あたしに解析しろっての!?」
「敵を嵌める罠のためという動機は気に食わんが、魔導学においては天才と言われた女であろう。たまには役に立て」
「ちっ。めんどくさ……力ずくでもできないわけじゃないんでしょーに」
アグリアは、ぼやきながらもしゃがみ込んで、魔方陣の解析に掛かる。
「うわ、何これ? 芸術的ってゆーか、信じらんない精密さね。つーか、クセがどことなく遺跡の転移方陣に似てるような……」
それからも何度か「うわ」とか「げっ」とかもらしながらも、その芸術的な術式に魅せられたのか、アグリアは解析に夢中になっていった。
「でも……うん、最初から解呪を目的に構成されてるみたいだから、素直に解析していけば……」
その台詞から数秒後、アグリアの唇がにやっと笑みを形作った直後、一同の前に、先ほど見た草原へと続く光景が、ぽっかりと空いた。
「ふふん」
どーよ、とばかりに胸を張るアグリア。
「誰にでも一つくらいは取り柄があるものですね」
「こ、このアマぁ……」
感心したように言うカタリナだったが、台詞自体は皮肉以外の何物でもなく、アグリアが真っ赤な顔で拳を振るわせている。
「よくやった。行くぞ」
アレクサンドルは賞賛を送るも、到底心が籠ったものではなく、アグリアは更に怒りを募らせているが、
「お見事でした、アグリア殿」
「あんただけよ、あたしにもちゃんと気を遣ってくれるのは」
クリスの、しっかり心が籠った賞賛の言葉を受けて、何とか機嫌を持ち直す。
元暗殺者であるクリスからしてみれば、以前は敵として戦った相手だったが、『手打ち』が済んでさえしまえば、恨みつらみを募らせるのは時間と気力の無駄なのだ。それでいて紳士であったりするので、アグリアにとっては、実はこのパーティーの面々で唯一の清涼剤と言えたりもして、少なくとも表面上は、比較的関係が良好だった。
そして、とうとう『大結界エーテライス』に侵入を果たした一同であったが……
そこから歩むこと一時間もすると……
どこからともなく「きゅぉおー」という甲高い音が一同の耳朶を打った。それはまるで、何かの動物が鳴いた声のようで……
「あ、あ、あ、あ、あ……」
その正体を目視したアグリアが全身を硬直させて喘ぐ。
その横ではクリスも、無言ながら、顔から冷や汗を滴らせて立ち尽くしている。
「あ、あれ……あの鷲っぽい特徴であの体格って……!?」
「フレスベルグだな。以前に遺跡で戦った時は九十三階に出現した覚えがある」
邪笑しながらのアレクサンドルの言葉に、アグリアは腰が抜けてしまったのか、ぺたんと尻餅をついた。
「じょ、冗談じゃないわ! 何でいきなりそんなレベル上がってんの!?」
「おや、あちらからはケツァルコアトルが」
「おおっ。あっちからはナーガラージャだぜ!」
こてんと首を傾げながらのカタリナと、がははと大笑いしながらのガルフ。
「では、一人一体の受け持ちで。わたくしはナーガラージャを」
「ナーガラージャの方が上だ、そっちは私が殺る。お前はフレスベルグにしておけ」
「ダメですか?」
「ダメだ。お前の戦闘力は単純計算で遺跡九十五階レベルであろう? 九十六階のナーガラージャでは殺されかねんしな」
「おい、俺抜きで勝手に話を進めんなよ」
「揉めてられる時間はあるまい?」
「せめてじゃんけんだろ、この場合」
カタリナも当然参加すると宣言し、三人はじゃんけんを始める。握られた手を振り下ろす際に相手の指の動きに合わせて自分の指の動きを変えるという、無駄に高度な技術戦が繰り広げられていたり、アレクサンドルは気功士としての力を用いず、正々堂々と勝負していたりするが、はなはだ余談である。
その光景を眺める残り二人は、
「カタリナ殿もやはりバトルジャンキーでしたか……」
この世界に闊歩する闘士という名のバトルジャンキーは、案外見た目では判断できない。とは言え、ハイエンドの大半はそうであると考えてよく、クリスも予想はしていのだが、本心では、できれば違ってほしかったようだ……一人でも多くのストッパー役として。
「あんた、落ち着いてるわね」
「焦ったところでどうにもなりませんよ。流石にあのプレッシャーは心身に応えますがね」
「その冷静さが心底羨ましいわ」
深く嘆息するアグリアであった。某爆乳魔道士曰くドSでビッチでショタコンな彼女だが、実はこの面々の中では一番の常識人なのかもしれない。
所変わって、再び魔王城のサロン。
お茶会の内容はいつしかアルコール飲料へと替わっていたが、そこはさほど問題ではない。
リリステラは血のように赤いワイングラスを片手に、ふんわりと笑う。
「やりますね」
「何ぞあったかえ?」
「ケツァルコアトル、フレスベルグ、ナーガラージャ……同時に襲われてなお、退けたようです」
「ほう。大したものじゃのう」
「これだけの者たちでは他の魔物たちも慎重になるでしょう。これ以上放置しておいても意味はありませんか」
「姫様、私が参りましょうか?」
世が明けて仕事に入ったサリスが提案すると、リリステラは優雅な仕草で立ち上がった。
「あなたでは止め切れません。彼らの目的が我々に仇為すものであれば事です。かような些末事であなたを失うわけには参りません」
と言うリリステラに、サリスとサキの目が丸くなる。
「まさか、お前様が自ら出向くつもりかえ!?」
「なりません、姫様! 姫様がそのような些末事にお動きになられるなど」
「よいではないですか。わたくしもリドウが居ないと少し退屈なのです」
と、遊び心満載の笑みで言うリリステラだ。
これは説得できないなと諦めざるを得ないサリスは、ご無事で、と頭を下げるに留まった。この麗しき主人に対しては、ある意味最も不似合な送り言葉だったが、ただの社交辞令にすぎないのだろう。
「さあ、どのような者たちでしょうか」
開いた両手を合わせて、心から嬉しそうに笑う大魔王様だ。その御姿は無邪気というか、何と言うか……
その場から前振りもなく消え去ったリリステラの居た場所を眺めながら、サキが色っぽく唇をすぼめながら煙管の煙を吐き出して、一言。
「見てくれはわらわよりちょい下程度じゃが、あやつはいつまで経っても可愛らしいのう……」
「ですから、『女王』ではなく『姫』なのですよ、サキ様」
好奇心旺盛で無邪気なお姫様。ある意味、子供っぽさを残すからこその呼び名だそうで、それが褒め言葉なのかどうか、ちょっと悩んでしまうサキだった。